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本編第一章

昼食会にご招待です1

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 ハイネル公爵家での、エヴァンジェリンたちとのお茶会の後、私はアッシュバーン邸に戻り、両親やシンシア様、パトリシア様に事情を説明した。マクスウェル侯爵家の奥方の病状について、彼女がポテトクッキーに興味を持ったことについて、そこからポテト料理をマクスウェル家当主である宰相に紹介するために、ハイネル公爵家の紹介状をつけてもらう案について、そして、それを得るためにハイネル公爵にポテト料理を振る舞う計画について、だ。

 6歳の私たちがまとめてきた商談めいた計画に、大人たちは一様に驚きを示したものの、反対の声はあがらなかった。問題はどこで披露するかについてだが、そこはシンシア様とパトリシア様がこの家でどうぞと提案をしてくれた。折しも2日後にはエヴァンジェリンから父親を説得できたと連絡が入り、話はとんとん拍子に進んだ。

 そしてお茶会から1週間後の土曜日のお昼どき、ハイネル公爵一家――というか公爵とエヴァンジェリンーーが私たちの元を訪れた。

「ようこそ当家へ。ハイネル公爵」
「やぁ、アッシュバーン辺境伯、確か王宮の舞踏会以来でしたかな」

 出迎えたのはアッシュバーン辺境伯のアレクセイ様。この日はパトリシア様とお2人でハイネル公爵一家をもてなすことに協力してくれた。そう、表向きは辺境伯主催、ということにしてもらったのだ。公爵家御一行様を、男爵家の私たちが招待などできやしない。

 初めて見るハイネル公爵は、焦茶の髪に焦茶の瞳、豊かな顎髭をたたえた小柄な紳士だった。年齢は私の父よりひとつ下だと聞いている。ちなみにアレクセイ様とパトリシア様はまだ30代前半だから、父と公爵とは一回り違うことになる。

 ハイネル公爵は、公爵家当主という肩書きのほかに研究者としての一面も持っている。地質学という、一般人からすればぴんとこない分野では名の知れた学者だそうで、当主に選ばれなければ王立学院で教授クラスになっていたかもと言われているそうだ。当主となれば精霊との契約により領地に住まねばならず、王都で教鞭をとることは叶わない。しかしながら自らの領地で研究に勤しむのが体にあっているようで、彼自身は学閥に左右されない今の身分を気に入っているのだというのが、エヴァンジェリンからの報だ。

 そんな学者肌の彼が、当主の目的を果たせと周囲からせっつかれ結婚したのが今から7年前。お相手となったエルシア様もまた別の公爵家の出身で、こちらもまた公爵とは一回り以上歳が違うのだそうだ。

「奥方のエルシア様は領地での暮らしが好きになれず、今年から王都に居を構えるという噂は本当だったみたいね」

 自らも積極的に社交に出ているパトリシア様は、以前から流れていた噂を早々とキャッチしていたが、どうやらそれが確実となったこともまた掴んでいた。アッシュバーン伯爵夫妻の名でハイネル公爵に宛てた昼食の招待状には、一番小さい坊やを除き、公爵夫妻とエヴァンジェリンの3人で参加すると返事があったが、当日の朝、伝令が奥方のエルシアの急病による欠席を告げてきた。

「奥方は欠席だそうよ」

 受けた連絡を知らせてくれたパトリシア様の言葉には少し棘があった。シンシア様がふっと笑ってそれを受けた。

「たぶん、私と同席したくなかったのね」

 今日の昼食会にはシンシア様と、私たち男爵家が同席することもあらかじめ伝えていた。ちなみにロイド副団長は仕事のため不在だ。そのほか、エヴァンジェリンを招待した以上、家にいるミシェルとギルフォードも参加することになっている。

「もしエルシア様がそれを理由に断ったとしたら、来ていただかなくて大いに結構だわ。せっかくのポテト料理のコースが不味くなってしまうもの」
「それに、じゃがいもを使った料理、というのもお嫌だったのかもしれないわね」

 さもありなん、だ。それに男爵家との同席も嫌だったのだろう。

 エルシア様の性格について、パトリシア様もシンシア様も既にご存知のようだった。この短い社交シーズンの間に、彼女はずいぶん悪評をばらまいたらしい。シンシア様とパトリシア様が同席したお茶会などでも、あからさまに平民出身のシンシア様だけを疎外していたそうで、パトリシア様としてもいい思いは抱いていないようだ。

 思うところはあっても、相手は公爵家で辺境伯よりも身分は上。それにアッシュバーン家は領地を大切にする家で、パトリシア様も軸足は領地に置いている。その名代として王都の社交界に出入りしているのはシンシア様だ。優秀な彼女は、その出自を跳ね除けるほどの処世術で、巧みに社交界を乗り切っている。今では出自を理由に彼女を疎外する人の方が珍しい。

 ハイネル公爵家のエルシア様が王都で暮らすことになる以上、今後も関わりを持つ可能性はあったが、向こうがそのつながりを絶ってきた。今後の社交界での舵取りは面倒かもしれないが、一線を画する方向がこれで定まったとも言える。

 そんな大人たちの事情はさておき、昼食会は穏やかに始まった。今日の料理はアッシュバーン家の料理人によるものだが、厨房ではマリサも手伝ってくれている。土日は騎士団寮がおやすみの日なので、ゆっくり休んでと伝えたのだけれど、「ポテト料理に私がいなくてどうするんですかい?」と駆けつけてくれた。アッシュバーン家の料理人の腕も確かだが、この点に関してはやはりマリサに一日の長がある。

 公爵はずいぶん気さくな人で、私の両親や私が発言することにも嫌な顔をしなかった。改めてこの人がエヴァンジェリンのよき理解者だったのだと思い知る。エヴァンジェリンもまた初対面となるミシェルやギルフォードと如才なく会話している。こちらは気を遣わなくても大丈夫だと判断した私は、公爵にポテト料理開発の流れについて大いに語った。前菜から始まるじゃがいもづくしに、公爵は焦茶の瞳をくるくるさせながら興味津々の様子だった。

「なるほど、竈門の灰を使ってじゃがいものエグ味が消せたというのは、中和の考え方かもしれないですね」
「中和、ですか?」

 父が問いかける。公爵は前菜に添えたじゃがいものディップを掬いながら興味深そうに頷いた。

「えぇ。異なる性質を持った物質同士を混ぜ合わせることで、その特徴を消し去ることができることを指す言葉です。今いろいろ研究されている分野ですよ。おそらく灰に含まれるなんらかの成分がじゃがいものエグ味の成分を消し去ってくれたのでしょう。香辛料などでごまかすのとは違う、何か不思議な力が働いて、完全に消えてしまう現象があることが知られつつあります。私は専門分野ではないので、これ以上詳しいことはわからないのですが、男爵から頂いた手紙に書かれた内容を見て、いろいろ調べていたところなんです」

 料理はそのままスープへと移行していく。今回はニョッキを浮かべたコンソメスープだ。

「いや、その話は後にしましょう。今はこのじゃがいもの味を楽しみたいですな」

 そして公爵は再び舌鼓を打ち出した。その一方で、会話を聞いていた私は背中にうっすら汗をかいていた。中和の概念、この世界にも発見されつつあるのか……いや、別に解明されてもまったく構わないんだけどね。

「このニョッキ、というのは不思議な食感ですわね」

 エヴァンジェリンが面白そうに呟いたので、私は考案者であるルシアンのお店の臨時職員ケイティの話をした。そこから男爵家が運営する料理教室とアッシュバーン領におけるポテト料理の普及活動へと話が広がっていく。アレクセイ様やパトリシア様も加わって、ポテト料理が持つ壮大な可能性を大いに繰り広げることになった。






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