10 / 48
第10話 劇場でのキス
しおりを挟む
“学校の勉強を続けたい”
だけどそんな望みを伝えても、一笑されて終わるだけだろう。舞台上の役者が持つ小道具を見ながら、私は答える。
「短剣」
「短剣?」
「暗い死から、私を守ってくれる剣よ」
レイブンが不可解そうに眉を寄せる。
「死を恐れているのか」
「ええ」
何度も死んだのだから。
「だけど、屋敷に来てからは、全然。不思議ね、いつだって人が近くにいるせいかしら? アイラやハン、テオや――あなたも」
死の時は、いいえ、もっと言えば城にいるときから、私は一人で過ごしていた。大勢の中で暮らすというのは不思議だったけど、決して嫌ではなかった。
舞台から目を離しレイブンに向けると、伏せられた睫の合間から、緑色の瞳が私を見ているのが分かった。ふと、私は知りたくなった。
「レイブン、あなたこそ何が欲しいの? 持参金はもう手元に渡ったんでしょう。身分も手に入った。他にはなにが欲しいの?」
「俺が欲しいのは、初めから君だけだ」
返事をする間もなく手を引かれ、キスをされる。驚きつつも、わたしは抵抗しなかった。
押し返そうとすればできるし、彼はそれに応じるだろう。
だが離れがたい何かを感じて、拒むことができなかった。
封じ込めていた心の一部が、嫌になるほど彼を望んでいる。ヒースには感じなかった男性的な逞しさを、隠そうともせずレイブンはぶつけてくる。
彼の両手は大きいが、決して私を壊すまいとするかのように、優しく頬を包んでいる。
一心に、彼は私を求めていた。
まるで彼が生きるためには、私という存在が、必要不可欠だとでも言うように。
舞台上で役者が台詞を話しているが、もう、劇どころではなかった。
息をするのも忘れるほどの、深く長いキスだった。頭の中で火花がはじけ飛ぶ。なんて奇妙なんだろう。
初めての感覚に頭がおかしくなりそうだ。
ヴィクトリカ、悲鳴を上げて抵抗するのよ! 理性はそう叫んでいた。だけど私はそうしない。
鳥肌が立つ。震えるほど怖いのに、この行為の先にあるであろうものを、知りたくてたまらない。
彼のことが嫌いなはずだった。
だけど今は――? 今は何も考えず、この危険な幸福に身を任せていたかった。
だけどキスは唐突に終わった。残念だと思っている自分にまた驚く。
彼は劇場の一部に目を向けている。額には、脂汗が滲んでいた。
「どうしたの? 冷や汗がすごいわ。体調が悪いなら、医者へ」
レイブンは首を横に振る。
「医者は必要ない。大丈夫だ、気にしないでくれ。少し外すが、ここで待っているんだ」
そう言い残すとさっと、彼は立ち上がり本当に出て行ってしまった。ストーリーが追えなくなってしまった劇に、ぼんやりと目を向ける。
レイブンがどこに行ったのかは、すぐに知れた。
ちょうど向かい側の二階席に、二人の男と一人の女がいる。そこにレイブンが割って入った。
若い公爵が、男と言い合いになっていたようだ。
同伴する女性の顔に見覚えがあった。確かキンバリー・グレイホルムだ。少し前、パーティで顔を合わせたことがあり、挨拶を交わしたから知っていた。地方の貴族の娘だったはずだ。
レイブンは公爵ではない方の男と言い合いになっている。この場に似つかわしくないように思えた。まるで街のゴロツキが、偶然紛れ込んでしまったかのような服装をしている。
二人は言い合い、レイブンは男をカーテンの外に引っ張り出した。一瞬、カーテンの億がまばゆく光る。グレイホルム嬢が不安そうに立ち上がると、公爵が宥めるように肩を抱いた。
「“レイブンを見てきてくださらないかしら?”」
席の外にいるハンに、彼の国の言葉で話しかける。しかし彼は首を横に振った。
「“いかなるときも奥様の側でお守りするようにというのが、旦那様がお与えになった私の役目ですから”」
「“だったら私を行かせてちょうだい”」
「“ここに留めておくようにとのご命令です”」
いつか思ったことを否定する。レイブンの使用人は、主人の言いつけを守るように、本当に教育が行き届いている。
やがてレイブンが一人、向かいの席のカーテンの奥から現れる。三人はわずかの間会話を交わし、レイブンだけが再びカーテンを揺らし去って行った。
一体、何が起こったって言うの。
疑問を抱えていると、今度はこちらの席にレイブンが戻ってきた。
「一部始終見てたわよ。何をしていたの」
「柄の悪い男が目に入ったから、追い払いに行っただけさ」
直感的に嘘だと思った。ただそれだけなら、そこにいるハンにやらせればいいし、第一レイブンの様子は今も奇妙だ。顔面は蒼白だし、血走った目は、未だグレイホルム嬢を見つめている。例の、猛禽類を思わせるような、鋭い視線で。
重ねて問いただそうとした時、目の前に、一通の手紙が差し出された。
「パーティの招待状だ。行くかい?」
それはポーリーナとヒースの婚約披露パーティへと誘う招待状だった。
