中学生捜査

杉下右京

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第7話 信号無視

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それは今から6年前、2015年1月20日に起こった。
竹中明美はマンションに住んでいた。だいぶ前に夫とは離婚し、シングルマザーだ。
「ちょっと待っててね。」
明美は5歳の子供とマンションから出てきた。明美は自転車が駐車してある駐輪場に向かった。この日は子供の大樹を幼稚園に送る予定だった。明美は大樹に待ってもらっていた。
「お待たせ。大樹、幼稚園行くよ。」
明美はそう言って大樹が待っているはずの場所に行ったが大樹はいない。
「大樹?どこ?」
明美は突然のことで焦り始めた。
明美は大樹を見つけた。しかし、大樹は黒ずくめの男に連れて行かれていた。
「大樹!」
明美は叫んだ。その瞬間、男は走り出す。
「大樹!待って!」
大樹は片側一車線の道路を挟んだ歩道にいた。明美は大樹を助けるために走り出した。信号が赤を示していたが構わず明美は走り続けた。いや、赤信号にさえ気付いていなかったのかもしれない。
その瞬間、2人の警察官が明美の進路を塞いだ。
「はーい。信号無視しないでください。止まってください。」
「どいて!」
明美が警察官2人を押しのけたため明美は取り押さえられてしまった。
大樹を連れ去った男は見えなくなってしまった。
「大樹が!」
「はい。落ち着いてくださいね。自分が何したかわかっていらっしゃるんですか?信号無視ですよ。」
「息子が、息子が、」
「落ち着いてください。息子さんがどうしたんですか?」
「誘拐されました。さっき。男に。」
「え?」
警察官が気付いたころにはもう遅かった。大樹は誘拐されてしまったのである。

「交番で働いている警官の殺人事件ですか。」
そう言ってサイダーを飲んでいるのは久野隆である。
「ああ、警官がやられたんだからな。逮捕できなかったら警察の威信は地に落ちるってところだろうな。」
そう言うのは山田幸助だった。
「パトロール中に殺されたみたいですね。」
そう言って新聞を広げているのは隆と行動を共にしている加納マリアという。

遺体が発見されたのはその3日前だった。
「ひっでぇ有様だな。」
そう言って亡骸に合掌をするのは愛知県警捜査一課刑事の北野という男だった。
「背中を刺された後、何度も刺され続けたようですね。」
そう言ったのは同じく、捜査一課刑事の沢村だった。
「これだけ刺すということは犯人は被害者に恨みを持っていたってことだろうな。」
北野はそう推測した。
「死亡推定時刻は昨夜の午後6時頃と考えられます。」
そう言ったのは愛知県警鑑識課の沼田だった。
遺体が発見されたのは名古屋港だった。遺体は何か所も刺された後があり、海まで流されてきたので泥などが付着していて見るに堪えない状態となっている。
「恐らく被害者は川で流されてここまで流れ着いたものと思われます。」
「じゃあ、殺された場所の特定も困難ってことか。」
捜査は難航するであろうという不安を捜査陣のだれもが感じていた。

だがその翌日、そんな彼らに一筋の希望の光が差し込んだ。被害者の身元が分かったのである。
「被害者は吉根交番に勤務している北畠正信です。」
沼田が北野に報告した。

情報を得た北野は吉根交番警官殺人事件の捜査会議で発言した。
「被害者は庄内川から流されたのだと思います。庄内川は遺体の発見された名古屋港に流れ着きますから。」
「その可能性は高いだろうな。」
威厳のある声で言ったのは50代後半ぐらいの猪俣真一刑事部長だった。
「よーし、では被害者の北畠を恨んでいる人物がいないか、全力で聞き込みをしろ!身内がやられているんだ!」
猪俣はそう言って気合を入れた。
「はい!」
捜査員は活気ある返事をした。

「とういうことでして。」
そう言って事件の内容を報告してくれたのは沼田だった。隆と沼田は実は以前から事件の事を教え合う仲だ。
「しかし、妙ですねぇ。」
隆は何かが引っかかっているらしい。
「私も気になることがあります。」
そう言ったのはマリアだ。
「どうぞ。」
「死亡推定時刻は遺体が発見される前日の午後6時ごろなんですよね?殺されてから遺体が発見されるまで1日しか時間がないわけです。」
「つまり、1日で名古屋港まで流されるのはあまり現実的ではないということですね。」
隆がマリアの推理中に横槍を入れた。
「そういうことです。事件のあった日、特に台風とかがあった訳もありませんからね。」
「マリアさん、珍しく、気が合いますねぇ。」
隆はそう言った。珍しく、という言葉がマリアの中で引っかかる。
「とりあえず、吉根交番まで行きますか。」

