18 / 48
第18話 第二王女は死に戻る(2)
しおりを挟む
きっと理由があるはずだった。レイズナーが仮に、人を殺したのだとしても、きっと明確な理由が。納得できる根拠が。
レイズナーが去っても、混乱は収まらなかった。男達によって、死体は覆いを被される。
「しかし、本当にレイブンがやったのだろうか」
レイズナーが彼を殺しただなんて信じられない人が、私の他にもいたらしい。
そんな声が上がり、しかしお兄様が否定した。
「過去にもあの男は人を殺している。その時は、証拠がなく咎めることはできなかったが」
ざわつく周囲の中で、耳に、ルイサお姉様の囁く声が聞こえた。
「ヴィクトリカ、行くのよ」
驚いて振り返ると、お姉様は大きなお腹を抱え、叫んだ。
「産まれる! 産まれるわ! 手伝って!」
顔を真っ赤にして、お姉様は床に倒れる。
迫真の演技に、混乱は一際大きくなった。お姉様が小さく私に頷く。
心の中で何度もお礼を言いながら、私は急いで地下の貯蔵庫へと向かった。
ルイサお姉様が騒いでくれているおかげか、地下へと続く階段に見張りは一人もいなかった。
階段をゆっくりと降りていくと、話し声が聞こえてきた。
「レイズナー、今助けるわ。扉から離れていて。鍵を壊すから」
それは女性の声で、私は足を止めた。
「よすんだキンバリー、扉など、本当は俺にとってはないに等しい。こうして捕まってやっているのは、騒ぎをこれ以上大きくしないためだ。遠くへ逃げろ、ここにいたらお前まで捕まりかねない」
「もう貴族社会なんて嫌よ。捕まるというなら、その前に二人で遠いところまで逃げましょう?」
「公爵はどうなるんだ。お前に婚約を申し込むつもりでいるぞ」
「あなたよりも大切な人なんていないわ。レイズナー、愛しているもの」
心臓が、止まりそうになった。レイズナーの会話の相手が、キンバリー・クレイホルムであることは疑いようがない。
「ああ分かっている。俺も、お前を愛しているさ。だが――」
レイズナーの声が聞こえた瞬間、耐えきれず声を漏らしていた。
「そんな……」
私の声で、グレイホルム嬢が勢いよく振り返る。その手には斧が握られていた。
翡翠色の大きな瞳が見開かれる。
「ヴィクトリカ様! 違いますわ! 私と彼は――」
「何が違うって言うの。信じていたわ。なのに、初めから、私を騙していたのね!」
貯蔵庫の扉の向こうから、レイズナーの声がした。
「ヴィクトリカ! 待ってくれ!」
騙されていたんだ。
混乱のまま、私は階段を駆け上り、屋敷を後にし、庭に走り出た。
全て幻想だった。嘘だった。彼が私を愛するはずがない。初めから、彼が愛しているのはキンバリー・グレイホルムだけで、私と結婚したのは、お金と地位と、名誉が欲しかったからだ。裏切りだ。いいえ、裏切りでさえない。ただ、踊らされた私がいただけだ。
このまま走り続けて、世界の果てまで行って消えてしまいたい。こんなに惨めで悲しい気分になったのは、生まれて初めてだった。あろうことか、私は彼に体を許してしまった。何もかも、吐き出してしまいたい。彼が私の体に刻み込んだ何もかもを。
「信じなければよかった。信じなければよかったんだわ……!」
空虚が押し寄せ、絶望している理由を、私は知ってしまっている。自分のちっぽけな心さえ、私は守れなかった。
私は、彼を愛してしまったんだ。
庭の大きな木に手を着いて、肩で呼吸をしながら、私は泣いた。大声で泣くなんて、はしたないこと。だけど自分を抑えられなかった。
誰もいないはずだった。それでも、人の気配を確かに感じた。
振り返ると、黒い影がそこにいた。息が止まりかける。
――嘘、どうしてここに。
遠くに、レイズナーの姿が見えた。彼は私に手を翳す。
悲鳴を上げる暇も無く、影は私の体に入り込む。自分の中で無数の爆発が起こり、体がバラバラに崩れ去っていくのを感じた。
――。
――――。
――――――あれは、いつのことだっただろう。
お父様とお母様が私を呼んでいる。午後の、夏の日差しが木漏れ日を作っていた。
家族だけのお茶会で、もう他の三人のきょうだいたちはそこにいた。理由は覚えていないけれど、私は遅れて、そこに参加した。
三人ははしゃいでいた。
城の魔法使いブルクストンに、占いをしてもらったのだという。
