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本編第一章

2年後のお話です

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 2年後―――。


「それで? ミシェルの初陣はどうだったの? 12歳の誕生日に、騎士としてデビューする習慣だったわよね?」

   ダスティン領とアッシュバーン領の境にできた技術交流研究所で、私はギルフォードと対面していた。この研究所が設立されたのをきっかけに、それまで西の砦に居を構えていた伯爵老がこちらに移ってきていた。おじいちゃん子のギルフォードは老を訪ねてよくこの地を訪れている。

 9歳になったギルフォードは、びっくりするくらい何も変わっていなかった。くすんだ麦わらのような金髪はつんつんしたままで、伸びる気配はない。あぁ、身長だけは伸びたけど。

「あぁ! すごかったぞ! 超どでかい猪を狩ってきてくれたんだ! さすがは兄上」
「い、猪って……初陣、猪狩りだったの?」
「そうだ! 西の穀倉地帯を荒らす巨大猪がいてな。村人が何人も怪我をさせられていたのだ。それを討伐する部隊が組まれて、タイミングがよかったから兄上の初陣になったんだ。兄上は矢の腕前も一流だからな、大人たちに混じって見事に一矢食い込ませたそうだ」
「そ、それはよかったわね……」
「あぁ! 猪もうまかったぞ!」

 どうやら狩の後はジビエ料理が振る舞われたそうで……なんとも平和な話である。

「俺も12歳になったら初陣をこなさなくてはならないからな、今のうちからしっかり鍛錬しないと!」

 言いながら剣の素振りを始めた彼の背後に広がるのは、見事なじゃがいも畑。その奥には小麦や野菜も見える。そこで立ち働くのはダスティン領とアッシュバーン領の領民たち。彼らは研究所に雇われたスタッフだ。

 王宮での宰相との会談から数ヶ月後、この地に研究所が設立されることが決まった。その半年後には建物が完成し、今この地にはセレスティア王国の国民だけでなくトゥキルスの技術者たちも住んでいる。

 うちで細々と始めた石灰を使った土壌改良の技術はさらに発展し、土壌を分析する技術が確立された。指揮を取ったのはハイネル公爵と、彼の元で働くロイだ。

 ロイはうちの執事をしながら、研究所の職員としても働いている。研究に邁進してもらった方が彼の希望にも叶っていいだろうと転職を進めたが、頑として首を縦に振らなかったため、兼務という形に落ち着いた。今も我が家の使用人棟で寝起きしている。奥さんとなったサリーと、昨年生まれた娘のリーリアと一緒だ。

 サリーの娘ケイティは王都にいる。実はあの後、うちとケビン伯父と合同で王都に事務所を立ち上げたのだ。ケビン伯父が王都で営業用の事務所を構えるという話に便乗させてもらった。ケビン伯父側の仕事は家具の販売・受注だが、うちの仕事はダスティン印のポテト料理普及とメニュー開発、各地に散らばるフランチャイズ店舗の管理だ。合同事務所だから家賃も浮くし、人手もいろいろ使い回せて便利だ。ちなみに事務所の社長はウォーレス教授である。王都住まいではないケビン伯父では王都に店舗を持つことが難しかったため、父親を頼って名前を借りた次第だ。

 ケイティはその事務所で事務員をしているが、実際はポテト食堂運営希望者の受け入れや指導、新しいメニュー開発、各地から届くさまざまな情報の管理などなど……それはそれは大活躍をしてくれていて、事務所には欠かせない存在となっていた。最近ウォーレス領のリンダが2号店の経営を始めたので、その期に乗じて店舗を訪れ、帰りにうちにも寄ってくれた。かわいい妹を抱きしめながら「お姉ちゃんがしっかり稼いであげるから安心して大きくおなり!」と宣っていた。

 ポテト食堂フランチャイズはなかなかの軌道に乗っていた。最近では一般向けの食堂だけでなく、高級レストランの経営にも乗り出している。王妃陛下の後押しもあって貴族間でもじゃがいもを食べることがかなり普及した。繁栄するのと同時に、同じようなポテト料理を出すダミー店も増えたのだが、それはそれとして見逃すことにした。私としては独占をするつもりはないし、広く普及してほしいという当初の考え方はぶれていない。

 2年前、トゥキルスとの条約が締結される直前に、ハムレット商会にポテト料理のレシピを提供して「ダスティン印のポテト料理ブック」と出版してもらった。我が家のフランチャイズ各店の集金をハムレット商会の行商商人たちに代行してもらっているから、その対価としてレシピは売り切り、印税は双子たちに入るシステムだ。

「アンジェリカ様! 次はさつまいもづくしのスイートポテト料理本にしましょう!」
「栗の情報もちゃんといれろよ!」
「待って、さつまいものおやつに合うお茶の情報を合わせて掲載したら、うちの商品も売れるんじゃない?」
「いいなそれ! あと食器とかカトラリーもどうだ? 精緻なイラストにして“優雅なティータイムをどうぞ”って!」
「素敵ですわーーー!!!」
「いけるぞこれ!」
「でもライトのセンスじゃイマイチよ。私が選ぶわ」
「おまえに任せたらマイナー攻めなものばっか選ぶだろうが!」

 レシピ本をきっかけに双子の仲がちょっとだけよくなったとかならなかったとか……。




 孤児院のアニエスはその後もお芝居の稽古を続け、孤児院を卒業した今は王都にあるとある劇団に弟子入りしている。また精霊祭のイベントがこの2年の間にエヴァンジェリンの力で大きくなり、そのことがきっかけで、王立学院の出張講座が開かれるようになった。そこで優秀な成績を収めた者は、学院の特定の授業の聴講生になれるというシステムだ。

「これで本格的な芝居の基礎について学べます」

 見事その切符を手にしたアニエスは、お芝居に関する授業を受けるため、学院にも出席している。

「僕も頑張ります」

 同じく芸術院の聴講生を目指しているのはシリウスだが、彼は実は成績も優秀なため、王立学院の受験も視野に入れているそうだ。シンシア様がバックアップしてくださるから、きっといい方向に流れるだろう。

 マクスウェル家のエリオットとはあまり交渉がなく、エヴァンジェリンからの手紙で話を聞くのみだ。

 そしてそれはカイルハート殿下についても同じだった。

 来年ミシェルが学院にあがり、カイルハート殿下の側付きを一時的に離れる。政治的な関係でギルフォードが王宮にあがる話は流れたらしい。代わりに名前があがっているのがやはりエリオットらしく、そうなればもうはるか彼方の存在だ。


 移り行く時間を楽しみつつ、ときおりふと懐かしい思いを感じることがある。


 ダスティン領は以前に比べてだいぶ豊かになった。少なくとも食べるものには困らなくなった。出稼ぎに出かける人はだいぶ減り、代わりに研究所で働く人が増えた。その影響で子どもたちも学問に興味を持ち始め、優秀な子どもたちもちらほら出てきている。また食糧事情と土壌、雇用状況が改善したおかげで人口も増えつつあった。

(研究所様様だけど、これだけじゃ心許ないのよね)

 王国の命で作られた研究所である以上、ある日突然閉鎖される可能性だってある。だからこそもっと地に足をつけた施策を展開していかなくてはならない。

(幸いお金も順調に溜まってきたし。いっちょあの計画、やったりますか!)

 実り豊かになったダスティン領の空気を胸にいっぱい吸い込む。

 その匂いは、かつてのアフリカの村の匂いに少しだけ似ているきがした。




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第一章「じゃがいも改革編」完結です。次はいよいよ温泉! 少しお休みいただきます。

 
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