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第11話 第二王女は死に戻る(4)
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お兄様の元へ向かったのは翌日の夕刻のことだった。日が沈む頃がいいと言ったのはレイズナーで、ブルクストンの力が出現するけれど、押さえ込めるギリギリの頃合いだからだった。
いつもなら突然会いに行けばお叱りを受けるし、そもそも会いたいとさえ思わないけれど、書斎を訪れたとき、お兄様は拒まなかった。
「ちょうどお前を呼びだそうと思ったところだ」
私は一人で、お兄様と対峙する。
お兄様はいつもと変わらない無表情で、そこに他の誰かの気配は感じ取れず、急速に不安になった。
もしお兄様の中にブルクストンがいるのなら、その心に空白があるということだ。
王子として生まれ、何不自由なく生まれ育ったお兄様に、心の隙間があるとは思えない。やっぱり、ブルクストンがお兄様の中に潜んでいるなんて、勘違いなんだろうか。
「近く、お前とレイブンの結婚生活は終わりだ」
いつか言われたような言葉だった。
「レイブンは近く逮捕し、処刑する」
予期していたことだった。お兄様は驚きもしない私を奇妙に思ったようで、眉を上げる。
「声も上げられないほど衝撃か?」
「いいえ、違いますわ」
私の中に、衝撃はない。ただ静かなる決意があるだけだった。
いつからか、まともに見ることを恐れるようになったお兄様の瞳を覗き込む。どんな光さえも映り込まないような、暗い目だった。
「それはお兄様の意思ですか。それとも、お兄様の中にいる別の人の意思ですか」
ぴくり、とお兄様の頬が動いた。
「どういう意味だ?」
「なぜレイズナーを排除しようとするのです」
「彼が罪を犯したからだ」
「いいえ、無実です。きちんと調べれば、本当の悪人が誰だったか分かるはずですわ。それをしないお兄様ではないでしょう?」
お兄様も殺人の場にいたのに、忘れてしまっている。
「なぜ彼を排除するのか……自分が支配者になったとき、優秀な魔法使いであるレイズナーは必ず邪魔になる」
それ以外に理由はない。私はお兄様を見据え――正確には、その中にいるブルクストンに向かい言った。
「違いますか?」
人の記憶を瞬時に書き換えられるほどの魔法が、一体どれだけ難しいのか、想像もできないけれど、簡単にできるものではないということだけは確かだ。そんな恐ろしい魔法を使える人間がぽいぽい現れるはずもないし、使い手自身の善も問われる。
つまりレイズナーは、常識人にして天才なのだった。ブルクストンの脅威になる。
お兄様は苛立たしげに立ち上がる。沈む西日の逆境が、体に暗く影を落としていた。
「私はすでに、この国の支配者だ。邪魔する者などいない」
「驕りも過ぎますわ。あなたは自分自身さえ支配できない可哀想な人よ!」
「王に向かって、なんという口の効き方だ!」
「王である前に、お兄様だわ!」
思わず叫んだ。
昔のお兄様は、本当に優しかった。
でもお兄様は変わってしまった。それは王になった重圧に耐えているからだと私は自分を納得させていた。けれど本当は、昔みたいになんの憂いもなく笑い合いたかった。信頼して欲しかった。
「お兄様は間違っている! レイズナーは無実よ!」
「黙れ! 王に間違いなどあるはずがない!」
私に詰め寄るように歩み寄ったので、お兄様の体に椅子が当たり、大きな音を立てて床に転がった。
その音に異変を感じたのか、部屋の外でいつでも中に入れるように待っていたレイズナーが飛び込んできた。
「ヴィクトリカ! 無事か!」
私の体はレイズナーに抱きしめられる。お兄様は私たち二人を、恐ろしい表情で見つめていた。
「黙れ下層出身の卑しい鴉め。貴様がこの私と話すことさえ本来なら許されないのだ!」
レイズナーは首を横に振る。