ルイサお姉様は得意げに言う。
“第一王女は異国へ嫁ぐ”
カーソンお兄様は照れくさそうに言う。
“第一王子は偉大な王になる”
ポーリーナが嬉しそうに言う。
“第三王女は皆から愛される”
あの頃は、幸せしかなかったのに、なぜ今、私たちの心はこんなにも離れてしまったんだろう。
私もやりたいと言うと、ブルクストンは私の手のひらを見て、不思議そうな顔をした後に言った。
――第二王女は死に戻る。
* * *
燭台に揺らめく炎に照らされた長方形の箱をアイラは優しく撫でた。
不在の主人に代わり、昼間受け取りにいったものだ。
この箱の中には、レイズナーが店頭でうなり、散々迷い、数時間かけて選んだ品が入っている。
仕上げに、彼の妻の瞳と同じ色の宝石を埋め込むように注文したから、できあがりが遅くなった。
アイラは微笑んだ。
「今度はちゃんと欲しいものを聞いて作ったんですもの。奥様も喜んでくださいますわ」
包まれる前に見たから、中身は知っている。見事な装飾が施された銀の短剣だった。
(きっと上手く行くわ、レイズナー)
彼は孤独な人だった。そこにヴィクトリカが光を与えた。彼女は優しくまっすぐで、愛らしい女性だ。使用人は、皆すぐに彼女のことが好きになった。
窓の外では満点の星空と大きな満月が輝いている。引っ越しを決めたのは急なことで、家中大騒ぎだった。もっと近い場所に良い屋敷はあったのに。
それでも自然に囲まれ、夜には美しい星空が見える穏やかなこの屋敷がいいと、レイズナーは譲らなかったのだ。
不器用な男だ。あの幼なじみは。
アイラは星空に、そっと願った。
「旦那様が本心から奥様を愛していることが、どうか早く届きますように――」
* * *
「ヴィクトリカ、お前とヒースの婚約は解消された。今日の花婿は、このレイブンだ」
お兄様が、無感情にそう言った。
レイズナーが去っても、混乱は収まらなかった。男達によって、死体は覆いを被される。
「しかし、本当にレイブンがやったのだろうか」
レイズナーが彼を殺しただなんて信じられない人が、私の他にもいたらしい。
そんな声が上がり、しかしお兄様が否定した。
「過去にもあの男は人を殺している。その時は、証拠がなく咎めることはできなかったが」
ざわつく周囲の中で、耳に、ルイサお姉様の囁く声が聞こえた。
「ヴィクトリカ、行くのよ」
驚いて振り返ると、お姉様は大きなお腹を抱え、叫んだ。
「産まれる! 産まれるわ! 手伝って!」
顔を真っ赤にして、お姉様は床に倒れる。
迫真の演技に、混乱は一際大きくなった。お姉様が小さく私に頷く。
心の中で何度もお礼を言いながら、私は急いで地下の貯蔵庫へと向かった。
ルイサお姉様が騒いでくれているおかげか、地下へと続く階段に見張りは一人もいなかった。
階段をゆっくりと降りていくと、話し声が聞こえてきた。
「レイズナー、今助けるわ。扉から離れていて。鍵を壊すから」
それは女性の声で、私は足を止めた。
「よすんだキンバリー、扉など、本当は俺にとってはないに等しい。こうして捕まってやっているのは、騒ぎをこれ以上大きくしないためだ。遠くへ逃げろ、ここにいたらお前まで捕まりかねない」
「もう貴族社会なんて嫌よ。捕まるというなら、その前に二人で遠いところまで逃げましょう?」
「公爵はどうなるんだ。お前に婚約を申し込むつもりでいるぞ」
「あなたよりも大切な人なんていないわ。レイズナー、愛しているもの」
心臓が、止まりそうになった。レイズナーの会話の相手が、キンバリー・クレイホルムであることは疑いようがない。
「ああ分かっている。俺も、お前を愛しているさ。だが――」
レイズナーの声が聞こえた瞬間、耐えきれず声を漏らしていた。
「そんな……」
私の声で、グレイホルム嬢が勢いよく振り返る。その手には斧が握られていた。
翡翠色の大きな瞳が見開かれる。
「ヴィクトリカ様! 違いますわ! 私と彼は――」
「何が違うって言うの。信じていたわ。なのに、初めから、私を騙していたのね!」
貯蔵庫の扉の向こうから、レイズナーの声がした。
「ヴィクトリカ! 待ってくれ!」
騙されていたんだ。
混乱のまま、私は階段を駆け上り、屋敷を後にし、庭に走り出た。
