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本編第一章

悪役令嬢との出会いです

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 ハイネル公爵家長女、エヴァンジェリン。

 彼女が発表会に申し込みをしてくれたことを、私はシンシア様から既に聞いていたし、もっと遡れば、とあるお茶会でパトリシア様がハイネル公爵夫人にお会いした際、発表会の話をしたところ、公爵夫人が興味を示したとも聞いていた。

「ハイネル公爵はあまり社交がお好きでなくて、領地に籠りっぱなしのようだけれど、夫人はもともと都会的な空気がお好きな方で、冬の社交シーズンをそれはそれは楽しみにしてらっしゃるのよ。末のお子様も長旅にも耐えられるお年になったそうで、この冬は一家揃っておいでになったわ。これは噂だけれど、夫人はこのまま子どもたちと一緒に王都に残るのでは、と言われているのよ」

 そのためにいつも以上に社交に積極的で、人脈を増やそうと熱心に活動されているそうだ。今回の娘の発表会への参加も、アッシュバーン家に恩を売りたいのと、娘を大勢の前で披露したいという思惑があるのではないか、というのがパトリシア様の見立てだった。

「確かに、遠く離れた領地にいながらでもその噂が王都まで流れてくるご自慢の御令嬢だもの。教育のことなどを考えても王都で、というのはまぁ、納得できるわね」

 パトリシア様がそう称していらした例の御令嬢が、今、私たちの目の前にいた。なるほど、6歳という幼さながら完璧に出来上がった美しさと徹底的に仕込まれたと思われる所作に、誰もが目を奪われる。

「このたびはこのような映えある機会をいただきまして、まことにありがとうございます。私ごときが直接辺境伯夫人にお声がけするのは失礼と重々承知しておりますが、どうしてもお礼を申し上げたく」

 そうして今一度膝を折る動作も、流れるように綺麗だった。

「いいえ、気にしないでちょうだい。こうしてお話できて嬉しいわ。あなたは何を演奏するのかしら」
「フルートを2年ほど習っております。今日はそれを披露させていただきますが、何ぶん田舎育ちなものですから、お耳汚しとなりますこと、どうぞお許しくださいませ」
「そんなことないわ。あなたの評判は誰もが知るところよ。楽しみにしているわ。そうそう、我が家は男の子ばかりの無粋な家で、誰も出席しないのだけれど、今日はこちらのお嬢さんのお世話をさせていただいているのよ」

 エヴァンジェリン嬢が現れた時点で私もすでに椅子から立ち上がっていたのだけれど、パトリシア様の目配せで、さらに背筋を伸ばした。

「エヴァンジェリン嬢、こちらはダスティン男爵家のアンジェリカさんよ。訳あって、この冬、我が家にご招待しているの」
「はじめまして、ハイネル公爵令嬢。アンジェリカ・コーンウィル・ダスティンと申します。お会いでいて大変光栄です」

 パトリシア様が紹介してくださったので、先に名乗るのは圧倒的に身分が下の自分だ。膝を折りつつ彼女の言葉を待つ。私から先に頭をあげることは許されない。

「お顔をおあげください、ダスティン男爵令嬢。ハイネル公爵家のエヴァンジェリンと申します」

 上位である彼女の許可が出たので、私は改めて顔をあげた。間近で見るとその肌の透明度の高さにも圧倒される。彼女は自分の領地を田舎を言っていたが、同じ田舎でもうちとは月とすっぽんなレベルの田舎だろうし、間違っても畑でじゃがいもやさつまいもを植えたり鶏小屋で生みたての卵を集めたりはしないだろう。

「それで、ダスティン男爵令嬢は何を披露されるのですか」
「はい、私は孤児院のシリウス・ビショップという少年とともに、ピアノの連弾をします」
「シリウスという少年の噂は私も聞いています。実は今日、彼のピアノ演奏が聴けると聞いて楽しみにしておりました」

 そうしてふうわりと笑むと、ビスクドールのような硬質な美しさが一瞬ゆるむ。妹の話では、悪役令嬢エヴァンジェリンは貴族特権を振りかざして平民を見下し、その血を半分弾いているアンジェリカを徹底的にいじめ、最後には思いを寄せていたカイルハート殿下にも見放され、断罪されるということだった。だけど目の前の少女から、私やシリウスを蔑む様子は見られない。

「お互い、頑張りましょうね」
「はい」

 実に平和的な会話を交わしたところで、エヴァンジェリン嬢のリハーサルの時間がやってきた。一礼した彼女は、伴奏役の付き人とともに部屋を出ていった。

「アンジェリカちゃんの出番もあと少しね。少し休憩してらっしゃい」

 パトリシア様の勧めも受けて、私は再び椅子に座り、持っていた楽譜を開いた。しかし楽譜に意識を集中させることができない。

(エヴァンジェリンって、綺麗な子だったな……)

 美しさと血筋と、その他もろもろ持ち合わせている彼女は、乙女ゲームの中ではカイルハート王子の婚約者候補筆頭だった。ほかにも候補がいたのかどうかまでは定かではないが、あれはぶっちぎりで一番だろう。このアンジェリカも顔だけなら超絶美少女なので張り合えるかもしれないが、その他もろもろで負けすぎている。ていうか同じ舞台に上がるのもおこがましいレベルだ。

(ゲームのアンジェリカはよほど厚顔無恥だったのねぇ)

 アンジェリカが人好きのする愛らしさを持っているなら、エヴァンジェリンは高貴な美しさと言い表せるだろう。どちらが好きかというのは、純粋に好みの問題だ。

 けれどひとたび想像の中で彼女をカイルハート王子の側に立たせてみたらーーそれは歴史書に載る挿絵のような完璧な一対となる。きらきらしたハートマークが飛び交うというよりも、荘厳な歴史の1ページとして刻まれるというイメージだ。

(やっぱり、カイルハート殿下には彼女のような人がお似合いなんだろうな)

 平民あがりの、今だって平民とそれほどかわらない生活をしている私は、そもそも彼と気軽に会える身分ですらない。でもミシェルやエヴァンジェリンの身分であれば、選ばれし学友や婚約者として、彼の側にいることが許される。噂通りエヴァンジェリンが今後は王都で暮らすなら、その機会は必ずできるだろう。

(私には、やっぱり遠い世界……)

 貴族として生きていくことに否やはすでにない。私が連なるのはその末端。そのことが嫌なわけでも残念なわけでもない。だから、この胸にもやっとするものがなんなのか、説明できない。

(それにしてもゲームのアンジェリカは貴族も平民も関係なく、次々といろいろな男の子と仲良くなるのよね。社交的といえばいいんだろうけど、現実世界でそれをやるとただの節操なしじゃない)

 すでに登場人物の何人かには会ってしまっている。ゲームの中では王太子となっていたカイルハート殿下、騎士見習いのギルフォード、そして悪役令嬢エヴァンジェリン嬢。それからまだ会っていないけれど宰相の息子というのがいる。

(宰相の息子っていったら、マクスウェル宰相のところってことになるわよね)

 じゃがいもの食用化について相談した宰相は、確かロイド副団長の同級生とのことだった。息子の話はまったく聞く機会がないが、貴族名鑑には載っていたので、それが相手役のひとりとみなして間違い無いだろう。

(あれ、でもほかにもまだ相手役がいたよね。確か裕福な商家の息子と謎の音楽家……って)

「まさか!」
「? どうしたのアンジェリカちゃん?」

 突然叫んだ私に、メイドたちとのんびりおしゃべりに興じていたパトリシア様が振り向く。

「な、なんでもないんです、ちょっと、緊張してきたみたいで」

 ごかまし笑いを浮かべつつ、一度立ち上がりかけていたのを再び腰掛けて、今思いついたことを心の中で反芻する。

(裕福な商家の息子って、もしやライトネルのこと!?)

 セレスティア王国に商家を名乗る家はほかにもあるだろうが、王立学院に入学できるほどできのいい息子というのは限られるだろう。そしてライトネルの頭の良さはミシェルも認めるほどだ。

(そして、謎の音楽家は……まさか、シリウス、とか)

 音楽を志すものは商家の息子よりさらに多いだろうから、一概に決めつけるのは違うかもしれない。

 だが、この目に見えない強い流れはいったいなんとしたことだろう。

(……っく! 自分からは攻略対象には近づかないって決めたのに)

 いつの間にかどっぷり関わっていた(かもしれない)状況に、思わず頭を抱える。こんなことになるなら妹の話をしっかり聞いておくんだったと後悔しても後の祭りだ。このままいけばあとは宰相の息子で完全コンプリートだ。

(なんとしてもその出会いだけは避けなきゃ……)

 謎な決意に燃えた私は握り拳にぐっと力を入れる。その光景を少し離れたところで見ていらしたパトリシア様は「さすがはアンジェリカちゃん、気合入ってるわね」と頼もしく思ったのだそうな。


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