「カーソン、本当に君が……」
少なくない悲しみを、レイズナーは受けているようだった。だけど私は、気がついてしまった。
お兄様の中の闇、その正体に。
お兄様が変わったのは、ブルクストンの死が契機だと思っていた。確かにその頃だ。だけど、細かく言えば、ブルクストンの死後、少しだけ後にお兄様は変わった。
具体的に言ってしまえば、キンバリーが貴族を殺した事件が起きた日だろう。
だたの市民が貴族を殺した場面を目撃しただけで、他人に心を乗っ取られるほど打撃を受けるものだろうか。
いいえ、おそらくは、そうじゃない。
「キンバリーじゃなかった」
思わず、声が漏れた。はっと、レイズナーが私に目を向ける。
「キンバリーだったら、お兄様の心に、他の誰かの侵入を許すほどの闇が生じるはずがない」
私はお兄様だけを見ていた。
「お兄様だったんだわ……!」
それしか考えられない。お兄様の顔色が変わる。
「お兄様が殺したのね!」
瞬間、お兄様は、呆けたような表情をした。邪気が取れたかのように、昔の優しいお兄様に戻ったように見えた。
そしてよろめき、机に手をついた。頭を抑え、唖然と言う。
「そうだ……」
彷徨う視線はゆっくりと、レイズナーに向けられた。レイズナーが息を呑む音が聞こえた。
「そうだった。僕が、あの貴族を殺したんだった。どうして忘れていたんだろう、レイズナー」
瞬間のことだった。
お兄様の体が、数倍に膨れ上がったような錯覚を覚えた。それは彼の影が、急速に巨大化したからだ。
影はまるで意思があるかのように空間に塊を作っていく。それが人型になったところで、唐突にブルクストンの姿が浮かび上がった。
「何もかも、お前のせいだヴィクトリカ!」
お兄様の声に重なるようにして、老人のしわがれた声がした。
「お前は生まれてきてはならなかった! 奇跡などではない。命を奪い生を受けた、この国に、破滅をもたらす呪われた娘だ!」
影が、私に向かってくる。
レイズナーがさらにきつく抱きしめ、そして言った。
「そういう、ことか」
緊迫した場面にそぐわないほどの穏やかな声色で、私は自分の夫を見上げる。
彼は優しく微笑んだ。
「俺は今、ようやく分かった。カーソンの中にブルクストンがいたように、君の中にも、大いなる力が潜んでいる。君に封じ込まれた。だから君は奇跡と呼ばれたんだ」
彼の言葉の意味を分かりかねる。
影が迫ってくるのに、レイズナーはまだ私の体を抱きしめたままだ。彼の目には、私しか映っていない。
「もう一つの鍵は、この俺だ。俺ならば、君の中にある力を、的確にコントロールできる。どうか怖がらないでくれ、受け入れるんだ」
そう微笑むと、レイズナーは私から離れた。
「ヴィクトリカ。もう一度だ。もう一度、戻るんだ」
次の瞬間、彼は自分の心臓に手を突き立てた。あっという間のことだった。
彼は自分に、破壊の魔法をかけた。彼の胸から血が噴き出すのが、まるで永遠のように感じられた。
「また、すぐに会える」
レイズナーの声は、私の悲鳴でかき消された。
レイズナーが命と引き換えに放った魔法が、私に纏わり付く。
私の中から、内側からガラスの破片で貫かれるような痛みが出現する。自分の体が壊れていくのを、確かに感じた。
時が巻き戻る。
ブルクストンもお兄様も、レイズナーも消えていく。
お兄様は人を殺した。
だから心の大多数を、ブルクストンに支配されてしまった。
ブルクストンは私の力を得たかった。力を手に入れて、この国さえ手に入れたかったのかもしれない。
だけど私の側には、いつもレイズナーがいた。だからブルクストンは、私を殺せなかった。
エネルギーに見合う魔法が追うリスクについて、レイズナーはいつも明言を避けていた。代償が術者の命だと、彼は気がついていたにも関わらず。
私を救うために、一体、何回レイズナーは死んだんだろう。それほどの覚悟を持って、彼は私を愛してくれていたんだ。どんなに私が拒絶しても、彼はずっと変わらずに、愛してくれていた。