吉根交番は名古屋の守山にあった。山田の家から大曽根駅まで歩いてそこからゆとりートラインに乗り込む。ゆとりートラインというのは電車が走るような高架をバスが走るというものだ。その区間は大曽根から名古屋市守山区の小幡緑地と呼ばれる場所まで続く。走っているのはバスだが、系統でいうと電車と同じ鉄道になる。
隆とマリアがゆとりートラインの大曽根駅のホームに着いて3分ほどでバスが来た。一般的な市バスなどのバスは前から乗車して後ろから降車するというのが基本だが、このバスは全く逆だった。
「ハンドルを握らなくてもカーブの時にはハンドルが勝手に回ってますよ!」
隆とマリアは運転席に一番近い席に腰掛けた。
「おや、マリアさんはゆとりーとラインに乗るのは初めてですか?バスが走っている軌道には2本のガイドレールが敷かれていてバスの前後に取り付けられている案内装置をガイドレールに接触させて運転しているのですよ。」
「なるほど。初めて乗りました。」
マリアは隆の説明に納得した。
「名古屋市民なのにゆとりーとラインに乗ったことがないとは。もしかしてどこかのお嬢様でいらっしゃるとか。」
「いえいえ、そんなことは、あったりなかったりですよ。」
マリアは答えを濁らせたが隆はそれ以上追及しなかった。
しばらくするとバスは高架から下りた。
「隆さん、降りないんですか。高架はここでおしまいですよ。」
マリアが隆に降車を促す。
「マリアさん、ゆとりーとラインは高架のみを走行するわけではありませんよ。本当に何も知らないようですねぇ。」
「え?そうなんですか?」
マリアは大げさに驚いて見せた。
「そうですよ。高架を降りてもバスは走ります。ただ、運転手が直接ハンドルを動かして運転しなければならないのですがね。」
「運転手の方はなんの免許証がいるんですかね?」
「大型二種免許に加え、無軌条電車運転免許が必要になります。」
マリアにはこんな難しい言葉は意味が分からなかった。
「なんのこっちゃ分かりませんけど、とりあえず、バスの免許と電車の免許がいるってことですね?」
「まあ君にはその程度の理解でいいと思いますよ。」
隆の態度はどうもマリアの癇に障る。
「まあ、それはともかく。吉根までもう少しだと思いますよ。」
流石に隆も言い過ぎたと感じたのか。話題を変えた。
バスは温泉やかつてはプール施設もあった龍泉寺を超えて、吉根と呼ばれる場所に着いた。隆とマリアはそこで降車した。
吉根地域周辺は志段味の再開発とともに開発が進んで今では大きな町に発展していた。人口も年々増加傾向にあるそうだ。
「意外に時間かからなかったことないですか?」
とマリア。
「ええ、ゆとりーとラインはほとんどが高架ですからねぇ。地上の渋滞などは全く関係ありません。」
「で、目的の吉根交番はどこですかね?」
「こちらのようです。」
隆とマリアはスマホの地図を片手に吉根交番に向かって歩き始めた。

