上 下
233 / 307
本編第二章

新製品ができました

しおりを挟む
 冬の王都暮らしで予定していた多くのミッションをこなした私たち一家は、4月を前に領地に戻ってきた。

 そして戻るなり、鮮やかな緋色のドレスを着こなした長身の美女に捕まった。

「ふふふ……! お嬢ちゃん、待ってたわよ!」

 人が刺せるんじゃなかろうかと思われる鋭いピンヒールをかつんと鳴らし、男爵家の玄関に仁王立ちしたその人―――化粧品開発者のマリウムーーーの姿を目にしたとき。

(そうだ、この人、うちに住まわせてるんだった)

と思い出した。




 ハムレット商会の双子の推薦で、ピーリング作用のある新たな温泉化粧水を開発するため、一足早くダスティン領に乗り込んだ彼(そう、忘れてはいけないが彼である)。男爵家の私たちよりもド派手な格好をした彼の姿は、明らかにこの領地では浮いていることだろう。だがそんなことを彼はカケラほども気にしていなさそうだ。さっくり溶け込んでくれて何よりだ。ちなみに彼のドレスはすべて手作り、靴だけは特注だそうだ。

 彼にはうちの使用人棟の一室を与えるよう、留守役のマリサに頼んでおいた。そこを根城に開発に勤しんでいたのかと思いきや、もっといい拠点を見つけたらしい。

「着いてみたらびっくりしたわ。なかなか豪勢な研究所なんてものがあるじゃない。散歩がてら覗いてみたら、やたら使い勝手のいい男に出会ってね。奴の協力で研究所の近くに開発用のスペースを借りて設備を整えたわ。ついでに隣に化粧品工場も建てようと思って調べてたら、ここらへんの土地ってダスティン家のものだって言うじゃない? これ幸いと思って工場建設にも着手済みよ。あたしってば仕事が早いわぁ」
「ちょっと待ったーーー! 勝手に土地借用して工場も建ててるですって!? お金! お金はどっから出したのよ!」
「もちろんツケ払いに決まってるでしょう。抜かりはないわ」
「抜かりありまくりよ!」

 というわけで散々な散財からスタートした、ダスティン領の春なのでした。




 まぁ、もともと化粧品開発にはそれなりの予算をあてる予定だったので、私たちのいない3ヶ月の間にそこまで進めてくれたのはありがたいといえばありがたかったんだけど。

 そう自分を納得させつつマリウムに開発の進捗を確認したら、彼はいつになく真剣な表情になった。

「ふふふ、あたしがこの3ヶ月、ただ遊んでいたと思っているの? 寝る間も惜しんで開発に情熱を捧げていたに決まってるじゃない」

 くじゃくの羽のような扇をぱさりと閃かせつつ、彼は簡素な瓶詰めを机の上に並べた。

「これは?」
「聞いて驚きなさい。温泉水を使った化粧水プロットタイプよ」
「えぇ! もうできたの」
「ふふふふ。試してみたい?」
「ぜひ!」

 マリウムは私にコットンを渡し、化粧品の使い方を説明してくれた。

「まずはコットンに化粧水を浸すの。直接肌にはつけないようにね。分量の調節は慣れればどうってことないと思うわ。そしてコットンでお肌を優しく撫でるようにしながらマッサージする」
「なるほど」

 言われたとおりに自分の腕で試してみる。感触は、やはりしっとりとはならない。

「それでいいのよ。これは保湿目的の化粧品じゃない、古い肌から新しい肌へと生まれ変わらせるタイプの化粧水だから。それも、外からあれこれ加えるんじゃなくて、自分のもつ力を引き出してくれる、まったく新しい概念の化粧水よ。塗った直後はわかりにくいけれど、2、3日たてばその効果が見えてくるわ」
「ということは、効果は素晴らしいけれど、反面、即効性は期待できないということね。となると売り方を考えなくちゃね」
「そうね。そこがこの化粧水が売れるかどうかの肝だと思うわ。ホワイトリリーの基礎化粧品なんかは、塗った直後からしっとり感がでるしね。ただ、その感触を出すためだけに、必要のない成分なんかも多く混ぜ込んでいるのよ。あたしはそれが気に入らなくて、あそこで働いてたときしょっちゅう進言してたんだけど、相手にされなかったわ」

 ホワイトリリーというのは、貴族の間で流行っている高級化粧品ブランドだ。マリウムは以前そこで働いていたと聞いているが、眉間によった皺をみる限り、あまりいい思い出はないらしい。

「化粧品の売り出し方についてはあの双子たちに相談したらいいんじゃない?」

 マリウムの提案を待つまでもなく、そうするつもりだった。双子たちはすでに王立学院に入学したが、週末は王都にある自宅に戻って商売の手伝いをしていると聞いている。キャロルのお店「ハムレット・マニア」も副店長ショーンさんの手で閉めることなく運営されている。今までにない新しい概念の化粧水の誕生は、双子たちを歓喜させるに違いない。

「そうしてみるわ。私は、これをハムレット商会の独占販売にしてもらってもいいと思っているの」
「そのあたりはあたしが口を出す分野じゃないから、頼んだわよ。あたしはもう少しこれの改良をしてみるわ」
「まだ改良するところがあるの?」
「ちょっと匂いが気にならない?」
「匂い……あぁ、この硫黄のような香りね」

