断頭台のロクサーナ

さくたろう

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第一章 首を切られてわたしは死んだ

首を切られて、わたしは死んだ

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「ロクサーナ。貴女は歴史に名を残すだろう、稀代の悪女として」

 処刑台へと昇る階段の手前で、赤毛の青年が声をかけてきた。

「女王と偽り、国を混沌と血の海に放り込んだのだから。地獄で罪を後悔するがいい」

 手が繋がれていて、スカートの端を持ち上げられなかったから、代わりに彼に微笑んだ。 

「ごきげんよう。そしてさようなら、ルーカス・ブラットレイ。先に地獄で待ってるわ」

 面食らったような顔。
 ざまあないわね、おあいにく様。わたしは泣いたりしないわ。

 処刑台に立つと、丁度目の前にモニカの姿が見えた。何もかも持って生まれた、血の繋がらないわたしの妹。高みから、無表情でわたしを見下ろす。

 彼女こそが真実の女王。麗しの女王。約束の女王。
 
 革命軍に囲まれて、悠然と椅子に座っている。

 彼女の隣には、元婚約者のレット・フォードが憎たらしいほど美しく、されど冷徹な顔をわたしに向ける。かつて一心にわたしに注いでいた慈しむような優しさをモニカに与えながら――。
 
 人生って、質の悪いジョークだわ。
 さあ、やるならさっさとやってちょうだい。

 鋭い刃が落ちてくる。 
 わたしの首は、彼方へと飛ぶ。

 最期に見たのは歓喜に沸く群衆の姿。
 せいぜい今を楽しむといい。

 ――呪ってやる。

 滅びろ祖国。滅びろモニカ。
 この世の全て、死んでしまえばいい!
 あいつの顔が、にやりと歪む。
 ああ、なんてことだろう。全部、あいつの手のひらの上だったんだ。

 憎悪の中で、わたしは死んだ。


 ◇◆◇


「ロキシー、ロキシー。起きて、お母様が」

 義弟のルーカスに揺すられて目が覚めた。
 額には玉のような汗。黒くウェーブがかった長い自分の髪が顔に貼り付く。

(わたしは生きてる?)

 ロキシーは混乱していた。
 女王になって処刑される悪夢。いや、夢じゃない。自分が死ぬのを確かに感じた。あの背筋が凍るような――死。

「ルーカス……」

 さっき首を切られて殺された。そして目覚めたら、目の前に夢と同じくルーカスがいた。

 いや違う。そうじゃない。

 ルーカスは昨日からずっと側にいた。危篤の母を交代で看病していたじゃないか。

 ルーカス・ブラットレイ。
 燃えるような怒りをその瞳に込めて、女王ロクサーナを睨み付けていた彼は、今は心配そうな目でロキシーを見つめる。

(子供時代に時間が戻ったの?)

 いや、それも違う。だって女王ロクサーナに弟はいなかった。だけどロキシーにはルーカスがいる。

 唐突に、ロキシーは理解した。

 白昼夢のように現れたそれは――自分の、前世とも言える死に際。だが前世と言うには少し様子が違うのは、どちらも同じロクサーナで、処刑は未来の出来事であろうという点だった。