吉根交番は閑静な住宅街の中にあった。2階建てのごく普通の交番であった。
「すみませーん。」
隆とマリアがそう言って交番の中に入ると、女性警官が出迎えてくれた。年は30ぐらいだろうか。まだ若そうに見受けられる。
「地元の中学生ですか?どうしました?」
「実は、亡くなった北畠さんという警官についてお話を伺いたいのですが。」
「あなた達、一体、なんなんです?」
「見ての通り、なんの変哲もない、ただの中学生ですよ。」
隆は続けた。
「もちろん、あなたの答えられる範囲で結構ですので、なにか北畠さんについてお話しできないでしょうか。」
「そんなこと話せる訳がないじゃないですか。」
「この交番には現在は愛知県警の刑事部長を務めていらっしゃる猪俣真一さんもかつて勤務されていたのではありませんか?」
「なんでそれを。」
「決して怪しいものではありませんよ。事前に調べただけです。北畠さんについてお話しいただけませんか?」
女性警官はついに折れたのか、北畠について話始めた。
「北畠さんはすごく紳士的な方でした。まだ未熟な私にいろいろ教えてくださいましたし。まさか殺されるなんて。」
女性警官は悲しみを隠し切れずにいた。
「なるほど。心中、お察しします。」
隆はここで、話題を変えた。
「仕事についてはどうですか。」
「一度、失態がありました。まあ彼的には自らの仕事を全うしたことにはなりますが。」
「どのような失態でしょう。」
「6年前の今ぐらいに信号無視をした女性がいたんです。それを見つけた北畠さんが女性を止めようとすると押しのけられて、女性を取り押さえたそうなんです。だけど女性が信号無視をしたのは、息子の大樹君が不審な男に連れ去られていてそれを追いかけるためでした。結果、大樹君は誘拐されて、殺害されました。」
「そして、山中に遺体が遺棄された。」
「事件をご存じなんですか?」
「ええ、大変残念な事件でしたからねぇ。記憶に残っています。」
「自分の責任で大樹君が殺されてしまったと、北畠さんは落ち込んでいました。しかし、時の流れによって段々心の傷が癒えてきたみたいで、最近は元気だったんですが。そんな時に。殺されてしまって。」
「そうですか。ありがとうございました。」
隆はそう言って交番を立ち去ろうとすると何かを思い出したようにくるりと反転した。
「申し訳ない。最後にもう1つだけ。」
「なんでしょう?」
「女性を取り押さえたのは北畠さん、1人ですか?」
「いいえ、猪俣さんと取り押さえたと聞いていましたけど。」
「そうですか。お忙しい中、ありがとうございました。」
隆は一礼すると、交番から出て行った。

隆とマリアが山田の家に戻った時にはもう日が暮れていた。隆は自分の家に帰る前にマリアと共に信号無視によって阻止することができなかった誘拐事件について調べていた。
「誘拐犯はもう逮捕されているようですねぇ。」
隆はパソコンを起動させてこの情報を調べた。
「名前は立花聡というそうです。」
この瞬間、隆は衝撃の事実を知った。
「立花は出所後に殺されています。」
「本当ですか?」
マリアも驚いている。
「どういうことです?」
「立花は狙われていたということでしょうねぇ。当時の誘拐事件の関係者による復讐かもしれませんねぇ。まあ明日詳しく調べてみましょう。」
「じゃあ、隆さん、また明日。さようなら。」
隆はマリアと別れた。
さすがの隆も疲れたようだ。家に帰って疲れをいやそうと自宅に向かって歩き始めた時、電話が鳴った。

「僕が狙われている?誰に?」
そこは、回転寿司のチェーン店だった。隆と一緒に寿司を食べていたのは他ならぬ猪俣真一だった。
「部長は6年前の今頃に信号無視の取り締まりをした女性を覚えていらっしゃいますか?」
「もちろん覚えてるよ。僕たちが取り押さえたせいで誘拐を阻止できなかったからね。」
「おや、部長にしては珍しく、正直ですねぇ。自分の身が狙われているからですか?」
隆と猪俣は時々飯を食べる仲だった。
「僕がその女性に狙われていると言いたいのかね。」
「現に誘拐事件の犯人の立花やあなたと一緒に女性を取り押さえた北畠警官も殺されているんですよ。次はあなたが狙われる番です。」
「まあそうだろうね。」
「ご自分でまかれた種でもあるのですよ。」
猪俣は解らない顔をした。
「なぜだ。」
「僕はずっと引っかかっていました。信号無視の取り締まりのせいで誘拐事件を防げなかったのは警察官にとって汚点です。しかるべき処分を受けると思うのですが、あなたと北畠さんは処分されなかったことが。」
「まあ、僕たちの勤務態度がよっぽどよかったということだろうね。」
猪俣はそう誤魔化した。
「そんなはずはありません。そんなことが報じられれば警察にとっては一大スキャンダルです。」
「相変わらず回りくどいね、君は。だから警察上層部が僕を処分しなかったとでも言いたいのかね?」
「ただ、それだけでは理由は薄いです。」
「君は何が言いたいのかね。」
猪俣はいら立ちを見せた。
「あなたのことです。警察上層部の人間に声をかけたのではないのですか?だとすれば、到底許されることではありませんよ。」
「君は昔から変わらないね。」
「はい?」
「妄想をしてそれが真実だと信じ込んでしまうところが。」
隆は答えられなかった。
「まあ、長い付き合いなんだから、仲良くしようよ。」
「今日僕を呼んだのも、僕がどこまで知っているか調べるためですね。」
「そう思うのであればそう思ってもらって構わないよ。」
猪俣はそう言ってお茶を口に運んだ。

