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第9話 アイラとの別れ
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アイラが絶叫し、レイズナーに掴みかかろうとするのを、私は立ちはだかり止めた。アイラは苦悶に顔を歪める。
「どうして止めるんです! 奥様だって、この男が嫌いでしょう!」
彼は怪我人だから――。
言いかけたところで、そんな理由では嘘になることに気がついた。
「私は彼の味方だもの」
口にして、実感した。私はレイズナーの味方だった。
背後で、レイズナーが呻く。
「あいつは、暗殺者として何者かに雇われた男らしい。馬車を止め、俺を刺した。お前のことだって愛してやいなかったに違いない」
そんな言葉を、アイラに言っても逆効果だと思った。そして予想通り、アイラは怒りを静めるように肩を抱きながら、しかしレイズナーを憎しみを込めた瞳で睨み付けていた。
「もうここにはいられない。今日限りで辞める」
「勝手にしろ」
レイズナーが言い放つと、アイラは泣きながらエプロンを外し、床に放り投げた。
「さよならレイズナー。奥様も……あなたのことは、本当に好きでした」
*
レイズナーはソファーに座り、腹の傷を自らの魔法で治療していた。
元々、使用人が多くないこの屋敷は、ハンもアイラもいないと奇妙に静かだった。
彼の向かいに座り、傷がゆっくりと塞がり、もう会話に支障がないと判断したことろで話しかけた。
「ハンは――」
レイズナーが顔を上げたのを見て、一気に言う。
「ハンは誰かに雇われているようだったわ。あなたは誰かに殺される覚えがあるの?」
「予想はつく」
「誰なの」
「ヒース・グリフィスだ」
瞬間、頭が熱くなる。
「まさか!」怒りで声が震えた。「彼を嫌っているからそんなことを言うのね!」
レイズナーがヒースを敵視していることは知っている。私をも、彼から奪って見せたのだから。
だが、レイズナーは冷静だった。
「嫌っているのは奴の方だ」
「嘘よ。あなたはヒースを排斥しようとしていたわ」
「それを誰から聞いたんだ?」
「それは……ヒースからよ」
「なるほど。ポーリーナの話とよく似ているじゃないか」
はっとした。
確かにヒースと婚約してから、ポーリーナはおかしなことを言い始めた。私がヒースを愛していなかったというのだ。
「奴は自分に都合のいいことなら、たとえ嘘でも平気で真実と偽る、小賢しい男だ。
今日図書室で奴に会ったが、わかりやすいほどに挑発してきたよ――」
疲れたように言うレイズナーに、嘘はないように思えた。
もしかすると、と私は思った。
もしかすると、私が今まで過ごしていた場所は、幸福だけが見えるように用意された箱庭だったのかもしれない。だとしたら、その壁は取り払われつつあった。私はレイズナーによって、この目を開かされている。
「本が好きなの?」
何かを言わなくては、と思い口にしたのは、そんな間抜けな質問だった。
「いいや、娯楽としての意味でなら、好まない。図書室に行ったのは、君の言っていたことについて調べるためさ。――時が戻るという現象について」
私はまたしても、心の中が温かくなるのを感じた。
昨日、私が言った途方もない話を、彼は信じてくれたのだ。
「それで、何か分かったの?」
彼が傷口から手を離すと、もうそこには完璧な皮膚があった。
「ヴィクトリカ、魔法使いが重宝されるのはなぜだと思う?」
「馬鹿にしているの? 貴重だからでしょ」
「そうだ。誰しも魔法を使えるわけじゃない」
当然だ、と私は頷いた。世界の一割にも満たない人間だけに生まれつき備わっている特別な力が、魔法だった。
「時が戻る事象は、自然界ではありえない。だが人為的に起こすことは、“理論上”では可能だ」
「じゃあ、謎が解けたの?」
希望を抱く私に向かい、まだ血に濡れた手に指を二本立て、彼は首を振った。
「君にそれが起こるのは、普通、二つの理由からあり得ない。
第一に、時が戻るほどの強大な魔法には、それに比例する莫大なエネルギーが必要になる。当たり前だが、そんなものを生み出せる現象も人もない。
第二に、魔法だ。エネルギーを生かす魔法使いでなければ、当然魔法は発動しない。だが君は魔法使いではないから不可能だ」
「だけど事実、私は時を戻っているわ」
思わず語気が強まったのは、失望していることに気がつかれたくなかったからだ。不可能と断定する彼は、私を信じてくれたわけではないのかもしれない。
「そうだ、だから普通ではないことが、君に起こっている。なにか、思いつくことはないだろうか」
その言葉に、私の心は勇気づけられる。彼のひと言ひと言で、こんなに感情の変化が起こるなんておかしなことだ。
彼はまるで、暗闇の中の光のように、私の足下を照らしてくれているようだった。
「爆発に」
彼は真剣に聞いている。
「爆発に、巻き込まれて死んだような気が、いつもするの。おかしなことだって思うわ、城で爆発だなんて。だけどヒースのお屋敷でも同じだった」
「爆弾でも落ちてくるのか?」
彼は苦笑する。
「いつも同じ死因か?」
「死ぬのは一瞬だし、死んだ後の世界は分からない。だけど、感覚的にはいつも同じよ。誰かが爆弾を投げているのかもしれないわ。体がバラバラに破壊されて、飛び散るの」
不気味さと恐怖を思い出して身震いする。
「確かに全くの無関係とは思えないが、爆弾が爆発する力では、時が戻る魔法の発動には到底及ばないだろうな」
