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第五章 夢見る少女は夢から醒める
正しさを信じ、わたしは叫ぶ
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「……本当に同じ街かよ。まるでサーカス会場だ」
道のいたるところに積み上げられた木材を見ながらルーカスは眉を顰めた。建築資材や家具が天高く、道を塞いでいる。
昼間なのに薄暗いのは、冬が近づいているせいだけではない。
離れていた間、この街はまた空気を変えたらしい。
奇怪な緊迫が漂い、行き交う人々は寡黙になり、表情は物憂げだった。
「ルーカス、戻ったか」
酒場に行くと、数人の仲間と話していたフィンは中断し、笑いかけてきた。が、その笑顔さえ固い。
「この街はどうしちゃったのよ」
「複雑だ。簡単には説明できない」
「でしょうね」
「手紙で知らせてくれれば、オレだけでももっと早く戻ったのに」
「もちろん出したさ。だが余計なことを書くなとリーチェに送り返されたんだ。あいつときたら軍事郵便よりも検閲が厳しい」
「わたしの傷が治るまで、気を使ってくれていたのね」
フィンが座るテーブルに近づくと、話をしていた他の人間たちは、気を利かせて離れていく。
座るなり、ルーカスが改めて尋ねた。
「街中のバリケードはなんだ? 何が起きてるんだよ。さながら暗黒郷じゃないか」
「先に手を出したのはあいつらの方だ。……別にロキシーが、誰に撃たれたかってことだけを言ってるわけじゃない。二人が去った後、反乱軍を名乗る何者かが街で暴れたんだ。軍はそれを口実に、俺たちを締め出そうとしている」
「何者かって?」ロキシーが聞く。
「特定できなかった。前と一緒さ、軍が俺たちの名を騙ったんだ。人民のための国軍だろう? 人民の代表を排除してどうする。だから民兵を組織して、対抗させてる。バリケードはまさに国境さ」
フィンの言葉に、思わず顔を顰めた。
「泥沼になるわ」
「楽観的だな。もうとうに底なし沼の中にいるんだ」
「決着点はどこだと考えてるんだ?」
ルーカスの問いに、フィンは迷うことなく答えた。
「女王の処刑だ」
くらりと、眩暈がする気さえした。
首を切られた時の恐怖が思い起こされる。だが死への階段を上るのは、この世界ではモニカだ。
思わず詰め寄る。
「フィン、女王って、知らない人じゃないのよ。モニカなのよ! あなたの友達で、大事な人じゃない!」
「友人で大事だから、間違った道に進んでいくのを止めるんだ」
「止めるっていうのは、殺すってことなの!?」
熱くなるロキシーの一方で、フィンは表情すら変えない。
「あいつが黙って俺たちに国を明け渡すのなら、命までは奪わない。だが、あの女が黙って国を渡すとは思えない。だから、そうだ――」
フィンは認める。
「――殺すってことだ」
まさか、モニカを殺そうなんて、フィンが考えているとは思っていなかった。
たとえ今は敵対し合っていても、幼い頃はいつだって心から笑い合っていたのだから。あの情熱は去っても、今だって友人としての思いは変わらないはずだと、そう信じていたかった。
きっとロキシーは軽蔑した表情をしていたことだろう。だが隠す気もない。
「あなたらしくないわ! フィン、いつだって正義を全うしてたじゃないの。モニカを殺すことがあなたの正義なの?」
「君は勘違いしている。モニカを殺したいわけじゃない。王を倒したいんだ」
「同じことだわ!」
「全く違う」
「あなたの口からモニカを殺す話を聞きたくはなかったわ!」
「誰かが先導しなくちゃいけない」
「……自分の意志とは違っても?」
「それで未来への道が拓けるのなら、それが俺の意志だ」
見つめ返してくるフィンの瞳には、少しの迷いすら浮かんではいない。
「ロキシー、誰が何と言おうと、これが俺の正義だ」
誰が女王でもそうだった。いつか思ったことを、はっきりと実感する。
モニカのせいではない。フィンのせいでも、ロキシーのせいでも、もちろんルーカスのせいでもない。運命を変えようと奮闘しても、どうにもならない人の性が邪魔をする。時代の潮流に抗うには、ロキシーはあまりにも小さすぎた。
束の間、何も言い返すことができなかった。
フィンは続ける。
「友好国の軍隊が、ここに迫ってきている。王都に彼らが入れば、今は膠着しているこの状況にも、強硬手段で決着をつけようとするはずだ。俺や、マーティーは捕まり処刑される。