 時間が戻ったのではない。似ているようで少し違う時の中にいるのだ。

「ロキシー、大丈夫?」

 半年違いの血の繋がらない弟は、顔を心配そうに覗き込む。
 まだ衝撃が抜けないままでいたが、それでも頷いた。母が呼んでいる。行かなくてはならない。

 ベッドに横たわる母ベアトリクスの横に立った。
 かつて明瞭な声を発した養母の唇は乾いており、弱々しく子供達を呼ぶ。

「ロキシー、ルーカス。側においで」 

「お母様……」

 二人は左右の手を片方ずつ握る。雪に突っ込んだ後のような冷え切った手。
 その冷たさにロキシーは恐ろしくなった。養父が死んだとき、握った氷のような手を思い出した。

「わたしは、もうじき死ぬ」

「そんなことないわ!」

 ロキシーは首を横に振る。

「お母様は死んだりしないわ!」

 自分を七歳の時から十二歳になった今まで、実子のルーカスと変わらない愛情を注いでくれた、大好きな母親だ。
 豪農として、多くの農民を抱えるブラットレイ家の当主が逝ったのは丁度二年前だった。以来夫に代わり、このベアトリクスが屋敷のことを一切仕切ってきた。
 実際ベアトリクスと結婚してからこの農場の経営は驚くほど軌道に乗ったという話だから、実質的な支配者はずっと彼女だったのかもしれない。
 
 この家に来て間もない頃、いつも母に叱られていた。以前の家で甘やかされて育ったロキシーは、一人で服さえ着られなかった。

 ――ロキシー。自分のことは自分でやりなさい。着替えも風呂も、部屋の掃除も。
 
 初めは厳しい母が嫌いだった。だがその裏にある愛情に気がついたとき、ロキシーは母が大好きになった。絶対に信頼を裏切らない大いなる愛を、母は与えてくれたから。

 養母は強く、優しく、美しく、ロキシーが憧れる全てのものを持っていた。人に優しくすることや、農地の作り方、馬の乗り方、銃の撃ち方だって、母は何もかも知っていた。
 だから、養父の死にようやく慣れた頃、養母までもが病に倒れたことは幼い少女を絶望させるには十分過ぎるほどだった。

 頬を涙が伝うと、母の声が聞こえた。

「ロキシー、淑女は簡単に泣くものではありませんよ」
 
 いつものようにそう言うと、養母は優しく微笑む。 
 
「二人とも、お母様の教えを言ってごらんなさい」

「はい、お母様」

 姉弟の声が重なる。

「自分の身は、自分で守る。自分以外、誰も信じてはいけない」

 ロキシーはその言葉を本当に理解しているわけではないが、幼い頃から頭にたたき込まれてきて、骨身に染み渡っていた。
 ベアトリクスは言葉を言い終えた子供達を満足そうに見る。

「そうよ、この世の中の誰もお前達を守ってはくれやしない。誰にも人生の手綱を握らせてはだめ。最後まで、諦めない強さを持ちなさい。わたしはその術を教えた。だからどんな困難の中でも、生き延びることが、きっとできる」

 ロキシーの手を握り返す母の手からゆっくりと力が抜けていく。それでも母をこの世に留まらせなくてはと、ロキシーはますます手に力を込めた。

「ルーカス、お前は賢い子。その聡明さで、どんな困難でも光を見いだすことができる」

「……はい、お母様」

 ルーカスはしっかりと頷く。

「ロキシー、お前は強い子。いかなる逆境でも復活する強さを持っている。それは必ず武器となる」

「はい、お母様」

 答えるロキシーの声には、やはり涙が混じる。

「ああ、あの場所に、もう一度戻ることだけを夢見ていたが、ここが好きになってしまった……。この農場こそが、わたしの家。さようなら、愛しいわたしの子供たち……」

 そして遂に母は目を閉じた。その目が二度と開かれることはない。

 ――やがて呼ばれた医者が訪れる頃には、母は冷たくなっていた。

 使用人たちがばたばたと屋敷を行き交うのを、ルーカスと屋敷の階段に腰掛けながら見守っていた。

「ロキシー。大丈夫だから。オレがロキシーを守るから」
 
 ルーカスはまだ泣くロキシーの背をさすりながらそう言った。養父の時と違い、弟は泣いていなかった。
 その聡明そうな灰色の瞳には、たった二人だけで生きていくという静かな決意が宿っている。

 これから先、どうなってしまうのかまるで分からない。

 今分かるのは、平穏な暮らしは失われ、母は死んだということ。それから、自分と弟は、生きているというと。
 そしてこれからも、生き続けなくてはならない。
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