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第三章 蝙蝠は誰も愛さない
戦地にて、弟は雨に打たれる
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雨と泥にまみれながら、瓦礫の陰から静かに銃を敵兵に構える。激しい銃撃戦の末、味方側が崩れた。死体の山の中で気を失っていたルーカスは、夕暮れになって目を覚ました。
血と煙の匂いが鼻をつく。近くに人の気配がした。薄目を開けて確認する。
制服から敵兵だと分かった。こちら側が皆死に絶えたと思い込み、優雅に煙草を吹かしている。
三人。距離は十数メートルほどだ。
談笑する二人と、やや離れたところに一人。
雨が体に降り注ぐ。凍りそうな程冷たいが、それでもルーカスはじっとしていた。
雷の音がする。
ゆっくりと引き金にかける指を動かす。
(もう一度鳴ったときだ――)
天から轟音が聞こえた瞬間、離れた場所にいる一人に向け弾を放った。頭に当たり、彼は倒れる。二人の兵士は気が付いていない。
ルーカスとて、この一年遊んでいたわけではなかった。
舌打ちしたくなるほど嫌な上官にも、優勢なのか劣勢なのかも分からない戦闘にも、耐えた。
耐えながら、レット・フォードを探した。彼は戦争の英雄として有名人だった。どこにいるか、すぐに分かった。分かったが、中々会えなかった。彼の隊は精鋭揃いで、転属願いを出しても、そう簡単には叶わなかったためだ。
戦地に来て、分かったことがある。
王都にいた頃は、まるで我が国が有利であるかのように新聞は書いていた。しかし戦力の差は明らかだ。この国が総力を挙げ兵をつぎ込んでいるとするならば、敵国は未だ余裕がある。
いずれ、この国は負けるのだろう。前線にいると、その空気がひしひしと感じられた。
その前に、レット・フォードを見つけ出し、殺さなければ。モニカの言うとおりに動いてやるのは癪だが、ロキシーが不幸になる元凶があの男にあるのなら、殺すことに躊躇していられない。
再び雷鳴が轟いた。談笑する二人の兵士のうち、一人の頭をぶち抜いた。流石にもう一人が気が付き銃を構える。もはや隠れる必要はない。
ルーカスは立ち上がると、てんで見当違いな方向に銃を構える兵士に向かって弾を撃ち込んだ。
銃はいい。その死の感触が、この手に伝わることがないからだ。
ルーカス以外は死に絶えた。
ポケットから、一枚の写真を取り出す。見覚えのない男女が、仲睦まじく映っている。
“必ず帰る。愛を込めて”
その言葉が、書き込まれていた。
◇◆◇
その少女と出会ったのは、レット・フォードを追い念願叶って彼がいる付近の隊に転属した時だった。
国境を越えるために男のように髪を切り、兵士に紛れ込んでいた少女はあえなく見付かり、牢に入れられた。
敵国の貴族の名を名乗り、命がけで家に帰る途中だと言った。
別に愛国者でもないルーカスは、彼女が国を脱出する手伝いをした。
使命を帯びた彼女の決意に、勝手に自分を重ねたのかもしれない。
たとえ他のもの全てを犠牲にしても、それをやらなければならない自分の境遇と――。
家族はいるのかと尋ねられ、姉がいると答えた。きっとまた会えるわ、と彼女は微笑んだ。彼女は心から、そう思っているようだった。
いろんな人がいるんだな、とルーカスは思った。
味方の中に反吐が出るほど嫌な奴がいるかと思えば、敵国にあれほど純粋で強い人間もいるのだ。
彼女と話しながら、ルーカスも再び決意を固めた。
もう二度と、ロキシーに会えないとしても、もう二度と、笑い合うことができないとしても――。
◇◆◇
雨の中、ルーカスは写真を見つめた。
この写真を届けることに意味はあるのだろうか。
必ず帰るという文字が、雨ににじみ道化のように踊って見えた。
この写真の彼が愛する人のもとに帰ることはない。写真を届けて、彼の妻は二度と帰らぬ夫に絶望するかもしれない。
誰かにとっての希望の言葉が、誰かにとっての絶望になるなど、写真の彼は考えなかったはずだ。
――一体、今までに世界でいくつの約束が交わされ、どれほど果たせずに終わっていくのだろう。
守れる保証などないのに、また約束を重ねるのは、生きる理由を作るためか。
