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本編第二章
覆面作家の正体です4
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サウルさんの話を聞いてはみたけれど……はっきり言って謎は全く解けなかった。
「うーん、なんでリンド馬車の跡取りである長兄のエミールさんは、格下の家のガイさんに結婚話を持ちかけたのかしら」
ガイさんと面会した翌日、私はこの冬の滞在地である王都のタウンハウスのダイニングで、ふと手を止めながらそう呟いた。同じ部屋には継母とメイド長のクレバー夫人、メイドのサリー、遊びに来てくれた従兄弟のスノウと、ある意味当事者のシュミット先生がいる。
なぜみんな揃って朝からダイニングにいるのかと言えば、この部屋に広いテーブルがあるからだ。そして全員がテーブルについて何をしているのかといえば、お裁縫である。
「アンジェリカ、考え事はいいけど手が止まってるぞ」
私の手元をちらりと覗き込んだスノウが、「あ、おまえ、そこ曲がってるぞ」と口を出した。
「う……、ヤリナオシマス」
「かがり縫いの最後が難しいのか? だったら途中までやってから俺に渡せよ。やってやるから」
「う……、アリガトウゴザイマス」
なぜ男の子であるスノウに裁縫を教わらねばならないのか……私、前世でアラサー女子だったのに。あ、でも今生ではまだ10歳だから、針仕事が苦手でもおかしくない……いや、スノウも同い年だった。
そう、大人数が頭を寄せ合って針を持ち、テーブルにお道具を広げてせっせと縫い物に励んでいる。香りの新店舗で売り出し予定のサシェの袋を手縫いしているのだ。この世界にも足踏みミシンはあるけれど、小袋に刺繍をするにはミシンは向かない。かくして裁縫の心得のある女性陣が時間を見つけては袋を作ってくれていた。私や自分の服まで手作りしている継母からすれば簡単な作業だし、子育て経験のあるクレバー夫人やサリーも、大抵のことはこなせる。そこになぜか遊びにきたスノウと、ひとりで部屋にいては気が滅入るだけだからと現実逃避を兼ねたシュミット先生が加わった。
女性陣はまだわかる。だけどスノウ、なんであなた裁縫が得意なの? えっ? 普段からやっている? 妹のお転婆フローラがしょっちゅう木登りして服を破くから直してやってるって? そういやあなた、家具職人の父親に似て手先が器用で、木彫りのアクセサリーなんかも作ってたわね。それの延長……。なるほど。で、シュミット先生は? は? 患者の皮膚を縫うのと同じ感覚? あぁ整形外科がご専門でしたね。なるほど。
そんなわけで完全アウェーな私。そもそも売り物にしようとしている商品の大切な袋を、不器用な10歳児が触ること自体が間違ってるよねと、もう諦めて針を置いた。
「アンジェリカ、疲れたのなら休憩してかまわないわよ」
継母がそう勧めてくれたタイミングで、「ではお茶でもご用意いたしますね」とサリーが席を立った。クレバー夫人も立ち上がり、テーブルの上を片付け始める。そんな中、シュミット先生だけは手と止めそうになかった。
「何かしていた方が気が紛れるんです……」
背中に雨雲でも背負っているかのような形で、彼はせっせと手を動かし続けていたが、お茶が振舞われる段になって、ようやく針を置いた。
先生の学会発表は年明けすぐだ。けれどこの調子では、うまくいく気がしない。
「シュミット先生、鞭打つようで悪いんだけど、エリザベスさんとのなりそめをもう一度話してもらえないかしら。特に、婚約を認めてもらったあたりのことを、ちゃんと聞いておきたいの」
「えぇ、わかりました。大丈夫です。エリザベスとの出会いですね。彼女とは街中で偶然出会いました」
そうしてシュミット先生の恋バナが始まった。
「うーん、なんでリンド馬車の跡取りである長兄のエミールさんは、格下の家のガイさんに結婚話を持ちかけたのかしら」
ガイさんと面会した翌日、私はこの冬の滞在地である王都のタウンハウスのダイニングで、ふと手を止めながらそう呟いた。同じ部屋には継母とメイド長のクレバー夫人、メイドのサリー、遊びに来てくれた従兄弟のスノウと、ある意味当事者のシュミット先生がいる。
なぜみんな揃って朝からダイニングにいるのかと言えば、この部屋に広いテーブルがあるからだ。そして全員がテーブルについて何をしているのかといえば、お裁縫である。
「アンジェリカ、考え事はいいけど手が止まってるぞ」
私の手元をちらりと覗き込んだスノウが、「あ、おまえ、そこ曲がってるぞ」と口を出した。
「う……、ヤリナオシマス」
「かがり縫いの最後が難しいのか? だったら途中までやってから俺に渡せよ。やってやるから」
「う……、アリガトウゴザイマス」
なぜ男の子であるスノウに裁縫を教わらねばならないのか……私、前世でアラサー女子だったのに。あ、でも今生ではまだ10歳だから、針仕事が苦手でもおかしくない……いや、スノウも同い年だった。
そう、大人数が頭を寄せ合って針を持ち、テーブルにお道具を広げてせっせと縫い物に励んでいる。香りの新店舗で売り出し予定のサシェの袋を手縫いしているのだ。この世界にも足踏みミシンはあるけれど、小袋に刺繍をするにはミシンは向かない。かくして裁縫の心得のある女性陣が時間を見つけては袋を作ってくれていた。私や自分の服まで手作りしている継母からすれば簡単な作業だし、子育て経験のあるクレバー夫人やサリーも、大抵のことはこなせる。そこになぜか遊びにきたスノウと、ひとりで部屋にいては気が滅入るだけだからと現実逃避を兼ねたシュミット先生が加わった。
女性陣はまだわかる。だけどスノウ、なんであなた裁縫が得意なの? えっ? 普段からやっている? 妹のお転婆フローラがしょっちゅう木登りして服を破くから直してやってるって? そういやあなた、家具職人の父親に似て手先が器用で、木彫りのアクセサリーなんかも作ってたわね。それの延長……。なるほど。で、シュミット先生は? は? 患者の皮膚を縫うのと同じ感覚? あぁ整形外科がご専門でしたね。なるほど。
そんなわけで完全アウェーな私。そもそも売り物にしようとしている商品の大切な袋を、不器用な10歳児が触ること自体が間違ってるよねと、もう諦めて針を置いた。
「アンジェリカ、疲れたのなら休憩してかまわないわよ」
継母がそう勧めてくれたタイミングで、「ではお茶でもご用意いたしますね」とサリーが席を立った。クレバー夫人も立ち上がり、テーブルの上を片付け始める。そんな中、シュミット先生だけは手と止めそうになかった。
「何かしていた方が気が紛れるんです……」
背中に雨雲でも背負っているかのような形で、彼はせっせと手を動かし続けていたが、お茶が振舞われる段になって、ようやく針を置いた。
先生の学会発表は年明けすぐだ。けれどこの調子では、うまくいく気がしない。
「シュミット先生、鞭打つようで悪いんだけど、エリザベスさんとのなりそめをもう一度話してもらえないかしら。特に、婚約を認めてもらったあたりのことを、ちゃんと聞いておきたいの」
「えぇ、わかりました。大丈夫です。エリザベスとの出会いですね。彼女とは街中で偶然出会いました」
そうしてシュミット先生の恋バナが始まった。
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