私は何も知らなかった。
だけど今は知っている。
だからもう――。
もう二度と、彼を失いたくない。
いつもなら突然会いに行けばお叱りを受けるし、そもそも会いたいとさえ思わないけれど、書斎を訪れたとき、お兄様は拒まなかった。
「ちょうどお前を呼びだそうと思ったところだ」
私は一人で、お兄様と対峙する。
お兄様はいつもと変わらない無表情で、そこに他の誰かの気配は感じ取れず、急速に不安になった。
もしお兄様の中にブルクストンがいるのなら、その心に空白があるということだ。
王子として生まれ、何不自由なく生まれ育ったお兄様に、心の隙間があるとは思えない。やっぱり、ブルクストンがお兄様の中に潜んでいるなんて、勘違いなんだろうか。
「近く、お前とレイブンの結婚生活は終わりだ」
いつか言われたような言葉だった。
「レイブンは近く逮捕し、処刑する」
予期していたことだった。お兄様は驚きもしない私を奇妙に思ったようで、眉を上げる。
「声も上げられないほど衝撃か?」
「いいえ、違いますわ」
私の中に、衝撃はない。ただ静かなる決意があるだけだった。
いつからか、まともに見ることを恐れるようになったお兄様の瞳を覗き込む。どんな光さえも映り込まないような、暗い目だった。
「それはお兄様の意思ですか。それとも、お兄様の中にいる別の人の意思ですか」
ぴくり、とお兄様の頬が動いた。
「どういう意味だ?」
「なぜレイズナーを排除しようとするのです」
「彼が罪を犯したからだ」
「いいえ、無実です。きちんと調べれば、本当の悪人が誰だったか分かるはずですわ。それをしないお兄様ではないでしょう?」
お兄様も殺人の場にいたのに、忘れてしまっている。
「なぜ彼を排除するのか……自分が支配者になったとき、優秀な魔法使いであるレイズナーは必ず邪魔になる」
それ以外に理由はない。私はお兄様を見据え――正確には、その中にいるブルクストンに向かい言った。
「違いますか?」
人の記憶を瞬時に書き換えられるほどの魔法が、一体どれだけ難しいのか、想像もできないけれど、簡単にできるものではないということだけは確かだ。そんな恐ろしい魔法を使える人間がぽいぽい現れるはずもないし、使い手自身の善も問われる。
つまりレイズナーは、常識人にして天才なのだった。ブルクストンの脅威になる。
お兄様は苛立たしげに立ち上がる。沈む西日の逆境が、体に暗く影を落としていた。
「私はすでに、この国の支配者だ。邪魔する者などいない」
「驕りも過ぎますわ。あなたは自分自身さえ支配できない可哀想な人よ!」
「王に向かって、なんという口の効き方だ!」
「王である前に、お兄様だわ!」
思わず叫んだ。
昔のお兄様は、本当に優しかった。
でもお兄様は変わってしまった。それは王になった重圧に耐えているからだと私は自分を納得させていた。けれど本当は、昔みたいになんの憂いもなく笑い合いたかった。信頼して欲しかった。
「お兄様は間違っている! レイズナーは無実よ!」
「黙れ! 王に間違いなどあるはずがない!」
私に詰め寄るように歩み寄ったので、お兄様の体に椅子が当たり、大きな音を立てて床に転がった。
その音に異変を感じたのか、部屋の外でいつでも中に入れるように待っていたレイズナーが飛び込んできた。
「ヴィクトリカ! 無事か!」
私の体はレイズナーに抱きしめられる。お兄様は私たち二人を、恐ろしい表情で見つめていた。
「黙れ下層出身の卑しい鴉め。貴様がこの私と話すことさえ本来なら許されないのだ!」
レイズナーは首を横に振る。
「カーソン、本当に君が……」
少なくない悲しみを、レイズナーは受けているようだった。だけど私は、気がついてしまった。
お兄様の中の闇、その正体に。
お兄様が変わったのは、ブルクストンの死が契機だと思っていた。確かにその頃だ。だけど、細かく言えば、ブルクストンの死後、少しだけ後にお兄様は変わった。
