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前編
しおりを挟む―――「よく見ると、美しい顔をしているのだな……」
獅子王は俺の顔を覗き込み、そう告げると、おもむろに唇を奪った……
「んんっ…… 離して下さい!私はマリア様の護衛としてここに参ったのです!」
厚い胸板を押し返すと獅子王は、俺のオメガにあるまじき力の強さに驚いて、金色の目を見開く……
そしてからかう様にニヤリと笑うと、両腕で俺の体をガッチリとホールドし、力の差を見せ付けるように締め付けた。
この金色の瞳の前では、全ての獅子族が、跪き、服従せざるを得ないだろう……
それどころか、見つめられると命を差し出すことすら惜しくないような気持ちになった……
(これが獅子族の王……最強のアルファ……)
母は十四歳で俺を産んだ。貧民街のオメガにはよくある話だ。
政府から支給される抑制剤は、転売すれば、家族が一週間食い繋げる。多民族の暮らすルーシアの貧民街では、そうやって望まれずして産まれた子供がうじゃうじゃしていて、その多くは孤児になる。
そしてその子供がオメガならば、また同じ事が繰り返されるのだ……
努力をしてもこの連鎖から抜け出す事は難しい。オメガの孤児が成人して、まともな職に就く事は奇跡に近い。
俺は運が良かった。剣の腕を買われて、貴族の私兵となることが出来た。
ルーシアは人間の王族が治める国だが、貴族には獣人もいる。俺は、自分と同じ獅子族のダーリア男爵家で護衛の任に就いていた。
己をベータと偽って……
「ラミール、どうした? 顔が赤いぞ、熱でもあるんじゃないか?」
同僚の兵士イザラに声を掛けられ、ハッとした。
(いけない……頭がボーッとしていた)
最近薬の効きが悪くなってきた。抑制剤は効きやすい体質で、今まで事無きを得てきたのだが、体が慣れてしまったのかもしれない。
「イザラすまない。少しの間、ここを頼めるか? ちょっと風邪気味でな、薬が切れたようだ……」
「構わないが……無理はするなよ」
「ああ、ありがとう」
俺は急いで自室に向かったが、どうも様子がおかしい……
身体が熱い……。朝、間違いなく薬を飲んだ。しかしこれは……
「おーいラミール、具合が悪いと聞いたが大丈夫か?」
話しかけて来たのは、隊長のビルだった。
(まずい!ビルはアルファだっ!)
「うっ……くっ、お前この匂いは!?」
ビルの息が荒くなっている……相性が悪いのか、ビルから呼応するフェロモンは香ってこないが、このまま一緒に居てはマズイ事になる。
俺は力の入らない身体を引き摺るようにして自室までたどり着くと、普段は使わない緊急用の速効性抑制剤を打った。
「はぁ……あぁ……」
大丈夫……薬が効くまでの我慢だ……
抑制剤を飲み続けていたので、こんなに激しいヒートは、最初にオメガと判明した時以来だ……
よりにもよってあの場でアルファに遭遇するとは運が悪い。ここでの仕事を失うだけでなく、これから先、この街で仕事を見つけることも難しいかもしれない。
体が落ち着いて持ち場に戻ると、仲間達が自分を見る目が明らかに変わっていた。
「ラミール、聞いたぜ。お前オメガなんだってなぁ?」
声をかけてきたのは、いつも何かと絡んでくるドリューだった。剣の腕で俺に劣るため、口で攻撃するしか能のない男だ。同じ虎の獣人と云うのもあるのだろう。いつも俺の白い体をなじって優位に立とうとしてくる。
「白化型というだけでも、不完全だというのにオメガとはな…… しかも男オメガは小柄で美しいと聞いているが、ククッ、お前はオメガとしても出来損ないなのか?」
今までオメガとバレずにいたのはこのせいだ。
おれは、ベータの男よりも背が高く、なぜか筋肉も付きやすい。一見してオメガだと思う奴はいないだろう。
「俺がたとえアルファだったとしても、こんなゴツいオメガは願い下げだぜ。需要も無いのにフェロモン振り撒いてんじゃねぇよ」
周りの兵士らも、嘲笑の色を浮かべながらその様子を眺めていた。仲の良かったイザラも、捲き込まれるのは御免だと言わんばかりに俺から目を反らした……
屋敷の中から隊長のビルがやって来ると、兵士らは鎮まりそそくさと整列した。よくもまあ、この短時間でこれだけの人数に吹聴してくれたものだ。そして屋敷から来たと云うことは、旦那様への報告も済ませたのだろう。
「ラミール、旦那様がお呼びだ」
「流石隊長、仕事が早いですね」
「お前のフェロモンなど二度と嗅ぎたくないのでな……」
ドリューや隊長の言うことも尤もだ。俺がアルファでも、こんなゴツいオメガに間違って発情したくはないだろう。
そう思うと怒りより笑いが込み上げてきた。
「ふっ……」
俺は、それ以上何も言わず屋敷へと向かった。
ダーリア男爵は獅子族の中でも最強と謳われる獅子の獣人だ。
『獅子族』と云うのはネコ科の全獣人の総称で、常に種族の長が獅子であることから『獅子族』と呼ばれている。
「ラミール、お前がオメガと云うのは真の話か?」
「……はい、相応の処分は覚悟しております」
勿論、契約解除の話だろうと思って話を聞き始めるが、旦那様には何か別の思惑があるようだった。
「長女のマリアがラピヤの獅子王に嫁ぐ事は知っているな」
「? はい」
ラピヤというのは各国に散らばるすべての獅子族の長である「獅子王」の住む都だ。ルーシアからは陸路で一か月、物資運搬用のドラゴンでも三日は掛かる。ルーシア王家所有の中型のドラゴンでも丸1日は掛かるようだ。
獅子王はカルデローニ王家による世襲だが、その血筋は同じ獅子のアルファの中でも、ずば抜けた力を持っていると云う。
