12 / 48
第12話 忍び寄る死の影
しおりを挟む
例えば貴族が庶民を殺した時――そういったことは滅多にないけど、殺した時、罪に問われるのは殺された庶民の方だ。
庶民が貴族を殺した時――処刑されるのはどんな理由があろうと庶民だ。
例に照らし合わせるなら、レイブンが殺したのはどこかの貴族というわけだ。
レイズナー・レイブンは人殺し、という噂は聞いたことがあった。でも具体な話、それがどこの誰なのかについては、誰も知らないようだった。彼はその不遜で尊大な態度から敵を作りやすい。噂だって、彼を面白くない思わない連中が流したものだと思っていた。
最近貴族が死んだという話も聞かない。彼が罰せられようとしているのは、もっと昔に犯した罪によってなのかもしれない。
それにしても、気分が悪かった。
屋敷へと戻る馬車の中で、すでに日が暮れつつある町並みを見ながら思考を巡らせる。
お兄様は、レイブンを逃がさないためだけに彼の要求を飲み、私を嫁がせた。そこに家族の愛情など、一欠片だって含まれていない。
昔はそうじゃなかった。私たちは本当に仲の良い兄妹だった。悩みは何でも話したし、秘密なんて一つも無かった。
「憂いても仕方が無いわ」
お兄様は変わり、お姉様は外国へ嫁ぎ、心を許しあっていたポーリーナには、憎しみの目を向けられる。
私は、処刑される男と結婚した。
――レイブンに伝えるべきだろうか。
ふとその思いが首をもたげた。伝えて、彼を遠くに逃がすべき? 王女ともあろう私が、犯罪者に加担すると考えるなんていいのかしら。だけど彼は――。
突然、ガタン、と街の中で馬車は止まった。
「奥サマ! 逃げて!」
御者と一緒に外にいたハンの、片言の焦った声がした時には、馬車は真横に吹っ飛んでいた。
私の体も揺れながら飛び、地面に叩きつけられた。衝撃があったが、幸いにして多すぎる馬車の中のクッションが私の体を守っていた。
「“ここにレイブンはいない!”」
ハンの怒鳴り声が聞こえた。
慌てて外に這いずり出る。
石畳が何枚がはげていた。
人は誰も居ない、静かな道。
御者は、頭から血を流して倒れていた。
ハンは、何者かと向かい合っている。黒い影のように、私には見えた。靄が集合したかのような、曖昧で朧気な黒い影だ。影はハンへとまっすぐに突き進み、その体を突き抜けた。
瞬間ハンは、魂が抜かれたようにその場に崩れ落ちた。
「ハン!」
叫ぶと、影は私を見た。不思議だった。
影に目などないのに、そいつが私を見て、明確な殺意を宿すのがはっきりと分かった。
影が私目がけて猛突進してくる。
御者もハンも動かない。二人とも死んでしまったのだろうか。
私は勘違いしていた。
死の驚異が去ったわけではないのかもしれない。
運命は数日だけ伸びただけで、私は死ぬ。あの影は、死、そのものだ。
「立ち去れ!」
太い、男の声が聞こえ、空中に魔方陣が浮かび上がり、辺りが一瞬だけまばゆく光った。目が眩み、閉じる。再び開いた時には、影はどこにもいなかった。
私に走り寄ってくる靴音が一つあった。荒い息づかいを感じたときには、私の体は抱きしめられていた。
「レイ……ブン……」
赤い髪の毛が、私の目の前にある。恐怖で体が動かない。声さえ喉に張り付いている。
「今のは何だ。怪我はないか?」
どうして彼の体はこんなに熱いんだろう。かけられる言葉が、触れる手が、これほど優しくなければ、私は泣き叫んでいたかもしれない。
「拒否しないでくれ。俺に君を、守らせてほしい」
悪魔のような、こんな男。だけど彼が、悪魔であったことが一度でもあった? いいえ、一度だって無かった。
レイズナー・レイブンに纏わる恐ろしい噂は山ほどある。だけどそれを、私の目で確認したことは一度もない。
彼は時に冷めた目で、時に怒りを孕んだ目で貴族を見つめていた。だけど危害を加えたことは一度もない。
彼はそこまで悪い人間じゃない。いいえそれどころか。
「レイズ……ナー」
初めて彼の名を呼んだ。自分の声が、弱々しく嗚咽を漏らすのを聞いた瞬間、堪えきれず、涙がこぼれた。もう自分の心に嘘は吐けない。彼は優しかった。
「どうして、あなたを拒めるというの」
庶民が貴族を殺した時――処刑されるのはどんな理由があろうと庶民だ。