ロキシー、分かるか。そこまでの事態なんだ。もはや妥協案では、誰も納得しない。殺すか殺されるか、どちらかしかないんだ。俺とモニカの、命がけの戦いだ。勝った方が生き残る、自然の摂理だ」
人はいつだって頑なで、そんな人の心を変えるのは、並大抵の覚悟ではだめだと、身をもって知っている。
どうしようもないとでも言うように、フィンは肩をすくめた。
「踏みにじられればられるほど、雑草は強くなるのさ」
だがロキシーだって、並大抵の覚悟でここにいるわけではない。
「わたしも、また議会に行くわ」
「何を言い出すんだよ!」
ルーカスが驚いた声を出す。
フィンは真意を探るようにロキシーの瞳を覗き込んだ。
「……レット・フォードがいるぞ。顔を合わせたいか」
その目を、真っ直ぐに見つめ返した。
「積極的に会いたいわけじゃないわ。でも昔のことに、いつまでも囚われていたくないの。前に進まなくちゃ」
「行ってどうする。今度こそ兵士が撃ったと証言するのか? 今更真実を言ったところで、聞いてはもらえないぞ。もう議案は別件だ」
タイミングを逃したな、とフィンはため息をつく。
だがロキシーの目的は、レットが撃ったと語ることではなかった。
「フィン。驚かないで聞いてね。わたし実は――」
「フィン。明日また話そう。帰ったばかりで疲れてる。ロキシーだって病み上がりだし」
ルーカスがロキシーにその先を言わせないとばかりに遮る。
ちらりとこちらに向けられた目は、余計なことを言うなと訴えていた。
フィンが頷き、席を立ち、別の男たちの机に加わっていく。
「……どうして止めるの?」
味方のはずのルーカスの妨害を、思わず責めた。
「ロキシーが名乗り出て解決するなんて、もうそんな段階じゃない。民衆は怒ってる。女王を殺すまで、止まらない。オレはロキシーを、死なせたくない」
「だけどこのままだと、モニカが死ぬわ」
「分かってる」
ルーカスの顔が苦悶にゆがむ。
「……それでも、ロキシーを死なせたくない」
切実な弟の言葉に、深く心が痛んだ。なぜなら彼の気持ちを踏みにじることになるからだ。結論は初めから決まっていた。
誰が何と言おうと女王を処刑することがフィンの正義なら、モニカを救うことがロキシーの正義だ。――誰が何と言おうとも。
ルーカスを振り切ると、フィンに向かって叫んだ。
「――わたしよ! わたしこそが、王家の血を引く娘よ!」
道のいたるところに積み上げられた木材を見ながらルーカスは眉を顰めた。建築資材や家具が天高く、道を塞いでいる。
昼間なのに薄暗いのは、冬が近づいているせいだけではない。
離れていた間、この街はまた空気を変えたらしい。
奇怪な緊迫が漂い、行き交う人々は寡黙になり、表情は物憂げだった。
「ルーカス、戻ったか」
酒場に行くと、数人の仲間と話していたフィンは中断し、笑いかけてきた。が、その笑顔さえ固い。
「この街はどうしちゃったのよ」
「複雑だ。簡単には説明できない」
「でしょうね」
「手紙で知らせてくれれば、オレだけでももっと早く戻ったのに」
「もちろん出したさ。だが余計なことを書くなとリーチェに送り返されたんだ。あいつときたら軍事郵便よりも検閲が厳しい」
「わたしの傷が治るまで、気を使ってくれていたのね」
フィンが座るテーブルに近づくと、話をしていた他の人間たちは、気を利かせて離れていく。
座るなり、ルーカスが改めて尋ねた。
「街中のバリケードはなんだ? 何が起きてるんだよ。さながら暗黒郷じゃないか」
「先に手を出したのはあいつらの方だ。……別にロキシーが、誰に撃たれたかってことだけを言ってるわけじゃない。二人が去った後、反乱軍を名乗る何者かが街で暴れたんだ。軍はそれを口実に、俺たちを締め出そうとしている」
「何者かって?」ロキシーが聞く。
「特定できなかった。前と一緒さ、軍が俺たちの名を騙ったんだ。人民のための国軍だろう? 人民の代表を排除してどうする。だから民兵を組織して、対抗させてる。バリケードはまさに国境さ」
フィンの言葉に、思わず顔を顰めた。
「泥沼になるわ」
「楽観的だな。もうとうに底なし沼の中にいるんだ」
「決着点はどこだと考えてるんだ?」
ルーカスの問いに、フィンは迷うことなく答えた。
「女王の処刑だ」
くらりと、眩暈がする気さえした。
首を切られた時の恐怖が思い起こされる。だが死への階段を上るのは、この世界ではモニカだ。
思わず詰め寄る。
「フィン、女王って、知らない人じゃないのよ。モニカなのよ! あなたの友達で、大事な人じゃない!」
