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第三章 蝙蝠は誰も愛さない
十五歳になった、わたしたち
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春が来た。
ルーカスが去って、一年が経とうとしていた。彼からの便りはなく、どこの部隊に所属しているのかも、それがルーカスの意向らしく何度も父を問いただしても教えてはくれなかった。
毎朝新聞を読んだ。戦争死亡人欄に、ルーカスの名は見つけていない。
新聞に名を連ねている倍以上の人数が死んでいるのではないかともっぱらの噂だし、身元が確認できないほどの死体の山があるとも言われていた。それでも知った文字がそこにないことは、ロキシーをひどく安心させた。
一方で、国内でも小規模な争いが繰り返されていた。農民は自衛のために武器を持ち、領主に思い租税を是正しろと訴えかけた。多くは鎮圧されたが、いくつかは領主が逃げ出したと聞く。
兵隊たちは戦争と内乱の対応に追われていた。
父も、軍の幹部として奔走していた。もはや顔も忘れてしまいそうなくらい会っていない。
王都においても、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていた。国全体が喪に服しているかのような、重苦しさが支配しており、遠く感じていた争いが王都までも包み込もうとしているかのようだった。
だから、ロキシーとモニカの十五歳の誕生日も、昨年とはまるで違っていた。
ルーカスがいない。フィンとリーチェもいない。
父からのプレゼントも、友人たちからのお祝いの品も無かった。このところずっと、お祝い事は表立ってしてはいけないという不文律ができあがっていたためだ。
「お誕生日おめでとう、ロキシー」
「モニカも、おめでとう」
ケーキの上に立てられた蝋燭を二人で吹き消しながら祝福を言い合い、微笑み合った。
たった二人だけの、寂しい誕生日だ。だけど妹が側にいて、祝ってくれることは幸福だった。
この一年、二人で助け合いながら生きてきた。父はほとんど家にいなかったし、他に頼れる大人も、気の置ける友人もいなかった。
モニカが不安がるから、出かけるときもいつも一緒だった。いつの間にかロキシーの部屋にモニカがいるので、寝るときでさえベッドに二人で並んだ。
モニカの知りうるこの世界での経験と、ロキシーの記憶の情報を交換しながら、これから先何が起き、どう乗り越えていこうかしきりに話し合っていた。
不幸開始の合図は、レット・フォードがモニカに結婚を申し込むことだ。そしてロキシーが嫉妬し、モニカから地位と男を盗み取る。
フィン・オースティンが反乱軍のリーダーとなり、国と対立し、モニカが女王となり、ロキシーを倒す。倒すとはつまり、処刑だ。
もちろんロキシーは死にたくない。それに、モニカのことも好きだ。
ロキシーがモニカを裏切ることはない。レット・フォードに恋をすることもない。女王だと名乗り出ることもない。
だから、ロキシーは死なないはずだ。
ケーキを美味しそうに頬張る妹に向かって尋ねる。
「レットが帰ってきて、モニカに結婚を申し込んだら、受けるの?」
「そうね、もしも帰ってきたら受けようかしら? 出世頭だし、顔も好みだし。一度は本気で愛した人だしね」
そうなんだ、とロキシーは受け止める。
いつの間にか、レットとの文通も行わなくなっていた。モニカが拒否し始めたからだ。
レットと言えば、時折新聞で名を見かけた。勝利を重ね、戦争の英雄として担ぎ上げられているのだ。今や国中にその名が知られている。
“もしも帰ってくるなら”とモニカは言ったが、いつだって彼は帰ってくるらしい。
「ルーカスも無事に帰ってくるんでしょう?」
「ええ。いつだって無事に王都へやってくるわ」
幾度も問いかけたことではあるが、答えを聞く度に安心する。
「だけど」とモニカは続けた。
「もしイレギュラーが発生したら、そうとは限らないわ」
「イレギュラーって?」
「例えば、今までの世界ではするはずのなかったことをして、運命が変わってしまうとか」
ふふ、とモニカはロキシーの目を見つめる。
「起こり得るの? そんなこと」
「絶対なんてないでしょう? なくはないわ。思いもよらない誰かが死んじゃったりとか?」
ロキシーの顔に陰りが差す。ルーカスの無事だけが望みだった。
そんな姉を気遣ったのか、モニカがそっとロキシーの髪に触れる。
「大丈夫よ。今回だって、ルーカスはきっと無事戻ってくるわ。いつもそうだもの。戦争で手柄を上げて、王都に来て、それで反乱軍に入るの」
