9 / 48
第9話 初めてのデート
しおりを挟む
彼と並んで馬車に揺られるのは二度目だったけど、以前よりも居心地を悪く感じないのは、少しは彼を知ったせいかもしれない。
「結婚式以来だな」
心を読まれたかと思いきや、レイブンが思っていたのは別のことだったようだ。
「二人揃って人前に姿を現すのがだよ」
そうか、と改めて実感した。結婚式から攫われるように屋敷に行って、たった三日しか経っていないけれど、あまりにもたくさんのことがありすぎて、もっと長い時間、レイブンと一緒にいたように感じる。
「式にいた貴族達もいるだろう。だが今日は、純粋に劇を楽しもう」
私も劇をゆっくり見るのは久しぶりで、白状するととても楽しみだった。
大抵の場合、劇場は劇を見るためのものではなく社交の場で、集中して見たくても、どこぞのなんとかという爵位ある男の自慢話を聞かなくてはならなかったのだ。
しかも今日の演目は恋愛物ではなく、貧乏な騎士が腕っ節一つでのし上がっていく喜劇だった。楽しみだということ悟られないように取り澄ました顔をして私はレイブンに話しかける。
「あなたが観劇が趣味だなんて知らなかったわ」
「俺が? まさか」
目を見開くレイブンは本気で困惑していそうだ。
「じゃあどうして劇なんて誘ったの」
「君が好きだろうと思ったから」
それ以外の理由はないというような口調だ。私を喜ばせるためだけに彼は大人気の劇の席を用意したのだ。
戸惑いは隠せない。アイラが言っていた、本当の彼というものは、今目の前に居る彼のことだろうか。
「着いたようだ。さあ行こうか?」
馬車が止まり、レイブンが先に降り、差し出された手を、素直に取った。
だが降り立った瞬間、声をかけられ心臓が止まりそうになった。
「あらお姉様」
劇場の入り口に連れ立って現れたのは、ひと組の男女で――ポーリーナと、私の元婚約者、ヒース・グリフィスだった。
「ヴィクトリカ……」
私の目は、ヒースに釘付けになる。会ったのはいつぶりになるんだろう。結婚式の前であることは確実だけど、何度もその日を生きたから、随分と久しぶりに感じる。
ポーリーナは、ヒースの腕を掴み、体を密着させ、じろりと私たちを見る。
「本当に、レイブンと結婚したんだな」
ヒースの目が湿っぽくなっていく。私も動揺が上手く隠せたかは分からない。
彼と婚約したのは十四歳の時だ。まだ私は子供だと、キスさえしなかった婚約者。だけどあの栗色の髪の毛に顔を埋めて、好きだと囁き合ったことはある。
「ヒース、私は――」
心臓は嫌というほど鳴り、鼓動がレイブンに知られてしまうのではないかと疑うほどだった。なぜか罪悪感が生じ、彼に聞こえませんように、とどういうわけか私は祈る。
レイブンがその大きな体に隠すように私を背後に回す。
「これはポーリーナ様、お会いできて光栄です。グリフィスも、揃って観劇かい?」
「学がなくても分かる喜劇で良かったわね」
ポーリーナのどぎつい嫌味にも、レイブンは顔色一つ崩さす微笑んでいる。
「お姉様、幸せそうで良かったわ」
止めるレイブンを横に押しやって、私は妹の前に進み出る。
「ええポーリーナ。幸せだわ。今まで考えなかったことを、いろいろ考えることができるもの」
ポーリーナがつまらなそうに鼻を鳴らした。
二人が去った後で、レイブンが振り返る。
「君は幸せなのか?」
「公衆の面前で、不幸だなんて言えるわけないでしょう」
私は自分へと言い訳をした。
レイブンが取った席は、半円状にせり出た二階席だった。お付きのハンはレイブンによってカーテンの外に追い払われたから、二人だけになる。
「……ポーリーナが、ごめんなさい」
二人きりになった瞬間謝ると、彼は目だけこちらに向けた。
「慣れているさ。あんなのはまだ、かわいい方だ」
平然と彼は言うが、私はいたたまれなくなった。
「でも、あなたを馬鹿にして傷つけたわ」
「だったら頼みがある」
「なに?」
「手を握ってくれないか」
手を握る? って?
手を、握ればいいのかしら?
ぎこちなく重ねると、即座彼の指が絡んできた。私の脈拍が上がっていることに、彼が気がつかなければそれでいい。
舞台の幕が上がり、拍手が重なる。
レイブンが囁いた。
「さっきはありがとう」
驚き聞き返す。
「何のお礼なのかしら」
「たとえ嘘でも幸せだと言ったことだ。この国中の誰もが、俺が君を無理矢理妻にしたことを知っている。だがさっき、俺は恥をかかずにすんだ」
「不幸だと泣きついた方が良かったかしら」
そんな風にポーリーナに泣きつくつもりはなかったし、さっきはレイブンを守りたかったのではなく、自分の誇りを保つためだった。嫌味混じりに答えると、握られる手に力が込められた。
