睡魔さんには抗えない

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睡魔との戦い

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伯爵家の執務室には、当主の姿はない。いるのは次期当主である娘のセリーヌだけ。セリーヌは机の上に積まれた書類と格闘していたが、不意に目の前が暗くなるのを感じた。

窓の外からは木漏れ日の他、楽しげな妹と両親の笑い声が聞こえて来る。家族三人水入らず。知らない人が見れば、幸せな家庭に見えるその姿に、セリーヌは不要だ。

睡魔に襲われながら、こんな微睡を彼らに見られでもしたら、またサボっている、と言われるのだろうか、と働かない頭でぼんやりと思っていた。


最近のセリーヌは頭が働かないことが多い。使用人達からは、「働きすぎです。」と、宥められても、妹が見れば、「サボっている。」ことになるのだから。


妹は、セリーヌと二つしか年は違わないのにまるで幼子のように、笑い声をあげている。後継者にはなれないから、伸び伸び育ててやりたいと、マナー教育を疎かにした結果が、今の妹だ。

他所に嫁に出す気なら、尚のこと、教育を疎かにすべきではなかったと思うが後の祭り。

彼女は働いてばかりの姉をバカにすることを覚えてからは、性格の悪さのみを育ててしまっていた。

セリーヌは自分が伯爵家を継いだ後に、妹と両親はどうするのだろう、と考えて、一生自分が面倒を見なければならないのだろうか、と暗くなった。

幸いなことに、本日の睡魔は、妹に見られる前に退散してくれた。手が止まった書類を放り出して、もう一つの山に手をつける。本来なら父の仕事であるが、本人がやりたがらないのだから仕方ない。父のサインを真似して書いていた署名を、一枚だけ自分の名前で書いてみる。

提出先で誰かが気がついてくれたら、と言う試みはある意味上手くいった。

当主宛に届いた郵便物は、当主にたどり着く前に、セリーヌに読まれる。だから、妹が茶会に乱入し、格上の相手に粗相をした時も、母が詐欺に遭って、お金を騙し取られた時も迅速に動くことができた。

セリーヌのサインで提出した書類は、ある人物からの召喚状と共に送り返されて来た。

正直、こんな大物が釣れるとは思っていなかったものの、何もかもをすっ飛ばして王家と言う絶対的強者が出て来るのなら、前のようなことにはならないだろうと希望が持てた。


セリーヌは以前も誤って自分の名前で書類を提出したことがある。その時には子供のいたずらだと思われて、差し戻された。書類を受け取った人物は悪気なく、父に微笑みながらその書類を見せた。父はにこやかに笑いながら、実はセリーヌに怒り狂っていたらしい。

その日の食事は取り上げられてしまった。さすがに暴力はなかったが、あの時の父の顔は忘れられない。父に叱られたセリーヌを見る妹の笑みは醜悪としか言いようがないものだった。


仕事が終わらないと、睡眠が取れない。万年寝不足なので疲れやすく、食欲もないが、食べなければ力が出ず、すぐにサボっている、と邪推され面倒なことになるので、適度に休憩を取りながら妹の目を盗んでは微睡を繰り返していた。




セリーヌを呼び出したのは、第一王女であるクリスティナ。セリーヌとは王立学園での元同級生に当たる。二人とも後継者教育を受けており、忙しい為に普通四年掛かる学生生活をたった一年で終わらせている。

クリスティナは真面目で優しいセリーヌを友人として大切に思っていたが、本人が話さない為、伯爵家の内情については知らないことが多かった。

薄々勘づいてはいたものの、本人からの申請がないので、踏み込めなかった。

だけど、コレは漸くセリーヌが助けを呼んだということだろう。クリスティナは真面目で人に頼るのが下手なセリーヌからの気持ちを無視しない為に、準備を万全に整えることにした。





第一王女との茶会にセリーヌは呼ばれた。向かうギリギリまで、妹が自分も行きたいと駄々を捏ねていたが、相手が王女である以上、ただの伯爵家の次女の我儘が通る筈もない。学力が足りずに王立学園に入れなかった妹は、お金さえ積めばギリギリ入れたかもしれない女学校にも結局は入らなかった。

「勉強なんてしなくても貴女は可愛いのだから、いい縁談を探してあげるわ。」と、今や社交界で何の力もない母に良い含められたのだ。

母は「元社交界の華」だったらしい。父との婚約中もあちらこちらから誘われて大変だったと、嬉しそうに話していたことを覚えている。妹は母の若い頃に似ているという。

セリーヌは母の昔話を信じていない。母の時代の「社交界の華」は、王妃様だと言うことは有名だ。王妃様の場合、元、ではなく現役と言っても差し障りはないほど、今でも王妃様のドレスや、身につけている宝石、振る舞いなどを真似したいと思うご令嬢やご婦人は多い。対して、母は全く自分では気が付いていないけれど、年齢にそぐわない装いに陰で笑われていることもあるぐらいだ。

母は妹を可愛らしく着飾りたいらしく、セリーヌのドレスは地味なら地味なだけいいと思っているのかセリーヌのドレスについて口を出すことはない。だから、セリーヌは年相応のまともなドレスを身につけることが出来ている。

「それにしたって、もう少し華やかにしても良いと思うわよ?」

久しぶりという感覚で良いのかわからないが、まるで学園の頃に戻ったかのようにクリスティナ第一王女はセリーヌに苦言を呈した。

「そんなことしたら、全てあの子に奪われてしまうわ。価値のわからない者には不要だわ。」

クリスティナ以外にはセリーヌしかいない茶会には、伯爵家では絶対にお目にかかれない最近人気のお菓子が並んでいる。

「貴女、酷い顔だわ。寝ていないの?」

化粧で何とか誤魔化した酷い顔を見られて力無く笑うセリーヌは、クリスティナの目から見ても限界だった。

「そんな貴女にとても便利な物をあげるわ。」クリスティナが目の前に置いたのは古い指輪。

「これはある曰く付きの指輪なの。貴女みたいに時間に追われている人が作った、睡眠不足を解消する魔道具よ。使い方は後で説明するけれど、この指輪の凄いところは、何と、睡魔を使役出来るところなの。」

「ん?睡魔を使役?どういう意味?」

聞きなれない言葉に聞き返すと、セリーヌの興味を引けたことが嬉しいようで、クリスティナは良い笑顔を見せた。

「この指輪には睡魔が閉じ込められているの。睡魔との契約は、王家がしているから、貴女は使役だけすれば良いの。王家と睡魔との契約の内容は言えないけれど、セリーヌには悪い話ではないはずよ。騙されたと思って一度使ってくれない?」
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