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本編第一章
謁見後のお話です
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その後の展開はそれはもう凄まじかった。
試食会で出されたポテト料理をいたくお気に召した王妃陛下は、すぐさま祖国に連絡をとり、じゃがいもの食用化についての情報を提供した。それに興味を持ったトゥキルスから社交シーズン中に使者がやってきて、実際にポテト料理を味わい、「これはいける」と判断した模様だ。
その後は宰相を通じての交渉だ。切れ者宰相は表向きは革命的なこの技術を無償提供する姿勢をとりつつ、裏では隣国にたっぷりと恩を売ることに成功した、らしい。国同士の政治の話だから、私は敢えて関わらないようにしていた。だってなんかいろいろ怖いんだもの。
トゥキルスとの間にじゃがいもの食用化の技術を含む様々な技術交流の条約が結ばれたのは社交シーズンも終わりに差し掛かった3月のこと。国同士の交渉がこんなにスムーズに進むのは異例のことだと、マクスウェル宰相から直に説明を受けていた。
そう、私たち一家はこの日、王宮の宰相室に招待されていた。目的は今回の働きに対する非公式の労いだ。
「今回のトゥキルスとの交渉では思っていた以上の収穫となった。そなたたちには礼を言う」
「私どもの力ではありません。すべて王妃陛下と宰相様の御功績でありましょう」
父が通り一遍の挨拶を返し、それに対して二言三言交わした後、例によって宰相がわざわざ私を見て口を開いた。
「正式な褒賞がおそらく王宮から出されるはずだ。その前に、そなたたちの望みを聞いておこうと思ってな」
「なんだか以前、宰相様のご自宅で交わした会話と似ておりますね」
かつて、宰相夫人の食事情を改善したときにも、彼は私たちに褒美をくれようとした。そのときは孤児院のポテト食堂の開店計画が進んでいたので、そこへの出資を願い出たのだ。
宰相もそのときのことを思い出したのだろう、軽く唇の端をあげた。
「そうだな。そなたはこちらが思いもかけぬものを欲しがるからな。先に聞いておこうと思ったのだ。このままいくと、おそらく爵位の引き上げの話になるぞ。最低でも子爵―――伯爵位まであるかもしれん」
「そ、そんな! 滅相もありません!」
そんなご大層な爵位をもらっても扱いきれない。咄嗟に叫んだ私だが「あれ、そういや男爵は父だった」と口を押さえてそちらを見た。父もまた目を剥き、細かく首を振っていたので、断って正解だったと安堵する。
「だから先に聞いてやると言ったのだ。どうだ、欲しいものはあるか」
今回は国同士の大きなつながりに関わることだから、褒賞を辞退することはできない。それならばと、私は温めていた意見を申し出た。
「ダスティン領に技術者を派遣していただきたいと思います。地質関係や土壌に詳しい技術者です」
「ほう。なぜだ」
「王妃陛下の御前でも簡単にご案内しましたが、我が領で土壌改良の研究を行っております。我が領の地質はもともと農業に向かず、作物が一向に育たない土地だったのですが、その土壌を改良することに成功しました。今年の収穫高は昨年の倍を記録しています」
「なんだと……? 本当か」
「はい。ただ、その改良方法がほかの土地でもうまくいくかどうかはわかりません。ダスティン領は山に囲まれた土地ですが、かつてその山は火山であったとの記録があります。その火山灰が堆積して出来た土地であることが、作物の不作に関係しているのではないかと考えました。実は、えっと、土壌の改良につながったのは、なんというか、ささいなきっかけだったのですが……ただ、改良できたことは事実です」
「どんな方法だ!?」
「……知りたいですか?」
「……!!」
一瞬宰相が酢を飲んだような顔になった。しかしすぐさま頭を切り替えたのか、いつもの怜悧な瞳を取り戻した。
「教える気がないということかな?」
「いいえ、とんでもございません。まずは、技術者の派遣についてのお話を進めたいだけです」
「土壌に詳しい者を集めて、研究をしたいということか」
「その通りです。そしてそこにはトゥキルスの技術者も加えてください。つまり、今回の技術交流の地に、我が領とアッシュバーン領を選んでほしいのです」
ちなみにこの話は、事前にアッシュバーン辺境伯には通してある。
「ダスティン領は手狭なため、我が領だけで全ての技術者の受け入れは困難でしょう。研究に必要な土地もそうです。ですので、隣のアッシュバーン領との境に研究所を設けてはいかがかと存じます。アッシュバーン領でしたらトゥキルスと領土を接していますから、かの国にも近いですし、何より自前騎士を抱えている関係から、何かトラブルが起きても対処できましょう」