全て幻想だった。嘘だった。彼が私を愛するはずがない。初めから、彼が愛しているのはキンバリー・グレイホルムだけで、私と結婚したのは、お金と地位と、名誉が欲しかったからだ。裏切りだ。いいえ、裏切りでさえない。ただ、踊らされた私がいただけだ。
このまま走り続けて、世界の果てまで行って消えてしまいたい。こんなに惨めで悲しい気分になったのは、生まれて初めてだった。あろうことか、私は彼に体を許してしまった。何もかも、吐き出してしまいたい。彼が私の体に刻み込んだ何もかもを。
「信じなければよかった。信じなければよかったんだわ……!」
空虚が押し寄せ、絶望している理由を、私は知ってしまっている。自分のちっぽけな心さえ、私は守れなかった。
私は、彼を愛してしまったんだ。
庭の大きな木に手を着いて、肩で呼吸をしながら、私は泣いた。大声で泣くなんて、はしたないこと。だけど自分を抑えられなかった。
誰もいないはずだった。それでも、人の気配を確かに感じた。
振り返ると、黒い影がそこにいた。息が止まりかける。
――嘘、どうしてここに。
遠くに、レイズナーの姿が見えた。彼は私に手を翳す。
悲鳴を上げる暇も無く、影は私の体に入り込む。自分の中で無数の爆発が起こり、体がバラバラに崩れ去っていくのを感じた。
――。
――――。
――――――あれは、いつのことだっただろう。
お父様とお母様が私を呼んでいる。午後の、夏の日差しが木漏れ日を作っていた。
家族だけのお茶会で、もう他の三人のきょうだいたちはそこにいた。理由は覚えていないけれど、私は遅れて、そこに参加した。
三人ははしゃいでいた。
城の魔法使いブルクストンに、占いをしてもらったのだという。
ルイサお姉様は得意げに言う。
“第一王女は異国へ嫁ぐ”
カーソンお兄様は照れくさそうに言う。
“第一王子は偉大な王になる”
ポーリーナが嬉しそうに言う。
“第三王女は皆から愛される”
あの頃は、幸せしかなかったのに、なぜ今、私たちの心はこんなにも離れてしまったんだろう。
私もやりたいと言うと、ブルクストンは私の手のひらを見て、不思議そうな顔をした後に言った。
――第二王女は死に戻る。
* * *
燭台に揺らめく炎に照らされた長方形の箱をアイラは優しく撫でた。
不在の主人に代わり、昼間受け取りにいったものだ。
この箱の中には、レイズナーが店頭でうなり、散々迷い、数時間かけて選んだ品が入っている。
仕上げに、彼の妻の瞳と同じ色の宝石を埋め込むように注文したから、できあがりが遅くなった。
アイラは微笑んだ。
「今度はちゃんと欲しいものを聞いて作ったんですもの。奥様も喜んでくださいますわ」
包まれる前に見たから、中身は知っている。見事な装飾が施された銀の短剣だった。
(きっと上手く行くわ、レイズナー)
彼は孤独な人だった。そこにヴィクトリカが光を与えた。彼女は優しくまっすぐで、愛らしい女性だ。使用人は、皆すぐに彼女のことが好きになった。
窓の外では満点の星空と大きな満月が輝いている。引っ越しを決めたのは急なことで、家中大騒ぎだった。もっと近い場所に良い屋敷はあったのに。
それでも自然に囲まれ、夜には美しい星空が見える穏やかなこの屋敷がいいと、レイズナーは譲らなかったのだ。
不器用な男だ。あの幼なじみは。
アイラは星空に、そっと願った。
「旦那様が本心から奥様を愛していることが、どうか早く届きますように――」
* * *
「ヴィクトリカ、お前とヒースの婚約は解消された。今日の花婿は、このレイブンだ」
お兄様が、無感情にそう言った。
24
お気に入りに追加
429
あなたにおすすめの小説

【完結】どうやら時戻りをしました。
まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。
辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。
時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。
※前半激重です。ご注意下さい
Copyright©︎2023-まるねこ

忘れられたら苦労しない
菅井群青
恋愛
結婚を考えていた彼氏に突然振られ、二年間引きずる女と同じく過去の恋に囚われている男が出会う。
