拝啓、廻る季節に君はいない。

日逢藍花

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冬の断章 -Irony-

舞台袖からの景色-⑤

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 全知全能の力を使って、私は新しい世界を創り直した。



 十年前の世界を現在の一点に繋ぎ止めて、永輔さんの意識を連続させたまま、当時の身体に憑依させた。



 現代物理学も悟性の限界をも超えた現実として、それは端的に生気し、それ以上でも以下でもない現実となってただそこにあり果てた。



 私が作り上げたのは、永輔さんが挫折せず、絶望することのなかった、悲劇が何も起きなかった世界だ。



 私は全知の力で、福島永輔の人生を細部まで顧みた。



 そして、彼を生き返らせるに合わせて、その不遇から救いたいと思った。 



 もう一度青春の日々をやり直し、二度目の新しい人生を謳歌して欲しい。



 それだけの力が、私にはあった。





 完成したのが、二〇〇七年の春。

  

 中学校の始業式から始まる世界だった。



 恋人の死がきっかけで宮内康太が不条理へ反抗する暴君と成り果てず、日聖愛海が彼を救うために自らを差し出すこともなかった、そんな都合の良い幸福な世界だった。



 しかし、そんな大業な奇跡を起こしながら、代償が一切ないというわけにはいかない。



 それは神とはいえ、例外ではなかった。



 ほとんどの力を使い果たして、私はもう少しで消え去る運命にあった。



 だから、私が消えても彼が道を見失わず生きることができるように、元の世界で二十五歳になった日聖さんに接触した。



 彼女は東京で、舞台を活動の中心とした女優として生計を立てていた。



 深夜の新宿で、遅くなった稽古の帰り道で私は彼女の前に現れた。



 彼女はその美貌をさらに冴え渡らせていたが、彼の中の記憶よりもその顔はいくらかやつれていた。

 

 私は、彼女にある条件を提示した。



 悲劇の起きなかった世界で、今もなお忘れられない初恋の男の子と幸福に生きることのできる世界。



 そのために、もう一度中学生をやり直す気はあるか。



 私は尋ねた。



 訝しながらも、彼女は二の句でその申し出に乗ってくれた。



 その世界で死を迎えることに、彼女は頓着しなかったのだ。



 それは同時に、彼女が蓄えてきた歪みの裏返しだった。



 これでもう後腐れはない。



 安心して世界から消えることができると思った。 



 だけど残酷にも、私に最期は訪れなかった。



 半端に力が残ってしまい、短い余生を彼らと同じ、陣西中学校の三年生として過ごしていかなければならなかったのだ。



 誰の悪戯か、私は自分の意志で消えることができなかった。



 死のうと思っても、どうやっても死ぬことは叶わなかった。



 刃物も酸素の欠乏も私を殺してはくれなかった。



 同時に奇跡を行使する力は、ほとんどが失われていた。



 狙ったかのように近しい関係の人物の意識を操る能力は失われ、私は万能とは程遠い一介の小娘に逆戻りした。



 役立たずの傍観者に成り果てたのだ。



 だから新学期以降、私は日聖さんを監視役にして彼を見張った。



 母親に自殺され精神を病んだ陰気で嫌味な中学生を演じ、彼に嫌われようと必死になった。



 そうやって誰からも忘れ去られたタイミングで、一人ぼっちで最期の時を迎えることが目的だった。





 世界を創り直して、始めて私は悟ることになる。



 奇跡的に心臓病が完治していても、私の人生にはさほど変わりがなかった。



 当然のように母に疎まれ、殴られて、蹴られ、死なれ、呪われた。



 そして、一人きりで生きていくことを余儀なくされる。



 宿痾に蝕まれない幸福な世界でも、私は肉親から虐待を受けた。



 友人たちから虐げられた。誰にも顧みられず孤独に生きていく運命にあった。



 その事実に、私は当たり前のように絶望した。



 私は、いずれ消えゆく存在だ。



 その時に彼が悲しまないように、あえて彼を無視して強い言葉で否定した。



 自分の気持ちを押しとどめて、日聖さんと彼を接近させる当て馬として立ち振る舞い、そのために最小限の奇跡を使った。    





 そういえば日聖さんは、最初から私のことを嫌っていた。



 永輔さんを見つめる時の穏やかで優しげな表情が、私に向けられたことは一度だってなかった。



 彼女は私の前ではいつも嫌悪を隠すことをせずに、汚物に向けるような鋭い目つきで私を眺めた。



 無理はない。



 およそ万能の神という存在が、彼女にとっては許せなかったのだろう。



 それでも永輔さんが私に想いを寄せている手前、色々と便宜を図ってくれたりもした。



 歯痒さを噛み殺しながら、なるべく一緒にいる時間を作ってくれて、舞台公演のチケットを譲ってくれたのも彼女だった。 



 永輔さんたち三人が、初めてお見舞いに来てくれた日。 



 彼が席を外したタイミングで、日聖さんが一人で部屋に訪れた。



 入院なんていうお粗末な手段で彼の前から逃げたことを詰られ、それから面と向かって言われた。



「……あなたはなんでもできるのに、何にもしなかった。そんなあなたを、私は絶対に許さない」



 その言葉と共に、彼女は強い力で私の頬を容赦なく叩いた。



 日聖さんは私を睨みながら歯を食いしばって、静かに泣いていた。



 そして、「近いうちに、私は永輔さんを奪う」と静かに言い放った。



 彼女が私を嫌うのは当たり前だ。



 全部、彼女の言う通りなのだ。私は結局、永輔さんに何も返すことができなかった。



 だって私は、永輔さんを殺した張本人だった。



 私がいなければ初めから、彼は苦しむことも死ぬこともなかった。



 奇跡を起こせる力を持ちながら、ずっと彼を混乱させ悲しませた。



 日聖さんは永輔さんを振り向かせようと、たくさんの行動と愛情を重ねていた。



 なのに何もできない、それどころか幾度となく傷つけてきた私を永輔さんは見つめ続けた。



 日聖さんに全てを担わせて、自分は一人で無責任に消えようとしていた。



 ひたすら無能で、無力だった。

 

 それでも永輔さんが愛したのは日聖さんではなく、私の方だった。



 彼女は私の病気が再発することで、永輔さんがどんな手段を選ぶか分かっていたのだろう。



 だから、彼を無事に助けることができた。



 結果的に彼らの関係が深まったのは僥倖だったけど、私はまたも自分の愚かさを痛感することになる。





 神さまが、聞いて呆れるというものだ。 

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