「君は、本当は何が欲しいんだ?」
掠れる声で問いかけられる。
「結婚式以来だな」
心を読まれたかと思いきや、レイブンが思っていたのは別のことだったようだ。
「二人揃って人前に姿を現すのがだよ」
そうか、と改めて実感した。結婚式から攫われるように屋敷に行って、たった三日しか経っていないけれど、あまりにもたくさんのことがありすぎて、もっと長い時間、レイブンと一緒にいたように感じる。
「式にいた貴族達もいるだろう。だが今日は、純粋に劇を楽しもう」
私も劇をゆっくり見るのは久しぶりで、白状するととても楽しみだった。
大抵の場合、劇場は劇を見るためのものではなく社交の場で、集中して見たくても、どこぞのなんとかという爵位ある男の自慢話を聞かなくてはならなかったのだ。
しかも今日の演目は恋愛物ではなく、貧乏な騎士が腕っ節一つでのし上がっていく喜劇だった。楽しみだということ悟られないように取り澄ました顔をして私はレイブンに話しかける。
「あなたが観劇が趣味だなんて知らなかったわ」
「俺が? まさか」
目を見開くレイブンは本気で困惑していそうだ。
「じゃあどうして劇なんて誘ったの」
「君が好きだろうと思ったから」
それ以外の理由はないというような口調だ。私を喜ばせるためだけに彼は大人気の劇の席を用意したのだ。
戸惑いは隠せない。アイラが言っていた、本当の彼というものは、今目の前に居る彼のことだろうか。
「着いたようだ。さあ行こうか?」
馬車が止まり、レイブンが先に降り、差し出された手を、素直に取った。
だが降り立った瞬間、声をかけられ心臓が止まりそうになった。
「あらお姉様」
劇場の入り口に連れ立って現れたのは、ひと組の男女で――ポーリーナと、私の元婚約者、ヒース・グリフィスだった。
「ヴィクトリカ……」
私の目は、ヒースに釘付けになる。会ったのはいつぶりになるんだろう。結婚式の前であることは確実だけど、何度もその日を生きたから、随分と久しぶりに感じる。
ポーリーナは、ヒースの腕を掴み、体を密着させ、じろりと私たちを見る。
「本当に、レイブンと結婚したんだな」
ヒースの目が湿っぽくなっていく。私も動揺が上手く隠せたかは分からない。
彼と婚約したのは十四歳の時だ。まだ私は子供だと、キスさえしなかった婚約者。だけどあの栗色の髪の毛に顔を埋めて、好きだと囁き合ったことはある。
「ヒース、私は――」
心臓は嫌というほど鳴り、鼓動がレイブンに知られてしまうのではないかと疑うほどだった。なぜか罪悪感が生じ、彼に聞こえませんように、とどういうわけか私は祈る。
レイブンがその大きな体に隠すように私を背後に回す。
「これはポーリーナ様、お会いできて光栄です。グリフィスも、揃って観劇かい?」
「学がなくても分かる喜劇で良かったわね」
ポーリーナのどぎつい嫌味にも、レイブンは顔色一つ崩さす微笑んでいる。
「お姉様、幸せそうで良かったわ」
止めるレイブンを横に押しやって、私は妹の前に進み出る。
「ええポーリーナ。幸せだわ。今まで考えなかったことを、いろいろ考えることができるもの」
ポーリーナがつまらなそうに鼻を鳴らした。
二人が去った後で、レイブンが振り返る。
「君は幸せなのか?」
「公衆の面前で、不幸だなんて言えるわけないでしょう」
私は自分へと言い訳をした。
レイブンが取った席は、半円状にせり出た二階席だった。お付きのハンはレイブンによってカーテンの外に追い払われたから、二人だけになる。
「……ポーリーナが、ごめんなさい」
二人きりになった瞬間謝ると、彼は目だけこちらに向けた。
「慣れているさ。あんなのはまだ、かわいい方だ」
平然と彼は言うが、私はいたたまれなくなった。
「でも、あなたを馬鹿にして傷つけたわ」
「だったら頼みがある」
「なに?」
「手を握ってくれないか」
手を握る? って?
手を、握ればいいのかしら?
ぎこちなく重ねると、即座彼の指が絡んできた。私の脈拍が上がっていることに、彼が気がつかなければそれでいい。
舞台の幕が上がり、拍手が重なる。
レイブンが囁いた。
「さっきはありがとう」
驚き聞き返す。
「何のお礼なのかしら」
「たとえ嘘でも幸せだと言ったことだ。この国中の誰もが、俺が君を無理矢理妻にしたことを知っている。だがさっき、俺は恥をかかずにすんだ」
「不幸だと泣きついた方が良かったかしら」
そんな風にポーリーナに泣きつくつもりはなかったし、さっきはレイブンを守りたかったのではなく、自分の誇りを保つためだった。嫌味混じりに答えると、握られる手に力が込められた。
「君は、本当は何が欲しいんだ?」
掠れる声で問いかけられる。
20
お気に入りに追加
429
あなたにおすすめの小説