だけどそんな望みを伝えても、一笑されて終わるだけだろう。舞台上の役者が持つ小道具を見ながら、私は答える。
「短剣」
「短剣?」
「暗い死から、私を守ってくれる剣よ」
レイブンが不可解そうに眉を寄せる。
「死を恐れているのか」
「ええ」
何度も死んだのだから。
「だけど、屋敷に来てからは、全然。不思議ね、いつだって人が近くにいるせいかしら? アイラやハン、テオや――あなたも」
死の時は、いいえ、もっと言えば城にいるときから、私は一人で過ごしていた。大勢の中で暮らすというのは不思議だったけど、決して嫌ではなかった。
舞台から目を離しレイブンに向けると、伏せられた睫の合間から、緑色の瞳が私を見ているのが分かった。ふと、私は知りたくなった。
「レイブン、あなたこそ何が欲しいの? 持参金はもう手元に渡ったんでしょう。身分も手に入った。他にはなにが欲しいの?」
「俺が欲しいのは、初めから君だけだ」
返事をする間もなく手を引かれ、キスをされる。驚きつつも、わたしは抵抗しなかった。
押し返そうとすればできるし、彼はそれに応じるだろう。
だが離れがたい何かを感じて、拒むことができなかった。
封じ込めていた心の一部が、嫌になるほど彼を望んでいる。ヒースには感じなかった男性的な逞しさを、隠そうともせずレイブンはぶつけてくる。
彼の両手は大きいが、決して私を壊すまいとするかのように、優しく頬を包んでいる。
一心に、彼は私を求めていた。
まるで彼が生きるためには、私という存在が、必要不可欠だとでも言うように。
舞台上で役者が台詞を話しているが、もう、劇どころではなかった。
息をするのも忘れるほどの、深く長いキスだった。頭の中で火花がはじけ飛ぶ。なんて奇妙なんだろう。
初めての感覚に頭がおかしくなりそうだ。
ヴィクトリカ、悲鳴を上げて抵抗するのよ! 理性はそう叫んでいた。だけど私はそうしない。
鳥肌が立つ。震えるほど怖いのに、この行為の先にあるであろうものを、知りたくてたまらない。
彼のことが嫌いなはずだった。
だけど今は――? 今は何も考えず、この危険な幸福に身を任せていたかった。
だけどキスは唐突に終わった。残念だと思っている自分にまた驚く。
彼は劇場の一部に目を向けている。額には、脂汗が滲んでいた。
「どうしたの? 冷や汗がすごいわ。体調が悪いなら、医者へ」
レイブンは首を横に振る。
「医者は必要ない。大丈夫だ、気にしないでくれ。少し外すが、ここで待っているんだ」
そう言い残すとさっと、彼は立ち上がり本当に出て行ってしまった。ストーリーが追えなくなってしまった劇に、ぼんやりと目を向ける。
レイブンがどこに行ったのかは、すぐに知れた。
ちょうど向かい側の二階席に、二人の男と一人の女がいる。そこにレイブンが割って入った。
若い公爵が、男と言い合いになっていたようだ。
同伴する女性の顔に見覚えがあった。確かキンバリー・グレイホルムだ。少し前、パーティで顔を合わせたことがあり、挨拶を交わしたから知っていた。地方の貴族の娘だったはずだ。
レイブンは公爵ではない方の男と言い合いになっている。この場に似つかわしくないように思えた。まるで街のゴロツキが、偶然紛れ込んでしまったかのような服装をしている。
二人は言い合い、レイブンは男をカーテンの外に引っ張り出した。一瞬、カーテンの億がまばゆく光る。グレイホルム嬢が不安そうに立ち上がると、公爵が宥めるように肩を抱いた。
「“レイブンを見てきてくださらないかしら?”」
席の外にいるハンに、彼の国の言葉で話しかける。しかし彼は首を横に振った。
「“いかなるときも奥様の側でお守りするようにというのが、旦那様がお与えになった私の役目ですから”」
「“だったら私を行かせてちょうだい”」
「“ここに留めておくようにとのご命令です”」
いつか思ったことを否定する。レイブンの使用人は、主人の言いつけを守るように、本当に教育が行き届いている。
やがてレイブンが一人、向かいの席のカーテンの奥から現れる。三人はわずかの間会話を交わし、レイブンだけが再びカーテンを揺らし去って行った。
一体、何が起こったって言うの。
疑問を抱えていると、今度はこちらの席にレイブンが戻ってきた。
「一部始終見てたわよ。何をしていたの」
「柄の悪い男が目に入ったから、追い払いに行っただけさ」
直感的に嘘だと思った。ただそれだけなら、そこにいるハンにやらせればいいし、第一レイブンの様子は今も奇妙だ。顔面は蒼白だし、血走った目は、未だグレイホルム嬢を見つめている。例の、猛禽類を思わせるような、鋭い視線で。
重ねて問いただそうとした時、目の前に、一通の手紙が差し出された。
「パーティの招待状だ。行くかい?」
それはポーリーナとヒースの婚約披露パーティへと誘う招待状だった。
21
お気に入りに追加
429
あなたにおすすめの小説

