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本編第一章
お兄様は苦労性です
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「そんなにかしこまらなくていいよ。僕はギルの誕生日のお祝いがしたくて、こっそり遊びにきただけだから。王子だってバレると困るんだ」
言いながら首を竦める超絶かわいい6歳児に相手に「いやいやいやいや」と心の中で突っ込む。こっそりしてないよね、既に。王子だって大バレにバレてますよね。この人の突然の来訪のせいで、秩序ある辺境伯家が到着客のお出迎えもできないくらいに大混乱してるわけだしね!
だがそんなことはおくびにも出さず、私はルビィに躾けられたTHEお嬢様アルカイックスマイルを浮かべてみせる。そして一刻も早くここから立ち去る算段は、まだ諦めていない。えーっと、御前を辞するときはどうするんだったっけ。普通に「両親が待ってますのでおほほほほほ」とかでよかったのかな。
心の中を見せずじりじりと後ずさっていると、殿下がこちらに一歩また近づいた。
「だから君も、ここでは“殿下”じゃなく、カイルって呼んでほし……」
「無理です」
被せ気味に答えたけど、不敬じゃないよね? これくらいはいいよね? 私はちらっとミシェルを見遣る。彼は目を伏せこっそりと嘆息していた。うん、この人の王宮での苦労が今垣間見えたよ。
私の即答に、殿下は小さく唇を尖らせた。
「君もそう言うんだね。ミシェルにも言ったんだよ。この屋敷に滞在する間は“カイル”って呼んでほし……」
「無理です」
彼もまた被せ気味に即答した。うん、これは不敬じゃない。ミシェルもやってるし、と納得する。
そんな“状況を正しく理解している”私たちを他所に、今度は別のお子様が暴走しはじめた。
「なぁ、おまえ、まだクッキー余ってるんだろ? くれよ。カイルも食いたいよな」
「ギルフォード!」
クッキーを所望したことに怒ったのか、それとも殿下を愛称で呼び捨てにしたことに怒ったのか、ミシェルが弟のギルフォードを叱責した。
「だって、こいつのクッキー、安全だってわかったからいいじゃん。わざわざ落ちたのまで拾い食いして証明してくれたんだぜ」
「……!」
一瞬ミシェルが言葉に詰まった隙に、ギルフォードが「貰うぞ!」と私の手からクッキーの袋をひったくった。あっ、と声を出す隙もなく、彼は庭園の生垣の中へと駆けていく。「カイルもこいよ!」とさらに追い討ちをかけると、殿下も「うん!」と元気よく返事して駆けていった。
「殿下! ギルも待ちなさい!」
ミシェルは言葉では追おうとするが、身体は動かない。私がここにいるから、置いて駆け出すことができなかったのかもしれない。私も末席とはいえ、一応客人だ。
「あの、私は結構ですから。どうぞ行かれてください」
先回りしてそう告げると、「いえ、大丈夫です」と小さく答えた。生垣は私たちの身長でもその先が見渡せるほどで、この中庭自体もそれほど広くはない。殿下とギルフォードは走り抜けたその先でクッキーを分け合っている。安全と判断したのだろう。5歳児と6歳児がお菓子を間にじゃれあっているのは、それはそれで微笑ましい光景だ。
取り残された私は……正直困った。立ち去るきっかけを失ってしまった。冷静沈着な9歳児と2人、情けない話だが会話が続かない。
やがて沈黙を破るように、ミシェルが静かに口を開いた。
「今回のギルフォードの誕生日のパーティに、本来は私も戻るつもりはなかったんだが、殿下がどこかからそれを聞きつけたらしい。弟の大事な6の誕生日なのだから、帰ってあげるべきだ、自分は兄弟がいないから羨ましいと、そう強く勧めてきてね。それで帰る予定を急遽たてたのだが……。まさか一国の王子が、馬車の座席の下に潜り込んでいるなんて、誰も思わないだろう?」
「……は? 馬車の座席の下?」
私は驚いてミシェルの横顔をまじまじと見た。苦み虫を噛み潰したような表情を浮かべる彼に、私はそれが冗談でないと悟った。貴族の馬車には対面の座席が用意されているが、その椅子の部分を持ち上げると、下が空洞になっていることが多い。荷物や緊急用の武器を入れることがほとんどだが、そこに、殿下が入っていた……?
「そ、それは……なんと言いますか、ご愁傷様?」
私の明らかにセレクトがおかしい言葉に、ミシェルはますます表情をムッとさせた。だがそれは私の言葉に対して、というわけでなく、その事実を思い出したことに対するそれだと判断できた。それにしても、自分がお仕えする王子を馬車内で、それも自分のお尻の下で発見するなんて……そのときのミシェルの驚愕がありありと思い浮かんで、私もまた口の中に苦いものが広がった。なんというか、本当にご愁傷様だ。
「あの人は、最初からそのつもりだったんだ。私をダシにして、王宮から抜け出す算段をたてていた。それを見抜けなかった私の落ち度だけどね」
「いえ、ミシェル様は何も悪くないでしょう。どう考えても殿下のわがままです」
もっとも、それでもお咎めはミシェル様に回ってくるのがお辛いところですね、と付け加えると、彼はようやく眉間のしわを緩め、静かに息を吐いた。おそらく各方面から既に盛大にお小言を言われたのだろう。発見したときの馬車内の大人に、連絡を飛ばした先の関係者に、この城に戻ってきてからの周囲に、そして王宮に戻ってもまた叱責が待っている。うぅ、かわいいそうだな、この子、こんな落ち着いてるけどまだ9歳なのに。
そんな苦労性の兄を他所に、6歳と5歳児2人はクッキー片手に庭園を駆け回っている。遠くから「アンジェリカ! おまえもこいよっ」と声がかかる。
「アンジェリカ嬢、先ほどは申し訳なかった」
突然ミシェルが私に頭を下げた。
「弟のことが心配だったとはいえ、あなたからのプレゼントは地面に叩き落としてしまった。それに落ちた物をあなたに食させるなど」
「いえ、ミシェル様が悪いのではありません。私が考えなしだったのです。どうか頭をおあげください」
私は首を振って笑顔で返す。うん、この子も悪い子じゃない。悪かったことを反省し、すぐに謝罪できるなんて、よくできた子だと思う。
彼の立場からすれば当然のことだった。まだ年端もいかない弟と殿下の身の安全を守るために、気を張っていたのだろう。何度も言うけどまだ9歳だよ、この子。いくらこの世界の子どもたちが大人になるのが早いとはいえ、あんまりだ。
「殿下のお忍びのことも、ギルフォード様の振る舞いのことも、もちろん私に対してのことも、今日起きたことでミシェル様が謝罪されることは何ひとつないのです。ただ、そのお役目に対して責任をお持ちだから、そのように感じられてしまうのでしょうね。でも、悪いものは悪いと叱るのもまた、責任のとり方のひとつだと思います」
「叱ることも責任だと?」
「えぇ。ただ唯々諾々と従うだけだったり、甘やかしたりするだけでは人は正しく育ちません。ときには諫言も必要です。ミシェル様はもっと怒っていいと思います。それが殿下やギルフォード様や私のためになります。もちろん、理由なく叱ることはよくないですが、私たちは叱られたとき、そこに真っ当な理由があれば、反省して、二度と繰り返さないように努力できます。そしていつか、叱ってもらえたことに感謝するはずです。私はそうします。ですから、殿下もギルフォード様も、いつかミシェル様に感謝するときがきます」
ミシェルは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐにいつもの冷静さを取り繕って、私に対し口を開いた。
「ありがとう、そう言ってもらえると、少しは気が楽だ」
そして初めて、私の前で小さく笑った。笑うと少しだけ幼さが増し、年相応の男の子に見えた。
言いながら首を竦める超絶かわいい6歳児に相手に「いやいやいやいや」と心の中で突っ込む。こっそりしてないよね、既に。王子だって大バレにバレてますよね。この人の突然の来訪のせいで、秩序ある辺境伯家が到着客のお出迎えもできないくらいに大混乱してるわけだしね!
だがそんなことはおくびにも出さず、私はルビィに躾けられたTHEお嬢様アルカイックスマイルを浮かべてみせる。そして一刻も早くここから立ち去る算段は、まだ諦めていない。えーっと、御前を辞するときはどうするんだったっけ。普通に「両親が待ってますのでおほほほほほ」とかでよかったのかな。
心の中を見せずじりじりと後ずさっていると、殿下がこちらに一歩また近づいた。
「だから君も、ここでは“殿下”じゃなく、カイルって呼んでほし……」
「無理です」
被せ気味に答えたけど、不敬じゃないよね? これくらいはいいよね? 私はちらっとミシェルを見遣る。彼は目を伏せこっそりと嘆息していた。うん、この人の王宮での苦労が今垣間見えたよ。
私の即答に、殿下は小さく唇を尖らせた。
「君もそう言うんだね。ミシェルにも言ったんだよ。この屋敷に滞在する間は“カイル”って呼んでほし……」
「無理です」
彼もまた被せ気味に即答した。うん、これは不敬じゃない。ミシェルもやってるし、と納得する。
そんな“状況を正しく理解している”私たちを他所に、今度は別のお子様が暴走しはじめた。
「なぁ、おまえ、まだクッキー余ってるんだろ? くれよ。カイルも食いたいよな」
「ギルフォード!」
クッキーを所望したことに怒ったのか、それとも殿下を愛称で呼び捨てにしたことに怒ったのか、ミシェルが弟のギルフォードを叱責した。
「だって、こいつのクッキー、安全だってわかったからいいじゃん。わざわざ落ちたのまで拾い食いして証明してくれたんだぜ」
「……!」
