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本編第一章

お誕生会の時間です2

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 やがてすべての招待客が挨拶を終えたタイミングで、昨日と同じく殿下がミシェルを伴って会場入りした。アッシュバーン伯爵と夫人の挨拶を皮切りに、ギルフォードの誕生会がはじまった。子猫ちゃんたちをはじめ、招待された男の子たちもまた、殿下やミシェル、ギルフォードに挨拶しようと彼らに群がる。そんな中、色気より食い気のギルフォードは、殿下を普通に愛称呼びしながら、食事が載った円卓にまっしぐらだ。ギルフォード、わざわざ用意された巨大なクマが寂しそうだよ。あんたにクマのぬいぐるみなんて猫に小判並な似合わなさだけど。

 私は、というと、両親につれられてご挨拶回りだ。近隣の貴族たちへ、ダスティン家の後継として自分を紹介できるまたとないチャンスを無駄にはしない。きちんとしつけられた挨拶をして回るのだが、相手の反応はまちまちだ。概ね、後継ができたことを喜んでくれるのだけど、一部の貴族には嫌味も言われる。

「ほほう……、御令嬢の実母というのは相当美しい方だったとか」
「奥様もご立派ですわね、そんな謂れの子どもを迎えられるなんて! 我が家では考えられないことですわ」

 概ね後者は子猫ちゃんたちの身内だ。父も継母も私のことを溺愛してくれているが、彼らの反応にいちいちつっかかったりしない。我らは末端男爵家。上の方々の言動にいちいち反応していたら我が家なぞとうに絶えている。

 父と継母は笑顔で受け流しながら、それでも相手に理解できぬレベルの高度な皮肉で応酬する。私はぎょっとして二人を見るのだが、相手は皮肉を言われたことにも気付いていない。相手が立ち去った後でみんなで顔を見合わせながらにやりとする。うちの父、ベイルをはめたときにも思ったが、なかなかの策士だ。伯爵老が父のことを気にかけてくださったのも、長年のつながりもあっただろうが、父のこの使える性格を見抜いてのことかもしれない。

 そうして、人様のパーティをダシに自分の披露まで済ませた私たちは、ようやく肩の荷をおろすことができた。じゃがいもプロジェクトについて伯爵老につなぎがとれたし、時期アッシュバーン伯爵後継の2人にも挨拶できたし、近隣貴族にも挨拶できたし。もう帰ってもいいな、うん。あ、でもここのごはんおいしいから、最後にたーんと食べておこう。

 私は社交する両親と離れて、人が少なめな円卓に近づいた。子猫の山に近づいたら何されるかわかったものじゃなし。あ、サンドイッチとサラダがおいてある。そうだ、ポテトサラダをサンドイッチにしてもおいしいじゃない。なんで思いつかなかったんだろ。ほかにも参考になる料理ないかな……。

「とても熱心に見てるけど、何かおいしいものでもあるの?」
「いえ、新しいじゃがいも料理のヒントがないか探していまして……」

 背後からの問いに条件反射のように答えながら「ん?」と疑問に思う。一体全体誰がこの会場で私なんかに声をかけるというのだろう?

 疑問に思いながら振り返る。そして、そこに現れたきらきらしい笑顔を見て思わず固まった。

「で、ででででで」
「うん、なに?」

 うん何?、じゃないわぁ! カイルハート殿下なぜここに! 私ははっと周囲を見渡し子猫の山を探す。先ほどまで遠くにあったそれはいつの間にかサンドイッチのテーブル近くまで移動してきていた(避けようとしたあたしの努力……!)。子猫ちゃんたちの目から発せられるビーム光線に身体焼かれそうだ。

「あの、こちらのテーブルは野菜が多めですので、殿下のお口には合わないかもしれません」
「あ、ローストビーフのサンドイッチがある! 僕それがいいな」

 殿下の発言が聞こえたのか、少し年上の伯爵令嬢がざざっと駆け寄ってきた。

「まぁ、殿下、こちらですね、お取りしますわ」
「いえ、わたくしが」
「わたくしのお皿が空いてますわ」
「ちょっと、そこどいてくださる?」

 彼女に続いてほかの令嬢たちも湧いて出る。そのときだった。子猫ちゃんたちの1匹が持っていたグラスが傾いた。グラスの主の視線は私にはなく殿下に向いている。

 危ない、中身が飛び出す、私にでなく……殿下に! 

