上 下
165 / 305
本編第一章

その後のあれこれです1

しおりを挟む
 精霊祭の各種イベントが無事終わった。初めての試み盛り沢山だったけれど、どれも大成功だったと思う。

 孤児院が主催して開いたポテトクッキーやスコーンの屋台は、同時開催したバザーの売り上げを凌ぐ結果となった。材料費や人件費のこともあるから純利益はもっと下がるけれど、双方合わせて例年以上の売り上げを見せ、クレメント院長はじめ職員や子どもたちも満足そうだった。

 騎士団に頼んだ出張訓練も好評だった。この国ではやはり騎士は憧れの職業のひとつ。ロイド副団長によると見込みのありそうな子どもたちも多く、入団試験を受ける以前の子どもたちが通う予備校を作る動きも話が進みそうだということだった。ナタリーの計らいで女の子の希望者が多かったのも意外な収穫だったという。

 ハムレット商会のゲーム屋台も盛況のうちに終わった。持て余していた在庫も一掃できた上にお店の宣伝にもなったと、店長のキャロルも満面の笑みだ。ライトネルは少々拗ねていたけれど。

 そして発表会は、予定していた孤児院からの出席者2人に、めでたく里親となってくれるスポンサーが見つかった。朗読劇を披露したアニエスだが、なんと王都で人形劇や一般民衆向けの舞台を展開している一座とつながることができた。一座の団長は高齢の女性で、ときどき劇団内で裏方などを手伝う許可をアニエスに与えてくれた。アニエスは特例としてホテルでのメイド修行に加えて、週に2日だけ劇団に通うことを許された。ほかにも貴族が所有している戯曲などの複本を与えてもらったり、王立歌劇場の一般席のチケットを用立ててもらったりなど、本人いわく「夢のようです!」といった激変が起きた。貴族のサロンからもさっそくお呼びがかかっているらしい。

 そしてシリウスだ。彼にはアニエス以上の支援者が名乗り出てくれた。多くは自宅のサロンでの演奏機会の提供、楽譜などの提供、音楽会への招待、中には孤児院のピアノの定期的な調律費用を賄ってくれる貴族も見つかった。彼はまだ8歳なので孤児院内で手習いをしているが、ピアノは自由時間であれば毎日弾いてもよいことになった。

 そしてーーー。

 私は精霊祭が終わってから初めて、継母とともにウォーレス教授宅の門を叩いた。今日が定期練習の日なのだ。

「アンジェリカ、いらっしゃい! この前の発表会、素晴らしかったわ」
「ありがとうございます、おばあさま」

 満面の笑みで迎えてくれるのは教授夫人。私も笑顔でお礼を返す。

「この人なんて、アンジェリカの出番前からずっとそわそわしていて、本当に落ち着きがないったら。でも終わったらいの一番に拍手し始めたのよ」

 言いながら、隣で一緒に出迎えてくれたウォーレス教授を見上げる。教授はいつものように視線を逸らし、無言のままだ。彼からはあの日、終演後にすでにお褒めの言葉をもらっているから、今更無言で返されてもどうってことない。少し照れたように視線がさまようのを見て、私の方が前世でも今もだいぶ目下なのに、くすっとしてしまった。





 そのままいつもどおりの練習を終えて、お茶会の時間。私は心に温めていたある提案を早々に切り出した。

「おじいさま、シリウス・ビショップの演奏をどう思われましたか?」

 私の発言に、しばし沈黙が広がる。先に口を開いたのは教授夫人だった。

「シリウスって、あの孤児院の男の子よね。とても見事な演奏を披露した……」
「演奏が終わった後、大勢の貴族が支援者として名乗り出たと聞いたわよ」

 相槌を打ったのは継母だ。

「はい。幸いなことにシリウスは当初の目的どおり、今後もピアノの練習が続けられそうです。ただ、お金や物資は多く集まったのですが、指導者がまだ見つかっていないのです」

 シリウスは耳から聞いて曲を覚え、演奏している。今まで音楽の勉強をする機会もなかったから楽譜も読めない。だが、今後ピアノを本格的に学ぶなら、楽譜の読み方をいろんな意味で知らなければ通用しなくなるだろう。

「おじいさまは、彼の演奏をどのように聴かれましたか。芸術院のピアノ講師を長く勤められた元教授のご意見を伺いたいのです」

 それはつまり、シリウスの才能が本物かどうか。もちろん、あの演奏だけで答えが出るとは思っていない。だが、その可能性の片鱗があったのかどうかだけでも、聞いてみたかった。

 教授はティーカップを置き、深くソファに身体を埋めた。

「まだ体もできていない。背は高い方だったからなんとかペダルにも足が届いていたが……。全体的に一本調子で、曲の解釈もまだまだだ。細かな技術やタッチなどはあげればキリがないな。人前で披露できるレベルではないよ」
「まぁ、あなた……アンジェリカといくつも違わない、まだ子どもですよ。それに孤児院の育ちですから」

 教授の批評に対して夫人が眉を潜める。それを「だが……」と制した。

「だが、いい音を出している。ピアノの音が光の粒のように教会の天井まで響いていた。どの子も……決して馬鹿にするわけではないが、“そこにある音”しか出せずにいたのが……彼は、あの子だけは音をきちんと“弾ませて”いた。ピアノを“弾く”というのはそういうことだ。素質はあるのかもしれん」

 そのまま深く息をつき目を閉じる教授は、まるであの日の演奏を思い出しているかのようだった。シリウスが紡ぎ出した“弾ける音”を。

 我が国の最高峰の芸術機関で、長きに渡り多くのピアニストを輩出し、自身も演奏者として知られる人だ。そんな彼が、シリウスを“評価”した。私やほかの子どもたちを労うのとは別の次元で、彼のピアノを、まるで大人に対するそれであったかのようにーーー。



 私は落ち着きを払って、彼に切り出した。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ハヤテの背負い

青春 / 連載中 24h.ポイント:255pt お気に入り:0

不完全防水

BL / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:1

孤独なまま異世界転生したら過保護な兄ができた話

BL / 連載中 24h.ポイント:60,876pt お気に入り:3,752

夢見の館

ホラー / 完結 24h.ポイント:340pt お気に入り:1

親友彼氏―親友と付き合う俺らの話。

BL / 完結 24h.ポイント:383pt お気に入り:20

mの手記

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:646pt お気に入り:0

処理中です...