過去の世界において、処刑の間際、厳しい視線をロキシーに向けていた彼を思い出す。恐ろしくなり、それ以上は思い出さないように、再び記憶の奥底へと沈める。
(大丈夫。ルーカスはわたしを憎んでないもの)
成長したルーカスがあの場にいたということは、この世界のルーカスも生き残る可能性が高いということか。
きっと平気だ。また絶対に笑い合える。
「十五歳ね。どんどん大人になっていくわ。すごく楽しい。このまま行けば、無事に十八歳も迎えられそうだわ」
ロキシーの不安には気が付かないのか、モニカは楽しそうに笑う。
「この前ね、お父様がロキシーはどんどん母親に似てきたってぼそっと漏らしてたわ」
「お父様がそんなことを?」
父は母の話をあまりしたがらなかった。絵姿さえない。だからロキシーは、生みの母がどんな姿をしているか知らなかった。
「お母様のことを覚えてる?」
「ううん。いつだって亡くなってしまっていたから。だけどきっと素敵な人だったんでしょうね? お父様がずっと愛している人だもの」
モニカは目を細め微笑んだ。
懸念と言えば、もう一つあった。
父、オリバー・ファフニールのことだ。記憶にある限り、父は事故で死ぬ。
「お父様の死も、防がなきゃ」
「そっちは完璧に覚えてるわ。反乱軍の争いに巻き込まれて、流れ弾が当たるのよ。その場に行かせなければ大丈夫。撃たれる日にちも正確に言えるわ。その日だけは、お父様を幽閉しましょう。心配ないわ」
モニカははっきりした口調でそう言った。
ロキシーは安堵する。モニカは父を思ったのか、白い歯を見せていたずらっぽく笑った。
「この国の大黒柱はアーロン陛下だ。いかなることがあっても、揺るがすわけにはいかない」
声を低くしモニカは父の真似をする。それがおかしくて、ロキシーは吹き出した。
モニカもケラケラ笑う。
二人して思い切り笑った後で、モニカはふと真剣な表情になる。
「お父様を死なせないわ。ロキシーのことも、絶対に守ってあげるから。わたくし、この世界がとても好きだもの」
ロキシーも言う。
「わたしも、モニカを守るわ。生き延びて、二人して幸せになるのよ」
吹き消された蝋燭を見つめる。遂に十五歳になってしまった。
レット・フォードが帰還して、モニカに婚約を申し込む。
――きっと何もかも、大丈夫ですから。
いつか誰かに言われた言葉が、耳の奥に響いた。
ルーカスが去って、一年が経とうとしていた。彼からの便りはなく、どこの部隊に所属しているのかも、それがルーカスの意向らしく何度も父を問いただしても教えてはくれなかった。
毎朝新聞を読んだ。戦争死亡人欄に、ルーカスの名は見つけていない。
新聞に名を連ねている倍以上の人数が死んでいるのではないかともっぱらの噂だし、身元が確認できないほどの死体の山があるとも言われていた。それでも知った文字がそこにないことは、ロキシーをひどく安心させた。
一方で、国内でも小規模な争いが繰り返されていた。農民は自衛のために武器を持ち、領主に思い租税を是正しろと訴えかけた。多くは鎮圧されたが、いくつかは領主が逃げ出したと聞く。
兵隊たちは戦争と内乱の対応に追われていた。
父も、軍の幹部として奔走していた。もはや顔も忘れてしまいそうなくらい会っていない。
王都においても、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていた。国全体が喪に服しているかのような、重苦しさが支配しており、遠く感じていた争いが王都までも包み込もうとしているかのようだった。
だから、ロキシーとモニカの十五歳の誕生日も、昨年とはまるで違っていた。
ルーカスがいない。フィンとリーチェもいない。
父からのプレゼントも、友人たちからのお祝いの品も無かった。このところずっと、お祝い事は表立ってしてはいけないという不文律ができあがっていたためだ。
「お誕生日おめでとう、ロキシー」
「モニカも、おめでとう」
ケーキの上に立てられた蝋燭を二人で吹き消しながら祝福を言い合い、微笑み合った。
たった二人だけの、寂しい誕生日だ。だけど妹が側にいて、祝ってくれることは幸福だった。
この一年、二人で助け合いながら生きてきた。父はほとんど家にいなかったし、他に頼れる大人も、気の置ける友人もいなかった。
モニカが不安がるから、出かけるときもいつも一緒だった。いつの間にかロキシーの部屋にモニカがいるので、寝るときでさえベッドに二人で並んだ。
モニカの知りうるこの世界での経験と、ロキシーの記憶の情報を交換しながら、これから先何が起き、どう乗り越えていこうかしきりに話し合っていた。
