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本編第一章

アクが抜けました

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 朝起きた私は顔を洗うのもそこそこに台所へと飛び込んだ。

 部屋の片隅にある鍋に駆け寄り、おもむろに蓋をとる。中には、昨日アク抜きに挑戦したじゃがいもが10個ほど沈んでいた。

    アク抜きは中南米のトウモロコシや芋類で実際に行われている方法を採用した。灰を沈めた水を一晩置き、その上澄うわずみ液を漉し器こしきで濾して、その液体でじゃがいもを茹でる。煮たったらさらに一晩水にさらす。これで完成だ。灰汁アクを用意するところからスタートして丸3日かかる計算だが、仮に食用化するとなれば一度に大量に茹でればいい話なので、そこまで大変でもないだろう。

 既にやわらかくなっているはずのじゃがいもだが、一晩水に晒した後だ。どうせなら茹でたてで食べてみたい。

「お嬢様、またおままごとの続きですかい?」
「マリサ、これはおままごとではないわ。食文化の大革命になるかもしれない瞬間なのよ」
「はいはい。まずは朝ご飯を召し上がってくださいな。今日もやることがたくさんあるんですよ。おひるにはまたスノウ坊ちゃんとフローラ嬢ちゃんがおいでですからね。おやつも用意しないと」

 私の話など綺麗にスルーしてマリサはお茶の準備をはじめた。いろいろ不本意でもあったがマリサの邪魔をするわけにもいかない。

 ひとまず台所を後にして、私はダイニングで朝食をとることにした。そうか、スノウとフローラは今日も遊びにくるのだ。だったら彼らにも食べさせてやりたい。でもおなかを壊したりしたら大変だから、最初は自分で試した方がいいかも。

「あら、アンジェリカ。今日はあまり食べないのね」

 後のじゃがいも大作戦のために朝食を少し控えたのだが、さっそく継母にはバレてしまった。どうにかごまかし、私は片付けと称して台所にとって返した。

 マリサに許可をもらい、再び竈門かまどに鍋をかける。すでに茹で上がったいるため、温めるのが目的だから、ひと煮立ちすれば十分だろう。

 竈門の灰がなぜアク抜きにいいかというと、アルカリ成分が高めだからだ。アルカリ成分にはアクの元になるいろいろな成分を中和させたりする力がある。また食べ物を柔らかくする効果もあり、芋類やとうもろこし、タケノコなどの調理の際に行うとよいとされていた。

 ごろごろ茹だったじゃがいもを掬いとり、あつあつのそれを皿にとった。鼻を近づけて匂ってみると、前世のじゃがいもと同じ匂いがした。これは案外いけるのではと嬉しくなる。

「マリサ、塩をちょうだい」
「あれま、お嬢様、何をなさるんですか」
「じゃがいもを食べてみるの」
「何をおっしゃるんですか、じゃがいもは食べられませんよ。アクが強いんですから」
「そのアクがなくなってるかもしれないのよ」
「茹でたってじゃがいもは変わりませんよ。そんなんで変わるんだったらみんなやっています」
「ただ茹でただけじゃないのよ、魔法をかけたの」
「魔法ですかい?」

 マリサは半ば呆れながらも、塩を取り出し、ぱらぱらとじゃがいもにかけてくれた。

「おなかを壊しちゃいけませんから、試すにしても一口にしといてくださいよ」

 どうせ苦くてすぐ吐き出すとは思いますがね、と付け加えながら、マリサはおやつのクッキーを作る準備に入った。

 私はほくほくのじゃがいもにフォークをいれた。くしゃりとじゃがいもが潰れる。2回も煮たのだ、柔らかいのは当然。問題は、その味。

 フォークの先ですくってそっと口に運ぶ。ほくほくとした舌触りに塩気が混ざったかと思うと、口の中にふわっと柔らかな風味が広がった。間違いない、懐かしい、あの朴訥としたじゃがいもの味だ。

「おいしい!」

 私はフォークで次のひとかけらを掬い、口に運んだ。

「まさか、そんな」

 クッキー生地を作るため粉を用意していたマリサが苦笑する。

「ほんとよ! マリサも食べてみてよ」
「嫌ですよ、そんな馬や豚の食べ物なんて」
「でも本当においしいの! アクなんて全然ないわ」

 言いながらフォークがすすむのを止められない。あぁ、塩だけじゃ足りない。マヨネーズかバターが欲しい。

「どうしたの?」

 不意に継母が台所に現れた。マリサは笑いながら答える。

「いえね、お嬢様がおままごとをされて、じゃがいもを食べてらっしゃるんですよ」
「あら、また? 昨日も吐き出していたじゃない」
「おかあさま、このじゃがいもは昨日のじゃがいもをは違うのです。特別な調理方法で茹でました。全然苦くありません。いくらでも食べられます」

 私は鍋から新しいじゃがいもを掬って継母にみせた。こぶりなので1個はまるっと食べてしまった。

「マリサ、マヨネーズかバターはないかしら」
「バターならここに準備してましたよ」

 クッキーの材料に混ざってバターが置かれていたのを手にとる。ひとかけらもらいじゃがいもに添えてみた。もちろん塩も忘れない。ここに醤油があれば最強なんだけど。

「アンジェリカ、お腹を壊すかもしれないからよしなさい」
「でもおかあさま、本当においしいのです。おかあさまも召し上がってみてください」

 言いながら私はバターとじゃがいもを混ぜる。すると溶けたバターが発する独特のおいしそうな匂いがあたりに充満した。継母も一瞬鼻をひくつかせて驚いた顔をしたが、それでも手を出そうとはしなかった。

「アンジェリカ、これは家畜の食べ物よ」
「でもおかあさま、それを人間の口に合うように調理できたのです」
「でも……」
「おかあさま、私、おとうさまと領地を見て回りました。このあたりの土地はとても痩せていて、主食の麦も満足に収穫できないような状況でした。ですから、麦に変わる新しい作物があれば、みんなおなかいっぱい食べることができるんじゃないかと考えたのです。幸いにして、芋類は比較的収穫が見込めます。そのひとつであるじゃがいもが食用になれば、ダスティン領の食糧自給率もあがり、ひいては経済的に豊かになる可能性があるのです。このじゃがいもには、いわばダスティン領の領民の未来がかかっているのです!」

 私の力説に継母ははっとしたようだった。この領の現状はこの人もわかっている。ちょっとの小麦粉も無駄にしないよう毎日調理しているのだ。冬場には出稼ぎに行かざるを得ない状況の領民がいることも、当然知っている。

 継母はなんとも言えぬ顔をしながらも、私からフォークを受け取り、ほんの一口だけ口にした。しかし次の瞬間、驚いたように目を見開いた。

「本当だわ、苦くない」
「でしょう? もっと食べてみてください」

 継母は勧められるがままに次の一口を口に運んだ。

「これ、おいしいわ」

 思わず次の一口に手が出る。

「本当ですかい?」

 やりとりを見ていたマリサに、私は新しいじゃがいもとフォークを渡した。もちろん、塩とバターも忘れない。彼女もおそるおそる一口食べ、そして目を見開いた。

「これがあのじゃがいもですかい? 苦くないどころか、ほんのり甘味がありますよ」
「えぇ。野菜独特の風味もあって、食べ応えもあるわね」

 二人は感想を言い合いながらたちまち1個を食してしまった。

「アンジェリカ、あなたすごいわ! どんな魔法を使ったの?」
「えぇっと……」

 まずい、前世の知識だとはとても言えない。じゃがいもで遊んでいたらたまたま……、と苦しい言い訳をしてなんとかごまかした。

 次の1個にも手を出そうとしたところを継母に止められた。お腹を壊してしまうかもしれないのでやめておきなさい、とのことだった。それも一理あるので私は素直に肯く。っていうか継母とマリサを人体実験に使ってしまったよ。

 残ったじゃがいもに目を落とし、ふとひらめいたことがあった。

「おかあさま、残りのじゃがいもをクッキーに使ってみたいです」

 小麦粉の代わりにじゃがいものペーストを練り込めば、野菜クッキーの出来上がりだ。小麦粉の節約にもなる。何よりこのじゃがいもの使用範囲も拡大できていい実験になりそうだ。

 体に影響が出てはいけないので食べるのは明日になってから、と約束させられたものの、実験は許可された。私はクッキー生地の半分をわけてもらい、マリサの隣でじゃがいもクッキー作りに励んだ。

   うん、じゃがいも、なんとかなりそう!




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