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第3話 嫌いな男との結婚式
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――十八年前のこと。
我が王国は前例のない大災害に悩まされていた。空が暗くなり、大雨が続き、数週間もの間、太陽が出なくなった。洪水があちこちで起き、瞬く間に不作となった。
敵国の魔法使いが仕掛けてきたのではと言われ、犯人捜しが行われたほどだ。だけど誰も解決はできなかった。
でもそれは突然終わった。
私が奇跡の王女と呼ばれるに至ったのは、生まれた日にそれまで国中を悩ませていた災害がピタリと止まったからだ。
天候によるものだろうけど、人々はすがるものが欲しくて、おあつらえ向きに私が産まれた。
その奇跡の王女が、この国で一番悪評の高い魔法使いと結婚するなんて。
この国で一番素晴らしい大聖堂は、私をあざ笑っているに違いない。
目の前に、レイブンが現れる。先ほどの服でなく礼装で――憎たらしいほどに、絵になっていた。天使か、でなければ悪魔だ。
新郎が取り替えられたこの結婚式を、招待客達はどう思っているのだろうか。
彼らはまるで何にも気がついていないとでもいうように、上辺だけの感嘆の声を漏らす。
レイブンに隣に立たれると、途端圧迫感で息苦しくなる。
司祭が読み上げる口上を、上の空で聞いていたのは、彼に気を取られていたせいもある。
これから彼は私に誓いのキスをする。ろくに話したこともないというのに、どんな顔をしてろっていうの?
――だけど私は誇り高き第二王女。嫌な顔などするものですか。
人々は王女の私を見ているのだから、失望などさせてはいけない。いかなる時も、清く正しくいなくては。私を保っているのは、その誇りだけだった。
けれど思考は、無理矢理遠ざけていた現実に引き戻される。
レイブンが私の肩に触れたからだ。ただそれだけのことなのに、なぜだか体は耐えがたいほどの衝撃を受けた。逃れるように身じろぎしたせいで、私の金色の巻き毛の一房が、ふわりと揺れた。
レイブンの手は大きい。私のことなど容易く殺してしまいそうだ。
ぎこちない私を知ったことではないというように、彼は私の体を自分に向き直らせると、あっという間にキスをした。
家族以外とのキスなんて、生まれて初めてだった。私の心臓がはねているのは、緊張のせいに違いない。
だって、これは違う。彼が私へ向けた愛ではない。
私が唇をすぐに離して、たとえ彼が二度目に追ってきたとしても、彼が私を愛しているわけではない。彼が私を切に求めているように思えても、このキスが、戸惑うほどに熱くても、二人の間に愛はない。
貴族出身でないレイズナー・レイブンが、私を手に入れたい理由なんて太陽が東から昇るのと同じくらい分かりきっている。
彼は地位と名誉が欲しいのだ。
同じく宮廷魔法使いの、ヒース・グリフィスに引けを取らないほどの。レイブンがヒースを敵視していることは知っているし、当てつけのつもりでもあるのかもしれない。
それに奇跡の王女を妻にしただなんて箔が付く。ポーリーナではなく私だったのも、大方そんな理由だろう。持参金の額は、どちらの王女も同じなのだから。
ヒースのことを思うと心が痛んだ。結局、今日は会えなかった。私が大学で学びたいと言っても嫌な顔一つしなかったし、何より私を愛していると言ってくれた。
これは彼に対する裏切りでもある。
式の間中、お兄様は国王の席から無感情に私たちを見ていた。
ポーリーナはお兄様の隣で、その口に笑みを浮かべていた。
一つ違いの妹は、本来の花婿ヒースをいつも褒めていた。そのヒースと妹が婚約したのだ。
笑みの理由を、私は考えないようにした。
「戦場に赴く戦士のような表情をしないでくれ。気楽に行こう。俺はまあまあ紳士のつもりさ」