似ている、私たち……
でもそれは全然違った……私なんかより彼の方が心を囚われたままだ。
別れた恋人を忘れられない女と、運命によって引き裂かれ突然亡くなった彼女の思い出の中で生きる男の物語
「……まだいいよ──会えたら……」
「え?」
あなたには忘れらない人が、いますか?──

【完結済】平凡令嬢はぼんやり令息の世話をしたくない
天知 カナイ
恋愛
【完結済 全24話】ヘイデン侯爵の嫡男ロレアントは容姿端麗、頭脳明晰、魔法力に満ちた超優良物件だ。周りの貴族子女はこぞって彼に近づきたがる。だが、ロレアントの傍でいつも世話を焼いているのは、見た目も地味でとりたてて特長もないリオ―チェだ。ロレアントは全てにおいて秀でているが、少し生活能力が薄く、いつもぼんやりとしている。国都にあるタウンハウスが隣だった縁で幼馴染として育ったのだが、ロレアントの母が亡くなる時「ロレンはぼんやりしているから、リオが面倒見てあげてね」と頼んだので、律義にリオ―チェはそれを守り何くれとなくロレアントの世話をしていた。
だが、それが気にくわない人々はたくさんいて様々にリオ―チェに対し嫌がらせをしてくる。だんだんそれに疲れてきたリオーチェは‥。
氷の騎士様は実は太陽の騎士様です。
りつ
恋愛
イリスの婚約者は幼馴染のラファエルである。彼と結婚するまで遠い修道院の寄宿学校で過ごしていたが、十八歳になり、王都へ戻って来た彼女は彼と結婚できる事実に胸をときめかせていた。しかし両親はラファエル以外の男性にも目を向けるよう言い出し、イリスは戸惑ってしまう。
王女殿下や王太子殿下とも知り合い、ラファエルが「氷の騎士」と呼ばれていることを知ったイリス。離れている間の知らなかったラファエルのことを令嬢たちの口から聞かされるが、イリスは次第に違和感を抱き始めて……
※他サイトにも掲載しています
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました

私が、良いと言ってくれるので結婚します
あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。
しかし、その事を良く思わないクリスが・・。
【完結】欲しがり義妹に王位を奪われ偽者花嫁として嫁ぎました。バレたら処刑されるとドキドキしていたらイケメン王に溺愛されてます。
美咲アリス
恋愛
【Amazonベストセラー入りしました(長編版)】「国王陛下!わたくしは偽者の花嫁です!どうぞわたくしを処刑してください!!」「とりあえず、落ち着こうか?(にっこり)」意地悪な義母の策略で義妹の代わりに辺境国へ嫁いだオメガ王女のフウル。正直な性格のせいで嘘をつくことができずに命を捨てる覚悟で夫となる国王に真実を告げる。だが美貌の国王リオ・ナバはなぜかにっこりと微笑んだ。そしてフウルを甘々にもてなしてくれる。「きっとこれは処刑前の罠?」不幸生活が身についたフウルはビクビクしながら城で暮らすが、実は国王にはある考えがあって⋯⋯?
氷の公爵の婚姻試験
黎
恋愛
ある日、若き氷の公爵レオンハルトからある宣言がなされた――「私のことを最もよく知る女性を、妻となるべき者として迎える。その出自、身分その他一切を問わない。」。公爵家の一員となる一世一代のチャンスに王国中が沸き、そして「公爵レオンハルトを最もよく知る女性」の選抜試験が行われた。

侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい
花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。
ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。
あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…?
ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの??
そして婚約破棄はどうなるの???
ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる