鈴蛍

久遠

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 虚を衝かれた洋平だったが、相変わらずの奔放な行動に、夏の日の彼女が甦ってきた。
 洋平も同じように彼女の横に、仰向けになって目を瞑った。
 洋平が目を瞑ったのと同時に、美鈴が初めて口を開いた。
「ねえ、洋君。私と初めて出逢った日のことを覚えている?」
 恋しい声を耳元で聞いた洋平は、懐かしさがこみ上げてきて、目頭が熱くなった。
「覚えちょうよ。集合場所で鈴ちゃんを見たとき、がいに可愛くてびっくりしただ。おらは、あのときから鈴ちゃんを好きになっただ」
 洋平は美鈴に悟られまいと、震える声を懸命に抑えていた。
「初めてキスをしたことは?」
「そんなもん、絶対に忘れるはずがないがな」
「盆踊りは? 蛍狩りは? 納屋のことは?」
 美鈴は急くように、矢継ぎ早に訊ねてきた。彼女が始めて恵比寿家にやって来た日の転寝をしたときと同じだった。
「もちろん、全部覚えちょうよ。だいてが鈴ちゃん、なんでそんなことばかり聞いてくるだ」 
 問い返しながら、横を向いて美鈴を見た洋平は、渇望していた心の暖かみが隅々にまで広がって行くのを感じた。瞑っていた彼女の瞼が、小刻みに震えていたのである。
――鈴ちゃんもおらと同じ想いなのだ。鈴ちゃんの気持ちは少しも変わってはいなかった。そうか、鈴ちゃんもおらも同じ想いかどうか確かめているのか。
 二人の関係が、昨夏のままだと確信した洋平は、お盆の夜以来、絶えず気に病んでいた、ある胸の痞えを取り除きたいと思った。
「ところで、鈴ちゃん。おら、鈴ちゃんに謝らんといけんことがあるだが……」
 洋平には、この冬に美鈴と再会したならば、真っ先に釈明しなければならないことがあった。
 だが、彼女は返事をしなかった。
「ねえ、鈴ちゃん。あのね、プレアデスのことだけんど……」
「……」
 やはり何も反応がない。
「鈴ちゃん? 鈴ちゃん、どげしただ」 
 洋平は何度も呼び掛けたが、彼女の口が開くことはなかった。どうやら、眠ってしまったようだ。
「なあんだ、寝ちゃったのか」
 そう呟きながら、美鈴の寝顔を見ているうちに、いつの間にか洋平も眠りに陥ったのだった。

「洋平。起きなさい、洋平」
 夢現の中で母里恵の声を聞いた。眠りから醒める寸前で、洋平は隣に美鈴の気配がないことに気付いた。
「お母ちゃん、鈴ちゃんは?」
「えっ、美鈴ちゃん?」 
 数瞬、驚きの色を浮かべた里恵だったが、すぐに何かを悟った表情に変わった。
「そうかい。美鈴ちゃんが遊びに来てたのかい」
「うん。おらもびっくりしただけんど……。さっきまで話をして、それから寝ちょったのに……」
「きっと、美鈴ちゃんは時間がきて、帰って行ったのだよ」
 洋平は納得がいかなかった。
「鈴ちゃんが、おらに黙って帰るはずがないけん。そこいら辺におるかもしれんけん、おら、ちょっと見てくる」
 洋平は家中を捜し回ったが、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。 
「こんな吹雪の中を一人で帰って行ったのかな、鈴ちゃん大丈夫かな? お母ちゃん、大工屋さんに電話してみて」
 中の間に戻り、里恵にそう頼むと、
「洋平、今日は朝から吹雪なんてちっとも吹いちょらんよ。それに、美鈴ちゃんが帰って行ったのは大工屋さんじゃないよ」
「えっ?」
 洋平には里恵の言葉の意味がわからなかった。
 訝しがる洋平に、
「洋平、これが届いたよ」
 と、里恵は一通の手紙を差し出した。
 洋平の心の片隅に胸騒ぎの火種が点った。そして、封筒を裏返して差出人の名前を確認したとき、不吉な予感は心の中を一気に席巻していった。
 差出人は『井上美津子』。美鈴の母だった。
 洋平は、ようやく事の真相を悟った。彼は、まるで手にした手紙の開封を遠ざけるかのように、母屋の式台、土間を渡った離れの式台、そして階段を上がる途中で何度も腰を下ろした。それはまるで、絞首台へ向かう死刑囚のような躊躇いだった。洋平は右手で左胸を摩り、気持ちを落ち着かせながら自室へ入って行った。
 乾いた冷気が、一層洋平の胸を締めつけた。ベッドに腰掛けた洋平は、封を切ろうとするが、手が震えてうまく開けることができない。手だけではない、身体全体が震えて、どうにもならなかった。
 むろん、寒さが原因ではない。これから受けるであろう衝撃の予感に、戦慄していたせいだった。彼は、何度も何度も深呼吸をして、錐が突き刺さっているかのような胸の痛みに耐えながら、どうにか封筒から手紙を取り出すと、ゆっくりと広げた。

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