一瞬ミシェルが言葉に詰まった隙に、ギルフォードが「貰うぞ!」と私の手からクッキーの袋をひったくった。あっ、と声を出す隙もなく、彼は庭園の生垣の中へと駆けていく。「カイルもこいよ!」とさらに追い討ちをかけると、殿下も「うん!」と元気よく返事して駆けていった。
「殿下! ギルも待ちなさい!」
ミシェルは言葉では追おうとするが、身体は動かない。私がここにいるから、置いて駆け出すことができなかったのかもしれない。私も末席とはいえ、一応客人だ。
「あの、私は結構ですから。どうぞ行かれてください」
先回りしてそう告げると、「いえ、大丈夫です」と小さく答えた。生垣は私たちの身長でもその先が見渡せるほどで、この中庭自体もそれほど広くはない。殿下とギルフォードは走り抜けたその先でクッキーを分け合っている。安全と判断したのだろう。5歳児と6歳児がお菓子を間にじゃれあっているのは、それはそれで微笑ましい光景だ。
取り残された私は……正直困った。立ち去るきっかけを失ってしまった。冷静沈着な9歳児と2人、情けない話だが会話が続かない。
やがて沈黙を破るように、ミシェルが静かに口を開いた。
「今回のギルフォードの誕生日のパーティに、本来は私も戻るつもりはなかったんだが、殿下がどこかからそれを聞きつけたらしい。弟の大事な6の誕生日なのだから、帰ってあげるべきだ、自分は兄弟がいないから羨ましいと、そう強く勧めてきてね。それで帰る予定を急遽たてたのだが……。まさか一国の王子が、馬車の座席の下に潜り込んでいるなんて、誰も思わないだろう?」
「……は? 馬車の座席の下?」
私は驚いてミシェルの横顔をまじまじと見た。苦み虫を噛み潰したような表情を浮かべる彼に、私はそれが冗談でないと悟った。貴族の馬車には対面の座席が用意されているが、その椅子の部分を持ち上げると、下が空洞になっていることが多い。荷物や緊急用の武器を入れることがほとんどだが、そこに、殿下が入っていた……?
「そ、それは……なんと言いますか、ご愁傷様?」
私の明らかにセレクトがおかしい言葉に、ミシェルはますます表情をムッとさせた。だがそれは私の言葉に対して、というわけでなく、その事実を思い出したことに対するそれだと判断できた。それにしても、自分がお仕えする王子を馬車内で、それも自分のお尻の下で発見するなんて……そのときのミシェルの驚愕がありありと思い浮かんで、私もまた口の中に苦いものが広がった。なんというか、本当にご愁傷様だ。
「あの人は、最初からそのつもりだったんだ。私をダシにして、王宮から抜け出す算段をたてていた。それを見抜けなかった私の落ち度だけどね」
「いえ、ミシェル様は何も悪くないでしょう。どう考えても殿下のわがままです」
もっとも、それでもお咎めはミシェル様に回ってくるのがお辛いところですね、と付け加えると、彼はようやく眉間のしわを緩め、静かに息を吐いた。おそらく各方面から既に盛大にお小言を言われたのだろう。発見したときの馬車内の大人に、連絡を飛ばした先の関係者に、この城に戻ってきてからの周囲に、そして王宮に戻ってもまた叱責が待っている。うぅ、かわいいそうだな、この子、こんな落ち着いてるけどまだ9歳なのに。
そんな苦労性の兄を他所に、6歳と5歳児2人はクッキー片手に庭園を駆け回っている。遠くから「アンジェリカ! おまえもこいよっ」と声がかかる。
「アンジェリカ嬢、先ほどは申し訳なかった」
突然ミシェルが私に頭を下げた。
「弟のことが心配だったとはいえ、あなたからのプレゼントは地面に叩き落としてしまった。それに落ちた物をあなたに食させるなど」
「いえ、ミシェル様が悪いのではありません。私が考えなしだったのです。どうか頭をおあげください」
私は首を振って笑顔で返す。うん、この子も悪い子じゃない。悪かったことを反省し、すぐに謝罪できるなんて、よくできた子だと思う。
彼の立場からすれば当然のことだった。まだ年端もいかない弟と殿下の身の安全を守るために、気を張っていたのだろう。何度も言うけどまだ9歳だよ、この子。いくらこの世界の子どもたちが大人になるのが早いとはいえ、あんまりだ。
「殿下のお忍びのことも、ギルフォード様の振る舞いのことも、もちろん私に対してのことも、今日起きたことでミシェル様が謝罪されることは何ひとつないのです。ただ、そのお役目に対して責任をお持ちだから、そのように感じられてしまうのでしょうね。でも、悪いものは悪いと叱るのもまた、責任のとり方のひとつだと思います」
「叱ることも責任だと?」
「えぇ。ただ唯々諾々と従うだけだったり、甘やかしたりするだけでは人は正しく育ちません。ときには諫言も必要です。ミシェル様はもっと怒っていいと思います。それが殿下やギルフォード様や私のためになります。もちろん、理由なく叱ることはよくないですが、私たちは叱られたとき、そこに真っ当な理由があれば、反省して、二度と繰り返さないように努力できます。そしていつか、叱ってもらえたことに感謝するはずです。私はそうします。ですから、殿下もギルフォード様も、いつかミシェル様に感謝するときがきます」
ミシェルは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐにいつもの冷静さを取り繕って、私に対し口を開いた。
「ありがとう、そう言ってもらえると、少しは気が楽だ」
そして初めて、私の前で小さく笑った。笑うと少しだけ幼さが増し、年相応の男の子に見えた。
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