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本編第一章

新しいダスティン家を紹介します1

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 鶏の鳴き声が2階にある私の部屋まで聞こえてきて、私はぱちりと目を覚ました。ベッドから起き上がりカーテンをおもいきり開けると、澄んだ青空が広がっていた。

「うん、絶好のじゃがいも作付け日和ね」

 大きく伸びをしつつ、隣の衣装部屋で手早く着替える。今日は1日畑仕事の予定だから、少々くたびれた木綿のワンピースだ。

 部屋を出て1階に降りる階段に向かうと、階下にいた女性と目があった。

「おはよう、クレバー夫人」
「おはようございます、お嬢様」

 グレイの簡素なデイドレスを着ている女性はオーガスタ・クレバー夫人。ルビィに変わる新しいメイド長だ。この春からうちで働いてくれるようになった。出身は継母の従姉妹であるエリン様が当主を務める、お隣ウォーレス領。そう、王都にいる間にエリン様から父に相談があった、あのご夫人だ。

 ご自身は遠方の伯爵家につながる出身だったが、エリン様の又従兄弟にあたる医者と結婚してウォーレス領に移り住んだ。一家は檜の産出が主産業である山間の地で暮らしていたが、地震からくる土砂崩れの影響でご主人が死亡。さらに娘のリンダさんが足に障害を負うという不幸が続いた。以来、すっかり引っ込み思案になったリンダさんと、社交的な長男、エリックさんのために、新しい仕事を探していたのだ。

 エリン様から紹介があった後、クレバー夫人はうちのメイド長に、エリックさんとリンダさんにはポテト料理を学んでもらって、ウォーレス領内で食堂を出してもらってはどうかと提案したところ、いろいろ検討した結果、ぜひやらせてほしいと返事をいただいた。そしてクレバー一家は、3月末には我が家に引っ越してきた。私たちが王都にいる間、ロイが彼らを受け入れ、春以降の仕事の割り振りなどを調整してくれていた。クレバー夫人はメイド長として内向きのことを取り仕切ってもらい、2人の子どもたちにはマリサについてポテト料理を学んでもらうほか、ロイから経営指南を受けたり、春から取り掛かる大掛かりな領内の土壌開発や家事を手伝ってもらったりすることで話がついた。

「お天気になってようございましたね。お嬢様。今日はよろしくお願いします。私は農作業は初めてですから、いろいろと足を引っ張ってしまうと思いますが……」
「とんでもないわ。でも本当にいいの? わざわざ夫人が手伝う必要はないのよ? 父やロイがいるし」
「せっかくこちらのお屋敷でお世話になっているのですから、いろいろやってみたいのです。エリックも張り切っていましたから、ぜひこき使ってやってくださいな」
「わかったわ。またあとでね」

 私は夫人と別れ、そのまま裏庭に出た。

 そう、今日はじゃがいもの作付けの日。家畜小屋の側にあるじゃがいも畑は準備万端だ。うちだけでなく領内でも今週から来週にかけて、じゃがいもの作付けが順次行われる。あらかじめロイが石灰を使った土壌の準備を進めてくれていたおかげで、スムーズに進んでいる。ポテト料理が普及した今、じゃがいもの作付け面積は大幅に増やされることになった。石灰の配合もばっちりだ。うまくいけば初夏にはたわわなじゃがいもが見られるはず。小麦に頼りがちだった領の食糧事情も、じゃがいもへの変遷で大幅に改善されるだろう。

 にんまりしながら日課の鶏の卵の回収に行く途中、背の高い男性と行き合った。

「エリック! おはよう!」
「おぉ、お嬢か! おはよう。いよいよ今日だな」

 クレバー夫人の長男、19歳になったエリックが種芋を運んでいるところだった。190センチ近い長身に見事な体躯。これで事務職員をやっていたというのだから、なんというか宝の持ち腐れだ。

