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本編第一章
辺境伯のおうち事情を整理します
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アッシュバーン辺境伯領は広い。
東西に広がる領地のほとんどに領民が住んでいるが、東と西では色合いや文化がかなり違う。王都方面に向かう東は主に鉱山の街だ。良質な鉄や金、銀、銅などがよく採れ、鉱夫が多く住みついており、活気があってけたたましい印象だ。私が以前実母と住んでいた街も、鉱山近くにあった。男爵領の家からだと馬車で数時間の距離だ。
さらに西に進むと伯爵家の本家がある都につく。ここまでがさらに数時間。都は領土の中心部にあり、鉱山でとれた金や銀を使った工芸品なども多く流通する、職人や商人の街だ。さらに西に進むと、今度は海に出る。そこは漁師町でもあり、鉱山の町とはまた違った活気がある。また暖流の影響で気候がよく、農作物のよく採れる地域だ。アッシュバーン領の食料はほとんどが西側で賄われていると言っていい。おそらく火山の影響があるのは東側の土地だけで、西側は別の土壌が広がっているのだろう。うらやましい限りだ。
端から端どころか、領土を一周するのに1日もかからない我が領と違って、東の端から西の端まで、馬を飛ばしても1日かかるアッシュバーン領。同じ貴族ながらなぜこんなに領土格差があるのか。まぁ、前世でも国の線引きや自治体の線引きなんて等分ではなかったのだから当たり前の話だが。
そんな広い辺境伯領を治めているのがアッシュバーン伯爵。貴族名鑑によるとまだ30代前半の若さだ。9歳の息子と、今回6歳になる息子がいる。長男の名前はミシェル。彼は普段、王都で暮らしている。なんでもカイルハート王太子の将来の側近候補のひとりとして、今年からお側に伺候するようになったのだとか。
アッシュバーン伯爵は王国でも名門中の名門だ。伯爵位ではあるが、辺境伯は実質侯爵と同じ序列扱いになる。身元確かな優秀な若者を早いうちに王太子側に取り込みたいという意図があるのだろう。
ちなみにアッシュバーン伯爵の実兄にあたる人物は、王都の守護を担う王立騎士団の副団長をしているらしい。ミシェルは普段、伯父にあたる副団長の元で暮らし、毎日王宮に伺候しては王太子とともに勉学や剣術などに励んでいるそうだ。
対する次男はギルフォードといい、彼はアッシュバーン領で両親と暮らしている。ただ、父の話だとこの少年も10歳になるまでには王太子付きになるのでは、とのことだった。長男のミシェルが歳の割に落ち着いた、物静かなタイプとすれば、次男は外で遊びまわるのが好きなやんちゃタイプなのだとか。静と動、二つのタイプの少年のどちらかが、今のところの将来のアッシュバーン伯爵候補というわけだ。
私はアッシュバーン家に向かう馬車に揺られながら、これらの話を思い出していた。
パーティは明日の正午から始まる。男爵家からだと馬車で半日ほどかかる計算なため、朝一で出発しても間に合いはするが、多くの招待された貴族が2、3日前から滞在するそうで、よろしければどうぞとお誘いがあったため、我が家も前日入りすることにした。とはいえ、一番近い領からの出席になるので、あまり早く行っても迷惑だろうと、前日の夕食に間に合う時間目指して出発している。
伯爵家を訪問するため、父も継母もいつもよりいい衣装を着ていた。私は継母手作りの例のピンクのワンピースだ。明日のパーティは特別に作ってもらったドレスで出席する。結局継母の伝手をたどって、隣の子爵家のお店で、アイボリーを基調とした清楚なドレスを作ってもらった。