例に照らし合わせるなら、レイブンが殺したのはどこかの貴族というわけだ。
レイズナー・レイブンは人殺し、という噂は聞いたことがあった。でも具体な話、それがどこの誰なのかについては、誰も知らないようだった。彼はその不遜で尊大な態度から敵を作りやすい。噂だって、彼を面白くない思わない連中が流したものだと思っていた。
最近貴族が死んだという話も聞かない。彼が罰せられようとしているのは、もっと昔に犯した罪によってなのかもしれない。
それにしても、気分が悪かった。
屋敷へと戻る馬車の中で、すでに日が暮れつつある町並みを見ながら思考を巡らせる。
お兄様は、レイブンを逃がさないためだけに彼の要求を飲み、私を嫁がせた。そこに家族の愛情など、一欠片だって含まれていない。
昔はそうじゃなかった。私たちは本当に仲の良い兄妹だった。悩みは何でも話したし、秘密なんて一つも無かった。
「憂いても仕方が無いわ」
お兄様は変わり、お姉様は外国へ嫁ぎ、心を許しあっていたポーリーナには、憎しみの目を向けられる。
私は、処刑される男と結婚した。
――レイブンに伝えるべきだろうか。
ふとその思いが首をもたげた。伝えて、彼を遠くに逃がすべき? 王女ともあろう私が、犯罪者に加担すると考えるなんていいのかしら。だけど彼は――。
突然、ガタン、と街の中で馬車は止まった。
「奥サマ! 逃げて!」
御者と一緒に外にいたハンの、片言の焦った声がした時には、馬車は真横に吹っ飛んでいた。
私の体も揺れながら飛び、地面に叩きつけられた。衝撃があったが、幸いにして多すぎる馬車の中のクッションが私の体を守っていた。
「“ここにレイブンはいない!”」
ハンの怒鳴り声が聞こえた。
慌てて外に這いずり出る。
石畳が何枚がはげていた。
人は誰も居ない、静かな道。
御者は、頭から血を流して倒れていた。
ハンは、何者かと向かい合っている。黒い影のように、私には見えた。靄が集合したかのような、曖昧で朧気な黒い影だ。影はハンへとまっすぐに突き進み、その体を突き抜けた。
瞬間ハンは、魂が抜かれたようにその場に崩れ落ちた。
「ハン!」
叫ぶと、影は私を見た。不思議だった。
影に目などないのに、そいつが私を見て、明確な殺意を宿すのがはっきりと分かった。
影が私目がけて猛突進してくる。
御者もハンも動かない。二人とも死んでしまったのだろうか。
私は勘違いしていた。
死の驚異が去ったわけではないのかもしれない。
運命は数日だけ伸びただけで、私は死ぬ。あの影は、死、そのものだ。
「立ち去れ!」
太い、男の声が聞こえ、空中に魔方陣が浮かび上がり、辺りが一瞬だけまばゆく光った。目が眩み、閉じる。再び開いた時には、影はどこにもいなかった。
私に走り寄ってくる靴音が一つあった。荒い息づかいを感じたときには、私の体は抱きしめられていた。
「レイ……ブン……」
赤い髪の毛が、私の目の前にある。恐怖で体が動かない。声さえ喉に張り付いている。
「今のは何だ。怪我はないか?」
どうして彼の体はこんなに熱いんだろう。かけられる言葉が、触れる手が、これほど優しくなければ、私は泣き叫んでいたかもしれない。
「拒否しないでくれ。俺に君を、守らせてほしい」
悪魔のような、こんな男。だけど彼が、悪魔であったことが一度でもあった? いいえ、一度だって無かった。
レイズナー・レイブンに纏わる恐ろしい噂は山ほどある。だけどそれを、私の目で確認したことは一度もない。
彼は時に冷めた目で、時に怒りを孕んだ目で貴族を見つめていた。だけど危害を加えたことは一度もない。
彼はそこまで悪い人間じゃない。いいえそれどころか。
「レイズ……ナー」
初めて彼の名を呼んだ。自分の声が、弱々しく嗚咽を漏らすのを聞いた瞬間、堪えきれず、涙がこぼれた。もう自分の心に嘘は吐けない。彼は優しかった。
「どうして、あなたを拒めるというの」
23
お気に入りに追加
429
あなたにおすすめの小説

【完結】どうやら時戻りをしました。
まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。
辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。
