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第一章 宿命を背負う男

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 サンジェルマンを出た二人は、光智のアパートへと向かった。
 いつの間にか、空の大半を灰色の雲が覆っていたせいで、早くも夕暮れが迫っていた。薄闇の中、何処からともなく届いた桜の花の甘ったるい匂いに、光智の胸は自然と躍った。時折、生暖かい空気を切り裂いて、冷ややかな風が吹き抜けていった。春とはいえ、未だ残る夜気が肌に心地良かった。
「お前、本当に恭子さんが好きなのか?」
 光智は、部屋に入るなり質した。
「な、何を言っているんだ。当たり前だろう。だから、お前に無理を言ったんじゃないか」
 真司は、虚を突かれたような素振りを見せた。その様子に、光智は違和感を覚えたが、
「そうか。それなら、彼女は諦めた方が良いな」
 と説得口調で言った。
「なんだ。やっぱり、お前も彼女のことを気に入ったんだな」
 真司が斜に構える。
「違う、誤解するな。彼女の相手は矢崎とかいう医学部生だよ」
「矢崎?  なぜ、そうだと分かる」
「二人の表情を見ていれば分かるよ。彼女の方は五分五分だが、ママの方は乗り気だな」
 光智は自信ありげに言った。
 恭子は母親の言いなりになる、と光智は感じていた。その母親が矢崎にご執心なら、遠からず彼女もその気になる。
 光智は、自分が座った椅子は矢崎の座る特等席なのだと推察した。つまり、他の男性客からみれば、憧れの恭子の心を奪った憎い奴の座る椅子ということになる。彼が感じた敵意のある視線は、矢崎の代役に対するものだったと確信していた。
「だから、心の傷が小さいうちにきっぱりと諦めるんだな」 
「いや、諦めない。それは、あくまでもお前の想像だろ。俺は、彼女の口からはっきりと聞くまでは引き下がるつもりはない」
 ほう、意外だなという顔をして光智が言う。
「お前にしては、珍しく本気だな」
「あんなに愛くるしい女の娘は初めてだ。この程度で諦めたら後悔する」
 真司は決意の表情で言ったが、光智の心には響かなかった。どこか無理をしているような気がしたのである。
 それでも、
「お前がそこまでの思いでいるなら、俺はこれ以上何も言わないが、彼女を振り向かせるには、まず母親の心を射止めないと無理だと思うな」
 とアドバイスをした。
「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ、だな」
 真司は、自らに言い聞かせるように言った。
 
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