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本編第二章
化粧品技術者と調香師が出会ってしまいました4
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今後の方針が決まったところで、私たちはもう一度店に戻った。ラファエロとマリウムをまだ引き合わせていない。
寒い季節だが、入り口を開け放しておいたのが功を奏したのか、むせ返るような匂いは少し緩和されている。
ご機嫌に鼻歌まで歌っているアンジェロに近づき、声をかけた。
「ラファエロ、ちょっといいかしら。紹介したい人がいるの」
「いいよー」
愛想よく答えるものの、顔はこちらを向かない。孤児院のマリー院長に教えてもらったことを思い出す。彼に何かをしてもらいたいときは、できるだけ具体的に話した方がいい、というものだ。
「ラファエロ、手を止めてこちらを向いてちょうだい」
「なぁに?」
彼は素直にこちらを向いた。そしてようやく、そこに自分が知らない人がいることに気づいたようだった。
「……だぁれ?」
「この人はマリウムといって、化粧品の開発をする技術者なの。今後あなたと一緒に仕事をすることになると思うわ」
「……女? 男?」
おおぅ、初対面では聞きづらいことを直球できたな。
「男よ」
答えたのはマリウム。私はふと、彼と出会ったときのことを思い出した。女装が趣味で、おしゃれが大好きで、けれどこの世界ではなかなか受け入れてもらえない彼の生き方。生来の口の悪さも加わって、天才的な技術を持っていながら、あちこちの職場で上司や同僚と衝突していた彼。ダスティン男爵領という、お世辞にもいい職場とはいえない辺鄙な地域に来てくれたのも、前世でいろんな知識を持っていた私が、そうした偏見に左右されない人間だったから、というのが大きい。
だがラファエロがその事情を知るはずもない。しまったと思ったがもう遅かった。
「なんで男なのに女の格好してるの?」
「これが好きだからよ。似合ってるし」
マリウムは身長も大きく、体格もそれなりだ。本人が相当努力して体型維持をしていることを、私たちは知っている。自分で綺麗に見える工夫と努力を怠らない人だ。だからドレスが似合っている、というのは間違いではない。
だが、一目見て女性とわかるかといえば、そこまでではない。骨格の作りなどは努力では変えられない。だからこそ彼が街を歩くと奇異な目を向けられる。好戦的な人間の中には問いかけてくる人間さえいる。
そう、今のラファエロのように。そして嘲笑を浮かべるのだ。
ラファエロがどう反応するか。それによってこの2人の関係性が決まる。ラファエロがマリウムを馬鹿にするなら、一緒に仕事はさせられない。
そうなれば私は、どちらか一方を選ばなければならないのだろうか。
背中を冷たい汗が伝う。私はマリウムを見上げ、そしてラファエロを見た。
「……ふーん」
ラファエロはそう呟き、背の高い彼を見上げていた。そのまま沈黙が流れる。
私はラファエロの言葉を待つ。彼に、マリウムを受け入れて欲しい、そう願いながら。
「……」
「……」
「……」
沈黙は、けれど沈黙でしかなかった。いや、なんか変なこと言ってるな、私。ちょっと緊張しすぎたかも。
「あの、ラファエロ?」
「なに?」
「あの、だから、この人がマリウムなんだけど」
「うん、さっき聞いたよ。おぼえたよ」
「その、今後あなたと一緒に仕事をすることになると思うんだけど」
「うん」
「だから……」
「あ! 僕のこのお花、この人にあげなくちゃいけないの? お嬢様は僕の好きにしていいっていったよね」
以前は私のことをアンジェリカと呼び捨てにすらしていた彼だが、ケイティに預けている間に言葉遣いを注意されたのだろう。敬語はともかくとして、お嬢様呼びが板についてきた。
「いいえ、マリウムの仕事はあくまで化粧品を作ることよ。彼もこの花を使うことはあると思うけど、彼の分は別に用意するわ。だから大丈夫よ」
「よかった」
満足そうに笑む彼に、私は改めて問いかけた。
「ラファエロはマリウムと一緒に働くことは、嫌じゃないのね?」
「うん。嫌じゃないよ。お兄さんは変な匂いしないし」
「匂い?」
「うん。お嬢様もケイティも、変な匂いしないから好きだよ。お兄さんもしないよね」
言いながらラファエロが鼻をすんすん寄せる。
「化粧品開発の技術者だもの。普段から身につけるものや体臭の管理はしてるわよ」
そう、マリウムは見た目はゴージャス美女だけど、香水の類はつけない。香水は洗えば落ちるものだけど、長く使っていると体臭に混ざって、残り香になってしまう可能性があるからとのことだった。洗髪に使うものも気を遣っているそうだ。
匂いに敏感で、嫌な匂いがあれば癇癪を起こしてしまうこともあるラファエロからすれば、無臭のマリウムは好ましい部類の人間になるのだろう。