時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。
※前半激重です。ご注意下さい
Copyright©︎2023-まるねこ
氷の騎士様は実は太陽の騎士様です。
りつ
恋愛
イリスの婚約者は幼馴染のラファエルである。彼と結婚するまで遠い修道院の寄宿学校で過ごしていたが、十八歳になり、王都へ戻って来た彼女は彼と結婚できる事実に胸をときめかせていた。しかし両親はラファエル以外の男性にも目を向けるよう言い出し、イリスは戸惑ってしまう。
王女殿下や王太子殿下とも知り合い、ラファエルが「氷の騎士」と呼ばれていることを知ったイリス。離れている間の知らなかったラファエルのことを令嬢たちの口から聞かされるが、イリスは次第に違和感を抱き始めて……
※他サイトにも掲載しています
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました
落ちぶれて捨てられた侯爵令嬢は辺境伯に求愛される~今からは俺の溺愛ターンだから覚悟して~
しましまにゃんこ
恋愛
年若い辺境伯であるアレクシスは、大嫌いな第三王子ダマスから、自分の代わりに婚約破棄したセシルと新たに婚約を結ぶように頼まれる。実はセシルはアレクシスが長年恋焦がれていた令嬢で。アレクシスは突然のことにとまどいつつも、この機会を逃してたまるかとセシルとの婚約を引き受けることに。
とんとん拍子に話はまとまり、二人はロイター辺境で甘く穏やかな日々を過ごす。少しずつ距離は縮まるものの、時折どこか悲し気な表情を見せるセシルの様子が気になるアレクシス。
「セシルは絶対に俺が幸せにしてみせる!」
だがそんなある日、ダマスからセシルに王都に戻るようにと伝令が来て。セシルは一人王都へ旅立ってしまうのだった。
追いかけるアレクシスと頑なな態度を崩さないセシル。二人の恋の行方は?
すれ違いからの溺愛ハッピーエンドストーリーです。
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
麗しすぎるイラストは汐の音様からいただきました!
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
【完結】欲しがり義妹に王位を奪われ偽者花嫁として嫁ぎました。バレたら処刑されるとドキドキしていたらイケメン王に溺愛されてます。
美咲アリス
恋愛
【Amazonベストセラー入りしました(長編版)】「国王陛下!わたくしは偽者の花嫁です!どうぞわたくしを処刑してください!!」「とりあえず、落ち着こうか?(にっこり)」意地悪な義母の策略で義妹の代わりに辺境国へ嫁いだオメガ王女のフウル。正直な性格のせいで嘘をつくことができずに命を捨てる覚悟で夫となる国王に真実を告げる。だが美貌の国王リオ・ナバはなぜかにっこりと微笑んだ。そしてフウルを甘々にもてなしてくれる。「きっとこれは処刑前の罠?」不幸生活が身についたフウルはビクビクしながら城で暮らすが、実は国王にはある考えがあって⋯⋯?

【完結】姫将軍の政略結婚
ユリーカ
恋愛
姫将軍ことハイランド王国第四王女エレノアの嫁ぎ先が決まった。そこは和平が成立したアドラール帝国、相手は黒太子フリードリヒ。
姫将軍として帝国と戦ったエレノアが和平の条件で嫁ぐ政略結婚であった。
人質同然で嫁いだつもりのエレノアだったが、帝国側にはある事情があって‥‥。
自国で不遇だった姫将軍が帝国で幸せになるお話です。
不遇な姫が優しい王子に溺愛されるシンデレラストーリーのはずが、なぜか姫が武装し皇太子がオレ様になりました。ごめんなさい。
スピンオフ「盲目な魔法使いのお気に入り」も宜しくお願いします。
※ 全話完結済み。7時20時更新します。
※ ファンタジー要素多め。魔法なし物理のみです。
※ 第四章で魔物との戦闘があります。
※ 短編と長編の違いがよくわかっておりません!すみません!十万字以上が長編と解釈してます。文字数で判断ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる