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本編第一章

迷いもあります2

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「いろいろ考えたわ。シリウスがもし私のように誰かに引き取られてくれたら、とかね。だけど、子どもをひきとる側にもだいたい事情があるの。多いのは家の跡取りになってほしいとか、働き手が欲しいとか。彼の芸事を応援してくれるような人には、なかなか巡り合えないらしくて」

 シンシア様の「亡くなった娘に似ているから」というような理由は、本当に稀だし、引き取られた先で自由にさせてもらえたのも、極めて稀な僥倖だった。同じ幸運がシリウスの身にも起きてくれればいいが、なかなか難しい。彼に投資して、彼が一流のピアニストにでもなってくれるなら旨味を感じる里親もいるかもしれないが、それだって未知の話だ。彼が同い年の子どもよりもはるかに長けた技量を持っているのは明白だが、芸術の世界には、そんな人たちがごろごろいる。

 もちろん音楽は貴族だけのものではない。一般大衆にも人気だ。街を歩けばあちこちの広場で軽妙な演奏をする大道芸人もいるし、私には未知の世界だが、夜の酒場で演奏をするグループもいるらしい。そうした人々が全員芸術院の出かといえばそんなことはなくて、独学で音楽を勉強した人たちの集まりであることが多い。

 シリウスがそうした道を目指すという手もある。

「だけどあの子の演奏は……ちょっと桁外れでしょう?」
「そうですね……」

 正直あんな凄腕が大道芸や酒場の演奏で受けるとは思えない。貴族だから、庶民だから、というのではなく、場所や状況に応じた音楽の楽しみ方があるものだ。彼の演奏は教会のように、しかるべき場所で、大勢に聴かれてこそ価値がある。

「だから、とても迷ったわ。孤児院を支援する以上、彼ひとりを贔屓するわけにはいかないし、それは別としても、彼のピアノの才能を応援するのは彼のためになるとも限らないから。だって将来性もあやふやなのに、積極的に推すことはできないでしょう?」

 彼の音楽への投資は、彼や孤児院のための継続的な支援になりづらい。そう考えたシンシア様は、その才能を惜しいとは思えど、クレメント院長とも相談して、積極的な支援は控えていたそうだ。だからシリウスはしばらくの間、ホールの片隅に放置された音の外れたピアノを、3日に1回の割合で弾くことで満足するより仕方なかった。

 そのうち6歳を迎えたシリウスは、ほかの子どもたちと同じように手習いの練習を始めた。手先の器用さのあった彼は、銀細工や宝石の研磨の仕事を練習しているそうだ。将来的には宝飾デザイナーや銀細工師といった道が開けるように、というのが、クレメント院長はじめ孤児院の見立てなのだそう。

「彼の手習いも見せてもらったわ。一生懸命頑張っているのはわかるのだけど、感想としては“普通”だった。それ以上でも以下でもない……少なくとも初めて彼の演奏を聴いたときのような感動は起こらなかった。そのとき、はっとしたの。この子の才能は、やっぱり埋もれさせてはいけないんだ、って」

 素直でおとなしいシリウスは、孤児院での自分の立場のことをよくわかっていた。年長の子どもたちと同じように、自分も仕事を身につけて、いつか巣立っていかなくてはならないことも理解していた。だから細工物の手習いも怠らず、むしろ、予定の時間を延長しても続けるくらい、熱心に取り組んでいた。

 でもそれは、あくまで彼にとっての「役割」。彼の本心がピアノにあることは、誰の目から見ても明らかだった。3日に1度だけ触ることを許された、音の外れたピアノ。その前に座る彼の表情は、いつもに増していきいきとして、あまり感情を顕にしない彼の喜びや哀しみの声が漏れ聞こえるほど、その指は雄弁だった。

「私はクレメント院長の許しを得て、彼を教会に連れて行ったわ。表向きは私の荷物持ちということにして。そして、事前に連絡を入れていた神官様に会って、彼をパイプオルガンの席に座らせてもらったの。彼はそこで……見事なまでの演奏を披露したわ」

 その場に居合わせた神官たちが、彼の演奏終了後も一言も言葉を発することがなかったのだという。シンシア様はその空気に乗じて提案をした。彼にパイプオルガンを弾かせてみてはどうか、と。孤児院支援は教会の仕事の一部だし、その子どもたちの健全な育成も孤児院の義務のひとつ。こうして孤児である彼に演奏させることで、教会を訪れる人々の心に訴えるものもあるだろうし、寄附金も集まりやすくなるから、と。神官たちはしばし悩んでいたが、もともと孤児院の子どもたちが年に一度教会で合唱を披露する習慣があったこともあり、これほどの演奏ならばと聞き入れてくれたらしい。

「私がたまたま・・・・用事を言いつけて教会に連れていった子どもが、たまたま・・・・神官様のご好意でパイプオルガンを触らせてもらい、その出来に旨味を感じた教会が定期的に演奏するよう依頼した、つまりはそういう話なの」

 表向きはそういうことになっている。でも実際は、シンシア様が自分の権力を使って、シリウスを孤児院から連れ出し、神官に面会の機会を取り付け、シリウスに演奏をさせる状況を作り上げた。

 でも、シンシア様がしたのはそこまでだ。その先どう転ぶかはわからなかった。

「本当はこんなこと、許されないのかもしれないけれど……私は賭けに出たのよ」

 もしシリウスの才能が、ここで埋もれるものではなく、世に出るためのものであったなら。

 彼はこの数少ないチャンスを掴めるはず。

 そう思ってシンシア様はこの行動に出た。

 そしてその賭けの結果は、まだ出ていない。シリウスは教会で定期的にパイプオルガンを披露することにはなった。けれど彼の未来が決まったわけではない。彼は今も細工物の手習いを続けている。今7歳だそうだから、あと3年すれば、王都のどこかの工房に見習いとして入ることになるだろう。

 シンシア様は「私が彼を神官に紹介してしまったものだから」と言い訳して、自宅にあったグランドピアノを孤児院に寄付した。シンシア様はピアノが弾けないし、教養の一環で習っていたというナタリーとエメリアはもう学院にあがって、ピアノなど縁のない生活を送っていた。教会で披露するからにはきちんと練習しなければならない。そう理由づけることで、ピアノは孤児院で受け入れられ、シリウスは毎日夕方以降の自由時間でピアノに触れる機会を得た。

「孤児院支援のためには、目的を履き違えないこと、継続性を持たせること、そう言い続けている私が、実は一番甘くて、支援者として落第なのよ」

 そう自嘲気味に笑うシンシア様を、私は笑う気になれなかった。上部だけの状況を見た人は、彼女がシリウスをえこひいきして、権力を使ってピアノを習わせていると思うだろう。その水面下で、彼女がどれほど深く考えたかなど知りもせずに。

 もし私にお金があったらーーー私ならよく考えず手っ取り早い方法をとるに違いなかった。彼にピアノや教師を与え、練習させ、それで満足する。彼が本当にプロとしてやっていけるかまだわからないのに、気まぐれにお金や時間を投じて……でももし彼の才能が思ったほど伸びなかったら? 20歳過ぎればただの人という言葉もある。あるいはピアノ以外の道に進みたいと言ったら? 多くの貴族がそこで彼とのつながりを経つだろう。

 まだ7歳だ。未来のことなんて誰もわからない。そんな彼に対する真に継続的な支援なんて、きっと誰にもできない。

 シリウスやルルに対して、いったい何をしてあげるのが正解なのか。すっかり日が暮れた道すがら、馬車に揺られながら、私は難問と闘っていた。

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