【完結】どうやら時戻りをしました。
まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。
辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。
時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。
※前半激重です。ご注意下さい
Copyright©︎2023-まるねこ

忘れられたら苦労しない
菅井群青
恋愛
結婚を考えていた彼氏に突然振られ、二年間引きずる女と同じく過去の恋に囚われている男が出会う。
似ている、私たち……
でもそれは全然違った……私なんかより彼の方が心を囚われたままだ。
別れた恋人を忘れられない女と、運命によって引き裂かれ突然亡くなった彼女の思い出の中で生きる男の物語
「……まだいいよ──会えたら……」
「え?」
あなたには忘れらない人が、いますか?──

【完結済】平凡令嬢はぼんやり令息の世話をしたくない
天知 カナイ
恋愛
【完結済 全24話】ヘイデン侯爵の嫡男ロレアントは容姿端麗、頭脳明晰、魔法力に満ちた超優良物件だ。周りの貴族子女はこぞって彼に近づきたがる。だが、ロレアントの傍でいつも世話を焼いているのは、見た目も地味でとりたてて特長もないリオ―チェだ。ロレアントは全てにおいて秀でているが、少し生活能力が薄く、いつもぼんやりとしている。国都にあるタウンハウスが隣だった縁で幼馴染として育ったのだが、ロレアントの母が亡くなる時「ロレンはぼんやりしているから、リオが面倒見てあげてね」と頼んだので、律義にリオ―チェはそれを守り何くれとなくロレアントの世話をしていた。
だが、それが気にくわない人々はたくさんいて様々にリオ―チェに対し嫌がらせをしてくる。だんだんそれに疲れてきたリオーチェは‥。
氷の騎士様は実は太陽の騎士様です。
りつ
恋愛
イリスの婚約者は幼馴染のラファエルである。彼と結婚するまで遠い修道院の寄宿学校で過ごしていたが、十八歳になり、王都へ戻って来た彼女は彼と結婚できる事実に胸をときめかせていた。しかし両親はラファエル以外の男性にも目を向けるよう言い出し、イリスは戸惑ってしまう。
王女殿下や王太子殿下とも知り合い、ラファエルが「氷の騎士」と呼ばれていることを知ったイリス。離れている間の知らなかったラファエルのことを令嬢たちの口から聞かされるが、イリスは次第に違和感を抱き始めて……
※他サイトにも掲載しています
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました

私が、良いと言ってくれるので結婚します
あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。
しかし、その事を良く思わないクリスが・・。
【完結】欲しがり義妹に王位を奪われ偽者花嫁として嫁ぎました。バレたら処刑されるとドキドキしていたらイケメン王に溺愛されてます。
美咲アリス
恋愛
【Amazonベストセラー入りしました(長編版)】「国王陛下!わたくしは偽者の花嫁です!どうぞわたくしを処刑してください!!」「とりあえず、落ち着こうか?(にっこり)」意地悪な義母の策略で義妹の代わりに辺境国へ嫁いだオメガ王女のフウル。正直な性格のせいで嘘をつくことができずに命を捨てる覚悟で夫となる国王に真実を告げる。だが美貌の国王リオ・ナバはなぜかにっこりと微笑んだ。そしてフウルを甘々にもてなしてくれる。「きっとこれは処刑前の罠?」不幸生活が身についたフウルはビクビクしながら城で暮らすが、実は国王にはある考えがあって⋯⋯?
氷の公爵の婚姻試験
黎
恋愛
ある日、若き氷の公爵レオンハルトからある宣言がなされた――「私のことを最もよく知る女性を、妻となるべき者として迎える。その出自、身分その他一切を問わない。」。公爵家の一員となる一世一代のチャンスに王国中が沸き、そして「公爵レオンハルトを最もよく知る女性」の選抜試験が行われた。

侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい
花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。
ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。
あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…?
ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの??
そして婚約破棄はどうなるの???
ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる