172 / 307
本編第一章
提案申し上げます!1
しおりを挟む
「このポテトクッキーのレシピを、マクスウェル侯爵家にぜひ提供させていただきたいのです」
「それは……」
私の提案に、エリオットとエヴァンジェリンは一瞬顔を見合わせた。
「屋台でもおっしゃっておられましたよね? “作り方を教えてほしい”と」
そう、精霊祭の屋台でルルや私と推し問答している中で、彼ははっきりとそう言ったのだった。お付きの人たちが彼をすぐさま回収していったので話は有耶無耶になってしまったのだが。
「もし、教えてもらえるならとても助かる。だが、いいのか? その、エヴァンジェリン嬢が……」
彼が視線を彷徨わせる先で、エヴァンジェリンも驚いたように口を開いた。
「このポテトクッキーのレシピは、ダスティン家秘蔵のものではないのですか? わたくし、てっきりそうだとばかり思っておりまして、ですからエリオット様にも説明申し上げたのです。“このような大切な知識をおいそれと欲しがってはならない”と。その、わたくしたちがアンジェリカ様にそれを言うのは……」
高位貴族が下位貴族に対して、知識でも物でも「寄越せ」というのは、命令になる。たとえそれが秘匿すべきものであったとしても、私たちのような身分の者が逆らうのは容易ではない。
私は今一度エヴァンジェリンを見つめた。この子は同い年ながらどこまで聡明なのだろうと驚きをこめて。神童を呼ばれるほど優秀な年上の幼馴染の少年が思い至らぬ上下関係のことまで聡く見定め、かつそれを正せるなんて。改めて彼女が、領地育ちながらもその評判が王都にまで届いている、という事実を思い出す。
「いいえ、それほど大袈裟なものではございません。我が家はこのポテトクッキーをーーーというよりじゃがいもを使ったポテト料理を王国全土に広めたいと思っているのです。それができるなら、ノウハウの提供は惜しみません」
だからこそ孤児院にもその作り方を伝授したのだ、と付け加える。実は孤児院にレシピを提供したのはほかの理由もあるのだが、それは関係のない話なのでここでは留める。
「ポテト料理、ですか?」
「つまり、じゃがいもを食する、ということか? 家畜の餌にしかならない、あれを?」
そうだった、目の前の2人はじゃがいもを使ったクッキーのことしか知らないのだった。
私は改めて、じゃがいもの食用化に取り組んできた今までの経緯を2人に話した。
「なるほど。家畜用とされていたじゃがいもを、人が食せるように手を加えた、ということか」
「しかもアンジェリカ様がそれを思いつかれたなんて……」
話を聞き終えた2人は、ほぉ、っと長い息をついた。
(いや、それほど感心される話ではないのだけど。なにせ前世の知識まるっと流用してるだけだし)
おこがましい思いが湧き上がってくるものの、本当のことを言うわけにもいかない。私はすべてを飲み下して微笑むしかなかった。
「しかし、よくもまぁじゃがいもを食べようと思ったな。あれは確か、苦くてとてもじゃないが食べられたものではないから、家畜の栄養源として利用されているのだと」
「わたくしも口にしたことはありませんが、そういうものと聞いております。それを、竈門の灰を使って中和するなんて……」
「しかもそれを使って、クッキーだけでなくほかの料理にも流用するとは」
「正直想像もつきませんが……でも確かにこのクッキーは普通に食べられますわ。じゃがいもが入っているなんて、説明されてもわかりませんもの」
信じられない話でも、目の前に実物があれば納得せざるをえない。2人はクッキーと私の顔を交互に見つめる。テーブルの上には美しい高級菓子が並んでいるというのに、今日の目玉は間違いなくポテトクッキーだった。
「ひとつ、疑問なのだが……」
「なんでしょう?」
エリオットがおずおずと、しかし真っ直ぐ私に問いかけてきた。
「そもそもなぜじゃがいもを食べる必要があるのだ? いや、これが思いのほか美味しいのはわかっている。母上が気に入ったほどだし、私としてもぜひ作り方を教えてもらいたいと思っている。それは別としてだな、なぜわざわざじゃがいもが食べられることを広めなければならないのか、不思議なのだ」
彼の問いに今度は私の方が驚かざるを得なかった。同時にエヴァンジェリンを見ると、彼女も首を傾げている。聡い彼女でも、こちらの本当の目的に思い至らないようだ。
私は複雑な気持ちになり、正直に打ち明けた。
「お2人の領地に住まう領民は、皆、幸せなのでしょうね」
「なに?」
反応したエリオットの表情には、私の、どうかすると不遜ともとれる呟きに対して、咎める色はなかった。私の意味するところが本当にわからず、訝しんでいるだけだ。
彼らは本当に知らないのだろう。貧乏な領地で、領民たちがどのように暮らしているのかを。エリオットの実家であるマクスウェル侯爵領も、エヴァンジェリンの実家であるハイネル公爵領も、王国でもトップ10には入る裕福な領地だ。
だからこそ、生きていくだけで精一杯な人種がいることを、彼らは知らない。
私がそれを知ったのは、前世でNGO職員として途上国に赴任したから。そして今、私が暮らす土地が、自然災害こそ少ないものの、自給自足がぎりぎりどころか破綻しかけている現状を知っているから。
その現実を、半ば祈りのようなものをこめて、彼らに打ち明けた。
