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第12話 忍び寄る死の影
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例えば貴族が庶民を殺した時――そういったことは滅多にないけど、殺した時、罪に問われるのは殺された庶民の方だ。
庶民が貴族を殺した時――処刑されるのはどんな理由があろうと庶民だ。
例に照らし合わせるなら、レイブンが殺したのはどこかの貴族というわけだ。
レイズナー・レイブンは人殺し、という噂は聞いたことがあった。でも具体な話、それがどこの誰なのかについては、誰も知らないようだった。彼はその不遜で尊大な態度から敵を作りやすい。噂だって、彼を面白くない思わない連中が流したものだと思っていた。
最近貴族が死んだという話も聞かない。彼が罰せられようとしているのは、もっと昔に犯した罪によってなのかもしれない。
それにしても、気分が悪かった。
屋敷へと戻る馬車の中で、すでに日が暮れつつある町並みを見ながら思考を巡らせる。
お兄様は、レイブンを逃がさないためだけに彼の要求を飲み、私を嫁がせた。そこに家族の愛情など、一欠片だって含まれていない。
昔はそうじゃなかった。私たちは本当に仲の良い兄妹だった。悩みは何でも話したし、秘密なんて一つも無かった。
「憂いても仕方が無いわ」
お兄様は変わり、お姉様は外国へ嫁ぎ、心を許しあっていたポーリーナには、憎しみの目を向けられる。
私は、処刑される男と結婚した。
――レイブンに伝えるべきだろうか。
ふとその思いが首をもたげた。伝えて、彼を遠くに逃がすべき? 王女ともあろう私が、犯罪者に加担すると考えるなんていいのかしら。だけど彼は――。
突然、ガタン、と街の中で馬車は止まった。
「奥サマ! 逃げて!」
御者と一緒に外にいたハンの、片言の焦った声がした時には、馬車は真横に吹っ飛んでいた。
私の体も揺れながら飛び、地面に叩きつけられた。衝撃があったが、幸いにして多すぎる馬車の中のクッションが私の体を守っていた。
「“ここにレイブンはいない!”」
ハンの怒鳴り声が聞こえた。
慌てて外に這いずり出る。
石畳が何枚がはげていた。
人は誰も居ない、静かな道。
御者は、頭から血を流して倒れていた。
ハンは、何者かと向かい合っている。黒い影のように、私には見えた。靄が集合したかのような、曖昧で朧気な黒い影だ。影はハンへとまっすぐに突き進み、その体を突き抜けた。
瞬間ハンは、魂が抜かれたようにその場に崩れ落ちた。
「ハン!」
叫ぶと、影は私を見た。不思議だった。
影に目などないのに、そいつが私を見て、明確な殺意を宿すのがはっきりと分かった。
影が私目がけて猛突進してくる。
御者もハンも動かない。二人とも死んでしまったのだろうか。
私は勘違いしていた。
死の驚異が去ったわけではないのかもしれない。
運命は数日だけ伸びただけで、私は死ぬ。あの影は、死、そのものだ。
「立ち去れ!」
太い、男の声が聞こえ、空中に魔方陣が浮かび上がり、辺りが一瞬だけまばゆく光った。目が眩み、閉じる。再び開いた時には、影はどこにもいなかった。
私に走り寄ってくる靴音が一つあった。荒い息づかいを感じたときには、私の体は抱きしめられていた。
「レイ……ブン……」
赤い髪の毛が、私の目の前にある。恐怖で体が動かない。声さえ喉に張り付いている。
「今のは何だ。怪我はないか?」
どうして彼の体はこんなに熱いんだろう。かけられる言葉が、触れる手が、これほど優しくなければ、私は泣き叫んでいたかもしれない。
「拒否しないでくれ。俺に君を、守らせてほしい」
悪魔のような、こんな男。だけど彼が、悪魔であったことが一度でもあった? いいえ、一度だって無かった。
レイズナー・レイブンに纏わる恐ろしい噂は山ほどある。だけどそれを、私の目で確認したことは一度もない。
彼は時に冷めた目で、時に怒りを孕んだ目で貴族を見つめていた。だけど危害を加えたことは一度もない。
彼はそこまで悪い人間じゃない。いいえそれどころか。
「レイズ……ナー」