式を終えて自室に戻ろうとしたのを腕を掴みレイブンが阻んだ。
「さあ新居へ行こう」
「新居ですって? あなたもこの城で暮らしていたじゃないの!」
結婚は形だけのもので、これから先も今まで通りの生活が続いていくのではないかという、淡い期待は打ち砕かれた。
新居に彼と二人で暮らすだなんて聞いていない。
「君が来るから越したんだ。気の強い君の姉さんが、君を国外に連れて帰るとも限らない」
「逃げ出さないための、檻というわけ」
「心外だな――」
レイブンは苦笑した。
「一体、いつから計画されていたというの」
「少なくとも、引っ越しをし終える時間はあったかな」
私が睨み付けても、まるで気に障った様子がないのだから、ますます憎たらしかった。
「……準備をさせて」
「荷物は後で取りに来させればいい」
準備の間に逃げようという考えなどお見通しのようだ。レイブンの部下たちが、私を囲うように立ち、彼らと距離を取ろうとしたものだから、必然的にレイブンに近づいてしまった。
胸板に体が触れ、慌てて離れる。
「よせ、妻が怖がっているだろう」
その口調は楽しげで、部下への非難は含まれていなかった。
選択肢などないまま、私は馬車に乗せられる。誰も追ってこないところを見ると、お兄様への話はすでに通しているということだろう。
今までレイブンとの会話など、二言三言しかなかった。あまり積極的に話したくない男だったし、彼はお兄様の家来で、爵位もない。当然、隣に座ることだって、なかった。
二人きりの馬車の中では、嫌でも彼の存在を感じてしまう。体の大きさや、窮屈そうにしている長い足、赤毛や、その瞳。呼吸により上下する胸や、息づかいまで。
私の体と似ているところは少しも無いことを、思い知ってしまう。歳は五つ上だが、もっと上に感じるのは、眉間に寄った皺のせいだろうか。
私はなるべく呼吸を小さくして、彼から存在を消すつもりだった。どこに目を向けていいかも分からずに、ただ自分の手ばかりみつめていた。
ふいに彼が、私を見たのが分かった。思わず体を縮こめると、彼が冷ややかな笑みを口元に宿すのが見えた。
「今晩だが――」
想像してしまい、ぞっとして、目を閉じた。
「無理強いするつもりはない。嫌がる女を無理矢理ものにしたところで、得られるものなどないからな。君が俺と寝る時は、君の意思でなくては」
“寝る”だなんて、あまりにも露骨に言われると、嫌悪よりも先に普通の男はこんなことを平気で口にするのかと圧倒されてしまう。
彼の腕は私のそれとはまるで違う。
服の上からでも分かる、鍛え抜かれた体は、男らしさをこれでもかと主張している。
魅力的に見る人もいるんだろうけど、私はただ、怖いと感じる。
彼を見ると、私を見つめ返していた。深いグリーンの瞳にも、綺麗な発音にも、彼が貧民街に暮らす孤児であった事実など、どこにも現れていない。
愛人を探す社交界のマダムたちが、彼を妖艶だと評していたけど、全身黒いきっちりとした服に身を包む彼は確かに人間とは違う生物のようで、濡れ羽色の大鴉を連想させた。
「あら、では一生ないわね」
やっとそれだけ答えたけど、安堵で声がかすれたのが自分でも分かった。彼を優位に立たせてはいけないと、誤魔化すように咳払いをした。
だが再び私の鼓動が早くなる。あろうことかレイブンが、私の手を握ったからだ。彼の手は無骨で、熱を持っている。今すぐ逃れたいのに、どういうわけか手を引けない。
蛇に巻き付かれた獲物のようにじっとしていると、そのまま、昼間と同じように、甲にキスをされた。そこに毒でも塗ってやれば良かったのだと私は思った。
「俺は君を好ましく思っている……つまり一生触れないのは無理だ。
問題ない、君もすぐに俺を好きになるよ」
眉を顰めたが、それさえ楽しんでいるようだ。
なんて傲慢で自信過剰なんだろう。一体何人の女を口説いてきたのかしら。
