第二王女は死に戻る

さくたろう

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第7話 ポーリーナ大波乱

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 ヒースとポーリーナの破局はその日のうちに王都中に知れ渡ることとなった。
 婚約パーティは当然中止となり、ポーリーナを私たちの屋敷で引き取ったのだから、その対応で劇場へも行かなかった。
 その後、お兄様からの呼び出しがなかったのは、ヒースとレイズナーの喧嘩による後片付けに追われていたのかもしれない。

 ともかく、ヒースはすっかり意気消沈し部屋に引きこもり、宮廷魔法使いとしての復活も怪しいとのことだ。
 驚くほど何事もなく数日が過ぎて、私はいつかした約束を果たすべく厨房に立っていた。

「おそれながら奥様! その切り方では大きすぎます。味が染みなくて、食べるとき、えぐみが増してしまいます! それにそんな持ち方では、手を怪我してしまいます!」

 テオが私の包丁さばきを見て顔を引きつらせる。それを見たレイズナーが声を上げて笑った。

「料理を手伝うと言い出した時には、それなりにやれると思ったが」

「あなたこそ、魔法を使うなんてずるいわ」

 彼は魔法の力によって調理機器を使うことなく食材を切り刻んでいた。
 テオがはにかみながら、私に料理を教えてくれる。
 
 テオとともに料理をしているなんて、正直言って貴重な体験だ。それにレイズナーと並んで食材を切るなんて、まるで民家の普通の夫婦みたいだ。

 私は幸福だった。
 もしかすると、このまま、レイズナーと一緒に平和に生きていけるのかもしれない。
 けれど、こんこん、と厨房の入り口をノックする音で私たちの会話は途切れた。
 
 現れたのはポーリーナで、その顔に、美しい笑みを浮かべレイズナーに呼びかけた。

「レイズナー、使用人が呼んでいるわよ」

 親しげに笑いかけ、その腕に触れる。
 いつの間にかポーリーナはレイズナーを名前で呼ぶようになっていた。

「どうもありがとう、ポーリーナ様」

 レイズナーも初めはあれほど嫌がっていたのに、にこやかに返事をする。

 胸がひどくざわつくのは間違っているって分かっている。
 妹に嫉妬なんて馬鹿馬鹿しいことだ。レイズナーは私を愛していると言ってくれるし、ポーリーナもそうだ。
 なのに今更、忘れかけていた噂を思い出す。

 “レイズナー・レイブンは女たらし”
 
 レイズナーは確かに顔がいい。顔もいいし、性格もまともだ。まともどころか――。

「レイズナーって、すごく優しいのね」

 隣に来ていたポーリーナが囁くように言った。目線は去りゆくレイズナーの背中に向けられる。

「彼を本当に愛しているの? もし愛していないなら、私が彼をもらってもいいわよ」

「だ、だめよ!」

 慌てて言うと、

「冗談よ」

 とポーリーナは微笑むが、その目の奥は少しも笑っていないように思えた。ずい、と体を近づけ、ポーリーナは言う。

「でも、素敵だわ。貴族令嬢達が、こぞって彼を手に入れたがるのも納得ね。
 私はずっと、レイズナーがお姉様を好きなことは知っていたのよ? だって、彼の目はいつだってお姉様を追っていたもの。だけどお姉様はどうなの?」

「どうなのって?」

「彼を愛しているの? それとも、結婚したから仕方なく彼を好きになったの? 意地悪を言っているんじゃないわよ。ただ、知りたいの」

 私は手を止め、妹の大きな瞳を見つめ返す。
 かつてはレイズナーと対面する度に、圧迫感を覚えていた。
 その理由を、もうずっと前から知っていたような気がする。私は彼という存在を、他の人よりも遙かに大きく感じていたのだ。しょっちゅう目が合うのは、彼が私を見ていたからだし、私も彼を見ていたからだ。
 心はどうしようもなく彼を意識していた。はるか昔から彼に惹かれていたけれど、私はそれに気付かないふりをしていた。

 王女たる私が、身分のない彼に恋するなんてあっていいはずがないと思っていた。だけど今は、そうは思わない。

「好きよ。愛しているし、愛されていると思うわ」

「……ふうん」

 指先で長い髪の毛をくるくるといじりながら、さして興味はなさそうにポーリーナは言う。
 そして信じられないことを口にした。

「ここだけの話、レイズナーはヴィクトリカお姉様の目を盗んで何かと私と二人きりになろうとしているわ。昨日だって、私の手に触れてきたし」

 束の間、呼吸が止まってしまうかと思った。
 テオが必死に、聞こえないふりを続けている。

「……それも冗談?」

「もちろんよ」

 ポーリーナが静かに笑ったとき、レイズナーが不可解そうな表情をしながら戻ってきた。

「俺に用事のある者はいないようでした。誰が呼んでいましたか?」

「さあ、使用人の顔は皆同じに見えてしまうから」

 妹の顔を見て私は気がついてしまった。初めから、レイズナーに用事のあった人間はいなかったに違いない。

 甘えた声でポーリーナは言う。

「ねえレイズナ-。庭が見たいわ」

「では後で散歩に参りましょう。越したばかりで味気ないから、どこにどんな花を植えたらいいか教えていただきたい」

 ポーリーナが私を見て微笑んで――なぜだか心に亀裂が入った気分だった。

 ポーリーナのことは愛している。
 レイズナーのことも愛している。
 だけど二人が、親しげに、まるで恋人同士のように近い距離で話すのは耐えられない。

 忘れたはずの傷がまたうずき出す。ヒースがポーリーナと婚約すると聞いた時と同じ痛みだ。今はレイズナーのことが好きだし、もうとうの昔に振り切ったはずなのに。
 レイズナーが私を見て眉を顰めた。

「どうしたヴィクトリカ? 元気がなさそうだ」

「私も庭に行っていいかしら」
 
 レイズナーは声を出して笑う。
 
「当たり前だろう、来ないと言っても連れて行くさ」

 ポーリーナが、つまらなそうに口をとがらせた気がした。


 *


 腕を組みながら歩く二人の後を私は後ろから着いていく。ポーリーナは傷心しているんだから姉の私が我慢しなくちゃと言い聞かせる。

 我慢というのは、レイズナーの腕を彼女に譲ることだった。

 ポーリーナはレイズナーに体を密着させ、囁くように話しかける。会話の内容までは聞こえてこないけれど、事情を知らない他人が見たら、親密な二人は恋人か新婚夫婦に思うだろう。
 
 レイズナーが何か冗談を言ったのか、ポーリーナが明るく笑う。そしてレイズナーが私を振り返った。

「どうだろう、いいかな?」

「なにが?」

 聞いていなかった。

「馬を飼うのはどうだろうか。君と俺と――二人の妹に」

 レイズナーが傍らのポーリーナに微笑みかけると、ポーリーナが嬉しそうに笑い声を上げた。
 私は二人に微笑みかけようとして失敗した。涙だけは見せまいと唇を噛む。

「随分、二人は仲がいいのね?」

 レイズナーが眉を顰めた。
 ずっと馬を持つのが夢だった。いつもだったら、彼の提案を受け入れたはずなのに、こんなことが言いたいわけじゃなかった。

「馬――そうね。いいと思うわ」

 それだけ言うのが、やっとだった。
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