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第4話 劇場にて男を追う
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一日後、私とレイズナーは劇場にいた。
ポーリーナとヒースの姿を探すが見つからない。以前は馬車を降りた瞬間、二人が現れたから、恐らく今は避けられているということだろう。
ポーリーナの態度が気がかりだった。
彼女は以前パーティの場でも、私がヒースを愛しておらず、あたかも私が彼を捨てたかのように言ったのだ。
もし――もし、ヒースがポーリーナにそう吹き込み、彼女との婚約にこぎ着けたのだとしたら。
彼は私が思っているような人物ではないということだ。
誰も彼も、そうだ。仮面の下には、思いもよらない素顔が隠されている。
席についても考え込んでいると、レイズナーが心配そうな顔で覗き込んできた。
「どうした、元気がないな。気分が悪いのか? やはり風邪を引いているんじゃないか。今から屋敷へ引き返そう」
返事を待たず私の手を掴み、性急に立ち上がろうとする彼を制した。
「待って、大丈夫よ。何でも無いわ。それにただの風邪よ?」
そもそも仮病だし。
「ただの風邪をこじらせて死んだ奴を何人も知っているがな。妹も昔死にかけた」
「妹がいるの? 初耳だわ」
「もういない」
あまりにも素っ気なく、冷たい否定に、既に亡くなったのだと思わされた。
初めて、彼の深いところに触れたような気がした。
劇が始まり、仮面をつけた道化師が場を賑わす。私は以前のことを思い出した。この劇場で、彼とキスをしたときのことを。
思考からそれを振り払いたくて、独り言を呟いた。
「そういえばレイズナーは前に、パーティが終わったら贈り物があると言っていたけどなんだったのかしら」
「前に……言ったか?」
眉を寄せる彼がおかしくて声を立てて笑う。つられて彼も笑った。
「君は何が欲しいんだ?」
「前は、短剣と答えたわ。その次は、学校へ行くことと言ったの」
「短剣? 妙なものを欲しがるな。それに、学校なんて、行きたければいけばいいじゃないか」
前と同じ答えに、私の胸は温まる。
彼が私の手に触れた。抵抗せずにいると、指が絡む。
この後の展開は知っている。だけどキスの途中で、レイズナーはエルナンデスに気がつき行ってしまった。今回はそうさせるわけには行かなかった。
「ごめんなさい、お手洗いに行ってもいいかしら?」
「ああ、気をつけて」
彼は手を離す。
「ハン! 護衛を頼む」
――ハンはいらない、一人で行く。と言いかけた言葉を怪しまれると思い飲み込んだ。
目的を果たすまで、疑念を抱かれないようにしなくては。
廊下を途中まで進んだところで、ハンを振り返った。
「お手洗いなの。着いてこられると恥ずかしいわ。分かる? “ここで待っていてね”」
ハンは頷き、直立不動で待っている。
劇場のホールが半円状でよかった。ハンが見えなくなるところまで廊下を進むと、一気に駆けだした。目指すはキンバリー・グレイホルムの席だ。
カーテンで仕切られた席に、今まさに、例の男が立ち入ろうとしている。私は胸をなで下ろす。間に合ったのだ。
「待ちなさい!」
叫ぶと、エルナンデスは動きを止めた。
「あなたはエルナンデスね?」
エルナンデスは突然名を呼ばれ、訝しげに目を細め私を見た。その野生動物のような他を寄せ付けない厳しい視線は、どこかレイズナーを彷彿とさせる。
日に焼けた、レイズナーよりは背の低い男で、日雇いの労働者のような姿に見える。
「なぜ俺の名を?」
「どうでもいいでしょう、そんなこと。それよりもあなたの目的を聞きたいわ。なぜそこの席に入ろうとするの?」
「お、おいあんた……まさか、ヴィクトリカ王女か?」
正体はあっけなくばれる。私の姿は、王国の隅々まで行き渡っているらしい。
「うそだろ、おい。レイズナーの奴と結婚したって噂があったが。まじだったのかよ。だから来たのか? それじゃ王女様も、キンバリーに会いに?」
その時だった。話し声に気がついたのか、カーテンがめくれ、中から公爵が現れた。
「そこで何をしている?」
訝しげにエルナンデスと私を交互に見た後、即座私に視線が戻った。
「……まさか、ヴィクトリカ様か?」