具体的に言ってしまえば、キンバリーが貴族を殺した事件が起きた日だろう。
だたの市民が貴族を殺した場面を目撃しただけで、他人に心を乗っ取られるほど打撃を受けるものだろうか。
いいえ、おそらくは、そうじゃない。
「キンバリーじゃなかった」
思わず、声が漏れた。はっと、レイズナーが私に目を向ける。
「キンバリーだったら、お兄様の心に、他の誰かの侵入を許すほどの闇が生じるはずがない」
私はお兄様だけを見ていた。
「お兄様だったんだわ……!」
それしか考えられない。お兄様の顔色が変わる。
「お兄様が殺したのね!」
瞬間、お兄様は、呆けたような表情をした。邪気が取れたかのように、昔の優しいお兄様に戻ったように見えた。
そしてよろめき、机に手をついた。頭を抑え、唖然と言う。
「そうだ……」
彷徨う視線はゆっくりと、レイズナーに向けられた。レイズナーが息を呑む音が聞こえた。
「そうだった。僕が、あの貴族を殺したんだった。どうして忘れていたんだろう、レイズナー」
瞬間のことだった。
お兄様の体が、数倍に膨れ上がったような錯覚を覚えた。それは彼の影が、急速に巨大化したからだ。
影はまるで意思があるかのように空間に塊を作っていく。それが人型になったところで、唐突にブルクストンの姿が浮かび上がった。
「何もかも、お前のせいだヴィクトリカ!」
お兄様の声に重なるようにして、老人のしわがれた声がした。
「お前は生まれてきてはならなかった! 奇跡などではない。命を奪い生を受けた、この国に、破滅をもたらす呪われた娘だ!」
影が、私に向かってくる。
レイズナーがさらにきつく抱きしめ、そして言った。
「そういう、ことか」
緊迫した場面にそぐわないほどの穏やかな声色で、私は自分の夫を見上げる。
彼は優しく微笑んだ。
「俺は今、ようやく分かった。カーソンの中にブルクストンがいたように、君の中にも、大いなる力が潜んでいる。君に封じ込まれた。だから君は奇跡と呼ばれたんだ」
彼の言葉の意味を分かりかねる。
影が迫ってくるのに、レイズナーはまだ私の体を抱きしめたままだ。彼の目には、私しか映っていない。
「もう一つの鍵は、この俺だ。俺ならば、君の中にある力を、的確にコントロールできる。どうか怖がらないでくれ、受け入れるんだ」
そう微笑むと、レイズナーは私から離れた。
「ヴィクトリカ。もう一度だ。もう一度、戻るんだ」
次の瞬間、彼は自分の心臓に手を突き立てた。あっという間のことだった。
彼は自分に、破壊の魔法をかけた。彼の胸から血が噴き出すのが、まるで永遠のように感じられた。
「また、すぐに会える」
レイズナーの声は、私の悲鳴でかき消された。
レイズナーが命と引き換えに放った魔法が、私に纏わり付く。
私の中から、内側からガラスの破片で貫かれるような痛みが出現する。自分の体が壊れていくのを、確かに感じた。
時が巻き戻る。
ブルクストンもお兄様も、レイズナーも消えていく。
お兄様は人を殺した。
だから心の大多数を、ブルクストンに支配されてしまった。
ブルクストンは私の力を得たかった。力を手に入れて、この国さえ手に入れたかったのかもしれない。
だけど私の側には、いつもレイズナーがいた。だからブルクストンは、私を殺せなかった。
エネルギーに見合う魔法が追うリスクについて、レイズナーはいつも明言を避けていた。代償が術者の命だと、彼は気がついていたにも関わらず。
私を救うために、一体、何回レイズナーは死んだんだろう。それほどの覚悟を持って、彼は私を愛してくれていたんだ。どんなに私が拒絶しても、彼はずっと変わらずに、愛してくれていた。
私は何も知らなかった。
だけど今は知っている。
だからもう――。
もう二度と、彼を失いたくない。
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