第二王女は死に戻る

さくたろう

文字の大きさ
上 下
26 / 48

第8話 彼は初めから暗殺者

しおりを挟む
 残りの仕事を終えたのは、夕食の時間をとうに回った頃だった。どの道家に戻っても、ヴィクトリカは口を利いてはくれないだろうと、ゆるゆると進めたせいもあり、すっかり遅くなってしまった。

 近頃御者に代わり、ハンがレイズナーの馬車を扱っていた。今日もその例に従う。

 レイズナーは疲れ切っていた。結婚式から数日で、半年過ごしても起こりえないようなことが次々と起き続けている。

 ――いっそのこと、全てヴィクトリカに暴露してしまおうか。

 うつろな思考の合間に、甘い考えが沸いて出てくる。真実を話せば、彼女はきっと許してくれるだろう。
 だが即座に打ち消した。

(馬鹿か。決して誰にも話さないと、誓いを立てたはずだろう)

 神など信じていないから、誓ったのは、己の信念に対してだった。
 うつろな瞳の妹。血しぶきを上げる貴族の男。血まみれの自分の拳。――なんということだ。かすれる、少年の声。

 あの日の殺人は心の内に秘めておけば良い。
 誰にも知られず、咎を負うのは自分だけで十分だ。

 一方で、あざ笑う声が聞こえた。

 ――ではなぜ彼女と結婚したのだ。

 崇高な信念を掲げても、欲望に逆らえなかっただけじゃないか。

 レイズナーは油断していた。
 今この瞬間だけでなく、恐らくヴィクトリカと結婚して以降ずっと。
 
 だから、普段であれば決して見逃すはずのない違和感を見逃し、今だって、暗がりで、ハンが馬車を止めたのにも気がつかずに。


 * * *


 どんなことをしていても、考えてしまうのはレイズナーのことだった。
 夕食後のお茶を用意するアイラの姿をぼんやりと見つめていると、彼女が機嫌が良さそうに鼻歌を歌っていることに気がついた。

「なんだか、とても嬉しそうだわアイラ」

 慌てた様子でアイラは振り返る。

「ごめんなさい、こんな時に……」

「気を遣わないで。それより、何があったのか聞かせて欲しいわ」

 アイラの頬が赤く染まった。

「実はハンと、結婚の約束をしたんです。もう少しで、ハンの抱える仕事が終わりそうだから、そうしたら彼の故郷に一緒に行こうって」

「まあおめでとう!」心からそう言った。「じゃあ、それなりに長いお付き合いがあるの?」

 アイラとハンのなれそめを、ゆっくり聞いたことは今までなかった。

「一週間くらいでしょうか。旦那様が奥様との結婚を認められて、この屋敷を購入されてからですから」

「た、たったのそれだけ? それで結婚しちゃうの?」

「愛を誓い合うのに、時間は重要なのでしょうか」

 でも、だって、時間は重要でしょう?

 だけどあまりにも疑いなく言われると、自分の常識が間違っているような気にさえなる。

「それでハンは今どこにいるの? お祝いを言いたいわ」 

「旦那様と一緒ですわ。このところ、御者に代わって彼が馬車を任されているんです」

 自分のことのように誇らしげに彼女は言った。
 確かにハンは馬の扱いが上手だ。前に襲われた時も、御者と一緒に馬を引いていた……そこまで考えたところで、恐ろしい考えが浮かんだ。

 ――それは、わずかな違和感だった。

 今なら引き返せる。思考を捨てさえすれば、今まで通りに元に戻れる。なのに愚かな私の頭は、考えるのを止めなかった。

 前に道で襲われた時。

 私はその頃、レイズナーを嫌っていたから、彼に告げずに城を出た。だけどハンまでも忠誠を誓った主人に、その妻の帰宅を告げないのはおかしくないだろうか。

 それに、あの時ハンは言った。
 “ここにレイブンはいない”と。

 まるで、あの影がレイズナーを襲いに来たと思ったかのようだ。

「……ねえアイラ。ハンには、いつ出会ったの」

「旦那様が結婚を決められてすぐ、引っ越しの時ですわ。屋敷の前に彼が倒れていて。旦那様に見つからなかったのは幸運でしたわ。わたくしが門の前を掃除する時間帯でしたから」

 馬鹿な私。もう考えるのをやめなさい。だけど。

 もしもハンが、アイラが毎日決まった時間にそこにいることを、前もって知っていたら? 偶然を装って、この屋敷にまんまと忍び込んだのだとしたら。
 アイラの親切心につけ込み、利用しているのだとしたら――?

