鈴蛍

久遠

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第十章 灯篭火(1)

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 そしてお盆がやってきた。
 洋平は複雑な心境だった。
 昨年までは、滅多に会えない親戚たちが挙って帰省する上、盆踊りや花火大会、夜店などの楽しい催しもあって大変に待ち遠しいものだった。だが今年は、お盆の後に美鈴との別れが待ち受けていた。洋平は、その寂しさを想像するだけで気が滅入っていた。
 親戚たちが続々と帰って来た。
 名古屋から三男の叔父一家が、東京からは四女で末っ子の八重子が帰ってきた。洋平の睫毛を切った叔母である。最後にもう一人、親戚の中では洋平が一番待ち遠しい四男の昌造も下関から帰って来た。
 昌造は、外国航路の貨物船の機関士をしていたので、帰省する度に寄港した国々の珍しいお土産を持ち帰ってくれたし、航海中の様々なエピソードも聞かせてくれた。 昌造の話を聞く度に、洋平は勝手な妄想を膨らまし、夢の世界を広げていったものである。
 昌造は親戚の中でもとくに心が純粋で優しく、海の男には珍しく細かな気遣いができ、情に厚い人でもあった。
 洋平は親戚の中では、彼が一番好きだった。
 昌造は仕事の関係上、帰省できたのは、お盆や正月と日本に寄港するときがうまく重なったときと限られていたので、何年も帰省しないこともあれば、一年にお盆と正月の両方に帰省するなど、まちまちだった。
 この日は、美鈴の両親も帰省することになっていたので、午前の勉強を終えると、彼女は大工屋に帰って行った。
 午後、久しぶりに一人になった洋平は、身体の一部を捥ぎ取られたような喪失感に見舞われ、彼女のいなくなる現実を実感していた。

 夕方になり、地元に住んでいる洋太郎、洋一郎と里恵の兄弟、そしてウメの出所の親戚らが一同に介しての酒宴となったが、渦中のトラは、体調不良を口実に欠席した。トラが恵比寿家の催事に顔を出さぬことなど、大変に珍しいことだったが、真の理由を知る者は、洋平ただ一人だった。
 ともかく四十人を超える大人数なので、奥中の間と中の間、中の間と次の間を仕切る障子を外し、三間続きにして膳を並べることになる。洋太郎は、奥中の間の番奥、仏壇を背にしたところに座った。この宴では一番の上座である。子供たちは、台所で別に食事を取るのだが、洋平だけは例外で、親族が集まる宴会の席には必ず加わっていた。
 玄関から一番奥が洋平のいつもの席で、東の方を向いて座っていた。つまり、彼の左手に洋太郎が座っている形になった。見ようによっては、彼が一番の上座に陣取っているやも知れなかった。これもまた、洋平が恵比寿の後継者であることを無言で知らしめる洋太郎の配慮だった。
 宴会が始まって一時間ほど経った頃、玄関に来客の声がして、里恵が応対に出た。 
 当時、恵比寿家には多くの来訪者があったので、洋平は気にも懸けなかったが、座敷の向こうにその来客の姿を見たとき、つまんでいた真鯛の刺身を下に落とす粗相をするほど仰天した。
 来訪者の中に美鈴の姿があったのである。洋平の胸は喜びに躍った。
 一同が不審に思う中で、真っ先に声を掛けたのは昌造だった。
「よう、秀次。久ぶりだなあ」
 と懐かしそうな声を上げたのである。昌造と秀次は親友だったのだ。
「万太郎さん、お久ぶりです」
 続けて万太郎にも挨拶をすると、それをきっかけにして各々皆挨拶を交わし始めた。
 二間先に座っている彼女を見つめていた洋平は、微笑ましい光景につい噴出してしまった。さすがの彼女も恵比寿の一門を前にして、いかにも居心地が悪そうにしていたのである。
 皆の挨拶が一通り終わり、美鈴と彼女の両親、そして万太郎の四人を上座の方へ誘ったとき、秀次は一旦それを断り、あらためて一同に挨拶をした。
「今日は美鈴のことでお礼に伺いました。この二週間あまり、毎日娘がこちらのお屋敷にお伺いして、ご厄介になり有難うございました。本来なら、もっと早く御礼に伺わなくてはなりませんでしたが、仕事の関係で本日になり申し訳ありませんでした」
 畏まった挨拶が終わると、四人は頭を下げた。
「皆さん、早よう頭を上げてごしない。秀次さん、そげな堅苦しい挨拶はなしにしましょうや。秀次さんの代わりに万太郎さんが何度もうちにござって、礼を言っておられますけん、ねえ、お祖父さん」
 傍らにいた里恵がそう言って、視線を洋太郎に移した。
「そうじゃ、万太郎さんが何度も礼をなさっているからもうええけん。それよりこっち来て飲まい、飲まい」
 祖父は立ち上がり、いつものように万太郎に上座を譲った。
「姫さんは、総領さんの横がええな」
 誰かがそう言った。
――姫……?
 言われてみれば、洋平の目にもそのように映った。
 紺色の生地に朝顔の花の模様が入った艶やかな浴衣を着ている彼女は、とても上品で大人びていた。
 親戚の中には、美鈴と恵比寿家の関わりを知らない者も多く、彼らが互いに顔を見合わせたり、周りに仔細を問うたりしたため、怪訝に満ちたざわめきが広がっていった。
 ようやく、そのような波紋も収まり、座が落ち着き始めたときだった。
 突然、七、八人のいとこ連中が、宴席に小走りで押しかけて来た。どうやら美穂子から話を聞いて、美鈴見たさにやって来たものらしかった。
 大勢の子供たちが、慌しくしかも一斉に部屋に入って来たため、何事かと一同が注目した中でのことだった。
「洋平兄ちゃんが好きな女の子って、あの子?」
 近くの街に住んでいて、洋平が一番可愛がっている四歳年下の従弟が、美鈴を指差し、大きな声で言ってしまった。
 皆が一斉に二人の方に振り向いた。だが洋平は、不思議なくらいに平然とした心地だった。
 もちろん気恥ずかしいことに違いはなかったが、心のどこかに『それほどでもない』と感じているもう一人の自分がいた。開き直っているということでもなく、別に知られても構わないという気持ちだった。美鈴との別れが近づいている現在、この期に及んで恥ずかしがっていてどうするのだ、という意識が働いていたのかもしれない。
 洋平は、美鈴の様子を窺ったが、彼女も至って平然としていた。
「ほんとだ、がいに可愛い」
 従弟が美鈴を見てそう言うと、他のいとこたちも、綺麗だとか可愛いとか口々に言って、散々に品定めをし終えると、満足したようにさっさと引き返して行った。
「よおっ。総領さん、目が高いぞ」
 いとこたちが立ち去るや否や、早くも酔いが回っている様子の昌造が、冷やかすように言った。それを契機に皆、良い娘さんだとか、お似合いだとか、真面目ともからかいともつかぬことを口にして囃し立て酒のつまみにしたが、それでも洋平は照れくさくなかった。
 むしろ、美鈴の存在を恵比寿の親族一同に認めてもらったような、もっと言えば許婚として皆にお披露目したような、晴れ晴れしい安堵感を感じていたのだった。
 それは彼の独りよがりで勝手な思い込みだったかもしれないが、彼の目にはこの座の情景と、十年後、二十年後の将来のこの場において、彼女が自分の傍らで傅いている姿が重なりあっていたのである。

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