「そんな基準でいいの?」
緊張していた私の身体がすとんと緩む。見た目ではなく匂い。それがラファエロの判断基準。だが本人がそれ以上を気にしないというなら、それでいいのだろう。
「マリウム。この子がラファエロ。見ての通り、孤児院を卒業間近の子どもなんだけど、大丈夫そうかしら」
「腕は折り紙つきみたいだから、大丈夫なんじゃないの」
こちらも、もとより誰かの言動に文句をつけるような人ではない。温度の低かった声色が元に戻ったことに気づくくらいには、私と彼の仲もそれなりに長くなったと言えるだろう。
「ただ、一点、いや、二点かしらね。見過ごせないことがあるわ」
声色は戻ったけれど、低く唸るような言い方は、彼の不機嫌さを現していた。
「まずはこの職場環境! こんな散らかり放題の場所で、最高に美しいものが出来上がるはずないでしょう!? あたしが仕切るからには掃除と片付けは徹底してもらうわよ! まずは種類ごとにキャニスターに収めるところからね。さぁ、きりきり働きなさい!」
「あああ! それ、僕のお気に入り!」
「黙らっしゃい! とったりしないわよ、片付けるだけ! ほら、お嬢ちゃんもケイティも、ぼーっとしてないで片付けて! これじゃ開店できないでしょうが!」
「えええ! 私もやるの!?」
「いったい誰のお店かしらねぇ、お嬢ちゃん」
「……私のお店です、はい」
そうだ、マリウムは意外と綺麗好き。彼の特設研究室も工場もかなり綺麗に片付いている。うう、私片付けはそんなに得意じゃないんだけどな、それよりもやるべきことがたくさんあって……。
「お嬢ちゃん! 手が留守してるわよ! ほら、小僧もさっさと動く!」
「あぁ! その花はバラバラにしちゃダメ!!」
「ならテメェで適切に管理しやがれ! 己の商売道具だろうが!!」
「マリウム! 素が出てるから!」
興が乗ってくると思わず男言葉に戻ってしまうのが彼の癖。あわれ私たち3人は、怒り魔人と化したマリウムに半日近くこき使われるのでしたーー。
後に天才と呼ばれ、それぞれの世界で名を残すことになる2人の技術者。
この邂逅が、2人の生涯に渡る強い友情と絆の始まりだということに、このときの私たちが気づくはずもなく。
「いろいろテコ入れが必要だろうから、あたしが小僧を見てあげることにするわ」
不敵に笑うマリウムの目が怪しく光る。うん、これは、興味を持ったら猪突猛進のいつもの行動が出ているってことね。問答無用で手足が出る前に、今回は何やら考えこんでいるあたりまだマシか。ラファエロの方は……マリウム耐性もありそうだし、大丈夫だと思おう、うん(=生贄決定)。
寒い季節だが、入り口を開け放しておいたのが功を奏したのか、むせ返るような匂いは少し緩和されている。
ご機嫌に鼻歌まで歌っているアンジェロに近づき、声をかけた。
「ラファエロ、ちょっといいかしら。紹介したい人がいるの」
「いいよー」
愛想よく答えるものの、顔はこちらを向かない。孤児院のマリー院長に教えてもらったことを思い出す。彼に何かをしてもらいたいときは、できるだけ具体的に話した方がいい、というものだ。
「ラファエロ、手を止めてこちらを向いてちょうだい」
「なぁに?」
彼は素直にこちらを向いた。そしてようやく、そこに自分が知らない人がいることに気づいたようだった。
「……だぁれ?」
「この人はマリウムといって、化粧品の開発をする技術者なの。今後あなたと一緒に仕事をすることになると思うわ」
「……女? 男?」
おおぅ、初対面では聞きづらいことを直球できたな。
「男よ」
答えたのはマリウム。私はふと、彼と出会ったときのことを思い出した。女装が趣味で、おしゃれが大好きで、けれどこの世界ではなかなか受け入れてもらえない彼の生き方。生来の口の悪さも加わって、天才的な技術を持っていながら、あちこちの職場で上司や同僚と衝突していた彼。ダスティン男爵領という、お世辞にもいい職場とはいえない辺鄙な地域に来てくれたのも、前世でいろんな知識を持っていた私が、そうした偏見に左右されない人間だったから、というのが大きい。
だがラファエロがその事情を知るはずもない。しまったと思ったがもう遅かった。
「なんで男なのに女の格好してるの?」
「これが好きだからよ。似合ってるし」
マリウムは身長も大きく、体格もそれなりだ。本人が相当努力して体型維持をしていることを、私たちは知っている。自分で綺麗に見える工夫と努力を怠らない人だ。だからドレスが似合っている、というのは間違いではない。
だが、一目見て女性とわかるかといえば、そこまでではない。骨格の作りなどは努力では変えられない。だからこそ彼が街を歩くと奇異な目を向けられる。好戦的な人間の中には問いかけてくる人間さえいる。
そう、今のラファエロのように。そして嘲笑を浮かべるのだ。
ラファエロがどう反応するか。それによってこの2人の関係性が決まる。ラファエロがマリウムを馬鹿にするなら、一緒に仕事はさせられない。
そうなれば私は、どちらか一方を選ばなければならないのだろうか。
背中を冷たい汗が伝う。私はマリウムを見上げ、そしてラファエロを見た。
「……ふーん」
ラファエロはそう呟き、背の高い彼を見上げていた。そのまま沈黙が流れる。
私はラファエロの言葉を待つ。彼に、マリウムを受け入れて欲しい、そう願いながら。
「……」
「……」
「……」
沈黙は、けれど沈黙でしかなかった。いや、なんか変なこと言ってるな、私。ちょっと緊張しすぎたかも。
「あの、ラファエロ?」
「なに?」
「あの、だから、この人がマリウムなんだけど」
「うん、さっき聞いたよ。おぼえたよ」
「その、今後あなたと一緒に仕事をすることになると思うんだけど」
「うん」
「だから……」
「あ! 僕のこのお花、この人にあげなくちゃいけないの? お嬢様は僕の好きにしていいっていったよね」
以前は私のことをアンジェリカと呼び捨てにすらしていた彼だが、ケイティに預けている間に言葉遣いを注意されたのだろう。敬語はともかくとして、お嬢様呼びが板についてきた。
「いいえ、マリウムの仕事はあくまで化粧品を作ることよ。彼もこの花を使うことはあると思うけど、彼の分は別に用意するわ。だから大丈夫よ」
「よかった」
満足そうに笑む彼に、私は改めて問いかけた。
「ラファエロはマリウムと一緒に働くことは、嫌じゃないのね?」
「うん。嫌じゃないよ。お兄さんは変な匂いしないし」
「匂い?」
「うん。お嬢様もケイティも、変な匂いしないから好きだよ。お兄さんもしないよね」
言いながらラファエロが鼻をすんすん寄せる。
「化粧品開発の技術者だもの。普段から身につけるものや体臭の管理はしてるわよ」
そう、マリウムは見た目はゴージャス美女だけど、香水の類はつけない。香水は洗えば落ちるものだけど、長く使っていると体臭に混ざって、残り香になってしまう可能性があるからとのことだった。洗髪に使うものも気を遣っているそうだ。
匂いに敏感で、嫌な匂いがあれば癇癪を起こしてしまうこともあるラファエロからすれば、無臭のマリウムは好ましい部類の人間になるのだろう。
「そんな基準でいいの?」
緊張していた私の身体がすとんと緩む。見た目ではなく匂い。それがラファエロの判断基準。だが本人がそれ以上を気にしないというなら、それでいいのだろう。
「マリウム。この子がラファエロ。見ての通り、孤児院を卒業間近の子どもなんだけど、大丈夫そうかしら」
「腕は折り紙つきみたいだから、大丈夫なんじゃないの」
こちらも、もとより誰かの言動に文句をつけるような人ではない。温度の低かった声色が元に戻ったことに気づくくらいには、私と彼の仲もそれなりに長くなったと言えるだろう。
「ただ、一点、いや、二点かしらね。見過ごせないことがあるわ」
声色は戻ったけれど、低く唸るような言い方は、彼の不機嫌さを現していた。
「まずはこの職場環境! こんな散らかり放題の場所で、最高に美しいものが出来上がるはずないでしょう!? あたしが仕切るからには掃除と片付けは徹底してもらうわよ! まずは種類ごとにキャニスターに収めるところからね。さぁ、きりきり働きなさい!」
「あああ! それ、僕のお気に入り!」
「黙らっしゃい! とったりしないわよ、片付けるだけ! ほら、お嬢ちゃんもケイティも、ぼーっとしてないで片付けて! これじゃ開店できないでしょうが!」
「えええ! 私もやるの!?」
「いったい誰のお店かしらねぇ、お嬢ちゃん」
「……私のお店です、はい」
そうだ、マリウムは意外と綺麗好き。彼の特設研究室も工場もかなり綺麗に片付いている。うう、私片付けはそんなに得意じゃないんだけどな、それよりもやるべきことがたくさんあって……。
「お嬢ちゃん! 手が留守してるわよ! ほら、小僧もさっさと動く!」
「あぁ! その花はバラバラにしちゃダメ!!」
「ならテメェで適切に管理しやがれ! 己の商売道具だろうが!!」
「マリウム! 素が出てるから!」
興が乗ってくると思わず男言葉に戻ってしまうのが彼の癖。あわれ私たち3人は、怒り魔人と化したマリウムに半日近くこき使われるのでしたーー。
後に天才と呼ばれ、それぞれの世界で名を残すことになる2人の技術者。
この邂逅が、2人の生涯に渡る強い友情と絆の始まりだということに、このときの私たちが気づくはずもなく。
「いろいろテコ入れが必要だろうから、あたしが小僧を見てあげることにするわ」
不敵に笑うマリウムの目が怪しく光る。うん、これは、興味を持ったら猪突猛進のいつもの行動が出ているってことね。問答無用で手足が出る前に、今回は何やら考えこんでいるあたりまだマシか。ラファエロの方は……マリウム耐性もありそうだし、大丈夫だと思おう、うん(=生贄決定)。
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