断頭台のロクサーナ

さくたろう

文字の大きさ
上 下
1 / 133
第一章 首を切られてわたしは死んだ

首を切られて、わたしは死んだ

しおりを挟む
「ロクサーナ。貴女は歴史に名を残すだろう、稀代の悪女として」

 処刑台へと昇る階段の手前で、赤毛の青年が声をかけてきた。

「女王と偽り、国を混沌と血の海に放り込んだのだから。地獄で罪を後悔するがいい」

 手が繋がれていて、スカートの端を持ち上げられなかったから、代わりに彼に微笑んだ。 

「ごきげんよう。そしてさようなら、ルーカス・ブラットレイ。先に地獄で待ってるわ」

 面食らったような顔。
 ざまあないわね、おあいにく様。わたしは泣いたりしないわ。

 処刑台に立つと、丁度目の前にモニカの姿が見えた。何もかも持って生まれた、血の繋がらないわたしの妹。高みから、無表情でわたしを見下ろす。

 彼女こそが真実の女王。麗しの女王。約束の女王。
 
 革命軍に囲まれて、悠然と椅子に座っている。

 彼女の隣には、元婚約者のレット・フォードが憎たらしいほど美しく、されど冷徹な顔をわたしに向ける。かつて一心にわたしに注いでいた慈しむような優しさをモニカに与えながら――。
 
 人生って、質の悪いジョークだわ。
 さあ、やるならさっさとやってちょうだい。

 鋭い刃が落ちてくる。 
 わたしの首は、彼方へと飛ぶ。

 最期に見たのは歓喜に沸く群衆の姿。
 せいぜい今を楽しむといい。

 ――呪ってやる。

 滅びろ祖国。滅びろモニカ。
 この世の全て、死んでしまえばいい!
 あいつの顔が、にやりと歪む。
 ああ、なんてことだろう。全部、あいつの手のひらの上だったんだ。

 憎悪の中で、わたしは死んだ。


 ◇◆◇


「ロキシー、ロキシー。起きて、お母様が」

 義弟のルーカスに揺すられて目が覚めた。
 額には玉のような汗。黒くウェーブがかった長い自分の髪が顔に貼り付く。

(わたしは生きてる?)

 ロキシーは混乱していた。
 女王になって処刑される悪夢。いや、夢じゃない。自分が死ぬのを確かに感じた。あの背筋が凍るような――死。

「ルーカス……」

 さっき首を切られて殺された。そして目覚めたら、目の前に夢と同じくルーカスがいた。

 いや違う。そうじゃない。

 ルーカスは昨日からずっと側にいた。危篤の母を交代で看病していたじゃないか。

 ルーカス・ブラットレイ。
 燃えるような怒りをその瞳に込めて、女王ロクサーナを睨み付けていた彼は、今は心配そうな目でロキシーを見つめる。

(子供時代に時間が戻ったの?)

 いや、それも違う。だって女王ロクサーナに弟はいなかった。だけどロキシーにはルーカスがいる。

 唐突に、ロキシーは理解した。

 白昼夢のように現れたそれは――自分の、前世とも言える死に際。だが前世と言うには少し様子が違うのは、どちらも同じロクサーナで、処刑は未来の出来事であろうという点だった。

 時間が戻ったのではない。似ているようで少し違う時の中にいるのだ。

「ロキシー、大丈夫?」

 半年違いの血の繋がらない弟は、顔を心配そうに覗き込む。
 まだ衝撃が抜けないままでいたが、それでも頷いた。母が呼んでいる。行かなくてはならない。

 ベッドに横たわる母ベアトリクスの横に立った。
 かつて明瞭な声を発した養母の唇は乾いており、弱々しく子供達を呼ぶ。

「ロキシー、ルーカス。側においで」 

「お母様……」

 二人は左右の手を片方ずつ握る。雪に突っ込んだ後のような冷え切った手。
 その冷たさにロキシーは恐ろしくなった。養父が死んだとき、握った氷のような手を思い出した。

「わたしは、もうじき死ぬ」

「そんなことないわ!」

 ロキシーは首を横に振る。

「お母様は死んだりしないわ!」

 自分を七歳の時から十二歳になった今まで、実子のルーカスと変わらない愛情を注いでくれた、大好きな母親だ。
 豪農として、多くの農民を抱えるブラットレイ家の当主が逝ったのは丁度二年前だった。以来夫に代わり、このベアトリクスが屋敷のことを一切仕切ってきた。
 実際ベアトリクスと結婚してからこの農場の経営は驚くほど軌道に乗ったという話だから、実質的な支配者はずっと彼女だったのかもしれない。
 
 この家に来て間もない頃、いつも母に叱られていた。以前の家で甘やかされて育ったロキシーは、一人で服さえ着られなかった。

 ――ロキシー。自分のことは自分でやりなさい。着替えも風呂も、部屋の掃除も。
 
 初めは厳しい母が嫌いだった。だがその裏にある愛情に気がついたとき、ロキシーは母が大好きになった。絶対に信頼を裏切らない大いなる愛を、母は与えてくれたから。

 養母は強く、優しく、美しく、ロキシーが憧れる全てのものを持っていた。人に優しくすることや、農地の作り方、馬の乗り方、銃の撃ち方だって、母は何もかも知っていた。
 だから、養父の死にようやく慣れた頃、養母までもが病に倒れたことは幼い少女を絶望させるには十分過ぎるほどだった。

