第二王女は死に戻る

さくたろう

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第1話 お兄様の秘密

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「ヴィクトリカ、お前とヒースの婚約は解消された。今日の花婿は、このレイブンだ」

 お兄様が、無感情にそう言った。

 私はまたしても、今日に戻ってきてしまった。

「顔色が悪いようだが」

 レイズナーは眉間に皺を寄せ私の顔を覗き込む。以前は威圧しか感じなかった仕草だけど、今は彼が、心から心配しているのだと分かる。

 レイズナーが生きている。

 彼の心臓は鼓動を続け、体中に血を巡らせていた。喜びに震えそうになる心を必死に押さえつけ、私は言った。

「お兄様。レイブンとは結婚できません」

 不愉快そうに、お兄様は言う。

「お前に拒否権などない。これは決定事項だ――」

「お兄様と二人でお話がしたいのです。理由を聞いて納得できれば、式を挙げますわ」

 すかさずレイズナーが言った。

「俺も同席を」 

「いいえ、許しません。出て行きなさい」
 
 断固とした態度を取るが、レイズナーも譲らない。

「だが、君は俺の妻だ。見たところ体調が悪いようだし、一緒に話をしようじゃないか」

 レイズナーには時が戻る前の記憶はないはずだけど、少しも変わらないその態度を嬉しく思う。
 だけど彼をもう二度と失いたくない。誰にも……彼自身にさえも、その命を奪わせはしたくなかった。

 お兄様と対峙するのは、この私だけで十分だ。それだけの覚悟を、くれたのはレイズナーだった。

「だがヴィクトリカ」 

「出て行ってといっているのよ!」

 遂に叫ぶと、彼は諦めたのか、部屋を後にした。
 
 私はお兄様に向き直る。
 決着をつけなくてはならなかった。
 自分の未来を救うために。
 お兄様を解放するために。

 どこから言おうと迷ったのはほんのわずかな間で、結局は核心から告げる。

「お兄様は人を殺したのね」

 相変わらずの無表情の中で、お兄様の瞼がピクリと動く。
 私は一つ前のループで掴んだ真相を口にする。つまりお兄様の心の中にある、その闇の原因を。

「その日……その殺人が行われた日、レイズナーが先に部屋に入ったのでしょう。お兄様は外で待っていたけど、異変に気がついた。怒鳴り声や悲鳴が聞こえたのかもしれないわ」

 レイズナーが奪ったのだから、記憶は無いはずだったけど、お兄様は青白い顔をして黙っている。
 レイズナーから聞いた話を思い出しながら、一つ一つ推論を組み立てていく。

「お兄様が部屋に入ったとき、見たのは血まみれで倒れるレイズナーと、怯えるキンバリーと、貴族の男。そして床に転がるナイフだった」

 お兄様からの反論はなく、驚くほどの静寂があった。
 私は続ける。

「お兄様がやるべきことは一つだけだった。王として、国民を守りたい。大切な友人を守りたい……という建前の元、けれど本当は、ただその男が憎くて、殺した。お兄様がナイフをその男に突き立てたのは、英雄的思いではなかった。ただただどす黒い憎悪で、殺意で、だからお兄様はご自分を許せなくて、心の中を別の人に支配されてしまったのね」
 
 お兄様は力なく首を横に振る。

「何を……」

「お兄様がその貴族の男を殺したのはブルクストンが亡くなった後だったから、その時には既にブルクストンは、お兄様の体の中に、魂を埋め込んでいたんだわ」

 その頃はまだお兄様を支配できていなかったブルクストンは、殺人を機に生まれた闇につけ込んだ。
 だけど今目の前には、かつてのお兄様が佇んでいるようだった。衝撃的な事件を思い出し、表に引きずり出されたのかもしれない。

 混乱したように片手で顔を多い、痛みに耐えるかのように歯を食いしばる。

「憎悪じゃない」

 長い沈黙の後で小さなつぶやきと共に、お兄様は顔を上げた。

「僕は、正しいことをしたんだ。決して憎しみじゃなかった」

「いいえ、憎悪だわ」

 確信の内に、私は断言した。

「ただ憎かったのよ。お兄様とレイズナーは本当の友達だった。その友達を刺した男を、お兄様は許せなかった」

「僕は王として、弱者たる彼らを守る義務が――」

「逃げてはだめよ!」

 遂に叫んだ。
 
「お兄様がご自分の罪から目を反らしたから、心をブルクストンに支配されてしまった。レイズナーもそうよ! キンバリーを救いたいから記憶を奪ってしまった。だけど、本当はそんなことすべきじゃなかったのよ!」

 たとえ理性が否定しようとも、私の心は確信していた。
 
「お兄様は憎悪の内に男を殺した。だけど、それは正しいことだったのよ。だってそうしなければ、彼らの誇りは守れないから。
 私は、お兄様が間違っているとは思いませんわ!」

 お兄様の目が、救いを求めるように向けられた。その目は赤く、揺れていた。

「なぜ……」

「だって、私がお兄様の立場でもそうするから」

 きっとそいつを殺しただろう。
 絶対に許さなかっただろう。

「僕は――僕は、ずっと……」

 お兄様はよろめき、壁に手を突いた。もう片方の手で顔を覆う。
 
「僕は、ヴィクトリカ、君のように強くないんだ。子供の時から、魂は枯れ果てていた。あの男を殺したとき、僕の魂は砕け散った。だけど殺さなくても、どのみち、ブルクストンに蝕まれていただろう。それを彼に、見抜かれていたんだ――」 

 それは、推論を認めたということだ。
 お兄様はそうしなくては立つこともままならないというように、体を壁に寄りかからせていた。

「お兄様……」

 そこにいるのは、多分初めて弱さを見せたお兄様だった。私はその背を慰めようと側による。

 その瞬間だった。
 私の腕は掴まれる。強い力で、引き剥がせない。

「お前のせいだ」

 再び顔を上げたお兄様の瞳は血走っていた。声は老人のようにしわがれて、明らかに、そこにいるのはお兄様とは異なる存在であること分かった。

「ブルクストン――!」

「お前のせいだヴィクトリカ!」

 目の前のブルクストンはそう叫び、壁に懸けていた手から、まばゆく光る魔法を発そうとする。

「ヴィクトリカ、下がれ!」

 部屋の扉が勢いよく開いたのと、お兄様の体が後方に吹っ飛んだのはほぼ同時だった。
 お兄様は壁に激突し、頭を横に振る。
 レイズナーが手を構え、部屋に突入してきた。

「レイズナー、聞いていたの!」

「魔法使いの前で、内緒話などできはしないんだ」

 私の肩を抱きながら、だけど、とレイズナーは言う。

「なぜ君が、あの殺人を知っているのか、そして俺を庇うようなことを言っているのか、少しも分からなかったけどね。陛下の中にブルクストンのいびつな魂が入り込んでいるということは分かった」

 微笑む彼の顔を見て、彼の手が私の肩を優しく包んでいるのを感じ、こんな時なのに心が凪いだ。
 お兄様は、ふらふらしながら立ち上がる。

「お前のせいだ、ヴィクトリカ。生まれてきてはいけなかった」
 
 私は激しく苛立った。

「何が私のせいなのよ!」

「お前のせいで、我が妻は……!」

「妻……?」眉を顰めたのはレイズナーだった。「キーラ・ブルクストンのことか」

 お兄様――もとい、もはやお兄様の顔は邪悪に歪み、老人のように皺が現れていた。

「キーラ……。美しい妻だった」

 お姉様が、ブルクストンには奥様がいたと言っていた。亡くなったとも。だけどそれが、私とどう関係があるというのかは、少しも分かりはしない。
 ブルクストンは続ける。

「この男の死と引き換えに、再び魔法をかけよう。もはやカーソンとこの私は、同じ魂と成り果てた」

 レイズナーは否定する。

「あり得ん! いくらブルクストンが強大な魔法使いだったとはいえ、再び魂を飛ばすだけの魔力が残っているはずがない」

「違うわ……!」

 このやりとりの中で、私は気がついてしまった。お兄様の、もう一つの秘密に。

「お兄様自身も、魔法が使えるんだわ……!」

「なんだって?」

 驚くレイズナーに言う。

「魔法使いは貴重で重宝されているわ。たとえヒースのように、力の弱い魔法使いでもそう。だけど、一国の王が魔法使いとなると話は別だわ。それは脅威となり、近隣国の……」

 いいえ、それだけではない。

「国内においても、混乱と騒乱を招きかねない……!
 だからお兄様は、とりわけブルクストンを側に置いていたのね。魔法の抑え方を、学ぶために」

 レイズナーにも、だから興味を惹かれたのかもしれない。
 お兄様は成長とともに、姉妹にさえ心を閉ざすようになった。全ては自分が抱える、恐ろしい魔力を隠すために。

「そうだ」

 ブルクストンが言った。

「このカーソンは、とりわけ力のコントロールが苦手だった。だからこの私に、教えを請うた。操るなど、容易いことだったよ――。だがそれも、今日で終いだ!」

 ブルクストンが、私に手を向ける。

「ヴィクトリカ、お前のエネルギーを利用させてもらう! これから、この世の支配者はこの私だ!」

 刹那、ブルクストンの手から、漆黒の影が放出された。レイズナーが私を庇うように抱きしめる。

「君の中に、とてつもないエネルギーを感じる。君が死んでしまう前に――!」

 私に、どんなエネルギーがあるというの。王女に生まれた以外は、何もできない私に。レイズナーも、その手から魔法を噴出させる。まさしく、感情を爆発させるが如く。
 
 レイズナーの魔力とお兄様の魔力とブルクストンの影、そして私に内包されていた力が、衝突し合った。

 ブルクストンが私の体に入り込む。吐き気を催すほどの不快感が体中を駆け巡り、私の体は飛散した。
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