両国間の交流がうまくいってほしいが、すべてがスムーズに進むとは限らない。あってほしくはないが、騎士団が出動するようなことも想定しておく必要がある。アッシュバーン家の戦力があれば大概のことは収められるし、王立騎士団が出てくるよりも都合がいいだろう。
うちと同じくアッシュバーン領もまた、鉱山近隣では作物の収穫量が落ちる。土壌改良の知識はじゃがいも食用化と同じくらい刺さったようで、一も二もなく賛成してくれた。
人が集まるということは活気が出るということ。そして近隣への経済効果も出る。知識や技術の交流はその地の学術振興にもつながる。
ダスティン領は今よりもずっと、発展してくれることだろう。
「技術交流に関してはほかにも候補の意見がある。有力貴族からの申し出も出ているが……」
「恐れながら、我が領とアッシュバーン辺境伯領以上に、それに適した場所はないでしょう」
うちだけなら蹴られて終わりそうなものだが、アッシュバーン辺境伯家がついている。加えて今回のじゃがいも食用化の褒賞、となれば、有力貴族も指を加えて見送るよりほかない。
「……あいわかった。確約はまだできぬが、努力しよう」
「ありがとうございます」
この人が努力すると言ったのだ、それはほぼ確約と同意だ。
「最後に、宰相様にお聞きしたいことがあります」
「なんだ」
「父を通して、はじめてじゃがいもの食用化についてご相談申し上げたとき、宰相様は国策としてこの方法を広めることを断られました」
「あぁ」
「我々はこの革新的な方法を王国全土に広めたいという目標を折られることとなりました。ですがその後、バレーリ団長からのお声がけで、騎士団にこの方法を紹介することができ、全国の騎士団の砦で、じゃがいもが食されるようになりました。さらに王国南のバレーリ領、東のハイネル領にも広がっています。もちろん、北のアッシュバーン領も然りです」
「あぁ、王都の隣である我がマクスウェル領でも最近はポテト料理が盛んだ」
「そして今回、トゥキルスへと輸出されることとなりました。この間、多くの人の力が動きましたが、王国の予算は1円も動いておりません」
「……」
「宰相様、いったいいつから、ポテト料理が革新的な技術であると認めてくださっていたのですか?」
そう、はじめは宰相に「一地方で親しまれる特産」と切り捨てられたことに腹を立てていた。こんな素晴らしい技術を認めないなんて、どんなぼんくらが宰相やってんのよ!とまで実は心の中で思っていた。
だが現実は。
ポテト料理は騎士団の力で各拠点とその周辺に広がりつつある。運良く高位貴族とつながれたおかげで北と南と東にも。この間、お金と人手を使ったのは王国ではなく、騎士団と各領の領主たちだ。
なのに結果は、王国中に広まる一歩手前まできているし、隣国までに渡ろうとしている。
「宰相様は、この流れを読んでいらしたのですね、おそらく、初めから」
我々が出した一通の手紙。それに直筆で返してくださったことを、かつて父は「宰相様がある程度認めてくださっている証拠」と述べた。そして騎士団のロイド副団長にこの話を紹介したのもまたマクスウェル宰相。王妃陛下がポテト料理を知ったのは偶然と彼女自身の行動力からだが、彼女と私たちをつなげてくれたのもまた、この人なのだ。
王国のお金と人手を一切使わず、この革新的な技術を全土に広めることに成功しつつある。その立役者は、私たちではない。
ポテト料理とじゃがいもの食用化の成功について、今や王都はその話題で持ちきりだ。何より王妃陛下がそれを認めたのだから、今や高位貴族からも問い合わせが絶えない。我が家はすっかり時の人になっているが、その背後で、ある意味我々よりもっとすごいことを成し遂げたであろうこの人の名前は、この先も出ることはないだろう。
断っておきながら、次につながる一手を示してくれるーーーそんな彼の矛盾した行動が一本の糸となって見えたのは、王妃陛下に謁見する直前の、あの短いやりとりの中でだった。
私の問いに、彼は小さく口元を綻ばせるのみだった。そこがまた憎らしいくらいかっこいい。彼の手のひらの上で踊らされていたのだとしても、許せるレベルだ。
「悪いが、次の予定が詰まっている。週末には王都をたって領地に戻られるそうだな。気をつけてまいられよ。あぁそうだ、ダスティン領までの道の整備も急がねばなるまいな。各地の当主に命じることにしよう。かの地が技術交流の場になれば、王都とのやりとりも頻回になる。道中に落とすものの経済効果もまた、少なくないはずだ。否やは言うまいさ」
そして彼は、秘書官が部屋をノックしたのを合図に、面会を切り上げた。
試食会で出されたポテト料理をいたくお気に召した王妃陛下は、すぐさま祖国に連絡をとり、じゃがいもの食用化についての情報を提供した。それに興味を持ったトゥキルスから社交シーズン中に使者がやってきて、実際にポテト料理を味わい、「これはいける」と判断した模様だ。
その後は宰相を通じての交渉だ。切れ者宰相は表向きは革命的なこの技術を無償提供する姿勢をとりつつ、裏では隣国にたっぷりと恩を売ることに成功した、らしい。国同士の政治の話だから、私は敢えて関わらないようにしていた。だってなんかいろいろ怖いんだもの。
トゥキルスとの間にじゃがいもの食用化の技術を含む様々な技術交流の条約が結ばれたのは社交シーズンも終わりに差し掛かった3月のこと。国同士の交渉がこんなにスムーズに進むのは異例のことだと、マクスウェル宰相から直に説明を受けていた。
そう、私たち一家はこの日、王宮の宰相室に招待されていた。目的は今回の働きに対する非公式の労いだ。
「今回のトゥキルスとの交渉では思っていた以上の収穫となった。そなたたちには礼を言う」
「私どもの力ではありません。すべて王妃陛下と宰相様の御功績でありましょう」
父が通り一遍の挨拶を返し、それに対して二言三言交わした後、例によって宰相がわざわざ私を見て口を開いた。
「正式な褒賞がおそらく王宮から出されるはずだ。その前に、そなたたちの望みを聞いておこうと思ってな」
「なんだか以前、宰相様のご自宅で交わした会話と似ておりますね」
かつて、宰相夫人の食事情を改善したときにも、彼は私たちに褒美をくれようとした。そのときは孤児院のポテト食堂の開店計画が進んでいたので、そこへの出資を願い出たのだ。
宰相もそのときのことを思い出したのだろう、軽く唇の端をあげた。
「そうだな。そなたはこちらが思いもかけぬものを欲しがるからな。先に聞いておこうと思ったのだ。このままいくと、おそらく爵位の引き上げの話になるぞ。最低でも子爵―――伯爵位まであるかもしれん」
「そ、そんな! 滅相もありません!」
そんなご大層な爵位をもらっても扱いきれない。咄嗟に叫んだ私だが「あれ、そういや男爵は父だった」と口を押さえてそちらを見た。父もまた目を剥き、細かく首を振っていたので、断って正解だったと安堵する。
「だから先に聞いてやると言ったのだ。どうだ、欲しいものはあるか」
今回は国同士の大きなつながりに関わることだから、褒賞を辞退することはできない。それならばと、私は温めていた意見を申し出た。
「ダスティン領に技術者を派遣していただきたいと思います。地質関係や土壌に詳しい技術者です」
「ほう。なぜだ」
「王妃陛下の御前でも簡単にご案内しましたが、我が領で土壌改良の研究を行っております。我が領の地質はもともと農業に向かず、作物が一向に育たない土地だったのですが、その土壌を改良することに成功しました。今年の収穫高は昨年の倍を記録しています」
「なんだと……? 本当か」
「はい。ただ、その改良方法がほかの土地でもうまくいくかどうかはわかりません。ダスティン領は山に囲まれた土地ですが、かつてその山は火山であったとの記録があります。その火山灰が堆積して出来た土地であることが、作物の不作に関係しているのではないかと考えました。実は、えっと、土壌の改良につながったのは、なんというか、ささいなきっかけだったのですが……ただ、改良できたことは事実です」
「どんな方法だ!?」
「……知りたいですか?」
「……!!」
一瞬宰相が酢を飲んだような顔になった。しかしすぐさま頭を切り替えたのか、いつもの怜悧な瞳を取り戻した。
「教える気がないということかな?」
「いいえ、とんでもございません。まずは、技術者の派遣についてのお話を進めたいだけです」
「土壌に詳しい者を集めて、研究をしたいということか」
「その通りです。そしてそこにはトゥキルスの技術者も加えてください。つまり、今回の技術交流の地に、我が領とアッシュバーン領を選んでほしいのです」
ちなみにこの話は、事前にアッシュバーン辺境伯には通してある。
「ダスティン領は手狭なため、我が領だけで全ての技術者の受け入れは困難でしょう。研究に必要な土地もそうです。ですので、隣のアッシュバーン領との境に研究所を設けてはいかがかと存じます。アッシュバーン領でしたらトゥキルスと領土を接していますから、かの国にも近いですし、何より自前騎士を抱えている関係から、何かトラブルが起きても対処できましょう」
