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第五章 夢見る少女は夢から醒める
悲劇の男を、わたしは兄と呼ぶ
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ロキシーは一つ、思い出した。
王都が襲われた騒ぎがあったとき、父の話を一人で聞いた後、モニカの様子は明らかに変だった。
いつもの堂々とした態度ではなく、どこか呆然と、正体なく立っていた。
「分からないわ。クリフ様、もし、もしもよ? わたしがあなたの妹だとして」
「もしもではない。確かな事実だ」
「だって、モニカは、今女王になっているじゃない。あの子は、そのことを、知らないのでしょう?」
「いや、彼女はなにもかも、知っていると思う」
「そんな……」
あの日、反乱軍が迫る中、オリバーはきっとロキシーが王女だとモニカに言ったのだ。
言ったのは、ただそれだけだったかもしれない。
だがモニカが悟ったのは、その事実以上のことだった。
どんな世界においても、オリバーはモニカを王女だと差し出した。すべてはロキシーを守るために、実の娘の方を、王家の中へと捨て落としたのだ。
――初めから、必要なかったのは誰かってことよ。
彼女は、確かにそう言った。
いつだって気位が高い彼女がそんなことを言うなんて、その絶望は計り知れない。
「モニカ……」
今やロキシーの心は傷ついていた。
だがそれ以上に、モニカは傷を負ったはずだ。
あの頃から、モニカは目に見えておかしくなっていった。ロキシーを閉じ込め、孤立させようと必死だった。
どうしたらいいのか分からないと、悲痛にすすり泣いたのは本心だったのだろうか。
あの時、ロキシーはどこにも居場所がないと思っていた。だから彼女の元を逃げ出した。
「だけど、あの子だって、同じ思いだったんだわ――」
死の間際、オリバーはロキシーの中に誰かを見て、モニカへの懺悔と共に死んだ。
後悔はしていないと彼は言っていた。
「……モニカのせいじゃない」
誰に怒りをぶつけていいかもわからずに、ロキシーは怒った。
父の思いだって分かる。
モニカの悲しみも分かる。
自分の無知が悔しかった。愚かにも、モニカに父の最期の言葉を伝えたのだから。
だけど知らなかった。知っていたら、そんなことは絶対にしなかった。
「わたしのせいでもない! 誰が王女かなんて、わたしたちにとっては、そんなもの、全然、少しも重要じゃなかったのに! 単純なことを難しく考える人たちのせいで、わたしたちの人生はめちゃめちゃだわ! わたしたちは支え合って、必死に生きていただけよ! それだけでよかったのに――!」
初めから、誰かが真実を教えてくれさえしていれば、こんな世界にならなかった。
悲劇が同じように巻き起こるのなら、なんのために死んで生まれたのだろう。
「――君たちが羨ましいな。母と一緒にいられたのだから」
しかし放たれたクリフの言葉に、はっと怒りが消え去った。
真っ先に怒るべき人物は、自分の他にいるはずだった。
父親が母親を殺害しようとし、母親は自分を置いて逃げ、そして妹だと名乗り出た人物は偽物で、今は王位を追われて地方に幽閉されている。
だが彼は怒ってはいなかった。全てを受け止めて、穏やかにいる。どうして許せるのか、ロキシーには分からない。
「母は、幸せだったのだろうか」
「……病気で死ぬ間際に、言ってたわ。ここが好きだって。だからきっと――」きっと幸福だったのだと思う。
養父との間に、どんな物語があったのかは知らないが、二人は愛し合っていたし、家族は温かかった。
「彼女はどんな人だった?」
「強い人でした。厳しくて、よく叱られた。だけどそれ以上に、愛情深くて、優しい人でした。誰も信じるなっていうのが遺言で。あと、顔のいい男に恋をするなって、ロキシーによく言ってましたっけ」
ルーカスの言葉に、クリフは声を上げて笑った。
「自分と同じ轍を踏ませたくなかったんだろう。似たような条件たちの男の中で、母が父を選んだのは、嘘か真実か、顔が決め手だったらしいから」
聞いたことのない話で、ロキシーは目を丸くした。
「あ、あの言葉に、そんな意味が込められていたなんて」