翌朝、山田の家に来た隆より先にマリアが来ていた。
「おはようございます。」
隆はそう言って部屋に入ると木札を表に返した。
「今日は早いですね。」
「ええ、ちょっと調べてたんです。」
マリアはパソコンを起動させてなにか調べていた。
「例の立花についてですか?」
「はい。立花は出所してわずか翌日に殺されているんです。場所は北畠の遺体が見つかった場所と同じです。しかも、海に浮いていました。」
「なるほど。無関係とは考えられませんねぇ。」

かつて立花の遺体が見つかった名古屋港に隆とマリアも行ってみた。土日ということもあり人は多かった。名古屋港には山田の家から大曽根駅まで歩き、地下鉄名城線に乗り、名古屋港まで地下鉄で降車した。
「この橋の通行人が海に浮かんでいる立花の遺体を発見しました。」
名古屋港水族館の近くにある橋の上でマリアが事件について説明し始めた。プリントアウトされた事件資料を手に説明していた。かなり気合が入っている。
「遺体には数か所の刺し傷がありました。隆さん、なにか思い当たることがありませんか。」
マリアは隆を試すように発言した。
「ええ、北畠の遺体の様子と同じですねぇ。同一犯ということですね。」
「そういうことです。」
「しかしこれだけの情報を良く調べましたねぇ。実に熱気が感じられます。」
「隆さんの捜査に首を突っ込む癖が移ったのかもしれませんね。」
「そうですか。そろそろ昼時ですねぇ。なにか食べますか?」
隆はマリアの嫌味を受け流すとそう言った。
「分かりました。あそこのフードコートで食べません?」
マリアが指さしたのは名古屋港にそびえ立つ、巨大な商業施設だった。
「構いませんよ。」

マリアがフードコートで選んだ店は牛丼屋だった。
「女性にしては中々豪快なものを選びますねぇ。」
「牛丼美味しいじゃないですか。おっさんが食べるイメージがありますけど。」
「まあ良いですよ。牛丼を食べましょう。」
隆はあまり気が進まなかった。隆は玉ねぎが大の苦手なのである。
「カレーにするんですか。」
隆は悩んだ末、カレーを選択した。
「牛丼屋に来てカレーを食べるなんておかしくありません?」
マリアは笑いながらそう言った。
「実は玉ねぎが苦手なものでして。」
「そうなんですか。」
マリアは弱みでも握ったかのように言った。
「好き嫌いは良くないですよ。」
「僕だって人間ですから。好き嫌いはありますよ。」
隆はそう言って茶を口に入れた。
「じゃあ店の人呼びますよ。」
「どうぞ。」
マリアがボタンを押すと店員が飛んで来た。
「はい。なんでしょう?」
「牛丼を1つください。」
マリアは牛丼を注文した。
「僕はチーズカレーでお願いします。」
隆がカレーを注文する姿に、マリアは思わず吹き出してしまった。
「ところで、立花が大樹君を誘拐した目的は何だったのでしょう?」
「単純に子供を拉致して殺したかったらしいですよ。殺人癖があったみたいで。」
「なるほど。それは気の毒ですねぇ。」