不幸開始の合図は、レット・フォードがモニカに結婚を申し込むことだ。そしてロキシーが嫉妬し、モニカから地位と男を盗み取る。
フィン・オースティンが反乱軍のリーダーとなり、国と対立し、モニカが女王となり、ロキシーを倒す。倒すとはつまり、処刑だ。
もちろんロキシーは死にたくない。それに、モニカのことも好きだ。
ロキシーがモニカを裏切ることはない。レット・フォードに恋をすることもない。女王だと名乗り出ることもない。
だから、ロキシーは死なないはずだ。
ケーキを美味しそうに頬張る妹に向かって尋ねる。
「レットが帰ってきて、モニカに結婚を申し込んだら、受けるの?」
「そうね、もしも帰ってきたら受けようかしら? 出世頭だし、顔も好みだし。一度は本気で愛した人だしね」
そうなんだ、とロキシーは受け止める。
いつの間にか、レットとの文通も行わなくなっていた。モニカが拒否し始めたからだ。
レットと言えば、時折新聞で名を見かけた。勝利を重ね、戦争の英雄として担ぎ上げられているのだ。今や国中にその名が知られている。
“もしも帰ってくるなら”とモニカは言ったが、いつだって彼は帰ってくるらしい。
「ルーカスも無事に帰ってくるんでしょう?」
「ええ。いつだって無事に王都へやってくるわ」
幾度も問いかけたことではあるが、答えを聞く度に安心する。
「だけど」とモニカは続けた。
「もしイレギュラーが発生したら、そうとは限らないわ」
「イレギュラーって?」
「例えば、今までの世界ではするはずのなかったことをして、運命が変わってしまうとか」
ふふ、とモニカはロキシーの目を見つめる。
「起こり得るの? そんなこと」
「絶対なんてないでしょう? なくはないわ。思いもよらない誰かが死んじゃったりとか?」
ロキシーの顔に陰りが差す。ルーカスの無事だけが望みだった。
そんな姉を気遣ったのか、モニカがそっとロキシーの髪に触れる。
「大丈夫よ。今回だって、ルーカスはきっと無事戻ってくるわ。いつもそうだもの。戦争で手柄を上げて、王都に来て、それで反乱軍に入るの」
過去の世界において、処刑の間際、厳しい視線をロキシーに向けていた彼を思い出す。恐ろしくなり、それ以上は思い出さないように、再び記憶の奥底へと沈める。
(大丈夫。ルーカスはわたしを憎んでないもの)
成長したルーカスがあの場にいたということは、この世界のルーカスも生き残る可能性が高いということか。
きっと平気だ。また絶対に笑い合える。
「十五歳ね。どんどん大人になっていくわ。すごく楽しい。このまま行けば、無事に十八歳も迎えられそうだわ」
ロキシーの不安には気が付かないのか、モニカは楽しそうに笑う。
「この前ね、お父様がロキシーはどんどん母親に似てきたってぼそっと漏らしてたわ」
「お父様がそんなことを?」
父は母の話をあまりしたがらなかった。絵姿さえない。だからロキシーは、生みの母がどんな姿をしているか知らなかった。
「お母様のことを覚えてる?」
「ううん。いつだって亡くなってしまっていたから。だけどきっと素敵な人だったんでしょうね? お父様がずっと愛している人だもの」
モニカは目を細め微笑んだ。
懸念と言えば、もう一つあった。
父、オリバー・ファフニールのことだ。記憶にある限り、父は事故で死ぬ。
「お父様の死も、防がなきゃ」
「そっちは完璧に覚えてるわ。反乱軍の争いに巻き込まれて、流れ弾が当たるのよ。その場に行かせなければ大丈夫。撃たれる日にちも正確に言えるわ。その日だけは、お父様を幽閉しましょう。心配ないわ」
モニカははっきりした口調でそう言った。
ロキシーは安堵する。モニカは父を思ったのか、白い歯を見せていたずらっぽく笑った。
「この国の大黒柱はアーロン陛下だ。いかなることがあっても、揺るがすわけにはいかない」
声を低くしモニカは父の真似をする。それがおかしくて、ロキシーは吹き出した。
モニカもケラケラ笑う。
二人して思い切り笑った後で、モニカはふと真剣な表情になる。
「お父様を死なせないわ。ロキシーのことも、絶対に守ってあげるから。わたくし、この世界がとても好きだもの」
ロキシーも言う。
「わたしも、モニカを守るわ。生き延びて、二人して幸せになるのよ」
吹き消された蝋燭を見つめる。遂に十五歳になってしまった。
レット・フォードが帰還して、モニカに婚約を申し込む。
――きっと何もかも、大丈夫ですから。
いつか誰かに言われた言葉が、耳の奥に響いた。
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