 頬を涙が伝うと、母の声が聞こえた。

「ロキシー、淑女は簡単に泣くものではありませんよ」
 
 いつものようにそう言うと、養母は優しく微笑む。 
 
「二人とも、お母様の教えを言ってごらんなさい」

「はい、お母様」

 姉弟の声が重なる。

「自分の身は、自分で守る。自分以外、誰も信じてはいけない」

 ロキシーはその言葉を本当に理解しているわけではないが、幼い頃から頭にたたき込まれてきて、骨身に染み渡っていた。
 ベアトリクスは言葉を言い終えた子供達を満足そうに見る。

「そうよ、この世の中の誰もお前達を守ってはくれやしない。誰にも人生の手綱を握らせてはだめ。最後まで、諦めない強さを持ちなさい。わたしはその術を教えた。だからどんな困難の中でも、生き延びることが、きっとできる」

 ロキシーの手を握り返す母の手からゆっくりと力が抜けていく。それでも母をこの世に留まらせなくてはと、ロキシーはますます手に力を込めた。

「ルーカス、お前は賢い子。その聡明さで、どんな困難でも光を見いだすことができる」

「……はい、お母様」

 ルーカスはしっかりと頷く。

「ロキシー、お前は強い子。いかなる逆境でも復活する強さを持っている。それは必ず武器となる」

「はい、お母様」

 答えるロキシーの声には、やはり涙が混じる。

「ああ、あの場所に、もう一度戻ることだけを夢見ていたが、ここが好きになってしまった……。この農場こそが、わたしの家。さようなら、愛しいわたしの子供たち……」

 そして遂に母は目を閉じた。その目が二度と開かれることはない。

 ――やがて呼ばれた医者が訪れる頃には、母は冷たくなっていた。

 使用人たちがばたばたと屋敷を行き交うのを、ルーカスと屋敷の階段に腰掛けながら見守っていた。

「ロキシー。大丈夫だから。オレがロキシーを守るから」
 
 ルーカスはまだ泣くロキシーの背をさすりながらそう言った。養父の時と違い、弟は泣いていなかった。
 その聡明そうな灰色の瞳には、たった二人だけで生きていくという静かな決意が宿っている。

 これから先、どうなってしまうのかまるで分からない。

 今分かるのは、平穏な暮らしは失われ、母は死んだということ。それから、自分と弟は、生きているというと。
 そしてこれからも、生き続けなくてはならない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

自殺した妻を幸せにする方法

久留茶
恋愛
平民出身の英雄アトラスと、国一番の高貴な身分の公爵令嬢アリアドネが王命により結婚した。 アリアドネは英雄アトラスのファンであり、この結婚をとても喜んだが、身分差別の強いこの国において、平民出のアトラスは貴族を激しく憎んでおり、結婚式後、妻となったアリアドネに対し、冷たい態度を取り続けていた。 それに対し、傷付き悲しみながらも必死で夫アトラスを支えるアリアドネだったが、ある日、戦にて屋敷を留守にしているアトラスのもとにアリアドネが亡くなったとの報せが届く。 アリアドネの死によって、アトラスは今迄の自分の妻に対する行いを激しく後悔する。 そしてアトラスは亡くなったアリアドネの為にある決意をし、行動を開始するのであった。 *小説家になろうにも掲載しています。 *前半は暗めですが、後半は甘めの展開となっています。 *少し長めの短編となっていますが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

新しい人生を貴方と

緑谷めい
恋愛
 私は公爵家令嬢ジェンマ・アマート。17歳。  突然、マリウス王太子殿下との婚約が白紙になった。あちらから婚約解消の申し入れをされたのだ。理由は王太子殿下にリリアという想い人ができたこと。  2ヵ月後、父は私に縁談を持って来た。お相手は有能なイケメン財務大臣コルトー侯爵。ただし、私より13歳年上で婚姻歴があり8歳の息子もいるという。 * 主人公は寛容です。王太子殿下に仕返しを考えたりはしません。

1年後に離縁してほしいと言った旦那さまが離してくれません

水川サキ
恋愛
「僕には他に愛する人がいるんだ。だから、君を愛することはできない」 伯爵令嬢アリアは政略結婚で結ばれた侯爵に1年だけでいいから妻のふりをしてほしいと頼まれる。 そのあいだ、何でも好きなものを与えてくれるし、いくらでも贅沢していいと言う。 アリアは喜んでその条件を受け入れる。 たった1年だけど、美味しいものを食べて素敵なドレスや宝石を身につけて、いっぱい楽しいことしちゃおっ! などと気楽に考えていたのに、なぜか侯爵さまが夜の生活を求めてきて……。 いやいや、あなた私のこと好きじゃないですよね? ふりですよね? ふり!! なぜか侯爵さまが離してくれません。 ※設定ゆるゆるご都合主義

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

【短編】悪役令嬢と蔑まれた私は史上最高の遺書を書く

とによ
恋愛
婚約破棄され、悪役令嬢と呼ばれ、いじめを受け。 まさに不幸の役満を食らった私――ハンナ・オスカリウスは、自殺することを決意する。 しかし、このままただで死ぬのは嫌だ。なにか私が生きていたという爪痕を残したい。 なら、史上最高に素晴らしい出来の遺書を書いて、自殺してやろう! そう思った私は全身全霊で遺書を書いて、私の通っている魔法学園へと自殺しに向かった。 しかし、そこで謎の美男子に見つかってしまい、しまいには遺書すら読まれてしまう。 すると彼に 「こんな遺書じゃダメだね」 「こんなものじゃ、誰の記憶にも残らないよ」 と思いっきりダメ出しをされてしまった。 それにショックを受けていると、彼はこう提案してくる。 「君の遺書を最高のものにしてみせる。その代わり、僕の研究を手伝ってほしいんだ」 これは頭のネジが飛んでいる彼について行った結果、彼と共に歴史に名を残してしまう。 そんなお話。

処理中です...