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本編第二章

新キャラの正体が不明です

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しばらく体調を崩しておりまして、更新が滞りましたことお詫び申し上げます。

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 お腹を抱え朗らかに笑うトゥキルス人と、お付きと思われる無表情の3人。別の意味でお腹を抱え私を睨みつける女装の男性。そして現状を必死で把握しようと焦る9歳児の私。

 なんだこのシュールな光景は。そう突っ込みつつも、私は目の前の恐らくそれなりな立場を持つ男性の反応を待つことにした。だって私はもう名乗っているし、謝罪もしているし。次にアクションを起こすべきは、この人物だ。

 なかなか笑いを抑えきれない男性は、涙目になりながらも、その美しい碧の瞳をふと私に向けた。

「いや、失礼。私はリカルドと申します。ダスティン男爵令嬢、初めてお目にかかります。母国のトゥキルスから3ヶ月前にこの研究所の視察にやってきて、マリウムと知り合ったのです。たまたま今日のように視察を終えてここを通りかかった私を突然捕まえて、“あんた、見かけない顔だけどなんか使えそうね。ここに工場を建てたいんだけどちょっと手伝ってよ”と迫るもので。何せ私に対して臆面もなくそんな物言いする人間なぞ、トゥキルスではほとんどお目にかからないもので、面白くなってつい手を貸してしまったのです」
「な……っ!」

 私はかぶりを振ってマリウムを見上げた。今のリカルドの話にはツッコミどころが多すぎた。マリウムのぶっとんだ発言もさることながら、この人は“私にそんな物言いをする人間はトゥキルスにはほとんどいない”と言ったのだ。

 それはつまり、彼が、誰かに命令されるような立場にはいないということ。

 思っていたより高貴な立場の人間かもしれないと、私はますます青くなった。この次に何をどう進めていけばいいのか、頭の中をフル回転させるも答えに行きつかない。

 焦る私に、リカルドと名乗る人物は突如優雅に礼をした。

「それはそうと、ダスティン男爵令嬢。あなたにお目にかかれる日を楽しみにしておりました。我が国を代表してあなた様にお礼申し上げたきことがございます」
「え?」
「あなた様がじゃがいもの食用化を編み出され、かつセレスティア王国がその方法を我が国にも伝授くださったことで、我が国の多くの国民が救われました。ご存知かと思いますが、我が国は農業に向かない土地も多く、長年の食糧不足に悩まされておりました。それが、荒地でも育ちやすいじゃがいもの食用化に成功したことで、食糧事情が大きく改善されたのです。表向きはセレスティア王国からの技術譲渡となっておりますが、背景にダスティン男爵家と男爵令嬢の存在があることを、我が国の国民は皆知っております。私はぜひ、あなた様にお会いして直接お礼が申し上げたかったのです。心より感謝申し上げます」

 そうしてリカルドとお付きの3人の男性は、一矢乱れぬ動きで優雅に腰を折った。

「あ、あの、どうか顔をあげてください。私、そんな大したことをしたわけじゃないんです。あれは、なんというか、おままごとの延長でたまたまそうなったようなものなので……」
「それでも、多くのトゥキルス人が救われたことは事実です。また、セレスティア王国との関係もより強固なものとなりました。20年前の戦争時、私は6つの子どもでしたが、それがどれほど両国にとって大きな打撃となったか、身に染みてわかっています。今後は2度とあのような不幸を生み出さぬよう、我々も努力していきたいと思っています」

 美しい布を巻きつけたリカルドが、紺碧の海のような瞳を眇める。緩やかに弧を描く薄い唇に、匂いたつような気品。

 その立ち振る舞い、彼の言動、すべてが、彼が只人でないことを表していた。戦争が起きたことを、その後の復興に関わる両国の関係性を、我がことのように語る人が、一般人であるはずがなかった。

(どうしよう……でもこの人、“リカルド”とだけ名乗って、家名を言ってくれなかったんだよね)

 トゥキルスのことは多少勉強しているから、家名さえ教えてもらえればある程度の身分が推察できる。なぜ名乗ってくれなかったのか……もしかするとこの視察はお忍びで、名乗ることができないのかもしれない。それを尋ねるとなると、やはり失礼にあたるわけで……もはや堂々巡りだ。

 にっちもさっちも行かない状況をぶち壊したのは、やはり空気を読まないマリウムだった。

「ちょっと、あんたたち、何辛気臭い挨拶なんか交わしてるのよ。それよりももっとぱーっと明るいことを考えましょうよ! そうねぇ、この工場、建物はいいカンジに仕上がってきたけれど、周囲が殺風景だと思わない? やっぱり美を探究するあたしとしては、周囲にも華やかさがほしいのよねぇ……そうだわ! 周辺に庭園を作りましょう。リカルド、あなた、庭師の手配してくれない?」
「庭師か? マリウムはどんな庭が好みなのだ?」
「そうねぇ。やはり四季折々の花が咲く庭園がいいわ。季節によって違う花が見られるの。それから、あなたの国から珍しい花を移植してもよくない?」
「なるほど、面白そうだ。おまえたち」
「はっ!」