突如として襲う途方もない虚しさを考えないようにしながら、ルーカスは写真を再びポケットにしまう。
(愛する人の未来のために、自分にしかできないことを、しよう)
降りしきる雨の中、そう思った。
血と煙の匂いが鼻をつく。近くに人の気配がした。薄目を開けて確認する。
制服から敵兵だと分かった。こちら側が皆死に絶えたと思い込み、優雅に煙草を吹かしている。
三人。距離は十数メートルほどだ。
談笑する二人と、やや離れたところに一人。
雨が体に降り注ぐ。凍りそうな程冷たいが、それでもルーカスはじっとしていた。
雷の音がする。
ゆっくりと引き金にかける指を動かす。
(もう一度鳴ったときだ――)
天から轟音が聞こえた瞬間、離れた場所にいる一人に向け弾を放った。頭に当たり、彼は倒れる。二人の兵士は気が付いていない。
ルーカスとて、この一年遊んでいたわけではなかった。
舌打ちしたくなるほど嫌な上官にも、優勢なのか劣勢なのかも分からない戦闘にも、耐えた。
耐えながら、レット・フォードを探した。彼は戦争の英雄として有名人だった。どこにいるか、すぐに分かった。分かったが、中々会えなかった。彼の隊は精鋭揃いで、転属願いを出しても、そう簡単には叶わなかったためだ。
戦地に来て、分かったことがある。
王都にいた頃は、まるで我が国が有利であるかのように新聞は書いていた。しかし戦力の差は明らかだ。この国が総力を挙げ兵をつぎ込んでいるとするならば、敵国は未だ余裕がある。
いずれ、この国は負けるのだろう。前線にいると、その空気がひしひしと感じられた。
その前に、レット・フォードを見つけ出し、殺さなければ。モニカの言うとおりに動いてやるのは癪だが、ロキシーが不幸になる元凶があの男にあるのなら、殺すことに躊躇していられない。
再び雷鳴が轟いた。談笑する二人の兵士のうち、一人の頭をぶち抜いた。流石にもう一人が気が付き銃を構える。もはや隠れる必要はない。
ルーカスは立ち上がると、てんで見当違いな方向に銃を構える兵士に向かって弾を撃ち込んだ。
銃はいい。その死の感触が、この手に伝わることがないからだ。
ルーカス以外は死に絶えた。
ポケットから、一枚の写真を取り出す。見覚えのない男女が、仲睦まじく映っている。
“必ず帰る。愛を込めて”
その言葉が、書き込まれていた。
◇◆◇
その少女と出会ったのは、レット・フォードを追い念願叶って彼がいる付近の隊に転属した時だった。
国境を越えるために男のように髪を切り、兵士に紛れ込んでいた少女はあえなく見付かり、牢に入れられた。
敵国の貴族の名を名乗り、命がけで家に帰る途中だと言った。
別に愛国者でもないルーカスは、彼女が国を脱出する手伝いをした。
使命を帯びた彼女の決意に、勝手に自分を重ねたのかもしれない。
たとえ他のもの全てを犠牲にしても、それをやらなければならない自分の境遇と――。
家族はいるのかと尋ねられ、姉がいると答えた。きっとまた会えるわ、と彼女は微笑んだ。彼女は心から、そう思っているようだった。
いろんな人がいるんだな、とルーカスは思った。
味方の中に反吐が出るほど嫌な奴がいるかと思えば、敵国にあれほど純粋で強い人間もいるのだ。
彼女と話しながら、ルーカスも再び決意を固めた。
もう二度と、ロキシーに会えないとしても、もう二度と、笑い合うことができないとしても――。
◇◆◇
雨の中、ルーカスは写真を見つめた。
この写真を届けることに意味はあるのだろうか。
必ず帰るという文字が、雨ににじみ道化のように踊って見えた。
この写真の彼が愛する人のもとに帰ることはない。写真を届けて、彼の妻は二度と帰らぬ夫に絶望するかもしれない。
誰かにとっての希望の言葉が、誰かにとっての絶望になるなど、写真の彼は考えなかったはずだ。
――一体、今までに世界でいくつの約束が交わされ、どれほど果たせずに終わっていくのだろう。
守れる保証などないのに、また約束を重ねるのは、生きる理由を作るためか。
突如として襲う途方もない虚しさを考えないようにしながら、ルーカスは写真を再びポケットにしまう。
(愛する人の未来のために、自分にしかできないことを、しよう)
降りしきる雨の中、そう思った。
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