「今日ではないわ」
「ああ、今日でなくていい」
「明日でもないし、明後日でもない。しあさってでも――」
自分に言い聞かせるように言うと、彼がまた口の端をつり上げたのが見えた。その自信に溢れた笑みを、今すぐ崩してやりたかった。
郊外にある彼の家に着いたのは、日が落ちてからだった。周囲は森に囲まれ、一層不気味に思える。
ぐったりとして、何もする気になれず、自室として用意された、城より遙かに狭い部屋に通されるなりばたりと横になった。
早朝、目を覚まして気がついた。
ともあれ、私は死ななかったのだと。
何度も経験した今日が終わり、待ち望んだ明日が訪れたのだ。
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彼らはまるで何にも気がついていないとでもいうように、上辺だけの感嘆の声を漏らす。
レイブンに隣に立たれると、途端圧迫感で息苦しくなる。
司祭が読み上げる口上を、上の空で聞いていたのは、彼に気を取られていたせいもある。
これから彼は私に誓いのキスをする。ろくに話したこともないというのに、どんな顔をしてろっていうの?
――だけど私は誇り高き第二王女。嫌な顔などするものですか。
人々は王女の私を見ているのだから、失望などさせてはいけない。いかなる時も、清く正しくいなくては。私を保っているのは、その誇りだけだった。
けれど思考は、無理矢理遠ざけていた現実に引き戻される。
レイブンが私の肩に触れたからだ。ただそれだけのことなのに、なぜだか体は耐えがたいほどの衝撃を受けた。逃れるように身じろぎしたせいで、私の金色の巻き毛の一房が、ふわりと揺れた。
レイブンの手は大きい。私のことなど容易く殺してしまいそうだ。
ぎこちない私を知ったことではないというように、彼は私の体を自分に向き直らせると、あっという間にキスをした。
家族以外とのキスなんて、生まれて初めてだった。私の心臓がはねているのは、緊張のせいに違いない。
だって、これは違う。彼が私へ向けた愛ではない。
私が唇をすぐに離して、たとえ彼が二度目に追ってきたとしても、彼が私を愛しているわけではない。彼が私を切に求めているように思えても、このキスが、戸惑うほどに熱くても、二人の間に愛はない。
貴族出身でないレイズナー・レイブンが、私を手に入れたい理由なんて太陽が東から昇るのと同じくらい分かりきっている。
彼は地位と名誉が欲しいのだ。
同じく宮廷魔法使いの、ヒース・グリフィスに引けを取らないほどの。レイブンがヒースを敵視していることは知っているし、当てつけのつもりでもあるのかもしれない。
それに奇跡の王女を妻にしただなんて箔が付く。ポーリーナではなく私だったのも、大方そんな理由だろう。持参金の額は、どちらの王女も同じなのだから。
ヒースのことを思うと心が痛んだ。結局、今日は会えなかった。私が大学で学びたいと言っても嫌な顔一つしなかったし、何より私を愛していると言ってくれた。
これは彼に対する裏切りでもある。
式の間中、お兄様は国王の席から無感情に私たちを見ていた。
ポーリーナはお兄様の隣で、その口に笑みを浮かべていた。
一つ違いの妹は、本来の花婿ヒースをいつも褒めていた。そのヒースと妹が婚約したのだ。
笑みの理由を、私は考えないようにした。
「戦場に赴く戦士のような表情をしないでくれ。気楽に行こう。俺はまあまあ紳士のつもりさ」
式を終えて自室に戻ろうとしたのを腕を掴みレイブンが阻んだ。
「さあ新居へ行こう」
「新居ですって? あなたもこの城で暮らしていたじゃないの!」
結婚は形だけのもので、これから先も今まで通りの生活が続いていくのではないかという、淡い期待は打ち砕かれた。
新居に彼と二人で暮らすだなんて聞いていない。
「君が来るから越したんだ。気の強い君の姉さんが、君を国外に連れて帰るとも限らない」
「逃げ出さないための、檻というわけ」
「心外だな――」
レイブンは苦笑した。
「一体、いつから計画されていたというの」
「少なくとも、引っ越しをし終える時間はあったかな」
私が睨み付けても、まるで気に障った様子がないのだから、ますます憎たらしかった。
「……準備をさせて」
「荷物は後で取りに来させればいい」
準備の間に逃げようという考えなどお見通しのようだ。レイブンの部下たちが、私を囲うように立ち、彼らと距離を取ろうとしたものだから、必然的にレイブンに近づいてしまった。
胸板に体が触れ、慌てて離れる。
「よせ、妻が怖がっているだろう」
その口調は楽しげで、部下への非難は含まれていなかった。
選択肢などないまま、私は馬車に乗せられる。誰も追ってこないところを見ると、お兄様への話はすでに通しているということだろう。
今までレイブンとの会話など、二言三言しかなかった。あまり積極的に話したくない男だったし、彼はお兄様の家来で、爵位もない。当然、隣に座ることだって、なかった。
二人きりの馬車の中では、嫌でも彼の存在を感じてしまう。体の大きさや、窮屈そうにしている長い足、赤毛や、その瞳。呼吸により上下する胸や、息づかいまで。
私の体と似ているところは少しも無いことを、思い知ってしまう。歳は五つ上だが、もっと上に感じるのは、眉間に寄った皺のせいだろうか。
私はなるべく呼吸を小さくして、彼から存在を消すつもりだった。どこに目を向けていいかも分からずに、ただ自分の手ばかりみつめていた。
ふいに彼が、私を見たのが分かった。思わず体を縮こめると、彼が冷ややかな笑みを口元に宿すのが見えた。
「今晩だが――」
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彼の腕は私のそれとはまるで違う。
服の上からでも分かる、鍛え抜かれた体は、男らしさをこれでもかと主張している。
魅力的に見る人もいるんだろうけど、私はただ、怖いと感じる。
彼を見ると、私を見つめ返していた。深いグリーンの瞳にも、綺麗な発音にも、彼が貧民街に暮らす孤児であった事実など、どこにも現れていない。
愛人を探す社交界のマダムたちが、彼を妖艶だと評していたけど、全身黒いきっちりとした服に身を包む彼は確かに人間とは違う生物のようで、濡れ羽色の大鴉を連想させた。
「あら、では一生ないわね」
やっとそれだけ答えたけど、安堵で声がかすれたのが自分でも分かった。彼を優位に立たせてはいけないと、誤魔化すように咳払いをした。
だが再び私の鼓動が早くなる。あろうことかレイブンが、私の手を握ったからだ。彼の手は無骨で、熱を持っている。今すぐ逃れたいのに、どういうわけか手を引けない。
蛇に巻き付かれた獲物のようにじっとしていると、そのまま、昼間と同じように、甲にキスをされた。そこに毒でも塗ってやれば良かったのだと私は思った。
「俺は君を好ましく思っている……つまり一生触れないのは無理だ。
問題ない、君もすぐに俺を好きになるよ」
眉を顰めたが、それさえ楽しんでいるようだ。
なんて傲慢で自信過剰なんだろう。一体何人の女を口説いてきたのかしら。
「今日ではないわ」
「ああ、今日でなくていい」
「明日でもないし、明後日でもない。しあさってでも――」
自分に言い聞かせるように言うと、彼がまた口の端をつり上げたのが見えた。その自信に溢れた笑みを、今すぐ崩してやりたかった。
郊外にある彼の家に着いたのは、日が落ちてからだった。周囲は森に囲まれ、一層不気味に思える。
ぐったりとして、何もする気になれず、自室として用意された、城より遙かに狭い部屋に通されるなりばたりと横になった。
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