初めて彼の名を呼んだ。自分の声が、弱々しく嗚咽を漏らすのを聞いた瞬間、堪えきれず、涙がこぼれた。もう自分の心に嘘は吐けない。彼は優しかった。
「どうして、あなたを拒めるというの」
庶民が貴族を殺した時――処刑されるのはどんな理由があろうと庶民だ。
例に照らし合わせるなら、レイブンが殺したのはどこかの貴族というわけだ。
レイズナー・レイブンは人殺し、という噂は聞いたことがあった。でも具体な話、それがどこの誰なのかについては、誰も知らないようだった。彼はその不遜で尊大な態度から敵を作りやすい。噂だって、彼を面白くない思わない連中が流したものだと思っていた。
最近貴族が死んだという話も聞かない。彼が罰せられようとしているのは、もっと昔に犯した罪によってなのかもしれない。
それにしても、気分が悪かった。
屋敷へと戻る馬車の中で、すでに日が暮れつつある町並みを見ながら思考を巡らせる。
お兄様は、レイブンを逃がさないためだけに彼の要求を飲み、私を嫁がせた。そこに家族の愛情など、一欠片だって含まれていない。
昔はそうじゃなかった。私たちは本当に仲の良い兄妹だった。悩みは何でも話したし、秘密なんて一つも無かった。
「憂いても仕方が無いわ」
お兄様は変わり、お姉様は外国へ嫁ぎ、心を許しあっていたポーリーナには、憎しみの目を向けられる。
私は、処刑される男と結婚した。
――レイブンに伝えるべきだろうか。
ふとその思いが首をもたげた。伝えて、彼を遠くに逃がすべき? 王女ともあろう私が、犯罪者に加担すると考えるなんていいのかしら。だけど彼は――。
突然、ガタン、と街の中で馬車は止まった。
「奥サマ! 逃げて!」
御者と一緒に外にいたハンの、片言の焦った声がした時には、馬車は真横に吹っ飛んでいた。
私の体も揺れながら飛び、地面に叩きつけられた。衝撃があったが、幸いにして多すぎる馬車の中のクッションが私の体を守っていた。
「“ここにレイブンはいない!”」
ハンの怒鳴り声が聞こえた。
慌てて外に這いずり出る。
石畳が何枚がはげていた。
人は誰も居ない、静かな道。
御者は、頭から血を流して倒れていた。
ハンは、何者かと向かい合っている。黒い影のように、私には見えた。靄が集合したかのような、曖昧で朧気な黒い影だ。影はハンへとまっすぐに突き進み、その体を突き抜けた。
瞬間ハンは、魂が抜かれたようにその場に崩れ落ちた。
「ハン!」
叫ぶと、影は私を見た。不思議だった。
影に目などないのに、そいつが私を見て、明確な殺意を宿すのがはっきりと分かった。
影が私目がけて猛突進してくる。
御者もハンも動かない。二人とも死んでしまったのだろうか。
私は勘違いしていた。
死の驚異が去ったわけではないのかもしれない。
運命は数日だけ伸びただけで、私は死ぬ。あの影は、死、そのものだ。
「立ち去れ!」
太い、男の声が聞こえ、空中に魔方陣が浮かび上がり、辺りが一瞬だけまばゆく光った。目が眩み、閉じる。再び開いた時には、影はどこにもいなかった。
私に走り寄ってくる靴音が一つあった。荒い息づかいを感じたときには、私の体は抱きしめられていた。
「レイ……ブン……」
赤い髪の毛が、私の目の前にある。恐怖で体が動かない。声さえ喉に張り付いている。
「今のは何だ。怪我はないか?」
どうして彼の体はこんなに熱いんだろう。かけられる言葉が、触れる手が、これほど優しくなければ、私は泣き叫んでいたかもしれない。
「拒否しないでくれ。俺に君を、守らせてほしい」
悪魔のような、こんな男。だけど彼が、悪魔であったことが一度でもあった? いいえ、一度だって無かった。
レイズナー・レイブンに纏わる恐ろしい噂は山ほどある。だけどそれを、私の目で確認したことは一度もない。
彼は時に冷めた目で、時に怒りを孕んだ目で貴族を見つめていた。だけど危害を加えたことは一度もない。
彼はそこまで悪い人間じゃない。いいえそれどころか。
「レイズ……ナー」
初めて彼の名を呼んだ。自分の声が、弱々しく嗚咽を漏らすのを聞いた瞬間、堪えきれず、涙がこぼれた。もう自分の心に嘘は吐けない。彼は優しかった。
「どうして、あなたを拒めるというの」
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