仮にそれだけのエネルギーが生み出されたとしても、私にそれを扱える魔法は使えない。
考察は暗礁に乗り上げ、私たちはしばらく沈黙した。
「どうして止めるんです! 奥様だって、この男が嫌いでしょう!」
彼は怪我人だから――。
言いかけたところで、そんな理由では嘘になることに気がついた。
「私は彼の味方だもの」
口にして、実感した。私はレイズナーの味方だった。
背後で、レイズナーが呻く。
「あいつは、暗殺者として何者かに雇われた男らしい。馬車を止め、俺を刺した。お前のことだって愛してやいなかったに違いない」
そんな言葉を、アイラに言っても逆効果だと思った。そして予想通り、アイラは怒りを静めるように肩を抱きながら、しかしレイズナーを憎しみを込めた瞳で睨み付けていた。
「もうここにはいられない。今日限りで辞める」
「勝手にしろ」
レイズナーが言い放つと、アイラは泣きながらエプロンを外し、床に放り投げた。
「さよならレイズナー。奥様も……あなたのことは、本当に好きでした」
*
レイズナーはソファーに座り、腹の傷を自らの魔法で治療していた。
元々、使用人が多くないこの屋敷は、ハンもアイラもいないと奇妙に静かだった。
彼の向かいに座り、傷がゆっくりと塞がり、もう会話に支障がないと判断したことろで話しかけた。
「ハンは――」
レイズナーが顔を上げたのを見て、一気に言う。
「ハンは誰かに雇われているようだったわ。あなたは誰かに殺される覚えがあるの?」
「予想はつく」
「誰なの」
「ヒース・グリフィスだ」
瞬間、頭が熱くなる。
「まさか!」怒りで声が震えた。「彼を嫌っているからそんなことを言うのね!」
レイズナーがヒースを敵視していることは知っている。私をも、彼から奪って見せたのだから。
だが、レイズナーは冷静だった。
「嫌っているのは奴の方だ」
「嘘よ。あなたはヒースを排斥しようとしていたわ」
「それを誰から聞いたんだ?」
「それは……ヒースからよ」
「なるほど。ポーリーナの話とよく似ているじゃないか」
はっとした。
確かにヒースと婚約してから、ポーリーナはおかしなことを言い始めた。私がヒースを愛していなかったというのだ。
「奴は自分に都合のいいことなら、たとえ嘘でも平気で真実と偽る、小賢しい男だ。
今日図書室で奴に会ったが、わかりやすいほどに挑発してきたよ――」
疲れたように言うレイズナーに、嘘はないように思えた。
もしかすると、と私は思った。
もしかすると、私が今まで過ごしていた場所は、幸福だけが見えるように用意された箱庭だったのかもしれない。だとしたら、その壁は取り払われつつあった。私はレイズナーによって、この目を開かされている。
「本が好きなの?」
何かを言わなくては、と思い口にしたのは、そんな間抜けな質問だった。
「いいや、娯楽としての意味でなら、好まない。図書室に行ったのは、君の言っていたことについて調べるためさ。――時が戻るという現象について」
私はまたしても、心の中が温かくなるのを感じた。
昨日、私が言った途方もない話を、彼は信じてくれたのだ。
「それで、何か分かったの?」
彼が傷口から手を離すと、もうそこには完璧な皮膚があった。
「ヴィクトリカ、魔法使いが重宝されるのはなぜだと思う?」
「馬鹿にしているの? 貴重だからでしょ」
「そうだ。誰しも魔法を使えるわけじゃない」
当然だ、と私は頷いた。世界の一割にも満たない人間だけに生まれつき備わっている特別な力が、魔法だった。
「時が戻る事象は、自然界ではありえない。だが人為的に起こすことは、“理論上”では可能だ」
「じゃあ、謎が解けたの?」
希望を抱く私に向かい、まだ血に濡れた手に指を二本立て、彼は首を振った。
「君にそれが起こるのは、普通、二つの理由からあり得ない。
第一に、時が戻るほどの強大な魔法には、それに比例する莫大なエネルギーが必要になる。当たり前だが、そんなものを生み出せる現象も人もない。
第二に、魔法だ。エネルギーを生かす魔法使いでなければ、当然魔法は発動しない。だが君は魔法使いではないから不可能だ」
「だけど事実、私は時を戻っているわ」
思わず語気が強まったのは、失望していることに気がつかれたくなかったからだ。不可能と断定する彼は、私を信じてくれたわけではないのかもしれない。
「そうだ、だから普通ではないことが、君に起こっている。なにか、思いつくことはないだろうか」
その言葉に、私の心は勇気づけられる。彼のひと言ひと言で、こんなに感情の変化が起こるなんておかしなことだ。
彼はまるで、暗闇の中の光のように、私の足下を照らしてくれているようだった。
「爆発に」
彼は真剣に聞いている。
「爆発に、巻き込まれて死んだような気が、いつもするの。おかしなことだって思うわ、城で爆発だなんて。だけどヒースのお屋敷でも同じだった」
「爆弾でも落ちてくるのか?」
彼は苦笑する。
「いつも同じ死因か?」
「死ぬのは一瞬だし、死んだ後の世界は分からない。だけど、感覚的にはいつも同じよ。誰かが爆弾を投げているのかもしれないわ。体がバラバラに破壊されて、飛び散るの」
不気味さと恐怖を思い出して身震いする。
「確かに全くの無関係とは思えないが、爆弾が爆発する力では、時が戻る魔法の発動には到底及ばないだろうな」
仮にそれだけのエネルギーが生み出されたとしても、私にそれを扱える魔法は使えない。
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