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本編第一章

犯人探しが終わりました7

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 沈黙を破り、重い口を開いたのは父だった。

「それは……とても気の毒なことだったと思う。その、ルビィの妹さんのことだ。そして、なぜ彼女がこんなことをしでかしたのか、その理由も、許されるかどうかは別として、わからないでもない。だがカトレア、君が責任を背負うことには、どうしたってならないよ」
「いいえ、私はこの話を、ここに嫁ぐときに母から聞いたのです。“これからはあなたがルビィの女主人になるのだから、知っておくべきだ”と言われて。そのとき初めて、ルビィの家庭事情やセーラが亡くなったときの状況を知りました。セーラが亡くなったとき、ルビィはもちろんとても塞ぎ込んでいたけれど、私はセーラの死因までは知らなくて……だから通りいっぺんのお悔やみしか言えなかった。いいえ、それだけじゃない、私は、彼女の苦しみを知ろうともしなかった。なぜなら私はあの頃まだ王立学院の生徒で、週末しか家に帰らなかったから……いえ、週末に帰ることすらほとんどしなくなっていたわ。週末は家族と過ごすよりも、バーナード、あなたと過ごすことを選んでしまっていた」

 セーラが亡くなった年、継母は王立学院の最終学年を迎えていた。そして父に恋をしていた。父の方も継母に思いを寄せており、2人は週末に王都でデートをしたり、学院で生徒会役員をしていた父の仕事を一緒に手伝ったりして過ごすことが多くなっていた。

 恋をしたばかりの少女が、愛する人と過ごしたいがために家に赴く足が遠くなってしまうのは仕方がない。だから継母は、ルビィの身の上に起きたことを一切知らず、時には自分の恋の相談をしたりもしていた。

「母からルビィとセーラのことを聞かされたとき、めまいがする思いがしたわ。自分はなんて身勝手だったんだろうって。ルビィの心情をはかることすらせず、何も知ろうともせず、自分のことしか考えていなかったの」

 そしてそれは嫁いでからも変わることはなかった。ルビィの女主人となり、彼女を監督する立場になったとはいえ、彼女は小さい頃から家庭教師として慕ってきた相手だ。その彼女の心の傷を癒すといった大それたことが自分にできるとは思えなかった。いつだって自分は彼女から教わる立場で、教える立場にはなれない。

 だからこそ継母はこの真実になるべく触れず、ルビィがすべてを忘れてくれることを願った。ダスティン領の緩やかに流れる時間の中で、ルビィの傷が自然に癒えてくれるのを待つことにしたのだ。それが、事態から逃げることであったとしても、そうする方法しか、彼女にはとれなかった。

「ルビィの過去ときちんと向き合わず放置してきたのは私です。今回の事件の根っこにそれがあるのは明白だから……。私は処罰されるべきなんです」

 継母はこぼれそうになる涙を必死でぬぐい、毅然と顔を上げていた。使用人の罪は自分の咎、それはある意味正しい。だが継母に罪があるのかと根本的なところを問えば、それは違うと思った。うまく説明できないけれど、継母が罰せられるのは耐えられなかった。

「カトレア、君の話はよくわかった。君が責任を感じてしまっていることも。だがやはり君に罪は問えないよ。ルビィ以外の誰かが責任をとるとすれば、それは私だ」
「どうして……あなたは関係ないわ、バーナード」
「雇用契約上、ルビィの主人は私だ。サインをしたのは君ではなく私だからね。もっとも、彼女の経歴や君との関係性もあったから、実質彼女を見ていたのは君だけど、今責任を問われるのは、彼女の主人である私だよ」
「いいえ、いいえ! あなたは何も悪くない、私が……」
「そうだね、私も自分は悪くないと思っている。それと同じ事情で、君も悪くなどないんだよ」
「でも……」
「カトレア」

 父はもうこれ以上耐えられないといったふうに継母を抱きしめた。そして何度も耳元で「君のせいじゃない。今までひとりで抱えさせてしまって、すまなかったね」と繰り返す。継母は我慢していた涙をこぼしながら、それでも子どものように頑なに首を振り続けていた。

「だって、アンジェリカを傷つけてしまったのよ? 大事な、あなたの娘を、この領の未来を……。そんなの、許されることじゃないわ」

 突然出てきた自分の名に、私は胸が詰まる思いがした。

 継母が「自分の娘」でなく「あなたの娘」と称したことにわずかな痛みを感じた。“アンジェリカは希望”と彼女はよく口にしていた。その言葉は文字通り、私が聖霊と契約をし、この領を守っていく唯一の存在だということを示していた。けれど継母はいつも続けていた。“私たちの大事な娘”と。だからこそ私は、自分の血だけでなく、この存在そのものがここにあっていいのだと理解していたのに。

 私は抱き合う両親を見つめることができなかった。継母はもう、私のことを娘と思ってくれないのかもしれない。

 何も考えたくなくて目を伏せた私の頭に、突如としてあたたかな温度が降ってきた。驚いて顔をあげると、父が私の頭を優しく撫でていた。父の傍で涙する継母の姿が胸を打つ。

 父は私を見たあと、視線を継母に戻した。

「カトレア、私ひとりの大切な娘じゃない、“私たちの娘”だろう?」
「……でも、私にその資格が……」
「アンジェリカ、おまえはどう思う? 今回のことでカトレアを、おかあさまを処罰すべきだと思うかい?」

 父の問いかけに、私は反射的に首を横に振った。

「いいえ、おかあさまは何も悪くありません」

 誰に責任を求めればいいのか。ルビィ本人はもちろんだが、彼女の過去の話を聞くと心が揺れた。

 それなら女主人であった継母か、雇用契約書にサインをした父なのか、父の愛人となった実母なのか、その間に生まれてしまった自分なのかーーー。どれも正解のようでどれもおかしい。冷静な判断ができないまま、悪い思考だけがぐるぐる回る、そんな状況でもやはり、私はこの人に罪を問いたくないと思った。

 継母は驚いたように私を見つめた。流れそうだった涙が目尻でいったん止まる。

「アンジェリカ……あなたはそれでも、私を母と呼んでくれるの? あなたに辛い思いをさせておきながら、それにまったく気がつかなかった私を、まだ母と呼んでくれるの? 私はまだ、あなたのおかあさまでいていいの……?」

 眉根を下げ、泣きそうになるのを必死で我慢しながら継母が私に問う。そのとき私は、事件が起きて以降の彼女のよそよそしさの原因に思い至った。継母は、自分に母と名乗る資格がなくなったと思い込んで、私に距離を置いていたのだ。

 私のことが嫌いになったわけではなかった。私は誤解を強くときたくて、もう一度はっきりと、今度は縦に首を振った。

「もちろんです、おかあさま。私のおかあさまは、おかあさましかいません。おかあさま以外の人を母と呼ぶことはありません。私は、おかあさまのことが今も大好きです」

 私の発言に、継母の涙腺は再び崩壊した。

「アンジェリカ……! ありがとう、こんな不甲斐ない母親でも、あなたはまだ、慕ってくれるのね」

 私は継母に近づき、彼女のスカートに抱きついた。すぐに温かな手が私の背中に回される。

「……私、おかあさまはルビィを庇いたいのかと、ずっと思っていました」
「いいえ、それはないわ。ルビィは私にとって大事な存在だったのは確かだけど、あなたを傷つけるなんて、とても許されないこと。今回のことで、私がルビィを庇うことはありません。あなたは何も悪くないのよ。いつも一生懸命領のことを考えて、前向きで、誰からも愛される、素晴らしい娘だわ。あなたと出会えてよかった。あなたは私たちの希望で、私たちの喜びよ」

 問題はまだ解決してはいない。いろいろ考えなければならないことが山積みだ。だけどひとつだけはっきりしていた。私たちの絆は失われてはいなかった。些細なことをあれこれ気にして変に思いを膨らませていたことを後悔する。

 こうして手を伸ばせば、この人は必ず抱きしめ返してくれる。ここに引き取られた数ヶ月で何度もあったことなのに、それを忘れてしまっていた。私はまだここにいていい。ここが、私の居場所だ。

 屋敷の柱時計が8時を告げる音が聞こえた。長い1日もようやく終わりを告げようとしていた。

 
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