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本編第一章
王都を後にします1
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馬車から降りて、もう見慣れた玄関に降り立つと、そこには見知った少年が私を待っていた。
「まぁ、シリウス!」
「アンジェリカ様、お久しぶりです」
彼の背後にはウォーレス教授夫妻の姿もある。そう、ここは継母の実家。今日は週に1度のピアノレッスンの日だった。
「どうしたの? なぜシリウスがここに? あなたのレッスン日は確か土曜でしょう?」
「アンジェリカ様が王都を経たれると聞いて、ご挨拶に伺いました」
そう言って藍色の瞳を麗しく細める。
「孤児院にもなかなかおいでになられないので、お礼を申し上げるなら自分から伺うしかないと思い、教授にお願いしたのです」
「ごめんなさい、いろいろ忙しくしていて、孤児院には挨拶に寄れなかったの」
そう、この2週間は目の回る忙しさだった。午前中は騎士団寮の仕事、午後は関係各所への相談や挨拶。約3ヶ月に渡る王都暮らしの締めくくりにふさわしい日々だった。
「アンジェリカ様のおかげで、色々なことが大きく変わりました。クレメント院長も、アニエスも、それにルルも、みんなアンジェリカ様に感謝しています」
「そんな、大袈裟だわ。頑張ったのはみんなの方よ」
私は彼らを世に知らしめるための手助けをしたに過ぎない。チャンスを掴み取ったのは、彼らの力だ。
「あらあら、あなたたち本当に仲良しね。立ち話もなんだから中にお入りなさいな」
「はい、おばあさま」
教授夫人の勧めで、私たちはレッスン前にまずお茶をすることにした。
発表会の後、ウォーレス教授にシリウスの指導を依頼した結果、彼は毎週土曜日にここでレッスンを受けている。「いつもに増して生き生きしてきているわ」というのは教授夫人の談だ。以前はなかなか辛辣なコメントを寄せていたが、今ではすっかりシリウスの才能の虜らしい。これで私が領地に戻った後も、彼が引きこもることはないだろう。
そう、私たち一家は4日後、領地に戻ることになっている。本当にいろんなことがあった王都滞在だった。騎士団から、ポテト料理採用についての依頼があったことに始まり、シンシア様を通じて知った孤児院と、そこに暮らす子どもたちへの支援について考えたり。そうそう、ハムレット商会の双子たちに商売の進め方について教わったことも大きな収穫になった。極め付けは悪役令嬢ことエヴァンジェリン・ハイネル嬢との出会いと、ハイネル公爵にいろんな相談ができたこと。そしてエヴァンジェリン嬢を通じた、宰相の息子であるエリオット・マクスウェル少年との邂逅、そこからつながった、マクスウェル宰相へのポテト料理の紹介。
(思えば、あれが一番の大舞台だったかも……)
私はつい10日前に、侯爵家にお邪魔したときのことを思い出した。
マクスウェル侯爵家の厨房で、私の指示でマリサや料理人のみなさんが準備した料理を、夫人は完食してくれた。その話を、食事の場に立ち会った宰相から聞かされ、私は「よかった」と心の底から胸を撫で下ろした。
私が用意したのは、なんてことない、野菜を煮込んだポトフだ。中身はにんじん、じゃがいも、焦がしたキャベツ、玉ねぎ、それにベーコン。味付けは塩だけ。ただしその塩味を少しだけ強くしてもらった。付け合わせに野菜サラダ。ドレッシングはなく、オリーブ油と塩をかけただけ。
準備したそれは、侯爵家の賄い飯よりも質素なもので、「これを奥様に食べさせるなんて……」と料理長のロータスが顔をしかめたほどだ。それはマクスウェル宰相も同じで(彼にも念のため同じメニューを用意した)、「妻にこれを出すのか?」と、あの怜悧な瞳で一瞥された。
「おそれながら、奥様はリーガル伯爵家のご出身と伺っています。王都よりも北東に位置する、綿花栽培が特産の領地であるかと。気候は温暖で、農作物もよく取れる土地だと聞いています」
「まさしくそうだが、それが何か?」
リーガル伯爵家は、建国以来の名門貴族で、その名は王国史にもたびたび登場する。ただし領地自体はそれほど広くなく、綿花以外の特産はこれといってない。綿花は庶民を中心に広く需要があるが、絹ほど高価ではない。またとりたてて珍しい特産というわけでもない。歴代の当主の経営手腕の問題や借財の問題が重なり、ここ数代でかなり弱体化している家でもあった。いわゆる、落ちぶれた貴族という部類だ。
「ここだけの話、領主一家も領民と一緒になって働いているようだぞ」
