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本編第二章
歌劇団を作りましょう1
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ウォーレス子爵であり、現役の医師でもある継母の従姉妹、エリン様からさまざまなアドバイスを頂いた数日後、彼女から手紙が届いた。現在ウォーレス家から研究所の診療所に派遣してもらっている医師が、高齢のため引退を希望しているらしい。
「代わりに別の医師を送ります。ダスティン家の新事業の助けになってくれそうな人材を思いつきました」
そう結ばれていたのだけれど……どういう意味だろう。すべては社交シーズンが終わって、自領に戻るまでわからない。
そんな謎を残しつつ、今日は継母とシンシア様の3人で王都の街に繰り出した。目的は観劇だ。観劇といっても貴族が好む荘厳なオペラではなく、平民たちが出入りする小劇場だった。ここで孤児院出身のアニエスが、所属の劇団の舞台を踏むのだ。
そういった理由で今日の私たちは比較的軽装。シンシア様は生まれが平民だし、私も5歳までは平民として暮らしていたし、継母は貧乏が板についた末端貴族だ。一応辺境伯家の護衛はついてはいるけれど、見事なくらいに周囲に溶け込んでいる。特にシンシア様はアニエスの動向をずっと気遣っていて、舞台を訪れるのもこれが初めてではないのだとか。
「とはいえ私も久しぶりだわ。最近はアニエスの出番がほとんどなくて、裏方に徹することが多かったみたいだから」
「そうなのですか? 貴族のサロンへのお呼ばれや、王立学院の聴講生で忙しくしているからでしょうか」
アニエスの特技は一人芝居だ。特に巷で流行の小説のヒーローやヒロインになりきって行う朗読劇は貴族の奥方様に人気で、パトロンをはじめとする方々に呼ばれては披露している。また王立学院が平民向けに間口を広げた聴講生制度を利用して、芝居関連の座学も受けている。
15歳の少女の日常としてはなかなか目まぐるしいはず。そう思いつつシンシア様に質問したのだが、シンシア様は少し困ったように笑った。
「それもあるのだけれど……理由はほかにもあって。まぁ、見ていればわかると思うわ」
何かを含んだようなシンシア様の物言いに私も首をかしげたが、ちょうど開幕のベルが鳴り、話はそれきりになった。
舞台は台詞が中心のお芝居だ。1組の貴族に扮した男女が、思いが通じ合っているのにすれ違う様をコミカルに描いたコメディで、客席のあちこちから笑いが起こっていた。この辺りも、声を立てるのが失礼にあたる貴族用のオペラとはかなり違う。
話が進んで、恋人と仲違いして落ち込むヒーローに、悪友たちが新たな女性を勧めようと、舞踏会の席で女性たちを物色しているシーンになった。舞台にはドレス姿の女性が次々と登場してくる。けれど彼女たちはまるまると太っていたり、滑稽なドレス姿や髪型をしていたり、手癖が悪かったりと、難のある特徴ばかりだ。人の容姿をあげつらうのはいささか品がないが、観客の多くは平民、そして舞台の上の女性たちは貴族役とあって、一種の風刺のような雰囲気で、これはこれでひとつの文化ともいえるのだろう。
そんな貴族役の女性たちに混ざって、一際すらりと背の高い女性が登場した。アニエスだ。
髪を高く言い上げ、高い身長をさらに高く見せている。さらに雰囲気に合わないピンク色のふんわりとしたドレスは裾が寸足らずで、ハイヒールを履いた足首が丸見えだった。ヒールと高く結いあげた髪のせいで、ヒーローどころかすべての男性陣よりも背が高い。
そんな彼女を悪友たちから紹介されたヒーローは「俺より背の高い女など願い下げだ! これじゃかかしを連れ歩いてるようなものじゃないか!」と叫んだ。その言葉に合わせてアニエスが両手を広げ、片足立ちになってかかしのふりをする。表情までが間の抜けたかかしそのもので、客席はどっと湧いた。そしてアニエスは、舞台を降りる最後のときまで、その姿のまま、かかしを演じきっていた。
正直に言おう、お芝居自体は面白かった。やや際どい表現も、平民たちの貴族社会に対するガス抜きと思えばかわいいものだ。ストーリーの展開もよく、起承転結もしっかり練られていて、何より役者たちの実力がすごい。アニエスのような端役たちも、このストーリーのコミカルな面をそれぞれのキャラクターで面白おかしく演じきっていた。アニエスのかかし姿は、エンドロールの挨拶の際にも大爆笑で、わざと間の抜けたメイクに仕上げていた本人の表情もとても明るかった。だからアニエスがこの道化役を真摯に表現していたのは間違いない。
シンシア様も継母も、舞台を終えた熱気に完全に包まれていた。
「庶民の舞台としては上出来だったかしら」
そうシンシア様がからりと笑えば、継母も
「そうですね。こんなお芝居もあるのですね。途中で笑うのを我慢するのが大変でしたわ」
と、やや恥ずかしそうに頬を染めていた。貧乏男爵家に嫁いだとはいえ生粋の貴族育ちである継母は、人前で大声を出して笑うのに抵抗があったのだろう、芝居中、何度か口元を押さえて笑いを噛み殺していた。
「アンジェリカはどうだった?」
「はい、とてもおもしろかったです」
正直前世も今生も貴族生活に慣れない私からすれば、こうした笑えるお芝居の方がずっと楽しい。そういう意味ではよい観劇だった。
「ただ、アニエスの出番が少なかったのが残念でした」
実はアニエスのお芝居を見たのはこれが初めてではない。2年前もこの劇団に所属してすぐの公演を覗きにいった。そのときのアニエスは13歳。もらった役は準主役ともいえる少年役で、ストーリーは町の孤児たちが悪い大人をこてんぱんにやっつける冒険活劇だった。
あれから2年。アニエスはすっかり成長したようだ。
「アニエスはずいぶん身長が伸びたようですね」
舞台に立った彼女の姿を思い出す。わざと髪を高く結いあげたり、スカートの裾を短くして背の高さを強調させるような演出をしていたが、それを抜きにしても、彼女の身長は男性陣に勝るとも劣らないものになっていた。
「えぇ。大きくなるのはいいことなのだけど、ちょっと伸びすぎてしまったようなの」
劇団では当然男性は男性役を、女性は女性役を演じる。子どものうちは凛々しい少年役で通ったとしても、歳を重ねればそれも難しくなる。彼女がヒールを履くだけで男性の役者よりも高くなってしまうとしたら、確かに得られる役は限られてしまうだろう。
才能があるのに、それを生かせる場所がないなんて、と残念がるシンシア様とともに、舞台裏にやってきた私は、メイクもまだ落としきっていないアニエスと対面した。
「シンシア様、それにアンジェリカ様も、ご無沙汰しています!」
メイクはそののまま、髪をおろして軽装に着替えただけのアニエスは、満面の笑みを浮かべて私たちを迎えてくれた。琥珀色のきらきらとした瞳が、舞台の熱気を未だ孕んでいる。たとえ端役でも、道化役でも、彼女は気にしない。舞台に立てることが何より楽しいのだと、そう語っている。
近くで見る彼女は2年前に会ったときよりもはるかに大きくなっていた。そしてこんな間抜けなメイクでも隠しきれないほど、綺麗になっていた。髪の色も、薄い茶色だったものの色素が抜けて、天井のライトできらきらと輝いている。
まだ少女のあどけなさを残しつつも、大人のような伸びやかな手足。
美しく変化しつつある彼女の手に自分のそれを重ね、私は切り出した。
「アニエス、うちで劇団を作ってみない?」
「代わりに別の医師を送ります。ダスティン家の新事業の助けになってくれそうな人材を思いつきました」
そう結ばれていたのだけれど……どういう意味だろう。すべては社交シーズンが終わって、自領に戻るまでわからない。
そんな謎を残しつつ、今日は継母とシンシア様の3人で王都の街に繰り出した。目的は観劇だ。観劇といっても貴族が好む荘厳なオペラではなく、平民たちが出入りする小劇場だった。ここで孤児院出身のアニエスが、所属の劇団の舞台を踏むのだ。
そういった理由で今日の私たちは比較的軽装。シンシア様は生まれが平民だし、私も5歳までは平民として暮らしていたし、継母は貧乏が板についた末端貴族だ。一応辺境伯家の護衛はついてはいるけれど、見事なくらいに周囲に溶け込んでいる。特にシンシア様はアニエスの動向をずっと気遣っていて、舞台を訪れるのもこれが初めてではないのだとか。
「とはいえ私も久しぶりだわ。最近はアニエスの出番がほとんどなくて、裏方に徹することが多かったみたいだから」
「そうなのですか? 貴族のサロンへのお呼ばれや、王立学院の聴講生で忙しくしているからでしょうか」
アニエスの特技は一人芝居だ。特に巷で流行の小説のヒーローやヒロインになりきって行う朗読劇は貴族の奥方様に人気で、パトロンをはじめとする方々に呼ばれては披露している。また王立学院が平民向けに間口を広げた聴講生制度を利用して、芝居関連の座学も受けている。
15歳の少女の日常としてはなかなか目まぐるしいはず。そう思いつつシンシア様に質問したのだが、シンシア様は少し困ったように笑った。
「それもあるのだけれど……理由はほかにもあって。まぁ、見ていればわかると思うわ」
何かを含んだようなシンシア様の物言いに私も首をかしげたが、ちょうど開幕のベルが鳴り、話はそれきりになった。
舞台は台詞が中心のお芝居だ。1組の貴族に扮した男女が、思いが通じ合っているのにすれ違う様をコミカルに描いたコメディで、客席のあちこちから笑いが起こっていた。この辺りも、声を立てるのが失礼にあたる貴族用のオペラとはかなり違う。
話が進んで、恋人と仲違いして落ち込むヒーローに、悪友たちが新たな女性を勧めようと、舞踏会の席で女性たちを物色しているシーンになった。舞台にはドレス姿の女性が次々と登場してくる。けれど彼女たちはまるまると太っていたり、滑稽なドレス姿や髪型をしていたり、手癖が悪かったりと、難のある特徴ばかりだ。人の容姿をあげつらうのはいささか品がないが、観客の多くは平民、そして舞台の上の女性たちは貴族役とあって、一種の風刺のような雰囲気で、これはこれでひとつの文化ともいえるのだろう。
そんな貴族役の女性たちに混ざって、一際すらりと背の高い女性が登場した。アニエスだ。
髪を高く言い上げ、高い身長をさらに高く見せている。さらに雰囲気に合わないピンク色のふんわりとしたドレスは裾が寸足らずで、ハイヒールを履いた足首が丸見えだった。ヒールと高く結いあげた髪のせいで、ヒーローどころかすべての男性陣よりも背が高い。
そんな彼女を悪友たちから紹介されたヒーローは「俺より背の高い女など願い下げだ! これじゃかかしを連れ歩いてるようなものじゃないか!」と叫んだ。その言葉に合わせてアニエスが両手を広げ、片足立ちになってかかしのふりをする。表情までが間の抜けたかかしそのもので、客席はどっと湧いた。そしてアニエスは、舞台を降りる最後のときまで、その姿のまま、かかしを演じきっていた。
正直に言おう、お芝居自体は面白かった。やや際どい表現も、平民たちの貴族社会に対するガス抜きと思えばかわいいものだ。ストーリーの展開もよく、起承転結もしっかり練られていて、何より役者たちの実力がすごい。アニエスのような端役たちも、このストーリーのコミカルな面をそれぞれのキャラクターで面白おかしく演じきっていた。アニエスのかかし姿は、エンドロールの挨拶の際にも大爆笑で、わざと間の抜けたメイクに仕上げていた本人の表情もとても明るかった。だからアニエスがこの道化役を真摯に表現していたのは間違いない。
シンシア様も継母も、舞台を終えた熱気に完全に包まれていた。
「庶民の舞台としては上出来だったかしら」
そうシンシア様がからりと笑えば、継母も
「そうですね。こんなお芝居もあるのですね。途中で笑うのを我慢するのが大変でしたわ」
と、やや恥ずかしそうに頬を染めていた。貧乏男爵家に嫁いだとはいえ生粋の貴族育ちである継母は、人前で大声を出して笑うのに抵抗があったのだろう、芝居中、何度か口元を押さえて笑いを噛み殺していた。
「アンジェリカはどうだった?」
「はい、とてもおもしろかったです」
正直前世も今生も貴族生活に慣れない私からすれば、こうした笑えるお芝居の方がずっと楽しい。そういう意味ではよい観劇だった。
「ただ、アニエスの出番が少なかったのが残念でした」
実はアニエスのお芝居を見たのはこれが初めてではない。2年前もこの劇団に所属してすぐの公演を覗きにいった。そのときのアニエスは13歳。もらった役は準主役ともいえる少年役で、ストーリーは町の孤児たちが悪い大人をこてんぱんにやっつける冒険活劇だった。
あれから2年。アニエスはすっかり成長したようだ。
「アニエスはずいぶん身長が伸びたようですね」
舞台に立った彼女の姿を思い出す。わざと髪を高く結いあげたり、スカートの裾を短くして背の高さを強調させるような演出をしていたが、それを抜きにしても、彼女の身長は男性陣に勝るとも劣らないものになっていた。
「えぇ。大きくなるのはいいことなのだけど、ちょっと伸びすぎてしまったようなの」
劇団では当然男性は男性役を、女性は女性役を演じる。子どものうちは凛々しい少年役で通ったとしても、歳を重ねればそれも難しくなる。彼女がヒールを履くだけで男性の役者よりも高くなってしまうとしたら、確かに得られる役は限られてしまうだろう。
才能があるのに、それを生かせる場所がないなんて、と残念がるシンシア様とともに、舞台裏にやってきた私は、メイクもまだ落としきっていないアニエスと対面した。
「シンシア様、それにアンジェリカ様も、ご無沙汰しています!」
メイクはそののまま、髪をおろして軽装に着替えただけのアニエスは、満面の笑みを浮かべて私たちを迎えてくれた。琥珀色のきらきらとした瞳が、舞台の熱気を未だ孕んでいる。たとえ端役でも、道化役でも、彼女は気にしない。舞台に立てることが何より楽しいのだと、そう語っている。
近くで見る彼女は2年前に会ったときよりもはるかに大きくなっていた。そしてこんな間抜けなメイクでも隠しきれないほど、綺麗になっていた。髪の色も、薄い茶色だったものの色素が抜けて、天井のライトできらきらと輝いている。
まだ少女のあどけなさを残しつつも、大人のような伸びやかな手足。
美しく変化しつつある彼女の手に自分のそれを重ね、私は切り出した。
「アニエス、うちで劇団を作ってみない?」
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