拝啓、廻る季節に君はいない。

日逢藍花

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終章

終章-①

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 家を出て数分も経たないうちに、俺は自らの軽率な行いを後悔することになる。



 あれから加速度的に吹雪の勢いは強まっていき、目の前の視界と足場を確保するのが精一杯だった。



 一歩一歩、確実に足を踏み出していくことに全神経を集中させる。



 服を着込んでいるのに寒くて堪らない。



 手袋をしていない指が悴んで、ずきずきと痛んで堪らなかった。



 脚の筋肉が凍えて、神経が悲鳴を上げていた。



 ただでさえ、実家から神社まで遠く離れている。



 これでは辿り着くまでに、いつまでかかるのか分かったものじゃない。  



 それでも、引き返すという選択肢はなかった。



 こうなることは、最初から分かっていたことだ。



 俺は振り向かずに、ひたすら吹雪の中を歩き続けた。





 強い風に煽られながら、俺は今一度思い出す。

 

 この一年間の記憶と、最愛の彼女のことを。





 喜劇じみた、滑稽に踊る春があった。



 ロマンスのような、胸が高鳴る夏があった。



 悲劇が花を添えてくれた、秋があった。



 皮肉に満ちた、ひたすら幸福な冬があった。





 千賀燎火が消えてから新しい年を迎えて、あっという間に暦は三月になっていた。



 問題なく受験も成功し、春からは志望校であった沙山南高校へと通うことになる。



 康太とは別れることになるが、日聖は変わらず同じ学校だ。



 あれから日聖ともう一度話し合い、愛を告白され、俺はそれを受け入れた。



 今すぐ気持ちを切り替えることはできないが、それでも俺の近くにいて欲しい。



 俺も、ずっと離れず君の隣にいる。



 また一から、俺たちはやり直そう。



 そして、いつか心から君を愛したい。



 そんな子どもじみたわがままを、彼女は笑って聞き届けてくれた。



 家庭環境も、魔法が解けたように元通りになった。



 両親はあれからつまらないきっかけで復縁し、何ごともなかったかのように一つの家に住んでいる。



 世界は幸福で満ちていた。



 その全部が、彼女にもらったものだった。





 けれどその幸福が、俺には痛かった。



 皮膚と内蔵がそっくりひっくり返ったように、痛くて苦しくて堪らなかった。



 笑うたびに、顔の筋肉が引きちぎれそうだった。



 喜ぶたびに、胸焼けがして胃の中のものを吐きそうになった。



 悲しくないのに、自然と涙を流している頻度が増えた。





 日聖と康太は、もう千賀燎火のことを覚えていなかった。



 俺が彼女の話題を持ち出しても、彼らはただ困惑した顔を返すだけだった。



 日聖は自分が二十五歳であることまでは覚えていたが、この世界に導いた人物までは覚えていないらしい。



 他のクラスメイトや教師の誰もが、彼女の記憶を失っているようだった。



 一度彼女の祖父を尋ねに行ったが、彼も自分の孫は幼い時に亡くなっていると言って憚らなかった。



 千賀燎火という女の子が生きていた痕跡は、この世界から残らず消えてしまった。



 彼女を覚えている人間は、もはや俺しかいない。





 正面から吹きつける乾いた雪を避けて、ふと視線を横に向ける。



 変哲もない一軒家の庭先が見えた。



 その隅には梯子とシャベルが打ち捨てられて、降りしきる雪に埋まりつつあった。



 大方、経験したことのない積雪量に不安になって、屋根の雪掃除を試みたのだろうが諦めて放っておいたのだろう。



 この土地の人間に、雪下ろしのノウハウがあるとは思えない。



 吹雪の勢いは短時間で弱まったり、強まったりした。



 冬の天気はとにかく流動的だ。



 好機を逃さずに、吹雪が弱まるタイミングでなるべく歩を進めた。



 体感では二時間以上かかったかように感じたが、携帯の時計を見れば一時間しか経っていなかった。



 俺はやっとの思いで、陣西神社の麓まで辿り着いた。





 必死な思いで訪れた場所は、何か特別な目的があって訪れたわけではなかった。



 最初に言ったはずだ。これは俺の自己満足に過ぎないと。



 そこに大した意味はなくても、そうしなければ気が済まないと思った。



 ただそれだけの話だ。



 滑らないように細心の注意を図りながら、石段を一歩一歩踏みしめていく。



 鳥居を潜って境内に入り、社の正面で俺は立ち止まった。



 コートの下のポケットから、苦労して書いた彼女への手紙を取り出す。



 同じポケットの奥を弄ると固い感触があった。



 取り出してみると、それは煙草用のライターだった。



 そこであることを思いつく。



 そのタイミングで、狙ったかのように吹雪は勢いを弱めた。



 ほんの束の間、完全な無風の状態が訪れる。



 予期しない幸運に感謝しながら、ライターを着火させて、恐る恐る手紙に近づける。



 ゆっくりと手紙に火が移り、小さな紙片をじりじりと焦がしていく。



 それを庇に遮られて雪の積もっていない、石で舗装された地面に放り投げる。



 篝火は燃え盛り、煙が天に昇って消えていく。



 空を仰ぐと、まるで誰かが仕組んだかのように、星々が雲の合間を割って煌めいていることに気がついた。



 一片の雪たちが舞うように頼りなく、ひらりひらりと落ちてくる。



 暗闇の中で、炎と星の輝きを氷の欠片たちが反射して、まるで灯りのようにぼんやりと世界を照らし出した。



 祈りを込めた手紙は燃え尽き、灯った炎がゆっくりと消えていく。



 その様を見て、俺はただ美しいと思った。





 涙が零れ落ちて、止まらなかった。

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