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本編第一章

領地を見てまわります2

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 馬で街道まで降りてきたあと、父は脇道に入っていった。ごつごつした整備もされていない道の先に畑が広がっており、領民が農作業をしている。

「あ、領主様だ!」

 作業中の子どもが声をあげると、一家の大人たちが手を止めてこちらに深くお辞儀をした。

「領主様、その子、だぁれ?」

 同い年くらいの男の子が父に抱かれた私を不思議そうに指さす。背後で大人たちが「これ! 失礼なこと言うんじゃないよっ」とその子を叱り飛ばす。

「あぁ、気にしないでくれ。この子は私の娘だ。アンジェリカという」
「えぇ! 領主様、養子をお取りになったんですかい!?」
「いや、この子は正真正銘、私の血を分けた子どもだ。次のダスティン男爵でもある」
「領主様のお子……もしかして、あの」

 どうやら領民たちの間にも母のことは知れ渡っているらしい。悪評まで漏れ聞こえていたらどうしよう。こちらの対処も必要となると大変だ。

「近々皆にもお披露目をしようと思っているよ。そのときはぜひ館まで来ておくれ」
「もちろんでございますとも! いやぁ、よかった。これで男爵家も安泰ですね。領主様とお嬢様に聖霊の御加護がありますように!」

 そう言って人の良さそうなご主人とおかみさんは、私の向かって満面の笑みを見せた。とりあえず、母の評判に関しては大丈夫そうだ。

「それにしても、麦の収穫はもうすぐだったな……」
「えぇ……」

 話が彼らが世話していた麦に及ぶと、とたんに歯切れが悪くなった。

「毎年毎年、ぎりぎりのところでやってきたんですが……出来は悪くなる一方で。もう半月ほどで収穫せねばならんのですが」
「茎も痩せ細って実も小さいままで……。それでも実が詰まってくれていたらいいんですが、どうも半分ほどしか入っていないようで」

 夫妻の視線の先には麦畑が広がっていたが、小さな畑に実る麦はまばらで、前世の私が知る麦畑の光景には程遠かった。麦の収穫時期は確か5月から6月にかけて。その頃には麦秋と呼ばれる、麦がたわわに実った美しい光景が本来であれば見られるはずだ。

 だが目の前の土地は、お世辞にも豊作とは言えない。しかも先ほどの話から察するに、不作は今年だけの話ではないようだ。

「領主様からいただいた地の聖霊石を使ってみた奴らのところは、ここよりはマシな出来ですよ。私らは野菜畑の方に使ってしまったので、こっちには回せなかったんですが」

 地の聖霊石は豊穣の加護があり、作物などと一緒に土に埋めればその実りを豊かにしてくれる。ほかにも土壁や土物の食器を強固にしてくれたりもする。ただし農業に使用した場合、効果は永久ではなく、一シーズンが限界だ。この夫婦の家も野菜畑の方はそこそこの収穫らしい。

 聖霊石は安価ではなく、おそらく領民の収入では購入できないのだろう。それを父が手に入れて配布したようだ。

(地の聖霊石が豊富にあればいいけれど、そういうわけにもいかないし。こんなに作物が育たないってことは、土や水に問題があるんじゃないのかな)

 私は父と一緒に馬から降りて、畑の土を手にとってみた。けれど私に土の良し悪しがわかるわけもない。

(前世だったら専門機関に預けて成分分析してもらうんだけど……)

 NGO団体に就職し、最初に1年近くは研修を兼ねていくつかの現場を見せてもらったことがある。そのひとつに土壌改良の仕事があった。ただしそれは、土地の成分分析をした上で手を入れられたことだ。分析したデータがあれば、本職でないにしてもいくらか思いつけることがありそうなのだが、それは叶わない。

 麦を育てている家族とわかれてほかの畑も見て回った。どこも作物は似たような状況だ。牛や豚を育てている農家もあったが、餌となる飼料がこちらも豊富でなく、家畜の太りやミルクの出もいまいちだ。他領に出荷するというより、自宅や領内で流通させることが精一杯という状況。

「おとうさま、この領地の特産品はなんなのですか?」

 隣のアッシュバーン領であれば答えは明白。特産品は鉱石だ。地の聖霊が宿る土地では聖霊の加護のおかげで良質な鉱石がとれる。アッシュバーン領ではとりわけ金や銀、鉄の出荷がさかんだ。鉱石は値もはるし、十分な産出量もあるため他領への輸出も多い。また鉱山を多く抱えるため鉱夫などの働き口も多く、大勢の人が仕事を求めて集まってくる。人が多ければその生活を支えるあらゆる産業が育つため、税収もあがる一方だ。羨ましいこと限りない。

「特産品? 特産……なぁ」

 父は顎に手をやり、考えはじめた。

「今見せていただいたところ、農作物や畜産は大きな収益をあげているように見えませんでした。ほかに何か、他領に負けないような物はありませんか?」
「収益だなんて、アンジェリカは難しい言葉を知っているね」

 父はにこにこ顔で私の頭に手をやる。うん、おとうさま、今それいらないから質問に答えてほしいな。

「品物が難しければ、技術や産業でもいいです。あと、風景とか文化……たとえばお祭りとかでも!」
「うーん、そういったものは……あっ、そうだ!」
「なんですか!」

 私は期待をこめて父を見上げた。

「ダスティン男爵領の特産は、『人』だよ!」
「……ひと?」

 得意顔で満面の笑みを浮かべる父に対し、私は首を傾げた。

「ひとって何……あっ、もしかして人間国宝的な!」
「にん、げん……こくほ? なんだね、それは」
「い、いえっ、なんでもありません! それで、その『ひと』というのは!?」

 思わず口走った前世の知識をどうにかごまかし、私は父に詰め寄った。

「『人』といえば領民のことだよ! なんと我がダスティン領では10年以上、犯罪がおきてないんだ! 10年前に一度あったけれど、それはおなかのすいた旅人が畑の作物を勝手にひっこぬいて食べてしまったというもので、うちの領民の仕業じゃなかったんだよ!」
「……」

 嬉々として胸を張る父に、私はなんとも言えない気持ちになった。

「えっと、おとうさま、そういうものではなく……」
「何をいってるんだい、アンジェリカ。領民は我が領の宝だよ。彼らがいるから税を収めてもらえるし、彼らのおかげで私たちの生活が成り立っているんだ」
「た、たしかにそうですが……」

 私が辟易していると、父は厳かに話を続けた。

「彼らの中にはもっといい暮らしがしたいと思っている者も大勢いるだろう。もっと蓄えが得られるようになれば、冬の閑散期に一家の働き手が鉱山へ出稼ぎにいってしまうようなことも避けられるからね。それでも彼らはこの地に留まってくれている。この土地とこの土地の過去と、代々の私たちを愛してくれているからだ。それを忘れちゃいけないよ」

 父の言葉にはっとした。そうだ、貴族の所領は、領民がいないと成り立たない。彼らが富を求めて領地を捨ててしまえば、そこはゴーストタウンになってしまう。

 前世で、消えてしまった集落を見ることがあった。水が枯渇して住めなくなったり、土壌が汚染され住めなくなったり、焼畑農業のしすぎで草の一本も生えない不毛な土地になってしまったり。どんなに偉い人がそこに君臨していても、そこで生活をする大勢の人々がいなければ、領地経営は行き詰まるだけだ。

「申し訳ありません、軽率でした」

 反省しきりの私に、父は優しく声をかけた。

「アンジェリカが領地のことに興味を持ってくれて嬉しいよ。それじゃぁ、ご褒美にとっておきの場所に案内しよう」
「とっておきの場所?」
「一緒に行けばわかるよ」

 そうして父は再び馬を別の高台の方に向けた。


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