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本編第一章

誘われた理由が判明しました2

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 マクスウェル侯爵家の当主であるミーシャ様は現宰相である。彼には2人の子どもがいた。ひとりはエリオット、もうひとりは娘だ。奥方はノーラ様といって、もとは伯爵家の令嬢だ。

 マクスウェル侯爵家の領地は王都のすぐ隣だ。王都は4精霊すべての加護を受けていることで自然災害等に見舞われることもなく、平和な都市である。その威光が周辺にも漂うのか、すぐ隣の侯爵家も王国設立以来、安寧な土地として知られていた。守護精霊は風だが、かの領地ではその他の聖霊石もよくとれるのだという。

 どの貴族もそうだが、当主となった人物は精霊との契約からその領地に住まわなければならないという縛りがある。代々宰相職に就くことの多かったマクスウェル家では、当主でありながら宰相にもなる、という例は珍しくなかった。本来なら王宮に詰めることの多い宰相職を当主が兼務するのは困難だが、その立地により兼務を可能とさせていた。なぜなら王宮から宰相家までは馬車で1時間弱の距離なのだ。

 よってミーシャ様は王都にタウンハウスをもたず、毎日1時間かけて王宮と実家を行き来している。忙しい折には王宮の私室に泊まり込むこともあるそうだが、その程度なら問題はない。そしてエリオットやその家族が住むのもまた領地の屋敷だ。その距離感から息子である彼もまた、父に連れられて王都に来ることが多いらしい。ミシェルやカイルハート殿下とも顔見知りなのだとか。

 貴族名鑑で得た知識と、パトリシア様から得た知識を総合しながら、私は彼の話を聞いていた。侯爵夫人は身体が弱く、ここ数年は冬の社交界にも出てこないという話は聞いていた。もともと目立つタイプの方ではなく、交友関係も広くはなかったそうで、はっきりとした噂はないのだとパトリシア様がおっしゃっていたことを思い出す。しかしながらベッドに起き上がるのがやっと、という話は、想像していた以上に重い病なのだろう。

「その、侯爵夫人はそれほどお悪いのでしょうか」
「少し前までは車椅子で庭を散歩したりもできていたのだが、最近は冬の寒さもあってかほとんどベッドから出てこられない。私も妹も1日30分しか面会させてもらえないのだ。それに、もともと食が大変細い人なのだが、最近はそれもますますひどくなってしまって。熱を出したりしたときは水分しか口にできないなんてこともしょっ中なのだ」
「まぁ……」

 この世界では医療水準はそれほど高くない。侯爵家ともなれば比較的高い医療が受けられていることだろうが、前世のような点滴や胃ろうといった手段があるわけでもない。病に打ち勝つためには食べて栄養をつけるしかないが、それも難しいとなると危険な状態とも言える。

「だから父上は、母上が口にしそうなものをあちこちから取り寄せたりしている。珍しい果物や菓子、果汁などのジュース……もちろん滋養がつく食べ物を調理させたりもしているのだが、なかなか成果が出なくてな。そんな状況だから私も王都に出てきたときは街を歩いて、珍しい食べ物がないか探すようにしていたのだ」
「なるほど、それでもしかして孤児院の屋台に?」
「あぁ。聞けばじゃがいもが使われているというじゃないか。じゃがいもは家畜の餌だ。そんなもの人間が食べるものじゃないだろうと最初は通り過ぎようとしたのだが……」
「……アッシュバーン家の次男であるギルフォードがおいしいと言っていた、と」
「そうなのだ。辺境伯の次男殿が食べているのであれば間違いもなかろうと試しに購入してみた。そのときは供人がお金を払ってくれたので、自分ではいくらしたのかはわからなかったのだが……。家に戻って、母上との面会の時間にその話をしたのだ。すると母上が興味を持ってくれてな。そこで母と一緒に食べてみたのだ。そしたら……!」

 身を乗り出すようにエリオットがクッキーをもうひとつ摘む。それを上品に口に入れたかと思うと、満面の笑みを浮かべた。

「母上が“おいしい、もっと食べたいわ”とおっしゃったのだ! あの、毎回の料理を2、3口しか召し上がらない母上が、クッキーを一袋分、すべて召し上がってくれたのだ!」

 驚いたエリオット様はもう一度外出してクッキーを買ってこようと思った。だが既に夕刻どきで外出は叶わない。それなら翌日にと思ったが、公爵家令息でもある彼の行動は思っている以上に自由が効かない。精霊祭は人出も多く、混乱を避けるために今までは外出も許可されなかったのだという。