 そう思った瞬間、例の子爵令嬢と目が合った。しかしそれも一瞬、彼女は白く小さな手で私の背中を押した。

「危ない!」

 誰の叫びかわからぬまま。飛沫が頬に腕に飛び散る感覚。赤く染まる視界。傾ぐ私の身体。

 そして、そこに伸びる、小さな腕。

「殿下!!!」


  響く叫びが、何を表すのか、一瞬わからなかった。


「殿下!!!」

 呼んだのはミシェルか。振り返る術もないまま、私は床へと前のめりに倒れ込んだ。ただしひとりではない。私の身体にしがみつく小さな手があった。私、5歳のアンジェリカと同じくらいの、だけど私より少しだけ伸びやかで硬い腕。

「大丈夫ですか!?」
「おい、アンジェリカ!!!」

 私の肩がひかれ、勢いのまま振り向くと、顔面蒼白のミシェルの顔があった。その隣に目を見開いた麦わら頭。

 ギルフォードとミシェルが私を見ている。しかしミシェルの視線は私からずれていた。ギルフォードは私と何かを見比べている。私の肩を強く、けれど微かな労りもこめてひいているのはミシェルだ。だが彼はその手をそのまま弟のギルフォードに預けた。ギルフォードに手をひかれ、私が立ち上がる。そしてミシェルは……私の下にいた別の誰かをひきあげた。

「殿下! お怪我は!?」
「大丈夫だよ。飲み物もほとんどかかってない」

 私はぽかんとして二人を見つめていた。横でギルフォードに「おい、大丈夫か、怪我してないか!?」と大きな声で揺さぶられ、ようやく我に返った。

(わ、私……殿下を、押し倒し……た?)

 私のあとに彼が引き起こされたということは、彼が私の下にいたということだ。

「も、申し訳ございません!」

 グラスをこぼしたのは私ではない、そして、わざと殿下に向かって倒れ込んだわけでもない、グラスの件は偶然としても、別の令嬢に全て仕組まれたものだ。

 だが、私が殿下を押し倒したのは事実。目を閉じ、とっさに頭をさげた。

「わたくし、殿下になんて失礼を……」

 どうしよう、これが原因でお家取り潰しなどになったら。そうでなくても、殿下を押し倒した令嬢として、後々まで禍根を残すことになったら……男爵家の未来は真っ暗だ。

「なんでアンジェリカが謝るんだよ。おまえがかばったんだろ?」
「へ?」

 すぐ隣でギルフォードがきょとんとした顔で呟く。

「うん、僕、怪我も何もしてないよ。飲み物がちょっと服についただけだし。アンジェリカがかばってくれたからね」

 立ち上がった殿下がギルフォードに追随する。彼は見たところ無傷だが、前身ごろの裾に少しだけ赤い飛沫が飛び散っていた。

「僕よりもアンジェリカの方が大変だよ。大丈夫?」

 近づいた殿下が私の手をとる。呆然とする私にミシェルが声をかけた。

「グラスの中身はきいちごのジュースだ。身体に害はないけれど、アンジェリカ嬢、君のドレスが……」

 言われて私は自分の姿を見下ろした。アイボリーの清楚なドレスは見るも無残な赤い色に染め上げられていた。

 私はとっさに唇を噛み締めた。このドレスは、それほど裕福でない両親が、私のお披露目のために奮発してデザインから作らせたオーダーメイドだ。たった一度しか着る機会はなかったのかもしれないが、こんな事情で終えていいものではなかった。

