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本編第一章

本題に入りましょう1

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「お父様、冷静になってくださいまし。暴走してはまた皆から愛想を尽かされてしまいます。お父様は一介の研究者というだけでなく、公爵家の当主です。お父様の発言がどれほどの威力を持つものか、十分おわかりですわよね?」

 一転、冷静さを取り戻したエヴァンジェリンの声は、そこにいる者たちを従わせる威厳すらあった。皆、これが6歳の少女だということを一瞬忘れてしまう。しかしながら、相手を威圧するような硬い雰囲気はなく、ただ凛とした眼差しを自らの父親に注いでいた。

「あ、そうだったね……その、すまない」

 またしても小さくなるハイネル公爵。これまでのやりとりで、自分の興味あることに関してはリミッターが簡単に外れてしまうタイプの人だと、皆が認識していた。これでは社交界でやっていくのは困難だろう。そして奥方のエルシア様ともまた正反対だ。

(なんというか……エヴァンジェリン様も大変ね)

 改めてこの一家の特異な状況が浮き彫りになったことで、エヴァンジェリンのおかれた状況もなかなかなものなのだと知れ、ちょっと同情したくなった。

 とはいえ、エヴァンジェリンが父親をある程度好いていることもまた事実のようだ。少なくとも母親よりは彼に懐いているように見える。

「その、ハイネル公爵。サンプルに関してはロイに手紙を送って、早々に取り寄せませすので……」
「あぁ、ぜひお願いしたい。コールド先輩であればあれこれ指図せずともわかってくださるでしょう」
「それと、ロイを憶えてくださっていて、ありがとうございます。ご承知の通り当時の彼の置かれた状況は……とても悲惨なものでした。彼自身にはなんのとがもないというのに。そんな彼を変わらず慕ってくださったこと、本人も喜ぶと思います」
「私は心から彼を尊敬していましたからね。最終学年で、彼は経営学専攻で卒業論文に取り組んでいたから、植物学教室に出入りしていた私たち後輩とは疎遠になってしまっていたのですけれど……正直彼を慕っていた学友は多かったのです。ただ、ほとんどが貴族籍にある者たちだったので、表立って彼を支援することができなかった。そのことを私は今でも後悔しています」

 今から25年近くも前の、王立学院での青春時代が、2人の会話で蘇る。両親以外の誰もロイ少年を慕う者はいなかったものと思っていたが、こうして彼の功績を覚えてくれていた人がいたのだ。

「今回の石灰の件について、ロイに相談した際、真っ先にあなたの名前が上がりました。無学な私でも公爵が自領の地質について研究されていることは耳にしていましたが……。ロイはずっとあなたの研究に注目していたようです」

 ロイは今でも王都から植物関連の学会誌を取り寄せていた。その中で、もしかしたら公爵の名前を見つけたのかもしれない。

 ハイネル公爵は赤くした鼻先を軽くすすり、破顔した。

「いやぁ、嬉しいな。憧れの先輩からご指名をいただけるなんて。なんとしても協力させていただきたい、そしていつか領土にも……いや、そんなに長く居座ることはしませんが……」
「もちろんですとも。ロイも喜びます。大したおもてなしはできませんが、その際は精一杯努めさせていただきます」

 先ほどと同じようなやりとり。しかし今回はより現実的な空気を伴ってやりとりされた約束だった。いつか、本当に公爵を我が領にお迎えする日がくるかもしれない。

「そうそう、今回はほかにも検討しなければならないことがありましたね」

 公爵が話題を変え、話はポテト料理へと移っていった。






「エヴァンジェリンから聞いた話では、マクスウェル家の奥方がポテトクッキーを気に入られたという話でしたよね? そのため御子息のエリオットくんが母親にポテト料理を食べさせたいと」
「そのとおりですわ」

 公爵の視線を受けて、隣でエヴァンジェリンが頷く。私も父の隣で同じように頷くと、公爵は私に視線を定めた。

「しかしながら男爵家からその申し出はしにくく、また信用を得ることも難しいため、私を頼ってきた、と。私のお墨付きがあれば、宰相殿も否やとは言わないであろう、そういうことだね?」
「はい」
「ふむ」