牛丼屋から出てきた隆とマリアは山田の家に戻った。
「おお、戻ったか。」
山田の家に帰ると山田が出迎えた。
「どうだ。捜査の方は。」
「だいたい犯人は分かりましたが、証拠が掴めません。」
隆はそう言った。
「もう犯人の目星がついているんですか?」
「ええ、おそらく犯人は北畠さんと猪俣さんが信号無視で取り押さえた女性でしょうねぇ。」
「まあそうでしょうね。息子が殺された復讐と言ったところでしょうか。」
「先程調べてみました。信号無視によって捕らえられたのは竹中明美という人物です。犯人はその女でしょうねぇ。」
「彼女を調べるのは北野さんたちにお願いしましょう。僕は気になることがあるのでそれを調べてみようと思います。」
隆はそう言って北野に電話をした。
「ああ、もしもし、隆です。」
「なんですか。残念ながら隆さんと話している余裕はないのですがねぇ。」
北野は嫌味ったらしく言った。
「お忙しい所申し訳ありませんが、1つだけ調べてもらいたいことがあります。」
「なんです?」
北野はため息をつきながらそう言った。
「竹中明美という人物が犯人の可能性が高いと考えています。」
「竹中明美?誰ですかそれ。」
「良いから調べてください。」
隆はそう言って電話を切った。

竹中明美は築40年のいわゆるボロアパートの一室に住んでいた。以前はマンションに住んでいたものの、大樹が殺されてからは心身を病んで経済的余裕がなくなり、このような生活をしているという。
そこに北野と沢村が訪ねたのはそれから3日後の午前中だった。
北野がインターホンを押すと、女性が出てきた。
「愛知県警の者ですけれども。」
北野と沢村はそう言って警察手帳を見せた。明美の顔が少し曇った。
「北野明美さんでいらっしゃいますか?」
「そうですけど。」
「失礼ですけど、この子の話を聞いていただけませんか?」
北野はそう言ってとある中学生を前に出した。他ならぬ久野隆である。
「初めまして。久野隆と申します。」
「なんなんですか?あなたたち。」
「突然申し訳ありませんね。あなたが立花聡と北畠正信を殺したんですね。そして現愛知県警刑事部長の猪俣を殺そうとしている。」
「は?」
明美は聞き返した。
「あなたは6年前の今頃、息子の大樹君を亡くしていますね。その原因は誘拐事件なわけですがその犯人が逃げようとしていたのであなたは犯人を追いかけた。しかし、信号無視をしたため警察官に捕らえられてしまった。その警察官が北畠と猪俣です。そのせいであなたは誘拐犯を取り逃がしてしまった。そして大樹君は帰らに人となってしまった。あなたはそのことにひどく悲しみ、犯人や自分を取り押さえた犯人への復讐を決意したんですね。」
「なんのことですか」
「とぼけても無駄です。実は犯行に使われた凶器の刃物が見つかりましてね。犯人の指紋が付着していたんですよ。その指紋とあなたの指紋を照合すれば、すぐにわかると思います。」
と沢村が横槍を入れた。
「最後に1つだけ、あなたの犯行に共犯者はいましたか?」
「いいえ。」
明美は小さい声でそう言った。
「そうですか。では北野さん、後は任せます。」
隆はそう言って立ち去った。

隆は山田の家に戻った。
「どうでした?竹中明美は。」
山田の家に戻るとマリアがそう聞いてきた。
「竹中明美が犯人であることは間違いないと思います。ただ少し疑問があります。」
「なんです?」
「彼女には共犯者がいたのではないかということです。」
「共犯者?」
マリアは聞き返した。
「ええ、考えても見てください。ごく普通の女性が警察官や誘拐犯相手に勝てると思いますか?」
「まあ確かにそうですね。相手は男ですし。」
「そのことが気になって彼女に尋ねてみたんですよ。共犯者はいるのかと。その瞬間彼女は顔を曇らせました。あれは嘘をついている顔です。」
「共犯者がいるとしたら、誰なんです?」
「誘拐犯と警察官を殺すことができるほどの体力の持ち主ということでしょうねぇ。」
「あっ!」
マリアは思い当たることがあったらしかった。
「ええ、思い当たる人物が1人いましたねぇ。」
隆とマリアは再び吉根交番に向かった。

隆とマリアは再び大曽根駅に向かって、ゆとりーとラインに乗り込んだ。この日は雪が降り始めたためエンジンが騒がしい音を発生させてバスは動き始めた。
雪は次第にひどくなっていき、積もり始めた。やがてバスは吉根に着いた。
「すごい雪ですね。」
「これは積もりやすい雪ですねぇ。」
隆は積もっている雪に触れながらそう言った。
「積もりやすい雪って?」
「雪というのは水分が多く含まれているほど溶けやすいんですよ。このように水分をあまり含んでいない雪は地面に落ちても溶けにくく、積もりやすいんです。」
「そうなんですね。しかし名古屋でこんなに雪が降るなんて珍しいですよね。」
「ええ。」
隆のコートに雪が付いてきた。
「行きましょうか。」
隆とマリアは吉根交番に向けて歩き始めた。

