断頭台のロクサーナ

さくたろう

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第四章 砂糖でできた甘い楽園

橋の上で、少年は身投げを止める

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 自分の運の悪さを呪うべきか。それとも分かって幸運だったと喜ぶべきか。
 ロキシーは見てしまった。厨房で、モニカとレットがキスしているのを。

 漏れ聞こえた会話から想像するに、レットは権力を欲し、ロキシーが王家の血を引く人間だと勘違いをして婚約を申し込んだのだ。

(愛じゃなかったんだわ)

 分かっていたはずだ。彼がロキシーを愛することなんて、あり得ないということに。

 モニカはレットを愛していると言っていた。それは本心か? 分からない。
 だけど、モニカはレットにキスをして、彼も抵抗しなかった。どの道、レットが愛するのは彼女しかいない。

 あの屋敷にいるのが耐えきれなくて、ロキシーは抜け出した。行き先などない。ただ、一人になりたかった。

(……こんなにショックを受けてるってことは、どこかで期待していたんだわ。馬鹿ね、わたしは)

 レットからの結婚の申し込み、それは確かに嬉しかった。断ったくせに虫のいい話ではあるが、あれほど情熱的に愛を囁かれた経験は、以前の世界でも、今の世界でもなかった。

 街中を流れる川にかかる橋にさしかかったところで、ロキシーは足を止めた。

(ブラットレイの農場の近くにも、こんな川があったっけ)

 川でよく、ルーカスや近所の子たちと遊んでいた。
 なんの憂いもなく、自分は幸せになるのだと信じていた幼い頃の記憶が呼び起こされた。
 養母がいて、養父がいて、ルーカスがいた。ロキシーの世界はそれだけでよかった。満たされていたはずだった。

 家庭教師から教わった話を思い出す。この川と、故郷の川は繋がっているという。聞いたときは遠く離れた場所に同じ水があるということを不思議に思ったが、今はそれが救いのように思えた。

 もう大切な人たちには大切な人がいる。
 ロキシーがここにいる意味はないんじゃないか。養父母の墓の近くで、何もかも一切を忘れ、苦痛から解放されて、心穏やかに墓を守りながら暮らせるなら、それはなんて幸せなんだろうか。

(この川を辿っていけば、あの場所に戻れるのかしら)
 
 よく見ようと、橋から身を乗り出した時だ。

「止めるんだ!」

 強い力で体を掴まれ、引き戻される。橋の上に尻餅をついた。

「馬鹿な真似はよすんだ、考え治せ!」

 額に汗を滲ませながらそう言う人物に見覚えがあった。

「オークリー・ターナー?」

 以前ロキシーにぶつかって拳銃をぶちまけ、マーティーに顔を顰められていた少年だ。リーチェが恋をしているその人だ。

「あ、あんた、ロクサーナ・ファフニールか?」

 オークリーもロキシーを覚えていたらしく、目を丸くしている。

「なんで自殺なんてしようとしていたんだ」

「じ、自殺!? 考えてないわよそんなこと!」

「そ、そうなのか……?」

 少年は気まずそうな顔をした。

「余計なことだったら謝るよ。思い詰めた顔をしていたから、身投げでもするのかと思ったんだ……。今にも消えてしまいそうに見えてさ」

 今度はロキシーが驚いた。
 自分は強いつもりでいた。揺るがない思いを持ち、何があっても負けないと。
 だが傍目から見れば、橋から身投げしてもおかしくないほど脆い人間に見えたのか。暗い表情をして、消えてしまいそうな人に。

 オークリーが家まで送っていくと申し出たので、短時間の家出は終わりを告げた。
 
 帰路では先ほどまでは気が付かなかった街の様子に目が行った。

 街はまだ落ち着かない様子だったが、人々は冷静に昨日の後始末をしているようだ。家の前のゴミや飛んできた破片を片付けている。その横で子供たちが遊び、母親らしき人物に叱られていた。