情報をくれたのはハムレット商会の双子の兄、ライトネルだ。実はマクスウェル侯爵家に招かれる直前、私は双子たちと面会していた。
「まぁ、シリウス!」
「アンジェリカ様、お久しぶりです」
彼の背後にはウォーレス教授夫妻の姿もある。そう、ここは継母の実家。今日は週に1度のピアノレッスンの日だった。
「どうしたの? なぜシリウスがここに? あなたのレッスン日は確か土曜でしょう?」
「アンジェリカ様が王都を経たれると聞いて、ご挨拶に伺いました」
そう言って藍色の瞳を麗しく細める。
「孤児院にもなかなかおいでになられないので、お礼を申し上げるなら自分から伺うしかないと思い、教授にお願いしたのです」
「ごめんなさい、いろいろ忙しくしていて、孤児院には挨拶に寄れなかったの」
そう、この2週間は目の回る忙しさだった。午前中は騎士団寮の仕事、午後は関係各所への相談や挨拶。約3ヶ月に渡る王都暮らしの締めくくりにふさわしい日々だった。
「アンジェリカ様のおかげで、色々なことが大きく変わりました。クレメント院長も、アニエスも、それにルルも、みんなアンジェリカ様に感謝しています」
「そんな、大袈裟だわ。頑張ったのはみんなの方よ」
私は彼らを世に知らしめるための手助けをしたに過ぎない。チャンスを掴み取ったのは、彼らの力だ。
「あらあら、あなたたち本当に仲良しね。立ち話もなんだから中にお入りなさいな」
「はい、おばあさま」
教授夫人の勧めで、私たちはレッスン前にまずお茶をすることにした。
発表会の後、ウォーレス教授にシリウスの指導を依頼した結果、彼は毎週土曜日にここでレッスンを受けている。「いつもに増して生き生きしてきているわ」というのは教授夫人の談だ。以前はなかなか辛辣なコメントを寄せていたが、今ではすっかりシリウスの才能の虜らしい。これで私が領地に戻った後も、彼が引きこもることはないだろう。
そう、私たち一家は4日後、領地に戻ることになっている。本当にいろんなことがあった王都滞在だった。騎士団から、ポテト料理採用についての依頼があったことに始まり、シンシア様を通じて知った孤児院と、そこに暮らす子どもたちへの支援について考えたり。そうそう、ハムレット商会の双子たちに商売の進め方について教わったことも大きな収穫になった。極め付けは悪役令嬢ことエヴァンジェリン・ハイネル嬢との出会いと、ハイネル公爵にいろんな相談ができたこと。そしてエヴァンジェリン嬢を通じた、宰相の息子であるエリオット・マクスウェル少年との邂逅、そこからつながった、マクスウェル宰相へのポテト料理の紹介。
(思えば、あれが一番の大舞台だったかも……)
私はつい10日前に、侯爵家にお邪魔したときのことを思い出した。
マクスウェル侯爵家の厨房で、私の指示でマリサや料理人のみなさんが準備した料理を、夫人は完食してくれた。その話を、食事の場に立ち会った宰相から聞かされ、私は「よかった」と心の底から胸を撫で下ろした。
私が用意したのは、なんてことない、野菜を煮込んだポトフだ。中身はにんじん、じゃがいも、焦がしたキャベツ、玉ねぎ、それにベーコン。味付けは塩だけ。ただしその塩味を少しだけ強くしてもらった。付け合わせに野菜サラダ。ドレッシングはなく、オリーブ油と塩をかけただけ。
準備したそれは、侯爵家の賄い飯よりも質素なもので、「これを奥様に食べさせるなんて……」と料理長のロータスが顔をしかめたほどだ。それはマクスウェル宰相も同じで(彼にも念のため同じメニューを用意した)、「妻にこれを出すのか?」と、あの怜悧な瞳で一瞥された。
「おそれながら、奥様はリーガル伯爵家のご出身と伺っています。王都よりも北東に位置する、綿花栽培が特産の領地であるかと。気候は温暖で、農作物もよく取れる土地だと聞いています」
「まさしくそうだが、それが何か?」
リーガル伯爵家は、建国以来の名門貴族で、その名は王国史にもたびたび登場する。ただし領地自体はそれほど広くなく、綿花以外の特産はこれといってない。綿花は庶民を中心に広く需要があるが、絹ほど高価ではない。またとりたてて珍しい特産というわけでもない。歴代の当主の経営手腕の問題や借財の問題が重なり、ここ数代でかなり弱体化している家でもあった。いわゆる、落ちぶれた貴族という部類だ。
「ここだけの話、領主一家も領民と一緒になって働いているようだぞ」
情報をくれたのはハムレット商会の双子の兄、ライトネルだ。実はマクスウェル侯爵家に招かれる直前、私は双子たちと面会していた。
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