「よお、元気かキンバリー」
公爵を意に介せず、エルナンデスはカーテンの中にいるグレイホルム嬢に声をかけた。グレイホルム嬢は青白い顔をして立ち上がり叫んだ。
「あなたなど知りません!」
「冷たいこと言うなよ、俺とお前の仲じゃないか」
エルナンデスは公爵が私に気を取られている隙に席に入り込むと、グレイホルム嬢の手を掴んだ。
「離して、嫌よ!」
グレイホルム嬢の唇は、恐怖により震えている。どうにかしなければ、とまごついていると、後ろから大声が聞こえた。
「彼女から離れろ!」
現れたレイズナーはずかずかと席に進むと、あっという間にエルナンデスを彼女から引き剥がした。
向かいの席に目を向けるともぬけの殻だ。レイズナーに隠れエルナンデスの目的を聞き出すという作戦は、あえなく失敗したということだ。
レイズナーはエルナンデスを廊下に放り出し、手を翳す。
「お前のような人間がいて良い場所じゃない」
「気に食わねえなレイズナー、随分とお高くなりやがって」
「失せろ、くそ野郎」
下町訛りでレイズナーは言うと、手から一瞬光りを放つ。まぶしさに目を閉じ再び開くと、エルナンデスの姿はなかった。
「彼を殺したの?」
恐怖から、私は尋ねた。だがレイズナーは首を振る。
「殺してやりたいが、あいにく劇場の外に追い払っただけだ。俺の力だとそこがせいぜいだった」
魔法使いという人種は、そんなこともできるの? ヒースがやっていたのは主に薬草の研究だった。濡れた服を瞬時に乾かしたり、人を建物の外に飛ばしたり、そんなことはやっていない。
エルナンデスを追い払っても、レイズナーの機嫌は悪かった。冷たい視線を私に向ける。
「帰るぞヴィクトリカ。観劇などしている場合じゃないだろう。見たところ君は俺に、説明することがあるようだから」
がっちりと手首を掴まれては、抵抗する気にさえなれない。
「では公爵、……そしてグレイホルム嬢。週末のパーティには出席されますか? ではまたそこで。劇を楽しんでください」
レイズナーはキンバリーの手を取ると、そこにキスをした。
唇は触れていない。挨拶だけ。なのに私のわがままな胸はズキリと痛む。なにより彼の目は、それが疑う余地無く愛おしい人であるように、彼女を柔らかく見つめているのだから。
ポーリーナとヒースの姿を探すが見つからない。以前は馬車を降りた瞬間、二人が現れたから、恐らく今は避けられているということだろう。
ポーリーナの態度が気がかりだった。
彼女は以前パーティの場でも、私がヒースを愛しておらず、あたかも私が彼を捨てたかのように言ったのだ。
もし――もし、ヒースがポーリーナにそう吹き込み、彼女との婚約にこぎ着けたのだとしたら。
彼は私が思っているような人物ではないということだ。
誰も彼も、そうだ。仮面の下には、思いもよらない素顔が隠されている。
席についても考え込んでいると、レイズナーが心配そうな顔で覗き込んできた。
「どうした、元気がないな。気分が悪いのか? やはり風邪を引いているんじゃないか。今から屋敷へ引き返そう」
返事を待たず私の手を掴み、性急に立ち上がろうとする彼を制した。
「待って、大丈夫よ。何でも無いわ。それにただの風邪よ?」
そもそも仮病だし。
「ただの風邪をこじらせて死んだ奴を何人も知っているがな。妹も昔死にかけた」
「妹がいるの? 初耳だわ」
「もういない」
あまりにも素っ気なく、冷たい否定に、既に亡くなったのだと思わされた。
初めて、彼の深いところに触れたような気がした。
劇が始まり、仮面をつけた道化師が場を賑わす。私は以前のことを思い出した。この劇場で、彼とキスをしたときのことを。
思考からそれを振り払いたくて、独り言を呟いた。
「そういえばレイズナーは前に、パーティが終わったら贈り物があると言っていたけどなんだったのかしら」
「前に……言ったか?」
眉を寄せる彼がおかしくて声を立てて笑う。つられて彼も笑った。
「君は何が欲しいんだ?」
「前は、短剣と答えたわ。その次は、学校へ行くことと言ったの」
「短剣? 妙なものを欲しがるな。それに、学校なんて、行きたければいけばいいじゃないか」
前と同じ答えに、私の胸は温まる。
彼が私の手に触れた。抵抗せずにいると、指が絡む。
この後の展開は知っている。だけどキスの途中で、レイズナーはエルナンデスに気がつき行ってしまった。今回はそうさせるわけには行かなかった。