 リカルドの呼びかけに答えたのは、背後にいた3人組だった。おおぅ、初めて彼らの声を聞いたぞ。

「至急マリウムが望む庭師とやらを手配してくれ。それからトゥキルスの花については、気候や土壌の違いをみてからだな。そちらの確認も行うように」
「御意」

 そして3人いたうちのひとりがものすごい速さでその場から消えていった。その光景を目をぱちくりさせながら眺めつつも、いやこれダメなやつじゃん!とマリウムの首根っこを取り押さえつつ小声で叫んだ。

「ちょっとマリウム! あなた何リカルド様に命令しちゃってるのよ!」
「だってこの人なんでもすぐ取り掛かってくれるんだもの。便利でしょ?」
「べ、便利って! 他国の要人に対してなんて態度なのよ! そもそもあなた、リカルド様の家名とか身分とか知ってるの!?」
「えぇ? そんなの必要なくない?」
「必要に決まってんでしょうが!」
「仕方ないわねぇ……。ねぇリカルド! お嬢ちゃんがあんたの家名か身分を知りたいって言ってるんだけど!」
「なななななな何堂々と聞いてるのよ~~~~~~マリウムったら!」

 青くなった私がマリウムに取りすがると、リカルドが「ん? 私のことか?」と再びこちらを向いた。

「いえあのそのなんというかどうというか!」

 取り乱す私に、リカルドは申し訳なさそうに目を伏せた。

「大変申し訳ありません、ダスティン男爵令嬢。私にはまだ、名乗る家名も身分もないのです」
「え?」
「トゥキルスでは、男性も女性も結婚するまでは家名を名乗ることができません。身分もまた、結婚することで保証されるもの。ゆえに、独身の私には“リカルド”という名前しかないのです。もしくは誰々の息子、という身分のみになります」
「そうなのですか……初めて知りました」
「セレスティア王国とはまた違った風習かと存じます。ご存知ないのも仕方ないことでありましょう。ですからこの場では、あなた様の方が身分が上なのです。ダスティン男爵令嬢」
「ええ? いえ、私もただ、男爵家の娘、というだけにすぎません。男爵は父ですから、リカルド様に頭をさげていただく身分ではありません。どうぞ、アンジェリカとお呼びください」
「なるほど、噂に違わぬ聡明な御令嬢でいらっしゃいますね。それではアンジェリカ様と呼ばせていただきます」

 そうしてようやく彼は伏せていた姿勢を正した。

「ほら、やっぱりただのリカルドでよかったじゃない」

 すぐ隣で高笑いするマリウムを、私はまたしても睨みつけた。

「あんたが気にしなさすぎるのよ!」

 リカルドが家名を名乗らなかった理由はよくわかった。ただそれで彼の身分がゼロになったわけではない。

「あの、トゥキルスでは結婚したら家名が名乗れると先ほどおっしゃいましたが、皆様どんな名前を名乗られるのですか?」

 興味本位に尋ねると、リカルドは丁寧に説明してくれた。

「基本的には一族の家名を引き継ぎます。男性側の名か女性側の名かは、どちらの一族に入るかで変わってきますね。私の場合はもし結婚すれば、父方の名を名乗ることになると思います」
「そうなのですか。あの、失礼ですが、結婚のご予定がおありになるのですか?」

 彼の歳の頃は二十歳半ばといったところ。トゥキルスの結婚適齢期についてはこれといった情報を持っていなかったが、ヴィオレッタ王妃が18歳で嫁いでこられたことを考えても、それほど我が国と違ってはいないだろう。

 リカルドは小さく首を振った。

「いいえ、実はまだ結婚できる条件を私は満たしていないのです」
「結婚できる条件?」
「はい。私の一族には独特の風習がありまして。男性も女性も周囲の者に認められるほどの功績を挙げなければ結婚できないという決まりがあるのです。たとえば私の従兄弟は半年前に結婚しましたが、彼はセレスティア王国からもたらされたじゃがいもの食用化にヒントを得て、我が国で昔から自生していたコリ芋という芋類の食用化に成功しました。彼のように一族や国に大なり小なりの益をもたらすような功績が求められます」
「それは……かなり大変ですね」
「はい。従兄弟のようにはなかなかいきませんが、私もそれに準ずるくらいのことを成し遂げねばなりません。一生独身でいることもできますが、それでは一族のために働くこともできませんから。実はそのヒントを得るために、この度こうしてセレスティア・トゥキルスの共同研究が行われている研究所を訪れたのです」
「そうだったのですね」

 彼の話を聞きながら、私はつい最近聞いた結婚話を思い出した。そう、診療所に新たに赴任してきたシュミット先生のことだ。

 彼も恋人のエリザベスさんと結婚するために、医師として大きな功績を挙げなければならない立場だ。いずこの国も、男性は大変なようである。

「へぇ。リカルドってばなかなか大変な立場だったのねぇ」

 人ごとのように髪の先をいじりながら呟くマリウムを見て、あんたも男性だよねと口元まで出かかったのを、慌てて飲み込んだ。触らぬ神に祟りなし、だ。




*コル芋は架空の芋です。

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