「これを着るのか……」とデザイン画を見せられたときには思ったが、さすがは乙女ゲームのヒロイン、今生のアンジェリカはなんなく着こなし、ドレスメーカーのデザイナーやお針子さんたちから称賛の言葉を浴びまくった。「今後お嬢様のドレスはすべて任せてください! 特別価格でご用意します!」とオーナーが私の手を強く握ってぶんぶん振りまくったので、早く解放してほしくてついうっかり「はい」と答えてしまったら、感涙に咽び泣きながら精霊にお礼のお祈りを始めてしまうわ、お針子たちは順番を取り合うわで、ちょっとしたカオスだった。ヒロイン、隣の領にまで魅力を振りまいてしまったよ。いや、私なんだけどさ。
そうそう、今回の目玉企画、じゃがいも土産は、クッキーの詰め合わせを用意した。できることならマリサを同行して、向こうのキッチンを借りてひととおりのじゃがいも料理を披露したかったのだが、他領で堂々とそんなことを行うわけにもいかない。さらに今回は自分の力だけでなく、父の力も借りることにした。前回の轍を踏まないための秘策だった。
「今回はアッシュバーン伯爵だけでなく、伯爵老もおいでのはずだ。彼に知ってもらうのも一興だろう」
「伯爵老? どなたですか?」
「アッシュバーン伯爵の父親で、前伯爵だよ。息子である伯爵に家督を譲って西の地域に隠居されている。隠居とはいえ、西の砦の騎士たちの訓練にも未だ携わっておられるそうだから、現役の騎士といっても差し支えない。皆、敬意を表して『伯爵老』とおよびしているんだ」
「アッシュバーン家はいつ代替わりしたんですか?」
「確か4年ほど前になるかな。アッシュバーン前伯爵には3人の息子と2人の娘がいたが、彼の地の精霊殿は気まぐれだったのか、なかなか後継を指名しなかったのだよ。それが5年ほど前にようやく次男君を当主に選び、1年後には伯爵老が家督を譲られたのだ」
貴族社会では精霊が次の後継者を選ぶ。だがその選定の時期はまちまちだ。子どものうちに指名されることが多いが、中には大人になり何年も経ってから、あるいは前当主が亡くなってから、という場合もある。いずれにせよ、子どもの場合はその子が成人してから、大人の場合は精霊の託宣があったのち、速やかに家督を譲る、というのが慣しになっている。中には自分は選ばれないだろうと、他家に婿や嫁に行った後、精霊の託宣があり、跡を継ぐために婚家ごと実家に戻る、といった例もある。当主に選ばれることは、内実はさておき名誉なことなので、たいていは喜んで引き受けることになる。
アッシュバーン家の場合、その精霊の選定が遅かったようだ。ただ、アッシュバーン領はそもそも裕福な領であり、一族のほとんどが騎士職として王宮や領内の砦を守っている。つまり、皆、それなりに仕事を持っているわけで、当主に任命されなくても十分自活できるため、それほど大きな混乱は起きなかったようだ。
「現伯爵とももちろん親交はあるが、どちらかというと伯爵老とのつながりの方が深いからね。その彼を取り込むことができれば、話はしやすいと思うよ」
父は子どもの頃に早々に精霊の託宣を受け、成人すると同時に家督を継いだ。その当時のアッシュバーン家の当主は、今の伯爵ではなく前伯爵だった。アッシュバーン領で騎士として働いていたことや当主同士のつながりなどから、前の伯爵の方が親交が深いのだろう。
(ん? ということは、実母を父に押し付けたのは伯爵老ということになるの?)