【完結】どうやら時戻りをしました。
まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。
辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。
時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。
※前半激重です。ご注意下さい
Copyright©︎2023-まるねこ

忘れられたら苦労しない
菅井群青
恋愛
結婚を考えていた彼氏に突然振られ、二年間引きずる女と同じく過去の恋に囚われている男が出会う。
似ている、私たち……
でもそれは全然違った……私なんかより彼の方が心を囚われたままだ。
別れた恋人を忘れられない女と、運命によって引き裂かれ突然亡くなった彼女の思い出の中で生きる男の物語
「……まだいいよ──会えたら……」
「え?」
あなたには忘れらない人が、いますか?──

【完結済】平凡令嬢はぼんやり令息の世話をしたくない
天知 カナイ
恋愛
【完結済 全24話】ヘイデン侯爵の嫡男ロレアントは容姿端麗、頭脳明晰、魔法力に満ちた超優良物件だ。周りの貴族子女はこぞって彼に近づきたがる。だが、ロレアントの傍でいつも世話を焼いているのは、見た目も地味でとりたてて特長もないリオ―チェだ。ロレアントは全てにおいて秀でているが、少し生活能力が薄く、いつもぼんやりとしている。国都にあるタウンハウスが隣だった縁で幼馴染として育ったのだが、ロレアントの母が亡くなる時「ロレンはぼんやりしているから、リオが面倒見てあげてね」と頼んだので、律義にリオ―チェはそれを守り何くれとなくロレアントの世話をしていた。
だが、それが気にくわない人々はたくさんいて様々にリオ―チェに対し嫌がらせをしてくる。だんだんそれに疲れてきたリオーチェは‥。
氷の騎士様は実は太陽の騎士様です。
りつ
恋愛
イリスの婚約者は幼馴染のラファエルである。彼と結婚するまで遠い修道院の寄宿学校で過ごしていたが、十八歳になり、王都へ戻って来た彼女は彼と結婚できる事実に胸をときめかせていた。しかし両親はラファエル以外の男性にも目を向けるよう言い出し、イリスは戸惑ってしまう。
王女殿下や王太子殿下とも知り合い、ラファエルが「氷の騎士」と呼ばれていることを知ったイリス。離れている間の知らなかったラファエルのことを令嬢たちの口から聞かされるが、イリスは次第に違和感を抱き始めて……
※他サイトにも掲載しています
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました

私が、良いと言ってくれるので結婚します
あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。
しかし、その事を良く思わないクリスが・・。
【完結】欲しがり義妹に王位を奪われ偽者花嫁として嫁ぎました。バレたら処刑されるとドキドキしていたらイケメン王に溺愛されてます。
美咲アリス
恋愛
【Amazonベストセラー入りしました(長編版)】「国王陛下!わたくしは偽者の花嫁です!どうぞわたくしを処刑してください!!」「とりあえず、落ち着こうか?(にっこり)」意地悪な義母の策略で義妹の代わりに辺境国へ嫁いだオメガ王女のフウル。正直な性格のせいで嘘をつくことができずに命を捨てる覚悟で夫となる国王に真実を告げる。だが美貌の国王リオ・ナバはなぜかにっこりと微笑んだ。そしてフウルを甘々にもてなしてくれる。「きっとこれは処刑前の罠?」不幸生活が身についたフウルはビクビクしながら城で暮らすが、実は国王にはある考えがあって⋯⋯?
氷の公爵の婚姻試験
黎
恋愛
ある日、若き氷の公爵レオンハルトからある宣言がなされた――「私のことを最もよく知る女性を、妻となるべき者として迎える。その出自、身分その他一切を問わない。」。公爵家の一員となる一世一代のチャンスに王国中が沸き、そして「公爵レオンハルトを最もよく知る女性」の選抜試験が行われた。

侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい
花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。
ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。
あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…?
ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの??
そして婚約破棄はどうなるの???
ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる