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本編第二章
異国人の正体が知れました
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リカルドは軟膏が入っている容器の蓋を外し、私の手にそれを塗り込んだ。
「さぁ、これでいかがでしょう」
「わ……なんだかすべすべします!」
手をこすり合わせると、自分の手とは思えないほどの滑らかさを感じて、私は思わず両手をかざした。軟膏と聞いていたからベタつくかと思いきや、手に塗り込んだ瞬間すっと流れて、滑らかな感触になった。
「これ、すごいですね」
「ありがとうございます。これは私の姉の手作りなんです」
「まぁ、お姉さんが? これ、自家製なんですか」
「えぇ。我が国に昔から伝わる薬で、各家庭によって微妙に精製法が違うのです。我が家では姉が作る軟膏が一番効果があるのですよ。小さな傷に効きますし、日差しの強い土地では乾燥から守ってくれる優れものです」
「乾燥から守ってくれるですって!?」
目を見開いて会話に乗り込んできたのはマリウムだった。「ちょっとあたしにも貸して!」とリカルドに手をつきだす。
「やだっ、何コレ!? すごい保湿力じゃない! ねぇこれ、いったい何が入ってるの?」
「ええっと、主成分は確かサボテン……だったかな?」
「「サボテンですって!」」
私とマリウムの声が重なる。
「何よその“サボテン”って?」
「サボテンは我が国の砂漠で育つ植物のことだ。水がなくとも育つためあちこちに自生しているぞ」
サボテンを知らないマリウムがリカルドに詰め寄るのを目の端にしながら、私は別のことを考えていた。
(そうだわ、砂漠があるならサボテンがあるのも当たり前よね、なんで気が付かなかったのかしら)
サボテンといえば砂漠に育つ数少ない植物のひとつとして有名だが、もうひとつ利用価値がある。それは保湿成分を含んでいることだ。前世でもサボテンクリームなどの化粧品が出回っていたことを思い出す。
「ねぇ、もしかしてそのサボテン、新しい化粧品に使えるんじゃない? 軟膏でこのすべすべ感だもの。マリウムの技術で開発したら、たとえば保湿クリームとかになるんじゃ……」
私の発言に、マリウムの瞳がさらにくわっと見開かれた。それはもうーーー般若かと思う勢いで。
「決めたわ! あたしトゥキルスに行くから! リカルド、あんた案内しなさい!」
「ええぇぇっ!! マリウム、あなた突然何言って……」
「もう決めたのよ! この目でサボテンとやらを見て、化粧品に使えるかどうか確かめてくるわ」
「いやちょっと待ってよ、そんなこと急に言っても、ほら、リカルドさんにだって都合ってものが……」
「私はかまいませんよ」
今度はリカルドが割り込んできて、私はさらに声をあげた。
「えぇ!?」
「どうせ国に帰るだけです。マリウムが同行してくれるなら、楽しい道中になりそうだ」
「いやいやいや! リカルドさん、よく考えてください! コレですよ、コレ。コレを連れていくの!?」
「ちょっとお嬢ちゃん、コレって何よコレって! あたしのどこか不足だって言うのよ!」
「いや不足じゃなくていろいろ過剰なんだってば! それに隣国よ!? 王都からうちに引っ越すほど簡単な話じゃないし……」
「そんなにマリウムが心配なら、アンジェリカ様も同行されてはどうでしょう」
「はい?」
思わず目が点になった私の横で「それいいじゃない!」とマリウムが手を打った。
「スポンサー付きの旅行なんて最高だわ。お嬢ちゃん、あんたも同行しなさいな」
「いやいやいやそんな簡単に……!」
「アンジェリカ様、いかがでしょう? それに、マリウムひとり野放しにしておくと……後が怖いかもしれませんよ?」
現実味を帯びたリカルドの説得に、私の背中に冷や汗が流れた。そうだ、マリウムは私のいない隙に他国の要人らしき人を巻き込んで工場建設までやってのけた強者だ(しかも私の名前とお金で)。彼ひとりをトゥキルスに放てば、何をやらかすかわからない。
「そうと決まれば早速支度しなきゃね」
張り切って鼻息荒くなるマリウムと、優雅に微笑む精悍な顔つきの要人相手に、私は「なぜこうなった」と思わず天を仰いだ。
とはいえ、そう簡単に「ちょっと隣国行ってきまーす」というわけにはいかない。何せ私は9歳児。保護者の許可なくして無闇な行動には出られない身分だ。
案の定、常識人の父は首を振った。
「いくらマリウムが一緒で、リカルドさんとやらがそれなりな身分の方とはいえ、アンジェリカをひとりで旅には出せないよ」
ですよねーと心の中でひとりごつ。貧乏でも男爵令嬢だし、唯一の跡取り娘に何かあっては困るでしょうし。
ただ、私としては少し残念な気持ちもあった。この国に転生したとわかってから勉強してきたことの中にはトゥキルスの言語や文化もある。あちらにポテト料理が広まっていることもあり、現地でどんなふうに調理されているのかなども、できることならこの目で見てみたいという希望もある。
とはいえ、前世のように簡単に外国に行き来できるはずもない。父が同行できるなら話は変わってくるだろうが、当主である以上、この地を長く離れることはできない。
「私が同行してあげられたいいのだけど……」
私が残念に思っていることを察したのだろう、継母が私の頭に手を置いた。妙齢とはいえ女性の彼女と私の二人旅など、さらに許可できるはずもない。
そんな中、家族会議に一緒に参加していた執事のロイが、私に尋ねた。
「お嬢様、そのリカルド様、という方ですが……ほかに何か情報をお持ちではないですか? 私はただの研究員の身の上ですから、研究のこと以外の情報はあまり持ち合わせていないのです」
「えっと、年齢は二十代半ばくらいかしら。戦争の記憶があるって言ってたから。いつも鮮やかな布を頭に巻いているから、それなりな身分の方だなって思ったの。付き人が常に付き従っているし。あ、そうそう、ロイはコリ芋って知ってる?」
「コリ芋ですか? トゥキルスで自生している芋類の一種ですよね」
「そうみたい。私は初めて知ったのだけど。そのコリ芋が、じゃがいもと同じアク抜き方法を使うことで食用化されたみたいなの。ロイは知ってた?」
「はい、もちろん。その話は研究所では有名です。コリ芋はトゥキルスの土壌でしか育たない性質のようで、我が国に流通させるのは不可能と判断されましたから、一般には広がっていない知識ですが」
「そうだったのね。そのコリ芋の食用化を成功させたのが、リカルドさんの従兄弟の方なんですって。彼はその功績で結婚できたらしいわ」
「なんですって!?」
冷静沈着なスーパー執事が突然声を荒げたことで、両親も私も目を丸くして彼を見返した。
「ロイ? どうしたの?」
「お嬢様! リカルド様の従兄弟が、コリ芋の食用化に成功したとおっしゃいましたか!?」
「え、えぇ。そう聞いたのだけど……」
私の返事を聞くまでもなく、ロイは綺麗な顔の色をさらに無くしていった。これは何かある、と私だけでなく、家族全員が固唾を飲む。
そんな中、ロイはずれかけた眼鏡の位置を整え、厳かに告げた。
「……コリ芋の食用化に成功された方のお名前は、イヴァン・トゥキルス殿下。トゥキルスを治めるアナスタシア女王の御子息のおひとりで、トゥキルスの王太子殿下であらせられます」
「は?」
「お嬢様の情報が正しければ、リカルド様は、そのイヴァン殿下の従兄弟君、ということになりますね」
「………」
数秒の沈黙の後―――。
ダスティン家を揺るがすほどの大音声の悲鳴が、辺りに轟くことになった。
「さぁ、これでいかがでしょう」
「わ……なんだかすべすべします!」
手をこすり合わせると、自分の手とは思えないほどの滑らかさを感じて、私は思わず両手をかざした。軟膏と聞いていたからベタつくかと思いきや、手に塗り込んだ瞬間すっと流れて、滑らかな感触になった。
「これ、すごいですね」
「ありがとうございます。これは私の姉の手作りなんです」
「まぁ、お姉さんが? これ、自家製なんですか」
「えぇ。我が国に昔から伝わる薬で、各家庭によって微妙に精製法が違うのです。我が家では姉が作る軟膏が一番効果があるのですよ。小さな傷に効きますし、日差しの強い土地では乾燥から守ってくれる優れものです」
「乾燥から守ってくれるですって!?」
目を見開いて会話に乗り込んできたのはマリウムだった。「ちょっとあたしにも貸して!」とリカルドに手をつきだす。
「やだっ、何コレ!? すごい保湿力じゃない! ねぇこれ、いったい何が入ってるの?」
「ええっと、主成分は確かサボテン……だったかな?」
「「サボテンですって!」」
私とマリウムの声が重なる。
「何よその“サボテン”って?」
「サボテンは我が国の砂漠で育つ植物のことだ。水がなくとも育つためあちこちに自生しているぞ」
サボテンを知らないマリウムがリカルドに詰め寄るのを目の端にしながら、私は別のことを考えていた。
(そうだわ、砂漠があるならサボテンがあるのも当たり前よね、なんで気が付かなかったのかしら)
サボテンといえば砂漠に育つ数少ない植物のひとつとして有名だが、もうひとつ利用価値がある。それは保湿成分を含んでいることだ。前世でもサボテンクリームなどの化粧品が出回っていたことを思い出す。
「ねぇ、もしかしてそのサボテン、新しい化粧品に使えるんじゃない? 軟膏でこのすべすべ感だもの。マリウムの技術で開発したら、たとえば保湿クリームとかになるんじゃ……」
私の発言に、マリウムの瞳がさらにくわっと見開かれた。それはもうーーー般若かと思う勢いで。
「決めたわ! あたしトゥキルスに行くから! リカルド、あんた案内しなさい!」
「ええぇぇっ!! マリウム、あなた突然何言って……」
「もう決めたのよ! この目でサボテンとやらを見て、化粧品に使えるかどうか確かめてくるわ」
「いやちょっと待ってよ、そんなこと急に言っても、ほら、リカルドさんにだって都合ってものが……」
「私はかまいませんよ」
今度はリカルドが割り込んできて、私はさらに声をあげた。
「えぇ!?」
「どうせ国に帰るだけです。マリウムが同行してくれるなら、楽しい道中になりそうだ」
「いやいやいや! リカルドさん、よく考えてください! コレですよ、コレ。コレを連れていくの!?」
「ちょっとお嬢ちゃん、コレって何よコレって! あたしのどこか不足だって言うのよ!」
「いや不足じゃなくていろいろ過剰なんだってば! それに隣国よ!? 王都からうちに引っ越すほど簡単な話じゃないし……」
「そんなにマリウムが心配なら、アンジェリカ様も同行されてはどうでしょう」
「はい?」
思わず目が点になった私の横で「それいいじゃない!」とマリウムが手を打った。
「スポンサー付きの旅行なんて最高だわ。お嬢ちゃん、あんたも同行しなさいな」
「いやいやいやそんな簡単に……!」
「アンジェリカ様、いかがでしょう? それに、マリウムひとり野放しにしておくと……後が怖いかもしれませんよ?」
現実味を帯びたリカルドの説得に、私の背中に冷や汗が流れた。そうだ、マリウムは私のいない隙に他国の要人らしき人を巻き込んで工場建設までやってのけた強者だ(しかも私の名前とお金で)。彼ひとりをトゥキルスに放てば、何をやらかすかわからない。
「そうと決まれば早速支度しなきゃね」
張り切って鼻息荒くなるマリウムと、優雅に微笑む精悍な顔つきの要人相手に、私は「なぜこうなった」と思わず天を仰いだ。
とはいえ、そう簡単に「ちょっと隣国行ってきまーす」というわけにはいかない。何せ私は9歳児。保護者の許可なくして無闇な行動には出られない身分だ。
案の定、常識人の父は首を振った。
「いくらマリウムが一緒で、リカルドさんとやらがそれなりな身分の方とはいえ、アンジェリカをひとりで旅には出せないよ」
ですよねーと心の中でひとりごつ。貧乏でも男爵令嬢だし、唯一の跡取り娘に何かあっては困るでしょうし。
ただ、私としては少し残念な気持ちもあった。この国に転生したとわかってから勉強してきたことの中にはトゥキルスの言語や文化もある。あちらにポテト料理が広まっていることもあり、現地でどんなふうに調理されているのかなども、できることならこの目で見てみたいという希望もある。
とはいえ、前世のように簡単に外国に行き来できるはずもない。父が同行できるなら話は変わってくるだろうが、当主である以上、この地を長く離れることはできない。
「私が同行してあげられたいいのだけど……」
私が残念に思っていることを察したのだろう、継母が私の頭に手を置いた。妙齢とはいえ女性の彼女と私の二人旅など、さらに許可できるはずもない。
そんな中、家族会議に一緒に参加していた執事のロイが、私に尋ねた。
「お嬢様、そのリカルド様、という方ですが……ほかに何か情報をお持ちではないですか? 私はただの研究員の身の上ですから、研究のこと以外の情報はあまり持ち合わせていないのです」
「えっと、年齢は二十代半ばくらいかしら。戦争の記憶があるって言ってたから。いつも鮮やかな布を頭に巻いているから、それなりな身分の方だなって思ったの。付き人が常に付き従っているし。あ、そうそう、ロイはコリ芋って知ってる?」
「コリ芋ですか? トゥキルスで自生している芋類の一種ですよね」
「そうみたい。私は初めて知ったのだけど。そのコリ芋が、じゃがいもと同じアク抜き方法を使うことで食用化されたみたいなの。ロイは知ってた?」
「はい、もちろん。その話は研究所では有名です。コリ芋はトゥキルスの土壌でしか育たない性質のようで、我が国に流通させるのは不可能と判断されましたから、一般には広がっていない知識ですが」
「そうだったのね。そのコリ芋の食用化を成功させたのが、リカルドさんの従兄弟の方なんですって。彼はその功績で結婚できたらしいわ」
「なんですって!?」
冷静沈着なスーパー執事が突然声を荒げたことで、両親も私も目を丸くして彼を見返した。
「ロイ? どうしたの?」
「お嬢様! リカルド様の従兄弟が、コリ芋の食用化に成功したとおっしゃいましたか!?」
「え、えぇ。そう聞いたのだけど……」
私の返事を聞くまでもなく、ロイは綺麗な顔の色をさらに無くしていった。これは何かある、と私だけでなく、家族全員が固唾を飲む。
そんな中、ロイはずれかけた眼鏡の位置を整え、厳かに告げた。
「……コリ芋の食用化に成功された方のお名前は、イヴァン・トゥキルス殿下。トゥキルスを治めるアナスタシア女王の御子息のおひとりで、トゥキルスの王太子殿下であらせられます」
「は?」
「お嬢様の情報が正しければ、リカルド様は、そのイヴァン殿下の従兄弟君、ということになりますね」
「………」
数秒の沈黙の後―――。
ダスティン家を揺るがすほどの大音声の悲鳴が、辺りに轟くことになった。
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