実母ハンナは、本当はアッシュバーン家で働きたかった。アッシュバーン伯は名門だし、何より当主の息子たちと母は歳が近かった。あの母のことだ、見初められたいという野心もあったことだろう。それを当主である伯爵が拒否し、代わりに隣のダスティン家に押し付けたのが6年前。うん、計算としてはそうなる。
(ことをややこしくした諸悪の根源は伯爵老ということだわ)
伯爵老が実母を父に押し付けなければ、継母が心をを乱すことはなかっただろう。しかし、伯爵老のおかげで私が生まれ、ダスティン男爵家は断絶せず今のところ安泰ということだから、感謝しなければならないのかも。
なんとも複雑な思いを抱きながら、私は馬車に揺られていた。
東西に広がる領地のほとんどに領民が住んでいるが、東と西では色合いや文化がかなり違う。王都方面に向かう東は主に鉱山の街だ。良質な鉄や金、銀、銅などがよく採れ、鉱夫が多く住みついており、活気があってけたたましい印象だ。私が以前実母と住んでいた街も、鉱山近くにあった。男爵領の家からだと馬車で数時間の距離だ。
さらに西に進むと伯爵家の本家がある都につく。ここまでがさらに数時間。都は領土の中心部にあり、鉱山でとれた金や銀を使った工芸品なども多く流通する、職人や商人の街だ。さらに西に進むと、今度は海に出る。そこは漁師町でもあり、鉱山の町とはまた違った活気がある。また暖流の影響で気候がよく、農作物のよく採れる地域だ。アッシュバーン領の食料はほとんどが西側で賄われていると言っていい。おそらく火山の影響があるのは東側の土地だけで、西側は別の土壌が広がっているのだろう。うらやましい限りだ。
端から端どころか、領土を一周するのに1日もかからない我が領と違って、東の端から西の端まで、馬を飛ばしても1日かかるアッシュバーン領。同じ貴族ながらなぜこんなに領土格差があるのか。まぁ、前世でも国の線引きや自治体の線引きなんて等分ではなかったのだから当たり前の話だが。
そんな広い辺境伯領を治めているのがアッシュバーン伯爵。貴族名鑑によるとまだ30代前半の若さだ。9歳の息子と、今回6歳になる息子がいる。長男の名前はミシェル。彼は普段、王都で暮らしている。なんでもカイルハート王太子の将来の側近候補のひとりとして、今年からお側に伺候するようになったのだとか。
アッシュバーン伯爵は王国でも名門中の名門だ。伯爵位ではあるが、辺境伯は実質侯爵と同じ序列扱いになる。身元確かな優秀な若者を早いうちに王太子側に取り込みたいという意図があるのだろう。
ちなみにアッシュバーン伯爵の実兄にあたる人物は、王都の守護を担う王立騎士団の副団長をしているらしい。ミシェルは普段、伯父にあたる副団長の元で暮らし、毎日王宮に伺候しては王太子とともに勉学や剣術などに励んでいるそうだ。
対する次男はギルフォードといい、彼はアッシュバーン領で両親と暮らしている。ただ、父の話だとこの少年も10歳になるまでには王太子付きになるのでは、とのことだった。長男のミシェルが歳の割に落ち着いた、物静かなタイプとすれば、次男は外で遊びまわるのが好きなやんちゃタイプなのだとか。静と動、二つのタイプの少年のどちらかが、今のところの将来のアッシュバーン伯爵候補というわけだ。
私はアッシュバーン家に向かう馬車に揺られながら、これらの話を思い出していた。
パーティは明日の正午から始まる。男爵家からだと馬車で半日ほどかかる計算なため、朝一で出発しても間に合いはするが、多くの招待された貴族が2、3日前から滞在するそうで、よろしければどうぞとお誘いがあったため、我が家も前日入りすることにした。とはいえ、一番近い領からの出席になるので、あまり早く行っても迷惑だろうと、前日の夕食に間に合う時間目指して出発している。
伯爵家を訪問するため、父も継母もいつもよりいい衣装を着ていた。私は継母手作りの例のピンクのワンピースだ。明日のパーティは特別に作ってもらったドレスで出席する。結局継母の伝手をたどって、隣の子爵家のお店で、アイボリーを基調とした清楚なドレスを作ってもらった。
「これを着るのか……」とデザイン画を見せられたときには思ったが、さすがは乙女ゲームのヒロイン、今生のアンジェリカはなんなく着こなし、ドレスメーカーのデザイナーやお針子さんたちから称賛の言葉を浴びまくった。「今後お嬢様のドレスはすべて任せてください! 特別価格でご用意します!」とオーナーが私の手を強く握ってぶんぶん振りまくったので、早く解放してほしくてついうっかり「はい」と答えてしまったら、感涙に咽び泣きながら精霊にお礼のお祈りを始めてしまうわ、お針子たちは順番を取り合うわで、ちょっとしたカオスだった。ヒロイン、隣の領にまで魅力を振りまいてしまったよ。いや、私なんだけどさ。
そうそう、今回の目玉企画、じゃがいも土産は、クッキーの詰め合わせを用意した。できることならマリサを同行して、向こうのキッチンを借りてひととおりのじゃがいも料理を披露したかったのだが、他領で堂々とそんなことを行うわけにもいかない。さらに今回は自分の力だけでなく、父の力も借りることにした。前回の轍を踏まないための秘策だった。
「今回はアッシュバーン伯爵だけでなく、伯爵老もおいでのはずだ。彼に知ってもらうのも一興だろう」
「伯爵老? どなたですか?」
「アッシュバーン伯爵の父親で、前伯爵だよ。息子である伯爵に家督を譲って西の地域に隠居されている。隠居とはいえ、西の砦の騎士たちの訓練にも未だ携わっておられるそうだから、現役の騎士といっても差し支えない。皆、敬意を表して『伯爵老』とおよびしているんだ」
「アッシュバーン家はいつ代替わりしたんですか?」
「確か4年ほど前になるかな。アッシュバーン前伯爵には3人の息子と2人の娘がいたが、彼の地の精霊殿は気まぐれだったのか、なかなか後継を指名しなかったのだよ。それが5年ほど前にようやく次男君を当主に選び、1年後には伯爵老が家督を譲られたのだ」
貴族社会では精霊が次の後継者を選ぶ。だがその選定の時期はまちまちだ。子どものうちに指名されることが多いが、中には大人になり何年も経ってから、あるいは前当主が亡くなってから、という場合もある。いずれにせよ、子どもの場合はその子が成人してから、大人の場合は精霊の託宣があったのち、速やかに家督を譲る、というのが慣しになっている。中には自分は選ばれないだろうと、他家に婿や嫁に行った後、精霊の託宣があり、跡を継ぐために婚家ごと実家に戻る、といった例もある。当主に選ばれることは、内実はさておき名誉なことなので、たいていは喜んで引き受けることになる。
アッシュバーン家の場合、その精霊の選定が遅かったようだ。ただ、アッシュバーン領はそもそも裕福な領であり、一族のほとんどが騎士職として王宮や領内の砦を守っている。つまり、皆、それなりに仕事を持っているわけで、当主に任命されなくても十分自活できるため、それほど大きな混乱は起きなかったようだ。
「現伯爵とももちろん親交はあるが、どちらかというと伯爵老とのつながりの方が深いからね。その彼を取り込むことができれば、話はしやすいと思うよ」
父は子どもの頃に早々に精霊の託宣を受け、成人すると同時に家督を継いだ。その当時のアッシュバーン家の当主は、今の伯爵ではなく前伯爵だった。アッシュバーン領で騎士として働いていたことや当主同士のつながりなどから、前の伯爵の方が親交が深いのだろう。
(ん? ということは、実母を父に押し付けたのは伯爵老ということになるの?)
実母ハンナは、本当はアッシュバーン家で働きたかった。アッシュバーン伯は名門だし、何より当主の息子たちと母は歳が近かった。あの母のことだ、見初められたいという野心もあったことだろう。それを当主である伯爵が拒否し、代わりに隣のダスティン家に押し付けたのが6年前。うん、計算としてはそうなる。
(ことをややこしくした諸悪の根源は伯爵老ということだわ)
伯爵老が実母を父に押し付けなければ、継母が心をを乱すことはなかっただろう。しかし、伯爵老のおかげで私が生まれ、ダスティン男爵家は断絶せず今のところ安泰ということだから、感謝しなければならないのかも。
なんとも複雑な思いを抱きながら、私は馬車に揺られていた。
応援ありがとうございます!
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