鈴蛍

久遠

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 洋平が美鈴の仏壇に目を遣ると、彼女に手を合わせている寺本隆夫の姿があった。
 隆夫も呼ばれていた。彼は灘屋の当主の立場にあったので、当然のことだった。
 あの蛍狩り以来、二人はすっかり幼い頃の関係に戻っていた。もちろん、彼も美鈴の死を知ってはいたが、洋平に遠慮して話題に上げることは一度もなかった。
 隆夫が傍に座った。そして十分に気遣いながら、まるで坊主のようなことを言った。
「いけんよな。年寄りならええということはないけんど、若いのはいけん。まして子供はもっといけん」
 洋平は深く頷いた。
 昨年の大敷屋は、大往生した老婆の初盆だっただけに、涙も笑顔の中にあった。それに比べて今宵は酷く暗かった。たまに談笑しているときもあるが、話が途切れると、皆一様に暗く沈んだ表情になっていた。
 沈痛な空気の中で、黄色い声だけが飛び交っていた。洋平の目には、何もわからない幼子たちの、大勢の人々の賑わいや久しぶりに会った親戚たちに興奮し、美鈴の仏壇の周りで無邪気にはしゃいでいる様子が、例えようもなく皮肉なものに映っていた。
 他愛もない話が一段落したときだった。隆夫が気まずそうな面持ちで切り出した。
「なあ、洋平。今だから言えるんだけどな、実はお前に隠していたことがあってな……」
「なんじゃ、あらたまって」
「そいがな、昨年の蛍狩りのとき、おらがわいたちを見守っていたのは、わいたちが出掛けるところを偶然見つけたけん、と言っただろう」
「ああ、確かそげだったな」
「そいが、本当はそげじゃないんだが」
「どげんことかい?」
「本当は、おらに頼みにきた者がおってなあ」
「わいに頼んだ者だと」
「うん。そげなんだが……」
「誰だ」
「うーん……うーん……」
 隆夫はここに至っても、まだ迷っていた。
「おらは怒らんけん、そこまで言ったんなら、最後まで言ったらどげだ」
 わかった、と隆夫は迷いを断ち切った表情になった。
「そいがな、お前に内緒にしてくれって、言われていたけん、ずっと黙っていたけんど、こげんことになっちまったけん、もうええじゃろと思うけんどな」
 隆夫の言葉に、洋平は見当違いをしていることに気付いた。彼は、蛍狩りから戻ったときの対応からして、てっきり母の里恵だと思っていた。
「まさか……、まさか、鈴ちゃんか?」
「その通り、美鈴だ」
「そうか、鈴ちゃんか……」
 洋平はまた胸が熱くなった。
「それがな、お盆が始まる前の十二日に、美鈴がうちにやって来て、十五日にわいと二人で蛍狩りに行くけんど、もし二人に何かあれば、村中が大騒ぎになるけん、おらにそっと後を付けてくれ、と言うんだ。そして、もし何かあれば力になってくれと頼んだんだ」
「鈴ちゃんが、そげんことを……」
「わい、美鈴に何か言ったのか。あいつは気になることがあったみたいで、おらに頼んだという訳だが」
――そういうことか……。
 洋平は、美鈴が恵比寿家に泊まった夜を思い出した。洋平が大日堂に籠っていたため、村中で捜索する騒ぎになった話を美鈴にしたのだ。
 隆夫は言葉を継いだ。
「そいでな、美鈴はわいには内緒にしてくれと頼んだんだ。せっかく、二人だけで蛍狩りに行こうと意気込んでいるわいに申し訳ないと言うんだ。おらが思うには、わいにまた誤解をされたくないという気持ちもあったと思うだが」
「……」
 洋平には返す言葉がなかった。
「それと、もう一つ。あの夜、わいたちが乗って行った自転車はおらのだが。そいも、十五日の昼にもう一度美鈴がおらに頼みに来ただ」
 この言葉が駄目押しとなった。
 とうとう洋平は、込み上げる激情を抑え切れず、居た堪れなくなって表に出た。
 隆夫の話が真実ならば、美鈴のお陰で隆夫と昔の関係に戻れたということになる。そもそも、隆夫に対して真摯に向き合おうと思い改めたのも、海岸通りでの彼女の一言がきっかけだった。美鈴が二人の関係修復を意図していたかどうかは、今となっては知る術も無いが、彼女の心根を思えば十分に考えられることだ、と洋平には思えた。
 生温かい雫が頬を伝った。美鈴を想うと、すっかり泣き虫になってしまう洋平だった。静かに流れていた涙は、しだいに大きくなる悲しみの波に抗しきれず、身体が震えだし、とうとう人目を憚ることなく声を上げて哭いた。
 悲しみは美鈴の死を知ったときよりさらに増していた。時が悲しみを小さくしてくれたと思っていたが、そうではなかった。心の片隅で静かに、しかし確実に蓄積されていっていた。
 洋平がそれを直視しなかっただけのことだった。隆夫の話に、抑えられていた感情が堰を切ったように溢れ出ていた。
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