両国間の交流がうまくいってほしいが、すべてがスムーズに進むとは限らない。あってほしくはないが、騎士団が出動するようなことも想定しておく必要がある。アッシュバーン家の戦力があれば大概のことは収められるし、王立騎士団が出てくるよりも都合がいいだろう。
うちと同じくアッシュバーン領もまた、鉱山近隣では作物の収穫量が落ちる。土壌改良の知識はじゃがいも食用化と同じくらい刺さったようで、一も二もなく賛成してくれた。
人が集まるということは活気が出るということ。そして近隣への経済効果も出る。知識や技術の交流はその地の学術振興にもつながる。
ダスティン領は今よりもずっと、発展してくれることだろう。
「技術交流に関してはほかにも候補の意見がある。有力貴族からの申し出も出ているが……」
「恐れながら、我が領とアッシュバーン辺境伯領以上に、それに適した場所はないでしょう」
うちだけなら蹴られて終わりそうなものだが、アッシュバーン辺境伯家がついている。加えて今回のじゃがいも食用化の褒賞、となれば、有力貴族も指を加えて見送るよりほかない。
「……あいわかった。確約はまだできぬが、努力しよう」
「ありがとうございます」
この人が努力すると言ったのだ、それはほぼ確約と同意だ。
「最後に、宰相様にお聞きしたいことがあります」
「なんだ」
「父を通して、はじめてじゃがいもの食用化についてご相談申し上げたとき、宰相様は国策としてこの方法を広めることを断られました」
「あぁ」
「我々はこの革新的な方法を王国全土に広めたいという目標を折られることとなりました。ですがその後、バレーリ団長からのお声がけで、騎士団にこの方法を紹介することができ、全国の騎士団の砦で、じゃがいもが食されるようになりました。さらに王国南のバレーリ領、東のハイネル領にも広がっています。もちろん、北のアッシュバーン領も然りです」
「あぁ、王都の隣である我がマクスウェル領でも最近はポテト料理が盛んだ」
「そして今回、トゥキルスへと輸出されることとなりました。この間、多くの人の力が動きましたが、王国の予算は1円も動いておりません」
「……」
「宰相様、いったいいつから、ポテト料理が革新的な技術であると認めてくださっていたのですか?」
そう、はじめは宰相に「一地方で親しまれる特産」と切り捨てられたことに腹を立てていた。こんな素晴らしい技術を認めないなんて、どんなぼんくらが宰相やってんのよ!とまで実は心の中で思っていた。
だが現実は。
ポテト料理は騎士団の力で各拠点とその周辺に広がりつつある。運良く高位貴族とつながれたおかげで北と南と東にも。この間、お金と人手を使ったのは王国ではなく、騎士団と各領の領主たちだ。
なのに結果は、王国中に広まる一歩手前まできているし、隣国までに渡ろうとしている。
「宰相様は、この流れを読んでいらしたのですね、おそらく、初めから」
我々が出した一通の手紙。それに直筆で返してくださったことを、かつて父は「宰相様がある程度認めてくださっている証拠」と述べた。そして騎士団のロイド副団長にこの話を紹介したのもまたマクスウェル宰相。王妃陛下がポテト料理を知ったのは偶然と彼女自身の行動力からだが、彼女と私たちをつなげてくれたのもまた、この人なのだ。
王国のお金と人手を一切使わず、この革新的な技術を全土に広めることに成功しつつある。その立役者は、私たちではない。
ポテト料理とじゃがいもの食用化の成功について、今や王都はその話題で持ちきりだ。何より王妃陛下がそれを認めたのだから、今や高位貴族からも問い合わせが絶えない。我が家はすっかり時の人になっているが、その背後で、ある意味我々よりもっとすごいことを成し遂げたであろうこの人の名前は、この先も出ることはないだろう。
断っておきながら、次につながる一手を示してくれるーーーそんな彼の矛盾した行動が一本の糸となって見えたのは、王妃陛下に謁見する直前の、あの短いやりとりの中でだった。
私の問いに、彼は小さく口元を綻ばせるのみだった。そこがまた憎らしいくらいかっこいい。彼の手のひらの上で踊らされていたのだとしても、許せるレベルだ。
「悪いが、次の予定が詰まっている。週末には王都をたって領地に戻られるそうだな。気をつけてまいられよ。あぁそうだ、ダスティン領までの道の整備も急がねばなるまいな。各地の当主に命じることにしよう。かの地が技術交流の場になれば、王都とのやりとりも頻回になる。道中に落とすものの経済効果もまた、少なくないはずだ。否やは言うまいさ」
そして彼は、秘書官が部屋をノックしたのを合図に、面会を切り上げた。
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