2人が交番に着くと以前の女性警官、神崎光が礼をして交番の扉を開けた。
「お忙しい所申し訳あり間ません。」
「ああ、この前の。」
神崎は思い出したように言った。
「立花と北畠警官殺害事件の犯人として竹中明美という人物が逮捕されました。」
「そうなんですか。」
「あなたの情報提供により犯人を特定することができました。ありがとうございました。」
「情報提供?信号無視の事ですか。その復讐で北畠警官を殺したってことですか。」
「神崎さん、見事に罠に引っかかってくれましたね。」
「え?」
神崎は考えた。何が罠でなぜ自分が罠に引っかかっているのか。
「竹中明美が逮捕されたという情報は現在世の中に出回っていません。動機もしかり。しかし何故あなたはそれを知っているのですか?」
神崎は答えられなかった。隆は続ける。
「あなたが竹中明美さんと協力して立花と北畠警官を殺害したんですね。」
「は?」
神崎はとぼけて見せた。
「あなたは事件のあった日欠勤していますね。つまり事件当日のアリバイが無いんですよ。それに遺体には指紋が付着しており、その指紋は竹中明美さんの物ではありませんでした。」
「何が言いたいんですか?」
「その指紋があなたの物だと判明しました。警察官のデータベースに登録されていた指紋が遺体についていた指紋と一致したんですよ。殺害するときに手袋をしておくべきでしたね。」
「仮にそうだとして。私はどうやって殺害したというんですか?」
「これはあくまで僕の推測ですがあなたは何らかの理由で北畠警官を恨んでいたんですね。そんな時に竹中明美という人物から北畠警官を殺害しないかと誘われたのでしょう。あなたはそれを引き受けたんですね。しかし竹中明美はその条件として立花を共に殺害しようと持ち掛けてきた、それであなたは協力したんですね。」
「そんなことは事実無根です。」
「いつまでそんなことを言っているつもりですか!」
「あなたが2人の尊い命を奪ったんです!先程申し上げたように遺体の指紋を調べればすぐに分かることです。」
隆は怒鳴った。さらに続ける。
「しかし、いまだに謎が残っています。あなたが北畠警官を恨んでいた理由です。答えていただけますね?」
しばらくして神崎は語り始めた。
「嫌だったんですよ。怒られるのが。」
「はい?」
「毎日毎日怒られて、指導されることが嫌だったんです。なんなら殺してしまいたいぐらい。」
「あなた、そんな理由で人を殺すんですか!」
マリアも怒鳴った。
「警察でーす。」
そう言って北野が入ってきた。
「神崎光さんですね。立花聡と北畠正信殺害事件の件でお話を伺いたいのですが、来ていただけますね。」
神崎は連れて行かれる途中で振り向いて隆に尋ねた。
「なぜ私が事件の日に欠勤したことを知っていたのですか?」
「猪俣さんに調べてもらいました。」
隆がそう言った瞬間、神崎は驚いた表情を見せたがその表情はたちまち消え失せ、北野たちに連れて行かれた。

「結局隆さんと猪俣刑事部長はどういう関係なんですか?」
「昔からの付き合いということでしょうかねぇ。」
「なにがきっかけでお知り合いに?」
「昔のことですからねぇ。忘れました。」
隆が忘れるわけがないだろうとマリアは内心思ったが、あえて追及しなかった。
その時、猪俣から電話がかかってきた。
「やあ、久野君、また事件を解決したみたいじゃないの。僕が狙われてるって言ってた事件。」
「ええ。今回の件はあなたにも責任の一端を取っていただきたいと思うのですが。」
「それは心外だねぇ。僕が何をしたというのさ。」
隆は黙った。
「まあ今日も事件を解決したんだ。それでいいじゃないか。」
「良くありません。僕はあなたの不正を暴き、必ずや首を取ります。」
隆はそう言って電話を切った。
「隆さん、公園で雪合戦でもしませんか?」
電話の内容を聞いていたマリアが気を利かして手招きをした。
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