第二王女は死に戻る

さくたろう

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第10話 劇場でのキス

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 “学校の勉強を続けたい”

 だけどそんな望みを伝えても、一笑されて終わるだけだろう。舞台上の役者が持つ小道具を見ながら、私は答える。

「短剣」

「短剣?」

「暗い死から、私を守ってくれる剣よ」

 レイブンが不可解そうに眉を寄せる。

「死を恐れているのか」

「ええ」

 何度も死んだのだから。

「だけど、屋敷に来てからは、全然。不思議ね、いつだって人が近くにいるせいかしら? アイラやハン、テオや――あなたも」
 
 死の時は、いいえ、もっと言えば城にいるときから、私は一人で過ごしていた。大勢の中で暮らすというのは不思議だったけど、決して嫌ではなかった。
 舞台から目を離しレイブンに向けると、伏せられた睫の合間から、緑色の瞳が私を見ているのが分かった。ふと、私は知りたくなった。

「レイブン、あなたこそ何が欲しいの? 持参金はもう手元に渡ったんでしょう。身分も手に入った。他にはなにが欲しいの?」

「俺が欲しいのは、初めから君だけだ」

 返事をする間もなく手を引かれ、キスをされる。驚きつつも、わたしは抵抗しなかった。
 押し返そうとすればできるし、彼はそれに応じるだろう。
 だが離れがたい何かを感じて、拒むことができなかった。
 封じ込めていた心の一部が、嫌になるほど彼を望んでいる。ヒースには感じなかった男性的な逞しさを、隠そうともせずレイブンはぶつけてくる。

 彼の両手は大きいが、決して私を壊すまいとするかのように、優しく頬を包んでいる。
 一心に、彼は私を求めていた。
 まるで彼が生きるためには、私という存在が、必要不可欠だとでも言うように。

 舞台上で役者が台詞を話しているが、もう、劇どころではなかった。
 息をするのも忘れるほどの、深く長いキスだった。頭の中で火花がはじけ飛ぶ。なんて奇妙なんだろう。
 初めての感覚に頭がおかしくなりそうだ。

 ヴィクトリカ、悲鳴を上げて抵抗するのよ! 理性はそう叫んでいた。だけど私はそうしない。 
 鳥肌が立つ。震えるほど怖いのに、この行為の先にあるであろうものを、知りたくてたまらない。

 彼のことが嫌いなはずだった。
 だけど今は――? 今は何も考えず、この危険な幸福に身を任せていたかった。

 だけどキスは唐突に終わった。残念だと思っている自分にまた驚く。
 
 彼は劇場の一部に目を向けている。額には、脂汗が滲んでいた。

「どうしたの? 冷や汗がすごいわ。体調が悪いなら、医者へ」
 
 レイブンは首を横に振る。

「医者は必要ない。大丈夫だ、気にしないでくれ。少し外すが、ここで待っているんだ」

 そう言い残すとさっと、彼は立ち上がり本当に出て行ってしまった。ストーリーが追えなくなってしまった劇に、ぼんやりと目を向ける。
 レイブンがどこに行ったのかは、すぐに知れた。

 ちょうど向かい側の二階席に、二人の男と一人の女がいる。そこにレイブンが割って入った。

 若い公爵が、男と言い合いになっていたようだ。
 同伴する女性の顔に見覚えがあった。確かキンバリー・グレイホルムだ。少し前、パーティで顔を合わせたことがあり、挨拶を交わしたから知っていた。地方の貴族の娘だったはずだ。

 レイブンは公爵ではない方の男と言い合いになっている。この場に似つかわしくないように思えた。まるで街のゴロツキが、偶然紛れ込んでしまったかのような服装をしている。
 二人は言い合い、レイブンは男をカーテンの外に引っ張り出した。一瞬、カーテンの億がまばゆく光る。グレイホルム嬢が不安そうに立ち上がると、公爵が宥めるように肩を抱いた。

「“レイブンを見てきてくださらないかしら?”」

 席の外にいるハンに、彼の国の言葉で話しかける。しかし彼は首を横に振った。
 
「“いかなるときも奥様の側でお守りするようにというのが、旦那様がお与えになった私の役目ですから”」

「“だったら私を行かせてちょうだい”」

「“ここに留めておくようにとのご命令です”」
 
 いつか思ったことを否定する。レイブンの使用人は、主人の言いつけを守るように、本当に教育が行き届いている。

 やがてレイブンが一人、向かいの席のカーテンの奥から現れる。三人はわずかの間会話を交わし、レイブンだけが再びカーテンを揺らし去って行った。

 一体、何が起こったって言うの。
 疑問を抱えていると、今度はこちらの席にレイブンが戻ってきた。

「一部始終見てたわよ。何をしていたの」

「柄の悪い男が目に入ったから、追い払いに行っただけさ」

 直感的に嘘だと思った。ただそれだけなら、そこにいるハンにやらせればいいし、第一レイブンの様子は今も奇妙だ。顔面は蒼白だし、血走った目は、未だグレイホルム嬢を見つめている。例の、猛禽類を思わせるような、鋭い視線で。

 重ねて問いただそうとした時、目の前に、一通の手紙が差し出された。

「パーティの招待状だ。行くかい?」

 それはポーリーナとヒースの婚約披露パーティへと誘う招待状だった。
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