 彼は私のことを「お嬢」と呼ぶ。クレバー夫人が聞いたら怒り心頭なので、彼女のいないところ限定だけど。私としては呼び捨てされたって全然かまわないから、まったく気にしていない。身体そのままに態度も大らかで、よく笑いよくしゃべる青年だ。彼がきてくれたおかげで我が家もかなり明るくなった。

「いやぁ、じゃがいもなんて本当に食べられるのか?と思ったけれど、マリサの料理を味わったら目を剥いたよ。むしろあれを19年間食べずに生きてきたことがもったいなくてしょうがないや」
「その分これからいっぱい食べればいいわ。あ、違った。あなたは食べるんじゃなくて食べさせる側になるのよね」
「客に出す前に全部俺が食っちまいそうだけどな」

 大笑いをしながらすれ違う。彼も今日は作付けを手伝ってくれる。農作業に縁がなかった夫人と違って、彼は地元でも平民の友達の手伝いをちょこちょこしていたということだから立派な戦力だった。



 目指す鶏小屋に到着すると、小屋の前で小柄な少女が私を待っていた。

「お嬢様、おはようございます」
「リンダ、おはよう」
「お嬢様、今日もよろしくお願いします」
「……あの、無理しなくてもいいのよ? 鶏小屋なんてリンダには縁のないところだと思うし。この先も縁があるとは思えないし」
「いいえ! お嬢様がなさっておられるのに、使用人の私ができないなんて、そんなの許されません!」
「いや、リンダはそもそもポテト料理研修のためにうちにいるだけだから、使用人とは違うよ?」
「いいえ、私も兄も使用人のようなものです。今日こそは! きちんと卵を回収してみせます! お願いします、やらせてください!」
「は。はぁ。いいけど。でも無理しないでね」
「はい!」

 そう、クレバー夫人の長女で、エリックの妹であるリンダも、ポテト料理研修の傍ら、家事を手伝ってくれている。メイドではないから彼女が鶏小屋に入る必要はないのだけど、どういうわけか卵回収の研修も同時進行で行われることになった。足に障害があるということで、うちで働くのにもいろいろ支障があるのではと危惧していたのだけど、走るのは困難でも歩く分にはゆっくりなら問題ない程度で、庭を行き来することはできる。障害を得たことで引きこもりがちになってしまったそうだけど、もともとはエリックさんにも引けを取らない明るい少女だったそうだ。兄よりも賢く、努力家な一面もあり、卵回収という小さな雑務にも一生懸命だ。

「じゃぁ、まず私が入るわね。扉を開けたらすぐに行動してね? 一度外に鶏を逃してしまったら厄介だから」
「は、はい!」

 私に続き、彼女が小柄な身体をさらに小さくして小屋に入る。鶏は全部で10匹。小屋のあちこちに卵を産んでいるから、細かくチェックして回る。私は手にしたカゴにひとつ、ふたつと卵を集めていった。鶏たちも慣れたもので、私が近づいてもぶるると羽毛を振るわせるだけで、抵抗もしない。

「さぁ、こっちは終わったわ。リンダ?」

 振り返ってみると、リンダが1羽の雄鶏と向かい合っていた。視線を合わせたまま、どちらもぴくりとも動かない。そして雄鶏の足元には赤茶色の卵。

「に、に、に、鶏さん! さ、さぁ、卵をくださいな……」

 声を震わせながら、リンダが腰を低くしてそろそろと近づいていく。その姿勢は……とてもやばい。私は思わず声を出した。

「リンダ、顔をあげて。姿勢を低くするとその子は背中に飛び乗ってくるわよ」
「え?」

 彼女が低姿勢のまま振り返ったとき。コケーーーーっ!!!と甲高い声を上げた雄鶏が、翼を広げ、勢いよくジャンプした。そのままリンダ目掛けて飛びかかっていく。

「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「リンダ!!」

 突然の悲鳴に驚いた雌鶏たちもコケーーーーっ!!!と大合唱し、一斉に暴れ出す。

「た、退却―――!!!」

 リンダの手をひき、私は小屋の入り口に舞い戻った。もちろん、あの卵を回収することも忘れなかった。貴重なたんぱく質だからね。




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