 公爵は息を吐きつつ、お茶に口をつけた。横でエヴァンジェリンが父親を見上げる。

「お父様、わたくしからもお願いしますわ。今日のお料理は驚くほどおいしいものばかりでした。じゃがいもが家畜の餌などとはもう言えません。それにエリオット様のお母様の容体に少しでもいい影響が出る可能性があるなら、試してみるのもいいと思うのです」

 侯爵家嫡男としてなかなか窮屈な生活を送っているエリオットが、わざわざ護衛を巻いて抜け出すほどに気にかけている母親の件。彼女の容体がポテト料理で劇的によくなるというのは考えにくいが、なんらかのカンフル剤にはなるかもしれない。

「エヴァの言う通りだ。ポテト料理は十分に食事として通用する。私としてもまだまだいろいろな調理法を試してみたいところだよ。メイン料理に添えられたマッシュポテトは実においしかった。パンもやや不思議な食感だったが、十分に一般食として流通するだろう。加えて芋類は栄養価が豊富だと昔から言われている。だからこそ家畜のご馳走とまで言われているのだからね。栄養価の面から病人や高齢者、成長期の子どもにも向いていると言えるかもしれない。その辺りを宰相宛に説明すれば、かの御仁の心も動くやもしれないね」
「それじゃ……」
「ただし、紹介状を書くには条件がある」

 にわかに色めきたった私を、公爵は茶目っ気のある瞳で制した。

「この調理法を、私にも伝授してもらえないだろうか。正確に言うと我が領に、だ」
「ハイネル公爵領にですか!?」

 まさかの展開に、私は声をあげた。

「あの、でも、公爵の領土は土壌が豊かで、小麦もよく獲れると聞いております。わざわざじゃがいもを流通させる必要がありますでしょうか」

 私としては王国全土に広げたい話だからありがたい申し出ではあった。だが、アッシュバーン領のように多くの自前騎士を抱えるわけでもなく、特産品の輸出でも十分に潤っているハイネル公爵領に、今すぐじゃがいもを必要とする理由はない。

「もちろん、我が領はおかげさまで土壌に恵まれ、多くの農作物を輸出できるほどの状態だ。だが20年前の隣国との戦争時には、領土内での自足率こそ保っていられたが、輸出に回す量は格段に減った。正確に言うと王都軍への供給を優先させられたせいで、他領への輸出をストップせざるを得なかったんだ」

 20年前、すでに公爵は跡目を継いでいた。研究一辺倒だった彼も、さすがに戦時下ともなれば好き勝手はできない。彼には当主として領民を守る義務があった。そのため大好きな研究を一時中断し、内政に力を注がざるを得なかったそうだ。

 そして王国屈指の農業国でもあるハイネル公爵家は、軍への食糧供給が義務付けられた。そのため、例年なら他領に融通していた食糧を、すべて軍へ捧げることになった。

「大人たちは知っているが、あの数年はあちこちで不作が続いてね。うちの食糧輸出頼みの領も多くあったんだが、私はその期待に答えることができなかった。そのせいで多数の領民が亡くなった領もあったはずだ」

 公爵の話に、その場にいた大人たちは誰も意を唱えなかった。20年前すでに成人していた両親も、学生だったシンシア様も、その頃まだ子どもだった辺境伯夫妻も、皆が黙っているということは、共通の事実なのだろう。

「私は研究畑の人間だが、同時に領主でもある。そしてハイネル公爵でもある。私に課された義務は、よくわかっているつもりだよ」

 多くを語らずとも、その言外の意味が想像できた。領主として自領の民が飢えずに過ごせるよう力を注ぐこと、それに加え、王国の歴史にその名を刻む公爵家当主として、王国に、そこにくみする貴族たちにも責任がある、ということ。

 自領だけが豊かであればいいのではない。王国全体が豊かであるよう、為せることを為さねばならないのが“公爵”という高位貴族の務めなのだ。

「断言しよう。このじゃがいもの食用化は革命になる。我が王国が10年、20年、さらに100年と続くために必要不可欠な知識だよ。これを思いつかれたダスティン男爵と御令嬢に、私は敬意を払いたい」

 そのためにも自領で広げたいのだと、彼は強く言いきった。






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