 何があっても夜は明けるし、不幸があっても生きていかなくてはならない。涙を流しても、昨日を変えることなどできはしないのだ。

「ありがとう、なんだか少し、気づかされた。確かにちょっぴり、悩んではいたの。だけど自分が腐っていたら、不幸を呼び寄せるだけだわ。どうあがいても、人生って続いていくんだから。幸福になれると信じる人の元にしか、幸せって来てくれないのかも」

 隣を歩くオークリーに言う。目線はロキシーと同じくらいだ。少年の平均的な身長よりも、やや低い。

「あなたの父親のことは、なんと言っていいのか分からない」

 オークリーは、ロキシーの悩みを父の怪我に起因するものと思ったようだ。

「僕はあの日、いなかった。少し前にフィンさんに、お前は反乱軍に向いてないから、二度と顔を見せるなと言われてたんだ。今思えば、僕を争いから遠ざけるためだったのかもしれない」

「フィンは昨日、ここに来たのかしら」

 マーティーを救い出すため牢獄を襲ったのか。だがオークリーは否定した。

「昨日の騒ぎは、フィンさんは関係ない。あの人は、ああいうやり方を好まないから。街で騒いで店や家を襲ったのも、反乱軍に関係のない、便乗した奴等だ。言い訳に聞こえるかもしれないし、原因は反乱軍にあるけどさ」

 ロキシーは頷く。確かに、あの誠実で曲がったことが嫌いなフィンが、たとえ何があっても人々を恐怖に貶めることをよしとはしないように思えた。
 オークリーはまた言う。

「反乱軍は方々に散っているんだ。一部の過激派は農民に武器を与え、領主を襲わせている。昨日の騒ぎは、そっちの連中だ。フィンさんは今、それを一つにまとめあげようと奔走している」

「リーチェはどうしているの?」

「彼女も地方に逃れた。フィンさんはあいつを外国へと遠ざけたいみたいだけど、あいつ、あれで結構強情だから」

 そう言って、笑うオークリーにロキシーも微笑む。

「あなたもリーチェが好きなのね」

「そ、そんなわけないだろ! あいつとは、ただの友達だし!」

 途端、オークリーは顔を真っ赤にした。分かりやすい反応に、また笑う。

「つなぎ止めて置きたいなら、大切だってきちんと伝えなきゃ。大丈夫、悪い結果にはならないはずよ」
 
 リーチェもオークリーを想っている。彼女には、絶対に幸せになってもらいたい。

「人の心って簡単に変わっちゃうから。後で後悔しても、遅いことだってあるわ。思ったら、怖くてもちゃんと言わなきゃならないときがあるって、最近やっと分かったの。できなかったわたしが言うんだから、確かよ」

 もしかすると、それができる人間は少数なのかもしれない。大切だと気が付くのは、いつだって失ってからだった。

 オークリーは、まだ顔を赤らめながらも言った。

「……留学してたとき、リーチェがいつもあなたの話をしていた。どんな人だろうって思ってたけど、妹の陰に隠れて自己主張をしない奴だった。なんだ、たいしたことないじゃん、って思ったんだ」

 正直な言葉に、ロキシーは苦笑いをする。

「だけど誤解だった」とオークリーは笑う。

「ロクサーナさん、あなたって、素敵な人だ。そういう人は幸せにならなきゃ。あんな暗い顔してちゃだめだよ」

「ありがとう。オークリー、あなたも、素敵な人よ」

 このところ、誰もが忘れかけているひたむきさや純粋さを彼は持っている。

(皆、大切なものを守りたいんだわ。この世界で与えられた役目を全うするために)

 反乱軍に身を投じる人も、王家のために身を粉にする人も、そうでない、日々を懸命に生きる人も。ひたすらに命を繋いでいく、生きていくために。

(わたしにはなんの役割があるんだろう――?)

 いつかそれを成し遂げるために、今を生きているのかもしれない。
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