 暗雲が、私の心を覆い尽くしていく。けれど思考は止められなかった。
 
 結婚が決まってからハンはこの屋敷に来た。つまり、私が来ることを知っていた。
 あの影に襲われた二度、ハンはいずれも、側にいた。
 もしや彼が、私を殺す人間だろうか。

 ――なんて、馬鹿馬鹿しいことよ。
 
 首を振って否定する。
 私は神経過敏になりすぎているらしい。あり得ない。ハンはいい人だ。

 その時だった。荒々しい馬の足音が窓の外でしたかと思うと、ハンがアイラを呼ぶ声が屋敷に駆け込んできた。
 
 ティールームから、アイラが外へ顔を出す。途端にハンが現れ、彼女の腕を掴んだ。

「アイラ! ココカラ、逃げヨウ」

「ハン、どうしたの?」

 ただならぬ様子に、私も立ち上がる。
 ハンの服には、おびただしい量の赤い液体が付着していた。

「それ、血?」

 私は尋ねた。
 ハンはゆっくりとこちらに目を向ける。
 ぞっとしたのは、あまりにも、暗い瞳だったからだ。

「誰の――」誰の血なの。

 聞くまでもなく、確信していた。
 本来ならば、この場にもう一人いるはずだ。なのに、彼の姿はどこにもなかった。
 知らず、声は震えていた。

「ハン、彼はどうしたの。……レイズナーは、私の夫はどこにいるの!」

 ハンは答えない。
 
「“彼を、殺したの?”」

 やはりハンは答えない。
 あとずさるべきだ。ハンは脅威なのだから。
 にもかかわらず、私は彼に詰め寄った。

「“私も殺すつもり?”」

 二人の間で、アイラは青ざめた顔をしている。
 ハンは彼女の手を掴んだまま、首を横に振った。

「“命じられたのは、あなたの暗殺ではない。レイズナー・レイブンの始末だ”」

「“だとしたら逃がすわけにはいかないわ。彼をどこへやったの”」 

「“邪魔をするならばあなたさえ排除する。そこに迷いはない”」

「“誰に命じられたの。目的は恨み? それともお金なの!? 彼をどこにやったのよ!”」

 ハンはアイラから手を離すと、腰に差していたらしいナイフを取り出し私に向けた。
 アイラが悲鳴を上げる。

「“あなたはアイラを愛しているでしょう!”」

 私は叫び、両手を広げた。

「アイラの前で、この私を殺せるの!」

 やれるものならやればいい。ハンの目が、見開かれ、ナイフが振りかざされた。

「魔法使いを殺したいんだったら、首から胴体を切り離すべきだった」

 声がした。

 ハンの目の前に、光る魔方陣が出現した刹那だった。
 あっという間だった。ハンが、霧散したのは。
 
 腹を押さえながら現れたのはレイズナーだった。傷口から、血が溢れ続けている。こんなに場が緊迫しているにもかかわらず、私は心から、レイズナーが生きていることに安堵した。
 ハンの姿はもうどこにもない。

 レイズナーが、ハンの体を木っ端微塵に破壊したのだ。肉片さえも蒸発させ、まるで初めから、ハンという男は存在しなかったかのように。

 苦しそうに肩で呼吸をし、床に座り込むレイズナーに駆け寄り、彼の手の上から傷口を押さえる。生暖かい血が、私の手を伝い床に落ちていった。

 きっと静かな晩だった。
 アイラが、悲鳴を上げ続ける声の他は、もう何も聞こえなかったのだから。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】どうやら時戻りをしました。

まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。 辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。 時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。 ※前半激重です。ご注意下さい Copyright©︎2023-まるねこ