王家に輿入れすると云う事は、他国に住む獅子の一族にとって、たとえ側室であっても大変名誉な事だ。
ダーリア男爵家でも着々と準備が進められていて、輿入れの荷は、既に運搬用のドラゴンが運んでおり、二日後にルーシア王家のご厚意により中型のドラゴンがマリアを運ぶ手筈となっている。
「後宮は獅子王の寵愛を巡って熾烈な争いがあると聞く、男子禁制の後宮にアルファやベータの男を伴わせる訳にはいかないと、頭を悩ませていた所だ」
「つまり後宮入りするマリア様の護衛の任に就けという事でしょうか?」
「そうだ。お前にとっても都合がいいだろう?他の兵士達はオメガのお前を受け入れまい……」
「獅子王に『否』と言われたら?」
「……その時は契約解除となる。お前は我が私兵としてよく務めてくれた。命を救われたこともある…… しかし私に出来ることはここまでだ」
「お心遣い感謝いたします。マリア様の護衛の任、謹んで務めさせて戴きます」
やはり俺は運がいいのだろう。少なくとも雇用主には恵まれた。王宮で受け入れて貰えるとも思えないが、この地を離れ、獅子族の都で暮らすのもいいだろう……
二日後、ルーシアの王宮にある、ドラゴン発着用の大きなバルコニーから、薄いピンクのドラゴンに乗って、ラピヤへと向かった。
ドラゴンに乗り込んだのは、マリアと侍女のサリーと俺の三人だ。ドラゴンの背は、大人三人が悠々と寝転べる程の広さがあり、なぜか気温や風の影響を受けない。陸路で1か月かかる道程を一日で移動しているとは思えない快適さだった。
しかしマリアの表情は、晴れやかとは程遠いものだ。サリーも気遣って、ずっとマリアの背を撫でている。
「御気分が優れませんか?ドラゴンに言えば降りて休憩を取れるようですが……」
「いいえ……大丈夫です。ありがとうラミール」
マリアの憂鬱の原因はわかっている。マリアはルーシアに思いの人がいるのだ。王家直々の申し出に喜ぶ両親にその事を告げられぬまま、今日を迎えてしまった。
ここまで来てしまっては、どうする事も出来ない。マリア様には可哀想だが、自分でどうにかしようと行動しない本人が悪いのだ。行動したところで無駄かもしれないが、もし行動していたなら、俺も何かしら助力をしようと云う気になったかもしれない……
獅子王への対面は到着の翌日に予定されていた。一先ず通された来賓用の客間では、マリアが相変わらず浮かない顔をしていて、サリーを困らせていた。
「許可をいただいたので、城内を確認してまいります。扉の外には、こちらの護衛兵が二人常駐しておりますので、安心してお休み下さい」
護衛として、建物の構造を把握しておくのは基礎中の基礎だ。有事の際の脱出経路は、最初に確保しておかなければならない。
明るい内に確認を済ませたかったが、予定より到着が遅れた為、日はすでに落ちていた。
廊下に描かれた見事な天井画に圧倒される。
ルーシアの王城も豪華だったが、この城はそれ以上だ……
予め聞いておいた後宮の場所を確認する為、庭に出ると、後宮までの道は、ツル科の花のアーチになっていた。手入れの行き届いた見事なアーチを眺めて歩いていると、正面から一人の大きな男が歩いてきた。
男の風貌から察するに、獅子の獣人のようだ。
「見ない顔だな? ここからは男子禁制だ。引き返せ」
ここで出会う獅子といえば、一人しかいない。聞くまでもなく獅子王だ。その辺のアルファとは、オーラが違うので間違いないだろう。
獅子の獣人は金髪が多いが、獅子王の髪は、濃い焦げ茶だった。鬣の色の濃さは強さの証明だと云うが、おそらく獣型も立派なのだろう。それに反して普通は金茶の筈の瞳は吸い込まれる様な金色だった。
「失礼致しました。バランドル陛下とお見受けします。私は本日ルーシアのダーリア男爵家よりマリア様の護衛の為参りましたラミールです」
「護衛だと? 護衛兵なら用意した筈だ。いずれにしても、後宮の中には男は入れん……オメガでなければな」
「はい。私はオメガですので、マリア様の後宮内での護衛として、男爵よりこの任を承りました」
(今ここで追い出されなければの話だが……)
「オメガ? お前がか?」
そう見えない事は分かってので、まじまじと見つめてくる相手を失礼だとも思わない。
「勿論、陛下の許可がおりればの話です。見た目には、只の男ですので……」
「年は幾つだ? 伴侶はいるのか?」
聞いてくると云うことは、即決でクビを切られることはないのだろうか?
「二十一です。伴侶はおりません」
「首輪はどうした?」
「……」
通常、独身のオメガは厚い革製の首輪をしている。急なヒートで間違って番にならない為の防衛策であり、アルファに対するマナーでもある。
「失礼しました。直ぐに用意致します。ルーシアでは、オメガと明かさずに生活していたもので…… 抑制剤を飲み続けていました」
獅子王は、少し苦々しい表情を浮かべたが、顎を触りながら考え込むと、意外な言葉を口にした。
「お前の逞しい首に合う首輪など、ないだろう? こちらで用意しよう。明日、職人を計測に向かわせる」
つまり、マリア様の警護を続けさせて貰えると云うことだろうか?
手を煩わせるのもどうかと思ったが、着いたばかりで革職人の当てもない。俺は好意に甘えることにした。
「ありがとうございます……」
「では、ラミール、明日から宜しく頼む……」
そう言うと獅子王は、王宮へと戻って行った……
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