 うちの温泉は硫黄成分が多く含まれているようで、この化粧水からも微かにその香りがしていた。私はまったく気にならないが、硫黄の匂いに慣れていない人は気になるかもしれない。

「この匂いを消すのは至難の業だから、やるとしても何か別のもので匂いを打ち消すことになるんだけど、せっかく温泉という天然成分で作っているんだから、あまりごちゃごちゃ人工の香りを入れたくないのよねぇ」
「それは同感だわ」
「それに、成分はぎりぎり調整して、肌に負担をかけないレベルまで落としたけれど、敏感肌の人は赤みが残ってしまう可能性もあるの。となるとやっぱり保湿成分についても考えた方がいいと思うのよね」
「これに保湿成分を入れるの?」
「それは難しいわね。だからほかのもの……たとえば保湿クリームも開発して、セットで売り出すとか、かしら。この化粧水の上にホワイトリリーの保湿クリームを加えても十分とは思うんだけど、どうせなら全部自分たちでまかないたいじゃない?」
「なるほど。それはいい考えね。わかったわ。とはいえ、これでも十分商品になると思うのよ。市場の反応もみたいし。これはこれで商品化しつつ、改良を加えていくというのはどう?」
「あたしもそれでいいと思うわ。これだけでも十分自信を持って売り出せるものなんだから」

 そう言ってマリウムは満足げに胸を逸らした。

「それにしても、この短期間でよくここまで仕上げたわね。設備も何もないところからスタートだったから、大変じゃなかった?」
「ある程度は自前の設備で賄えたから問題なかったわ。あとはちょっと役立つ男を拾ったのよ。そいつがまぁなかなか使える男でね。いろいろ手伝ってもらったわ。研究所に新しくやってきたトゥキルス人らしいんだけどね」
「トゥキルス人と知り合ったの? 研究所にきてるってことは研究者かしら」
「視察に来たって言ってたから研究者ではないんじゃないかしら」
「ってことは役人?」
「さぁ。そこまで詳しく聞いてないわ」

 マリウムの説明に若干青くなる。研究者なら一般人の可能性もあるが、役人となるとどのレベルかわからない。もしや貴族籍ではないだろうか。となるとマリウムのこの言動は不敬にあたる可能性もある。

「……マリウム、あなたまさか国際問題になるような火種を撒き散らしたりしてないでしょうね」

 恐る恐る尋ねると、マリウムは高笑いで答えた。

「まさか! あの男にそんな権力があるとも思えないわ! だってほぼほぼあたしの言いなりだったわよ」
「余計に恐ろしいわ!」

 この人がこの態度で迫って断りきれず巻き込まれたという図式を思い浮かべて、私の不安はますます募るばかりだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます

宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。 さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。 中世ヨーロッパ風異世界転生。

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

嫌われ者の側妃はのんびり暮らしたい

風見ゆうみ
恋愛
「オレのタイプじゃないんだよ。地味過ぎて顔も見たくない。だから、お前は側妃だ」 顔だけは良い皇帝陛下は、自らが正妃にしたいと希望した私を側妃にして別宮に送り、正妃は私の妹にすると言う。 裏表のあるの妹のお世話はもううんざり! 側妃は私以外にもいるし、面倒なことは任せて、私はのんびり自由に暮らすわ! そう思っていたのに、別宮には皇帝陛下の腹違いの弟や、他の側妃とのトラブルはあるし、それだけでなく皇帝陛下は私を妹の毒見役に指定してきて―― それって側妃がやることじゃないでしょう!? ※のんびり暮らしたかった側妃がなんだかんだあって、のんびりできなかったけれど幸せにはなるお話です。

悪役令嬢が死んだ後

ぐう
恋愛
王立学園で殺人事件が起きた。 被害者は公爵令嬢 加害者は男爵令嬢 男爵令嬢は王立学園で多くの高位貴族令息を侍らせていたと言う。 公爵令嬢は婚約者の第二王子に常に邪険にされていた。 殺害理由はなんなのか? 視察に訪れていた第一王子の目の前で事件は起きた。第一王子が事件を調査する目的は? *一話に流血・残虐な表現が有ります。話はわかる様になっていますのでお嫌いな方は二話からお読み下さい。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!

ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」 ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。 「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」 そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。 (やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。 ※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

家庭の事情で歪んだ悪役令嬢に転生しましたが、溺愛されすぎて歪むはずがありません。

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるエルミナ・サディードは、両親や兄弟から虐げられて育ってきた。 その結果、彼女の性格は最悪なものとなり、主人公であるメリーナを虐め抜くような悪役令嬢となったのである。 そんなエルミナに生まれ変わった私は困惑していた。 なぜなら、ゲームの中で明かされた彼女の過去とは異なり、両親も兄弟も私のことを溺愛していたからである。 私は、確かに彼女と同じ姿をしていた。 しかも、人生の中で出会う人々もゲームの中と同じだ。 それなのに、私の扱いだけはまったく違う。 どうやら、私が転生したこの世界は、ゲームと少しだけずれているようだ。 当然のことながら、そんな環境で歪むはずはなく、私はただの公爵令嬢として育つのだった。

処理中です...