「ごめんなさい、お手洗いに行ってもいいかしら?」
「ああ、気をつけて」
彼は手を離す。
「ハン! 護衛を頼む」
――ハンはいらない、一人で行く。と言いかけた言葉を怪しまれると思い飲み込んだ。
目的を果たすまで、疑念を抱かれないようにしなくては。
廊下を途中まで進んだところで、ハンを振り返った。
「お手洗いなの。着いてこられると恥ずかしいわ。分かる? “ここで待っていてね”」
ハンは頷き、直立不動で待っている。
劇場のホールが半円状でよかった。ハンが見えなくなるところまで廊下を進むと、一気に駆けだした。目指すはキンバリー・グレイホルムの席だ。
カーテンで仕切られた席に、今まさに、例の男が立ち入ろうとしている。私は胸をなで下ろす。間に合ったのだ。
「待ちなさい!」
叫ぶと、エルナンデスは動きを止めた。
「あなたはエルナンデスね?」
エルナンデスは突然名を呼ばれ、訝しげに目を細め私を見た。その野生動物のような他を寄せ付けない厳しい視線は、どこかレイズナーを彷彿とさせる。
日に焼けた、レイズナーよりは背の低い男で、日雇いの労働者のような姿に見える。
「なぜ俺の名を?」
「どうでもいいでしょう、そんなこと。それよりもあなたの目的を聞きたいわ。なぜそこの席に入ろうとするの?」
「お、おいあんた……まさか、ヴィクトリカ王女か?」
正体はあっけなくばれる。私の姿は、王国の隅々まで行き渡っているらしい。
「うそだろ、おい。レイズナーの奴と結婚したって噂があったが。まじだったのかよ。だから来たのか? それじゃ王女様も、キンバリーに会いに?」
その時だった。話し声に気がついたのか、カーテンがめくれ、中から公爵が現れた。
「そこで何をしている?」
訝しげにエルナンデスと私を交互に見た後、即座私に視線が戻った。
「……まさか、ヴィクトリカ様か?」
「よお、元気かキンバリー」
公爵を意に介せず、エルナンデスはカーテンの中にいるグレイホルム嬢に声をかけた。グレイホルム嬢は青白い顔をして立ち上がり叫んだ。
「あなたなど知りません!」
「冷たいこと言うなよ、俺とお前の仲じゃないか」
エルナンデスは公爵が私に気を取られている隙に席に入り込むと、グレイホルム嬢の手を掴んだ。
「離して、嫌よ!」
グレイホルム嬢の唇は、恐怖により震えている。どうにかしなければ、とまごついていると、後ろから大声が聞こえた。
「彼女から離れろ!」
現れたレイズナーはずかずかと席に進むと、あっという間にエルナンデスを彼女から引き剥がした。
向かいの席に目を向けるともぬけの殻だ。レイズナーに隠れエルナンデスの目的を聞き出すという作戦は、あえなく失敗したということだ。
レイズナーはエルナンデスを廊下に放り出し、手を翳す。
「お前のような人間がいて良い場所じゃない」
「気に食わねえなレイズナー、随分とお高くなりやがって」
「失せろ、くそ野郎」
下町訛りでレイズナーは言うと、手から一瞬光りを放つ。まぶしさに目を閉じ再び開くと、エルナンデスの姿はなかった。
「彼を殺したの?」
恐怖から、私は尋ねた。だがレイズナーは首を振る。
「殺してやりたいが、あいにく劇場の外に追い払っただけだ。俺の力だとそこがせいぜいだった」
魔法使いという人種は、そんなこともできるの? ヒースがやっていたのは主に薬草の研究だった。濡れた服を瞬時に乾かしたり、人を建物の外に飛ばしたり、そんなことはやっていない。
エルナンデスを追い払っても、レイズナーの機嫌は悪かった。冷たい視線を私に向ける。
「帰るぞヴィクトリカ。観劇などしている場合じゃないだろう。見たところ君は俺に、説明することがあるようだから」
がっちりと手首を掴まれては、抵抗する気にさえなれない。
「では公爵、……そしてグレイホルム嬢。週末のパーティには出席されますか? ではまたそこで。劇を楽しんでください」
レイズナーはキンバリーの手を取ると、そこにキスをした。
唇は触れていない。挨拶だけ。なのに私のわがままな胸はズキリと痛む。なにより彼の目は、それが疑う余地無く愛おしい人であるように、彼女を柔らかく見つめているのだから。
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