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。

氷の騎士様は実は太陽の騎士様です。

りつ
恋愛
 イリスの婚約者は幼馴染のラファエルである。彼と結婚するまで遠い修道院の寄宿学校で過ごしていたが、十八歳になり、王都へ戻って来た彼女は彼と結婚できる事実に胸をときめかせていた。しかし両親はラファエル以外の男性にも目を向けるよう言い出し、イリスは戸惑ってしまう。  王女殿下や王太子殿下とも知り合い、ラファエルが「氷の騎士」と呼ばれていることを知ったイリス。離れている間の知らなかったラファエルのことを令嬢たちの口から聞かされるが、イリスは次第に違和感を抱き始めて…… ※他サイトにも掲載しています ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

【完結】欲しがり義妹に王位を奪われ偽者花嫁として嫁ぎました。バレたら処刑されるとドキドキしていたらイケメン王に溺愛されてます。

美咲アリス
恋愛
【Amazonベストセラー入りしました(長編版)】「国王陛下!わたくしは偽者の花嫁です!どうぞわたくしを処刑してください!!」「とりあえず、落ち着こうか?(にっこり)」意地悪な義母の策略で義妹の代わりに辺境国へ嫁いだオメガ王女のフウル。正直な性格のせいで嘘をつくことができずに命を捨てる覚悟で夫となる国王に真実を告げる。だが美貌の国王リオ・ナバはなぜかにっこりと微笑んだ。そしてフウルを甘々にもてなしてくれる。「きっとこれは処刑前の罠?」不幸生活が身についたフウルはビクビクしながら城で暮らすが、実は国王にはある考えがあって⋯⋯? 

拾った仔猫の中身は、私に嘘の婚約破棄を言い渡した王太子さまでした。面倒なので放置したいのですが、仔猫が気になるので救出作戦を実行します。

石河 翠
恋愛
婚約者に婚約破棄をつきつけられた公爵令嬢のマーシャ。おバカな王子の相手をせずに済むと喜んだ彼女は、家に帰る途中なんとも不細工な猫を拾う。 助けを求めてくる猫を見捨てられず、家に連れて帰ることに。まるで言葉がわかるかのように賢い猫の相手をしていると、なんと猫の中身はあの王太子だと判明する。猫と王子の入れ替わりにびっくりする主人公。 バカは傀儡にされるくらいでちょうどいいが、可愛い猫が周囲に無理難題を言われるなんてあんまりだという理由で救出作戦を実行することになるが……。 もふもふを愛するヒロインと、かまってもらえないせいでいじけ気味の面倒くさいヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより pp7さまの作品をお借りしております。

【完結済】平凡令嬢はぼんやり令息の世話をしたくない

天知 カナイ
恋愛
【完結済 全24話】ヘイデン侯爵の嫡男ロレアントは容姿端麗、頭脳明晰、魔法力に満ちた超優良物件だ。周りの貴族子女はこぞって彼に近づきたがる。だが、ロレアントの傍でいつも世話を焼いているのは、見た目も地味でとりたてて特長もないリオ―チェだ。ロレアントは全てにおいて秀でているが、少し生活能力が薄く、いつもぼんやりとしている。国都にあるタウンハウスが隣だった縁で幼馴染として育ったのだが、ロレアントの母が亡くなる時「ロレンはぼんやりしているから、リオが面倒見てあげてね」と頼んだので、律義にリオ―チェはそれを守り何くれとなくロレアントの世話をしていた。 だが、それが気にくわない人々はたくさんいて様々にリオ―チェに対し嫌がらせをしてくる。だんだんそれに疲れてきたリオーチェは‥。

【完】嫁き遅れの伯爵令嬢は逃げられ公爵に熱愛される

えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
 リリエラは母を亡くし弟の養育や領地の執務の手伝いをしていて貴族令嬢としての適齢期をやや逃してしまっていた。ところが弟の成人と婚約を機に家を追い出されることになり、住み込みの働き口を探していたところ教会のシスターから公爵との契約婚を勧められた。  お相手は公爵家当主となったばかりで、さらに彼は婚約者に立て続けに逃げられるといういわくつきの物件だったのだ。  少し辛辣なところがあるもののお人好しでお節介なリリエラに公爵も心惹かれていて……。  22.4.7女性向けホットランキングに入っておりました。ありがとうございます 22.4.9.9位,4.10.5位,4.11.3位,4.12.2位  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

処理中です...