「友人で大事だから、間違った道に進んでいくのを止めるんだ」
「止めるっていうのは、殺すってことなの!?」
熱くなるロキシーの一方で、フィンは表情すら変えない。
「あいつが黙って俺たちに国を明け渡すのなら、命までは奪わない。だが、あの女が黙って国を渡すとは思えない。だから、そうだ――」
フィンは認める。
「――殺すってことだ」
まさか、モニカを殺そうなんて、フィンが考えているとは思っていなかった。
たとえ今は敵対し合っていても、幼い頃はいつだって心から笑い合っていたのだから。あの情熱は去っても、今だって友人としての思いは変わらないはずだと、そう信じていたかった。
きっとロキシーは軽蔑した表情をしていたことだろう。だが隠す気もない。
「あなたらしくないわ! フィン、いつだって正義を全うしてたじゃないの。モニカを殺すことがあなたの正義なの?」
「君は勘違いしている。モニカを殺したいわけじゃない。王を倒したいんだ」
「同じことだわ!」
「全く違う」
「あなたの口からモニカを殺す話を聞きたくはなかったわ!」
「誰かが先導しなくちゃいけない」
「……自分の意志とは違っても?」
「それで未来への道が拓けるのなら、それが俺の意志だ」
見つめ返してくるフィンの瞳には、少しの迷いすら浮かんではいない。
「ロキシー、誰が何と言おうと、これが俺の正義だ」
誰が女王でもそうだった。いつか思ったことを、はっきりと実感する。
モニカのせいではない。フィンのせいでも、ロキシーのせいでも、もちろんルーカスのせいでもない。運命を変えようと奮闘しても、どうにもならない人の性が邪魔をする。時代の潮流に抗うには、ロキシーはあまりにも小さすぎた。
束の間、何も言い返すことができなかった。
フィンは続ける。
「友好国の軍隊が、ここに迫ってきている。王都に彼らが入れば、今は膠着しているこの状況にも、強硬手段で決着をつけようとするはずだ。俺や、マーティーは捕まり処刑される。
ロキシー、分かるか。そこまでの事態なんだ。もはや妥協案では、誰も納得しない。殺すか殺されるか、どちらかしかないんだ。俺とモニカの、命がけの戦いだ。勝った方が生き残る、自然の摂理だ」
人はいつだって頑なで、そんな人の心を変えるのは、並大抵の覚悟ではだめだと、身をもって知っている。
どうしようもないとでも言うように、フィンは肩をすくめた。
「踏みにじられればられるほど、雑草は強くなるのさ」
だがロキシーだって、並大抵の覚悟でここにいるわけではない。
「わたしも、また議会に行くわ」
「何を言い出すんだよ!」
ルーカスが驚いた声を出す。
フィンは真意を探るようにロキシーの瞳を覗き込んだ。
「……レット・フォードがいるぞ。顔を合わせたいか」
その目を、真っ直ぐに見つめ返した。
「積極的に会いたいわけじゃないわ。でも昔のことに、いつまでも囚われていたくないの。前に進まなくちゃ」
「行ってどうする。今度こそ兵士が撃ったと証言するのか? 今更真実を言ったところで、聞いてはもらえないぞ。もう議案は別件だ」
タイミングを逃したな、とフィンはため息をつく。
だがロキシーの目的は、レットが撃ったと語ることではなかった。
「フィン。驚かないで聞いてね。わたし実は――」
「フィン。明日また話そう。帰ったばかりで疲れてる。ロキシーだって病み上がりだし」
ルーカスがロキシーにその先を言わせないとばかりに遮る。
ちらりとこちらに向けられた目は、余計なことを言うなと訴えていた。
フィンが頷き、席を立ち、別の男たちの机に加わっていく。
「……どうして止めるの?」
味方のはずのルーカスの妨害を、思わず責めた。
「ロキシーが名乗り出て解決するなんて、もうそんな段階じゃない。民衆は怒ってる。女王を殺すまで、止まらない。オレはロキシーを、死なせたくない」
「だけどこのままだと、モニカが死ぬわ」
「分かってる」
ルーカスの顔が苦悶にゆがむ。
「……それでも、ロキシーを死なせたくない」
切実な弟の言葉に、深く心が痛んだ。なぜなら彼の気持ちを踏みにじることになるからだ。結論は初めから決まっていた。
誰が何と言おうと女王を処刑することがフィンの正義なら、モニカを救うことがロキシーの正義だ。――誰が何と言おうとも。
ルーカスを振り切ると、フィンに向かって叫んだ。
「――わたしよ! わたしこそが、王家の血を引く娘よ!」
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