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本編第一章

その後のあれこれです2

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「おじいさま、シリウスの指導をしていただけませんか?」

 幸いシリウスには物資だけでなく金銭的な援助を申し出る里親も多く集まっている。彼らから少額ずつでも定期的な金銭を募れば相応の額になるだろう。それを指導料としてウォーレス教授に支払う。

 初めは教授に無料で指導してもらえたら、と思った。芸術院は引退して、今定期的に見ている生徒は私しかいない。耳が悪くなったとはいえ、子ども相手の、狭い音域の曲であれば教えるのも問題なかろうと、私の指導を引き受けてくれた。

 けれどあと1ヶ月もすれば、私たち一家は領に戻ることになる。そうなれば教授の生徒はゼロになってしまう。彼は再びピアノから離れ、張り合いのない生活に戻ることになるだろう。

 そんなことになるくらいなら、私に代わってシリウスを指導してもらえないかーーーそう思った。彼らは年金があるから、生活に困っているわけではない。孤児院の子どもひとりくらい無料で教えてもらえるんじゃないか、私が頼めば否やとは言えないんじゃないかと、喉元まで出かかっていた。

 だがそれを思いとどまらせたのは、ハムレット商会の双子たちの言葉だ。「お金にならないものは流行しない」、つまり彼らの定義で言えば、「お金をかけないものは本物になりえない」ということ。

 引退したとはいえ教授のような一流の人に頼むなら、それ相応の対価を支払うべきだ。そうでなければシリウスも、教授も本気にはなれないだろう。

 私は教授に支払う指導料についてもきちんと当てがあることを伝えた。教授が孤児院に出向いてくれるなら馬車の手配費用なども孤児院で持つし、シリウスがこちらに通うことになっても同じだ。使用する楽譜なども寄付が多く集まっている。教授は、ほかの生徒と同じような条件で教えてもらったので構わない。

「もちろん、おじいさまの教えを乞うために大勢が列をなしていたことは知っています。今はそれを断っていることも。そうした才能ある人たちを差し置いてなぜシリウスだけを、と思われるかもしれません。でも彼は、私といくつも違わない子どもです。そしておじいさまがおっしゃるとおり、基礎的なことが何もできていない。私が習った子ども用の楽曲さえまだ知らないのです。だからこそ、大人が演奏する有名な曲を披露しても、おじいさまがおっしゃるようにたくさんアラが出ます。だからまずは、基礎の基礎、子ども用の曲から始めてもいいと思うんです」

 おじいさまが生徒を断っているのは、足のこともあり移動が大変というのもあるが、何より耳が遠くなったことが大きい。けれど基礎であれば、相手が子どもであれば、無理なく行えることは私自身で実証済みだ。だからシリウスが生徒になるのはちょうどいい。おじいさまにとってもリハビリの継続になるし、教えるために自分も弾くだろうから、この屋敷にまた、ピアノの音が響く日常が続くことになる。

「基礎を教えていただいて、シリウスが十分成長したら、そのときは別の講師を探します。だけど初めは、おじいさまがいいのです。これは、私のわがままですけれど」

 シリウスを贔屓していることは重々承知だ。でもシンシア様だって、悩みながら、それでも未来に続く可能性を捨てきれずに、今まで支援をしてきた。シンシア様が悩むくらいだから、私にうまくできないのは当然だ。下手くそだけど、未来のことなんてわからないけれど、私は今できることを、未来を見つめながらする。ハムレット商会の双子やミシェルが、そうして生きているように。

 私の提案に、おじいさまはそれほど驚いているように見えなかった。教授夫人と継母が成り行きを静かに見守っている。

 けれど次の瞬間、深く息を吐き出した。

「まぁ、その、なんだ。一度連れてきなさい」
「……おじいさま! ありがとうございます!」
「うぁっ!」

 物静かな教授が声をあげたのは、私がティーテーブルを飛び出して彼に飛びついたからだった。






 そうしてウォーレス教授と、シリウスを交えた今後の指導について予定を照らし合わせた後―――。

 いつものとおり継母と馬車に揺られてアッシュバーン宅に戻った私宛に、思いもかけぬ人から私信が届いていた。

「エヴァンジェリン・ハイネル公爵令嬢からの手紙ですって!?」
「えぇ。それが……お茶会のお誘いのようなのよ」

 シンシア様から預かったそれを手に、私は目を白黒させたのだった。



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