 それが今年に限って珍しく許された背景について、エヴァンジェリン嬢が口を添えた。

「今年は大教会でアンジェリカ様が企画された発表会がありましたでしょう? あそこにわたくしやほかの高位貴族の子どもたちも出演することになっていましたので、エリオット様はその見学を、ということで特別に外出が許されましたの」

 確かにあの日は侯爵や伯爵の子女が参加してくれたおかげでその親たちも集い、観客席はさながら社交界の交わりのようでもあった。宰相であるミーシャ様は仕事があり、奥方は病に伏せっている以上、息子のエリオット様を名代として遣わせるのはあながちおかしな話ではない。

 そして孤児院の屋台は大教会へ向かう道すがらにあった。初日の発表会に参列する彼が偶然その前を通り、クッキーを購入した、というわけだ。

「ですが、エリオット様が外出を許されたのは初日だけ。2日目にもう一度孤児院の屋台へ行きたくても許可が下りなかったそうなんです」

 それはそうだろう。人混みの中をうろうろすれば危険も多い。いくら供人をつけているからといってまったく安全とは言い難い。このあたりは家格や親の方針でもずいぶん変わってくるだろう。そういえばエヴァンジェリン嬢もよくひとりで出歩けていたなと、ふと思う。

「わたくしの家は、母があの調子ですから……あまり私が出歩くことに対しては強くは言われないのです。父はわりと自由にさせてくれますわ。 “楽しんでおいで”と笑顔で送り出してくれました」

 つまり母親は、エヴァンジェリン嬢のことは大切に思っているが、それ以上に自分が社交を楽しむことが大事で、エヴァンジェリン嬢の外出の危険性についてまであまり頭が回ってなかった、ということか。そして子どもの自由にさせてくれる寛大な親、といえば聞こえはいいが、放任主義ともいえるかもしれない父親、という構図が浮かび上がる。

 そしてエリオット、である。精霊祭への外出許可をもらえなかったものの、王宮の図書館で勉強したいからという目的は叶えられ、馬車で王宮に向かった。しかしながらいつもより混み合う道中、馬車がスピードを落とした隙にそこから飛び出し、再びポテトクッキーの屋台を目指したのだという。皮袋に入った金貨を握りしめて。

 何度か街歩きをしたことがある経験も生きて、無事屋台に辿り着いたのはいいものの、自分で買い物などしたこともなかった彼は、店ごと全部いただくわ攻撃を繰り出しルルに撃退され、金貨を見せつけては私に追い出されるという、散々な目にあった、というわけだ。あぁこれでようやく合点がいった。

「つまり、お母様に食べさせたくて、屋台のクッキーが全部欲しいとおっしゃったのですね」
「う……まぁ、そうだな」

 その行為がなぜ人の迷惑になるのか、という理由は、すでにエヴァンジェリン嬢に諭されて学んだのだろう。金貨の件も含めて、彼は改めて謝罪した。

「承知いたしました。謝罪を受け入れます。理由がわかれば、エリオット様の行動の意味もよくわかりましたので……」

 そして私は侍女のキャサリンから受け取った包みを彼に渡した。

「こちらが今召し上がっているポテトクッキーですわ。エヴァンジェリン様に持ってきてほしいと頼まれましたので、昨日厨房で作りました。エリオット様が気に入ってくださったという話もお手紙で聞いておりましたが、まさかそうした事情があったとは……。私の方こそ申し訳ありませんでした」

 もしあの場で彼の母親のエピソードを聞かせてもらっていたら、いくらでも無料で持たせてやっただろう(もちろん、孤児院には自腹で支払うし)。少し遅れてしまったが、これで彼の母親が少しでも食べることに興味を持ってくれたら嬉しいと心から思う。だってポテトクッキーだけでは、とてもじゃないけれどすべての栄養を賄うことはできない。

「ありがとう、アンジェリカ嬢。大切に頂くよ」
「ですが、2袋しか用意がありません。これではすぐに無くなってしまいます」
「あぁ。それは仕方ない。だから大事に食べることにする」
「それよりも、エリオット様のおうちで同じ物が作れるようになればよいと思いませんか?」
「は?」
「え?」

 私の発言にエリオット様とエヴァンジェリン嬢が目を点にする。

「実はエリオット様に提案がありますの」

 お皿に盛られたクッキーをひとつ手にとり、私はにっこりと彼に微笑みかけた。


 
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