 いつの間にか大人たちも駆け寄ってきていた。アッシュバーン伯爵が殿下と私の惨状を見て唇を噛んだ。

「殿下……! お怪我はありませんか」
「僕は大丈夫です。アンジェリカ嬢がかばってくれました」
「アンジェリカ嬢も……。ミシェル! おまえが傍にいながらどういうことだ。殿下のことはおまえが面倒みるよう、伝えていたはずだ」
「申し訳ありません」
「ちがいます、ミシェル様のせいではありません、これは……!」

 伯爵の叱責に私は思わず声をあげた。私は咄嗟に子爵令嬢を見るも、彼女はすぐに目を逸らせた。その隣で、グラスの持ち主だった令嬢は、駆けつけた両親の後ろに隠れ顔を隠している。

 ここで彼女たちを責めてもしょうがない。いや、私には責められない。なぜなら私は一番身分が低い。彼女たちを糾弾すれば、それはブーメランのようにいつか自分に返ってくる。

 私が子爵令嬢に押されたことはなかったことにされている。グラスがこぼれるのを見た私が、殿下をかばうために咄嗟に彼に向かって覆いかぶさった、と、解釈されているのだ。

 だったら私は、これ以上いたずらにことを広げるべきではない。

 だが、ミシェルの件だけは見過ごせなかった。

「伯爵様、ミシェル様にもどうにもできなかった不可抗力です。子ども同士がはしゃいで、たまたまグラスの飲み物が飛び出してしまった、私が過剰反応して殿下に飛びかかってしまったのです。殿下を押し倒したのは私です。叱られるべきは私です」
「いや、アンジェリカ嬢のせいでは……」
「ミシェル様は悪くありません」
「そうだよ、ミシェルのせいじゃないし、アンジェリカ嬢も悪くないよ」

 ごちゃごちゃとカオスになりかけた状況を、“パンパンっ”と手を打ち鳴らして止めた者があった。

「あなたたち、そこまでです」

 涼やかながらも凛と張る女性の声は、アッシュバーン伯爵夫人だった。

「議論はそこまでです。事は急を要します。殿下、アンジェリカ」
「「は、はい!」」

 突然名前を呼ばれ、私と殿下は一斉に返事した。

「急いでお召し物を着替えましょう。殿下のお洋服はギルフォードのものなので別にかまいませんが、アンジェリカのドレスは染み抜きをしなければ手遅れになります。さぁ、こちらにいらっしゃい」

 伯爵夫人に誘われ、私と殿下は集団から抜け出した。そこに両親の姿があり、私は彼らを呼んだ。

「おとうさま、おかあさま!」
「アンジェリカ! 大丈夫かい?」
「えぇ。怪我はありません。ただ、ドレスが……おとうさまとおかあさまがこの日のために用意してくださった、せっかくのドレスが」

 じわりと目元に浮かんでくるものがあった。ドレスが汚されたこと自体が辛いわけじゃない。ドレスの前に、両親が私が恥をかかないようにと最高級のメゾンに発注してくれたこと、そのために自分たちが必要なものを我慢したかもしれないこと、さらには領民たちが毎日の食事を知恵と工夫をこらして節約しながらも納めてくれた税金があること、そんな一連の流れが、こんなつまらないことのために汚されたのかと思うと、そして私にはそれを証明する力も糾弾する力もないことを思うと、悔しくて涙が滲んできた。

「アンジェリカ、大丈夫よ」

 継母がいつもの慈愛に満ちた微笑みを浮かべて私に手を伸ばそうとした。私も彼女の胸に飛び込みたくなった。

 しかしそれを、アッシュバーン伯爵夫人が制した。

「カトレア様、あなたが彼女を抱きしめてしまったら、あなたのドレスもダメになってしまいます。私にお任せいただけませんでしょうか」
「まぁ、大変失礼いたしました。あの、この子がご迷惑をおかけします」
「いいえいいえ、迷惑だなんて。彼女が殿下を守ってくださったからこそ、我が家は殿下に、王家に対して最低限の失礼ですみましたのよ? 御令嬢の勇気と行動力には感謝の気持ちでいっぱいです。さぁ、時間がありません。まいりましょう」

 伯爵夫人はわずかの時間も惜しいといったふうに、私たちを会場の外に連れ出した。





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