母の人生を垣間見た気がした。
「そう、親は勝手だ。これが幸せなんだと、自分たちの思う幸せの形を、押し付けてくるのだから。……私は親ではないし、全うに両親と関わりを持たなかったから分からないけれど、彼らの言うことを、全て聞く必要はないんだと、今になっては考えたりするよ」
言いつけを破って、母は叱らないだろうか。出来の悪い娘だと、悲しくさせないだろうか。
「ロクサーナ、君も、もういいんだ。誰のことも気にするな。心の赴くままに、生きていいんだよ」
心が望むものが、もう何か分からない。何も言えず、ロキシーは黙った。
そこで初めて、クリフの顔に自嘲が浮かぶ。
「王位を退いてようやく自由を手に入れた途端、何もできないことに気がついた。不思議なことに欲望すら沸いてこない。はて自分というものは、一体どこにいるのか分からなくなった」
「今までが、忙しすぎたんですわ。一生分の苦労をしたんですもの、きっと後に待っているのは幸福だけです」
「君がそう言うなら、そうなのかもしれないな」
気を取り直したようにクリフは言う。
「ロクサーナ、私を兄と、呼んでくれないだろうか」
その表情に、ロキシーの胸の奥が疼く。
これが実の兄だという動かぬ証拠なのか、どうしようもない懐かしさと愛おしさが込み上げてきて、いてもたってもいられない。
「お兄様……」
ぎこちなくそう呼ぶと、クリフの手がロキシーの頬に伸びてきた。触れた温かさに居心地の良さを覚える。
「あの時、君とキスなんてしなくて本当に良かった」
「懐かしいことをおっしゃいますわ。ええ、本当に」
クリフはふと真剣な眼差しになると、懐から指輪を取り出した。見覚えがある。彼がカフェ代にしようとしていた、母親の形見だ。
「いつかは断られたが、やっぱり君に似合うと思うんだよ」
ロキシーの手が取られ、ゆっくりと嵌められる。日の光に翳すと、大きな宝石が光った。
去り際に、ロキシーは約束をする。
「また必ず来ます。いずれこっちに住んでもいいわ。だってここはまるで楽園だから」
クリフは嬉しそうに頷く。
「ロイ・スタンリーはどうなるんでしょうか」
ルーカスの疑問に、クリフは答えた。
「モニカとフォードがここにあいつを寄越した以上、彼女らが納得する相応しい結末がなくてはならない。落としどころは決めている。まあ、それしかないだろう」
王都が襲われた騒ぎがあったとき、父の話を一人で聞いた後、モニカの様子は明らかに変だった。
いつもの堂々とした態度ではなく、どこか呆然と、正体なく立っていた。
「分からないわ。クリフ様、もし、もしもよ? わたしがあなたの妹だとして」
「もしもではない。確かな事実だ」
「だって、モニカは、今女王になっているじゃない。あの子は、そのことを、知らないのでしょう?」
「いや、彼女はなにもかも、知っていると思う」
「そんな……」
あの日、反乱軍が迫る中、オリバーはきっとロキシーが王女だとモニカに言ったのだ。
言ったのは、ただそれだけだったかもしれない。
だがモニカが悟ったのは、その事実以上のことだった。
どんな世界においても、オリバーはモニカを王女だと差し出した。すべてはロキシーを守るために、実の娘の方を、王家の中へと捨て落としたのだ。
――初めから、必要なかったのは誰かってことよ。
彼女は、確かにそう言った。
いつだって気位が高い彼女がそんなことを言うなんて、その絶望は計り知れない。
「モニカ……」
今やロキシーの心は傷ついていた。
だがそれ以上に、モニカは傷を負ったはずだ。
あの頃から、モニカは目に見えておかしくなっていった。ロキシーを閉じ込め、孤立させようと必死だった。
どうしたらいいのか分からないと、悲痛にすすり泣いたのは本心だったのだろうか。
あの時、ロキシーはどこにも居場所がないと思っていた。だから彼女の元を逃げ出した。
「だけど、あの子だって、同じ思いだったんだわ――」
死の間際、オリバーはロキシーの中に誰かを見て、モニカへの懺悔と共に死んだ。
後悔はしていないと彼は言っていた。
「……モニカのせいじゃない」
誰に怒りをぶつけていいかもわからずに、ロキシーは怒った。
父の思いだって分かる。
モニカの悲しみも分かる。
自分の無知が悔しかった。愚かにも、モニカに父の最期の言葉を伝えたのだから。
だけど知らなかった。知っていたら、そんなことは絶対にしなかった。
「わたしのせいでもない! 誰が王女かなんて、わたしたちにとっては、そんなもの、全然、少しも重要じゃなかったのに! 単純なことを難しく考える人たちのせいで、わたしたちの人生はめちゃめちゃだわ! わたしたちは支え合って、必死に生きていただけよ! それだけでよかったのに――!」
初めから、誰かが真実を教えてくれさえしていれば、こんな世界にならなかった。
悲劇が同じように巻き起こるのなら、なんのために死んで生まれたのだろう。
「――君たちが羨ましいな。母と一緒にいられたのだから」
しかし放たれたクリフの言葉に、はっと怒りが消え去った。
真っ先に怒るべき人物は、自分の他にいるはずだった。
父親が母親を殺害しようとし、母親は自分を置いて逃げ、そして妹だと名乗り出た人物は偽物で、今は王位を追われて地方に幽閉されている。
だが彼は怒ってはいなかった。全てを受け止めて、穏やかにいる。どうして許せるのか、ロキシーには分からない。
「母は、幸せだったのだろうか」
「……病気で死ぬ間際に、言ってたわ。ここが好きだって。だからきっと――」きっと幸福だったのだと思う。
養父との間に、どんな物語があったのかは知らないが、二人は愛し合っていたし、家族は温かかった。
「彼女はどんな人だった?」
「強い人でした。厳しくて、よく叱られた。だけどそれ以上に、愛情深くて、優しい人でした。誰も信じるなっていうのが遺言で。あと、顔のいい男に恋をするなって、ロキシーによく言ってましたっけ」
ルーカスの言葉に、クリフは声を上げて笑った。
「自分と同じ轍を踏ませたくなかったんだろう。似たような条件たちの男の中で、母が父を選んだのは、嘘か真実か、顔が決め手だったらしいから」
聞いたことのない話で、ロキシーは目を丸くした。
「あ、あの言葉に、そんな意味が込められていたなんて」
母の人生を垣間見た気がした。
「そう、親は勝手だ。これが幸せなんだと、自分たちの思う幸せの形を、押し付けてくるのだから。……私は親ではないし、全うに両親と関わりを持たなかったから分からないけれど、彼らの言うことを、全て聞く必要はないんだと、今になっては考えたりするよ」
言いつけを破って、母は叱らないだろうか。出来の悪い娘だと、悲しくさせないだろうか。
「ロクサーナ、君も、もういいんだ。誰のことも気にするな。心の赴くままに、生きていいんだよ」
心が望むものが、もう何か分からない。何も言えず、ロキシーは黙った。
そこで初めて、クリフの顔に自嘲が浮かぶ。
「王位を退いてようやく自由を手に入れた途端、何もできないことに気がついた。不思議なことに欲望すら沸いてこない。はて自分というものは、一体どこにいるのか分からなくなった」
「今までが、忙しすぎたんですわ。一生分の苦労をしたんですもの、きっと後に待っているのは幸福だけです」
「君がそう言うなら、そうなのかもしれないな」
気を取り直したようにクリフは言う。
「ロクサーナ、私を兄と、呼んでくれないだろうか」
その表情に、ロキシーの胸の奥が疼く。
これが実の兄だという動かぬ証拠なのか、どうしようもない懐かしさと愛おしさが込み上げてきて、いてもたってもいられない。
「お兄様……」
ぎこちなくそう呼ぶと、クリフの手がロキシーの頬に伸びてきた。触れた温かさに居心地の良さを覚える。
「あの時、君とキスなんてしなくて本当に良かった」
「懐かしいことをおっしゃいますわ。ええ、本当に」
クリフはふと真剣な眼差しになると、懐から指輪を取り出した。見覚えがある。彼がカフェ代にしようとしていた、母親の形見だ。
「いつかは断られたが、やっぱり君に似合うと思うんだよ」
ロキシーの手が取られ、ゆっくりと嵌められる。日の光に翳すと、大きな宝石が光った。
去り際に、ロキシーは約束をする。
「また必ず来ます。いずれこっちに住んでもいいわ。だってここはまるで楽園だから」
クリフは嬉しそうに頷く。
「ロイ・スタンリーはどうなるんでしょうか」
ルーカスの疑問に、クリフは答えた。
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