「それは……」
私の提案に、エリオットとエヴァンジェリンは一瞬顔を見合わせた。
「屋台でもおっしゃっておられましたよね? “作り方を教えてほしい”と」
そう、精霊祭の屋台でルルや私と推し問答している中で、彼ははっきりとそう言ったのだった。お付きの人たちが彼をすぐさま回収していったので話は有耶無耶になってしまったのだが。
「もし、教えてもらえるならとても助かる。だが、いいのか? その、エヴァンジェリン嬢が……」
彼が視線を彷徨わせる先で、エヴァンジェリンも驚いたように口を開いた。
「このポテトクッキーのレシピは、ダスティン家秘蔵のものではないのですか? わたくし、てっきりそうだとばかり思っておりまして、ですからエリオット様にも説明申し上げたのです。“このような大切な知識をおいそれと欲しがってはならない”と。その、わたくしたちがアンジェリカ様にそれを言うのは……」
高位貴族が下位貴族に対して、知識でも物でも「寄越せ」というのは、命令になる。たとえそれが秘匿すべきものであったとしても、私たちのような身分の者が逆らうのは容易ではない。
私は今一度エヴァンジェリンを見つめた。この子は同い年ながらどこまで聡明なのだろうと驚きをこめて。神童を呼ばれるほど優秀な年上の幼馴染の少年が思い至らぬ上下関係のことまで聡く見定め、かつそれを正せるなんて。改めて彼女が、領地育ちながらもその評判が王都にまで届いている、という事実を思い出す。
「いいえ、それほど大袈裟なものではございません。我が家はこのポテトクッキーをーーーというよりじゃがいもを使ったポテト料理を王国全土に広めたいと思っているのです。それができるなら、ノウハウの提供は惜しみません」
だからこそ孤児院にもその作り方を伝授したのだ、と付け加える。実は孤児院にレシピを提供したのはほかの理由もあるのだが、それは関係のない話なのでここでは留める。
「ポテト料理、ですか?」
「つまり、じゃがいもを食する、ということか? 家畜の餌にしかならない、あれを?」
そうだった、目の前の2人はじゃがいもを使ったクッキーのことしか知らないのだった。
私は改めて、じゃがいもの食用化に取り組んできた今までの経緯を2人に話した。
「なるほど。家畜用とされていたじゃがいもを、人が食せるように手を加えた、ということか」
「しかもアンジェリカ様がそれを思いつかれたなんて……」
話を聞き終えた2人は、ほぉ、っと長い息をついた。
(いや、それほど感心される話ではないのだけど。なにせ前世の知識まるっと流用してるだけだし)
おこがましい思いが湧き上がってくるものの、本当のことを言うわけにもいかない。私はすべてを飲み下して微笑むしかなかった。
「しかし、よくもまぁじゃがいもを食べようと思ったな。あれは確か、苦くてとてもじゃないが食べられたものではないから、家畜の栄養源として利用されているのだと」
「わたくしも口にしたことはありませんが、そういうものと聞いております。それを、竈門の灰を使って中和するなんて……」
「しかもそれを使って、クッキーだけでなくほかの料理にも流用するとは」
「正直想像もつきませんが……でも確かにこのクッキーは普通に食べられますわ。じゃがいもが入っているなんて、説明されてもわかりませんもの」
信じられない話でも、目の前に実物があれば納得せざるをえない。2人はクッキーと私の顔を交互に見つめる。テーブルの上には美しい高級菓子が並んでいるというのに、今日の目玉は間違いなくポテトクッキーだった。
「ひとつ、疑問なのだが……」
「なんでしょう?」
エリオットがおずおずと、しかし真っ直ぐ私に問いかけてきた。
「そもそもなぜじゃがいもを食べる必要があるのだ? いや、これが思いのほか美味しいのはわかっている。母上が気に入ったほどだし、私としてもぜひ作り方を教えてもらいたいと思っている。それは別としてだな、なぜわざわざじゃがいもが食べられることを広めなければならないのか、不思議なのだ」
彼の問いに今度は私の方が驚かざるを得なかった。同時にエヴァンジェリンを見ると、彼女も首を傾げている。聡い彼女でも、こちらの本当の目的に思い至らないようだ。
私は複雑な気持ちになり、正直に打ち明けた。
「お2人の領地に住まう領民は、皆、幸せなのでしょうね」
「なに?」
反応したエリオットの表情には、私の、どうかすると不遜ともとれる呟きに対して、咎める色はなかった。私の意味するところが本当にわからず、訝しんでいるだけだ。
彼らは本当に知らないのだろう。貧乏な領地で、領民たちがどのように暮らしているのかを。エリオットの実家であるマクスウェル侯爵領も、エヴァンジェリンの実家であるハイネル公爵領も、王国でもトップ10には入る裕福な領地だ。
だからこそ、生きていくだけで精一杯な人種がいることを、彼らは知らない。
私がそれを知ったのは、前世でNGO職員として途上国に赴任したから。そして今、私が暮らす土地が、自然災害こそ少ないものの、自給自足がぎりぎりどころか破綻しかけている現状を知っているから。
その現実を、半ば祈りのようなものをこめて、彼らに打ち明けた。
応援ありがとうございます!
30
お気に入りに追加
2,139
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる